救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

勝負の年、政府はすべての拉致被害者を救出せよ!4/28国民大集会全記録2(2012/05/14)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2012.05.14-2)

【第2部】

増元 今日はアメリカからわざわざお出でいただきましたスネドンさんのご家族
の訴えをお聞きしたいと思います。その前に、このスネドンさんの事件について
島田洋一救う会副会長、宜しくお願いいたします。

◆脱北者を助けるNGOの一員と見られて拉致された

島田 それではまず、アメリカから来られましたデヴィッド・スネドンさんのご
家族を簡単にご紹介します。まずお父さんのロイ・スネドンさん、お母さんのキャ
サリン・スネドンさん、兄のジェイムズさん。そしてジェイムズさんの夫人のジュ
ビーさん。

 なお、ご両親の後ろで先ほどから通訳していただいているのは、元経産省幹部
で、駐米大使館で公使も勤めておられました、前仙台市長の梅原克彦さんです。
現在、国際教養大学の教授を勤めておられます。

 私は3月にも訪米してデヴィッド・スネドンさんの件についても最新情報を関
係者から色々聞いて、整理してきました。なお今日はお手元に簡単な資料をお配
りしていますが、私のブログで適宜新たな情報を載せるようにしていますので見
ていただければと思います。

 さて、このケースで大変重要なのは、これまで日本人以外の拉致の事例は日本
の関係者が発掘してきて、それを本国の家族に伝えて、その上で家族が動く場合
もあれば、中国人拉致被害者の場合は中国政府が怖くて動けないわけですが、そ
の家族が動いて本国政府も多少北朝鮮に問合せをしたということでした。

 日本発だったのですが、このデヴィッド・スネドンさんのケースは、初めてア
メリカから我々に情報が寄せられて協力が求められてきたケースです。

 具体的にはチャック・ダウンズさんというアメリカ有数の北朝鮮問題の専門家
で、拉致問題に関しては最も詳しい方で、家族会・救う会の運動も10年以上前
から支えてくれてきたアメリカ人の人ですが、彼が中国で失踪したアメリカ人の
ケース、事件に巻き込まれたケースなど色々あるけれども、このデヴィッド・ス
ネドンさんのケースだけは北朝鮮による拉致の可能性が非常に高いと言っていま
す。

 チャック・ダウンズさんはアメリカの議会でも証言し、「フォックス・ニュー
ス」というテレビで話したこともあるんですが、今のところアメリカにおいては
反応がにぶい。一言で言えば、「まさかアメリカ人を拉致しないだろう」という
感覚が、アメリカの議員や一般国民の間にもある。

 つまり日本や韓国から拉致したって、日本政府は弱い、気にする必要はないが、
アメリカ人を拉致したとなると、アメリカ政府を怒らせるとそれこそ軍事的な手
段を使われるということもある。アメリカが怖いからそんなことはしないだろう
という、いわば奢りのようなものがある。

 しかし、2月29日の米朝合意は、北朝鮮が簡単に破ったのを見ても分かるよ
うに、北朝鮮側においてはアメリカが思うほどアメリカを尊重していない、怖がっ
ていないという面も十分あると思います。

 いずれにせよ拉致問題に関しては、「まさかこんなことをやるまい」と日本人
も思ったけれども、実際に拉致があったと。そのことを身にしみて知っている日
本から是非スネドンさんのケースもアメリカに対して再発信してもらいたいと思
います。それが米国の関係者の願いであり、そうした文脈で今回ご家族が来られ
ているわけです。

 なぜスネドンさんのケースが拉致の可能性が高いと考えるか、ごく簡単に整理
します。

 デヴィッド・スネドンさんは韓国語、中国語に大変堪能で、韓国、中国にそれ
ぞれ滞在して語学研修を受けておられました。2004年の8月半ばに、滞在し
ていた北京から友人と一緒に南部の方を旅行しようとなり、途中で友人と別れて、
最後は一人で雲南省に行きました。中国の一番南でベトナム、ラオス、ミャンマー
と国境を接している所で、脱北者の外に逃げるルートの一つになっているのが雲
南省経由です。相当の距離ですが様々な助け脱北者が雲南省へ来てそこから東南
アジアへ逃げています。

 従って、北朝鮮の特務機関もこの雲南省にひそかに網を張って脱北者やその協
力者を捕らえようとしています。そこに中国政府も暗に絡んでいたという状況が
当時あったわけです。

 デヴィッドさんは最後に雲南省の景勝地で、朝鮮料理レストランで食事をとっ
たのを最後に行方が分からなくなっています。その1時間後の午後1時初のバス
に乗る予定だったということらしいですが、そのバスに乗った形跡がない。

 実は、デヴィッド・スネドンさん失踪の1か月前に、アメリカの下院議会が北
朝鮮人権法を可決しています。この北朝鮮人権法では、脱北者をアメリカが本格
的に助けること、脱北者をある程度アメリカも受け入れ、様々な面で救出に当た
るということが書いてある。

 それに対し北朝鮮は、アメリカのNGO等が北朝鮮から見れば裏切り者が出て行
くのを助けていることになり、そういう行為に対して報復するという宣言をして
います。

 同じく、デヴィッドさんが失踪する数週間前、7月末に、ベトナム政府がベト
ナムに来ていた脱北者468人を一斉に韓国に送りました。これに対して北朝鮮
は強く反発しています。アメリカにそそのかされてベトナムまでもが脱北者を救
出というか逃げるのを助けた、と。これに対し、いくつかの国にあるNGOに報復
するという宣言をしています。

 デヴィッドさんは、北京から雲南省に来る前、北京で5日間、ある友人と共に
過ごしていました。そのアメリカ人の友人は中朝国境にある中国側の延辺大学に
留学していた青年で、中国の少数民族である朝鮮族の研究をしていた。朝鮮族の
同行は中国の北京政府にとって部妙な問題ですが、その友人は調査のために北朝
鮮に入りたいと申請もし、そういった動きを中国政府が問題にして強制退去処分
になった。

 その友人は、強制退去になる寸前にデヴィッドさんと5日間過ごした。当然中
国当局はその人物の動向をマークしていたでしょうし、その人物に会って、その
直後にデヴィッドさんが脱北ルートである雲南省に行った。

 これはチャック・ダウンズの推測ですが、そのことからデヴィッド・スネドン
さんが、いわゆる脱北者を助けるNGOの一員だったのじゃないかと、中国当局、
そして北朝鮮当局が見たとしてもおかしくない。

 デヴィッドさんの失踪後、家族の方々は何回も現地に調査に行かれているんで
すが、調査に行くとそこに中国の当局者が来ていたりして、明らかに自分たちの
動向をつぶさに監視していたという証言も、ユタ州の地元の新聞等にご家族が書
いておられます。

 もう一つ。やはりデヴィッドさんが失踪する1か月前に、今日来ておられる曽
我さんの夫であるジェンキンズさんが北朝鮮を出てインドネシア経由で日本に帰っ
てこられました。

 北朝鮮としては、あわよくば曽我さんを、家族の説得という形で北朝鮮に連れ
て行こうとしたんでしょうが、曽我さんが大変な気迫で家族を日本に連れてこら
れた。

 北の担当者としては、大変な失態ということにもなるわけで、アメリカ人のジェ
ンキンズさんを失ってしまったその穴埋めに新たにアメリカ人一人の拉致を考え
たとしてもおかしくない。

 デヴィッド・スネドンさんは、非常に標準的な発音の英語を話す方で、しかも
韓国に滞在して韓国語ができるわけですから、朝鮮語ができて英語の発音がいい
と、まさに北朝鮮の工作員に手取り足取り英語を教えるのに最適の人材でもあっ
たわけです。

 あるいは景勝地の崖から足を滑らせてというようなことがあったんじゃないか、
お父さんやジェイムズさんが現地の谷間に行っておられるわけですが、そんな足
を滑らせて落ちるような所じゃないと。それも現地で家族が確認しておられます。

 暴力団に襲われたということなら、朝鮮料理レストランを出てバス停までの間
ですから、人の往来もないわけではないので何らかの情報が出てきてもおかしく
ない。いきなり朝鮮レストランから車にでも乗せられて連れていかれたのではな
いかと。これはチャック・ダウンズ氏の証言です。

 そして朝鮮レストランですから、当然現地で活動している北朝鮮の特務機関の
連中なんかもその店を利用していた可能性がある。

 こういうこと、そして全く痕跡がないということも、犯罪目的であればパスポー
トが売りに出されるとかあってもおかしくないわけですが、そういう形跡は全く
ない。

 スネドンさんの家族よると、アメリカでは、まさかアメリカ人を拉致しないだ
ろうという感覚があると同時に、政治家の間では中国との関係を悪化させたくな
い、あまりゴリゴリ中国を追求したくないという感覚もあって、これは日本の政
治家にもありがちな感覚ですが、どうもデヴィッドさん失踪事件が疎かにされて
いるという感覚を家族はもっておられる。

 そこで日本の世論のバックアップによってアメリカの世論を動かして、ひいて
はアメリカ世論を動かしたいということで昨日来日されました。それではジェイ
ムズ・スネドンから、彼は5年間日本に滞在した経験があり、日本がすごくうま
い人ですので、家族の考えや日本の国民有志に向けた連帯の訴えをお願いします。

◆すべての拉致被害者を早く家に連れ戻れるように

ジェイムズ・スネドン(デヴィッド・スネドンさん兄)

 みなさんこんにちは。ここで、私の家族、またデヴィッドの話をすることがで
きとても感謝しています。

 正直言って、心の中の気持ちが伝えにくいものですから、特に日本語は私の言
葉じゃないですから、どういう風に伝えればいいのかものすごく緊張していまし
て、前もって紙に一言書きましたが、それも読みながらなるべく私の気持ちを伝
えたいと思っております。

 2004年の夏、中国で勉強していたデヴィッドから何日も連絡が来ないと、
母から電話がきました。母は心配そうでしたが、危機感はないようでした。私は
驚きましたが、デヴィッドの連絡を待つことにしました。何をすればいいのか、
何ができるのか分からないというのが主な理由です。

 連絡がなくなる前、デヴィッドは、中国から韓国のソウルに行って兄のマイケ
ルに会う予定でした。母からの電話の後、1週間が過ぎ、両親がアメリカ当局と
大使館に連絡をとったところ、デヴィッドが行方不明ということが明らかになり
ました。

 マイケルは予定通りソウルに行って二人が待ち合わせするホテルに待っていま
したが、デヴィッドは来ませんでした。私たちの心配が深刻になり、何ができる
のか、どうしたらいいのかという微妙な気持ちがしていました。

 あの巨大な国で、一人の行方不明者をどこからどうやって探せるでしょうか。
この頃私はマイケルと自分たちで中国に行く計画を立てました。なぜなら、アメ
リカは中国当局がなかなか先へ進まないのではないかと考えました。父は歳をとっ
ているし、私は兄として弟を家に連れて帰る責任をものすごく感じました。

 当然父は、何がなんでも一緒に行くと。奇蹟の連続のおかげで私たち3人が中
国の雲南省に到着しました。この後数週間、私たちはたくさんの道を歩き回り、
小さな町に辿り着きながら、何百人もの人にデヴィッドの行方を尋ねました。

 実は毎日どこへ行くか分からないまま祈りながら、小さな目撃情報を追いかけ
て、最終的に中国のリジャインというところに着きました。実に、信仰と神の導
きによって役に立つ人を見つけたり、目撃情報を手に入れた結果、デヴィッドの
足取り、つまり彼が生きていてシャングリラ(香格里拉)まで来たことが分かり
ました。

 シャングリラでは数日間歩き回って、何も手がかりがつかめず、私は大変落胆
しました。父と兄が宿などを訪ねている間、私は疲れて残り、自分がデヴィッド
ならこの町で何をするだろうかと考えていました。

 その時、「コリアン・カフェ」という看板が目に入りました。そして私が日本
と日本人を愛しているように、デヴィッドも韓国人に対して同じ気持ちを持って
いるのではないかと考えました。なぜならデヴィッドは2年間韓国に住んでいて、
奉仕活動をしていたからです。

 そこが日本のカフェなら私は絶対にそこに行くだろうし、デヴィッドなら「コ
リアン・カフェ」と呼ばれている場所に興味を持っていないはずがないと考えた
からです。事実、そのカフェで私たちは最も強力な手がかりと、弟を見かけた二
人の目撃者を発見しました。

 彼らはデヴィッドが2日の間、少なくとも2回そこで食事をしたと証言しまし
た。私たちはそのカフェが、デヴィッドがシャングリラを去って行方不明になる
前に、最後に立ち寄った場所だと信じています。

 私たちはデヴィッドが中国で事故に遭って亡くなったということではなく、ア
ジアのどこかにいると確信を持っています。

 アメリカ政府と中国政府は、どちらも大変協力的ですが、しかし積極的だとは
言えません。アメリカ大使館はデヴィッドの行方不明について、矛盾したことを
言ったこともあります。ですから、政府の本当の確信や目的が何なのか判断でき
ないわけです。

 私たち家族はその後も中国を訪れ、同じ警察官、軍と行方不明担当者たちを訪
問しました。しかし、何も進んでいません。私の両親は、息子が呑み込まれた国
の人々に奉仕することを決意し、中国の大学で英語教師として1年以上経ちまし
た。

 その事件は、中国語、韓国語、英語を話し、大学教育を受け、文化にも精通し
た大人が煙のように消えてしまったことです。しかし、私たち家族によって、彼
が行方不明であるという事実は消すことはできません。

 第二次世界大戦後65年以上もの間、中国で行方不明になったアメリカ国民は
一人もいないのです。デヴィッドが中国にいるのか、北朝鮮にいるのか、それと
もアジアのどこかにいるのか私たちは全く分かりません。

 ですからこの事件は、今日現実に毎日の信仰であり、祈りであり、希望そのも
のです。そして私たちと母のものでもあります。

 私の母、デヴィッドの母は、夜の闇の中、息子デヴィッドが戻ってくることを
願い、今でも涙を流していることを私は知っています。歳をとった母が、もう一
度息子に会えることができるよう、何としてもデヴィッドを探し出して、家に連
れ戻りたい。なぜならそれが私たち家族の使命だからです。

 今日たくさんの同じ拉致された家族にお会いできて、その家族の皆様の愛を眺
めながら、私と私の家族と同じく、その悲しみとかなぐさめとかそういう気持ち
でいっぱいであるということがはっきり分かりました。

 だから、私たち家族一つだけでなく、たくさんの新しい家族のメンバーに今日
お会いできたと考えています。それがアメリカ人だろうが日本人だろうが何人だ
ろうが、苦しまれている方々がお互いに支えることができるのではないかと信じ
ています。

 この問題は、拉致したことだけではなく、よく考えると北朝鮮の国民も非常に
苦しまれています。だから我々は人間として、色々な苦しみを持つ人がお互いに
支えあって、お互いに祈りあって、お互いに助け合いながら、こうやって生活す
べきではないかとものすごく決心しています。

 一日も早く、デヴィッドだけじゃなく、すべての拉致被害者を早く家に連れ戻
れるよう祈っています。宜しくお願いいたします。

増元 ありがとうございます。アメリカにはイリノイ在住の金東植(キム・ドン
シク)牧師が、韓国籍ではありますが、アメリカのグリーンカードをお持ちで、
奥様は市民権、お子様はアメリカの国籍を持っている方ですが、その金牧師が拉
致されているという明らかな事実もあります。今、ユタ州のデヴィッドさんが、
北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であるということも含めて、私たちはさ来週ワシ
ントンに行って国会議員の方々にもお会いします。本当にアメリカが真剣に動い
ているのかについても議論していきたいと思います。

 これはお願いではなく、共闘しようということです。我々は中国に対しても共
闘しようと言いたいんですが、中国政府はなかなか中国人拉致被害者を助けよう
というアプローチをなぜかしない。これは中国が中国人拉致被害者の存在を公に
したくないからという配慮からでしょう。

 すべての拉致被害者を取戻すためには、中国に対しても厳しい目を向け、共闘
するような動きをしていかなければならないと思います。

 また、チャック・ダウンズさんという北朝鮮人権委員会の専務理事が、「北朝
鮮拉致報告書」を昨年作りました。それを昨年秋に翻訳し、この中にスネドンさ
んの家族のインタビューも載っています。今日は入口の所で販売していますので
是非お読みいただければと思います。
もう一度、スネドンさんご家族に激励の拍手をお願いいたします。

◆韓国家族会からのメッセージ

増元 この国民大集会では国際連携を強めてきましたが、これまで毎年参加して
いただいた韓国の家族会からメッセージをいただいていますので代読をさせてい
ただきます。

「国民大集会」メッセージ

 北朝鮮政権によって拉致されたすべての被害者救出のための国民大集会の成功
をお祈りします。

 この間日本の主導的な努力で北朝鮮の民間人拉致の実体が明らかになってきま
した。2011年には米国の北朝鮮人権委員会が米国で初めて北朝鮮の国際拉致
犯罪に関する『Taken』という報告書を発刊するなどの成果がありました。持続
的な努力を傾けている日本の皆さんに感謝の気持ちを伝えます。

 皆さんの声援のおかげで私ども朝鮮戦争拉北者に関する特別法が2011年から施
行されています。韓国内居住者はもちろん日本、米国など在外韓国人までを対象
として、戦争中拉致の家族から2013年まで被害申告を政府が受けています。
日本政府とは比べられませんが、今からでも韓国政府が戦争拉致問題解決のため
に特別法に明示された通り努力することは、意味ある発展だと考えます。これか
らは拉致最大被害国にふさわしく韓国が国際社会でも主導的な役割を果たすこと
を期待しています。

 2011年12月に米国下院が朝鮮戦争拉北者関連決議案を全会一致で通過さ
せたといううれしい消息をお伝えします。これを土台に今年2012年から国際
活動をより積極的に展開していく計画です。あわせて忘れられた戦争拉致被害者
を記憶するために‘私を忘れないで下さい’という花言葉を持つ忘れな草バッチ
付けるキャンペーンもずっと展開しています。

 北朝鮮が拉致問題を正しく解決するように、私たちの知恵と力を集めて拉致被
害者を救出する日まで最後まで共に努力します。
ありがとうございます。

2012年4月28日
朝鮮戦争拉致被害人士家族協議会
理事長 李 美一

増元 タイのチェンマイ在住でアノーチャー・パンジョイさんの救出運動をして
おられます海老原智治さんに、救う会とも関係を持って活動されていますが、ア
ノーチャーさんのお兄さんスカムさんからのメッセージを代読していただきます。

海老原 私はタイのチェンマイで拉致被害者の救援に当たっております海老原と
申します。本日はタイ人拉致被害者のお兄さんから寄せられたメッセージをご紹
介させていただきます。

◆タイ人拉致被害者家族からのメッセージ

会場にお越しの皆様、日本及び各国の拉致被害者家族の皆様、こんにちは。

 私は、1978年にマカオから拉致されたタイ人拉致被害者アノーチャー・パ
ンチョイの兄、スカム・パンチョイです。

1978年に 妹アノーチャーがいなくなって30年もの間、私たちにはなんの
希望もありませんでした。しかし、2005年になって初めて、ジェンキンズさ
んのありがたい証言から、妹が北朝鮮に拉致されていたことが判明し、現在も北
朝鮮にいる可能性が極めて高いことがわかり、日本の家族会の方々と連携するよ
うになって、私たち家族は大きな希望を持ちました。

今日ここにお越しの拉致被害者家族の皆様は、国は違えど、拉致され遠く離れ
た北朝鮮にいる家族を、待ち続け見守り続けて来たと思います。また、拉致され
た私たちの家族も、北の地から祖国の家族を見守って来たに違いありません。

拉致問題解決にこうして連携して取り組むことで、家族が再会する期待が高まっ
ています。すべての拉致被害者家族が再会できる日が遠くないことを私は確信し
ています。

2012年4月28日
タイ人拉致被害者 アノーチャー・パンチョイの兄
スカム・パンチョイ

増元 ありがとうございます。タイ、韓国、そして中国のマカオ、さらにヨーロッ
パの家族のところに私たちは訪れました。国際連携のもとに、国際的圧力を強め
ていきたいと思います。

 昨年タイで政権が代わり、新しくできた政権のもとにアノーチャーさんの救出
に動き出そうとしている状況にあるようです。是非タイ政府にも私たちの戦いに
参加してほしいと思っています。

 それでは、主催者の一人でもあります救う会の西岡力会長に基調報告をしてい
ただきます。

◆圧力が足りません

西岡 後ほど読上げて採択するのですが、決議案に私の言いたいことが書いてあ
りますので配布資料をご覧ください。

「すべての被害者の安全と早期救出を実現するためには、『全ての拉致被害者の
帰国なしに日本は絶対に譲歩しない』という政府と国民の決意を示す」というこ
とです。これは私たちの戦略です。

 そして、「制裁と国際連携の圧力で北朝鮮を交渉の場に引き出す」ということ
です。そしてもう一つ、先ほど中山先生もおっしゃいましたが、緊急事態が発生
することがあり得る。交渉の相手が突然混乱に巻き込まれてしまうことがあり得
る。その場合に、救出計画を準備しておいていただかなければならない。

 国際連帯と制裁の圧力、その背後にある世論の力で北朝鮮を交渉の場に引きず
り出す。そして混乱に備え準備をしておくということです。

 ところが、圧力が足りません。先ほども自民党や公明党から力強いお話があり
ましたが、今日本は貿易は止めています。船は止めています。しかし、ヒトとカ
ネは自由に行き来しています。私たちもちょっと迂闊だったのですが、朝鮮総連
は最近力がなくなってきたと思っていたのですが、今北朝鮮にお金を持ち込む時
は、10万円以上は届け出をしなければならないんです。しかし、届け出をすれ
ばいくらでも持っていっていいんですが、それほど持っていっていないだろうと
思っていたら違いました。

 去年の12月から今年の2月までの間、金正日の香典か何かを持っていったと
いうことになるのですが、1億3千万円が正式に届け出されていました。そして
この4月には、金日成生誕100周年で、日本全国で11億円の募金をしていた
という情報があります。おくら持っていったのかまだ発表されていません。

 誰が持っていっているのか。今、朝鮮総連の幹部6人が北の国会議員を兼ねて
いますから、日本を出国したら戻ってこれない措置をとっていますが、その下に
副議長が5人います。名前を言います。南昇祐(ナム・スンウ)、朴久好(パク
・クホ)、高徳羽(コ・ドクウ)、●益柱(ペ・イクチュ)、●眞求(ペ・ジン
グ)、この5人です。●=褒の保を非に

 この5人の内、南昇祐と朴久好と●益柱は、ほぼ1月に1回訪朝しています。
去年の12月に南昇祐が行きました。今年の1月に朴久好が行って、1月向こう
にいました。2月には●益柱が行きました。そして3月にまた朴久好が行きまし
た。そして今、南昇祐がまた行っています。

 彼らがお金を持っていっているんです。誰に持っていっているのか。労働党3
9号室というアメリカが金融制裁の対象にしているテロや核・ミサイル開発の資
金を扱う部署にお金を持っていっているんです。

 日本政府は、先ほど古屋先生の話にもありましたが、国連安保理の議長声明を
出すように努力したと言っていますが、しかし、ミサイルや核を止めたいのなら、
お金を経つべきなんです。

 日本から強い圧力をかけ、向こうが痛みを覚えなければ交渉は始まらない。ア
メとムチが両方必要なんです。もっとムチを当てて、これを取ってくれという形
で交渉を初めなければいけない。そのためにも、今言った朝鮮総連の5人の副議
長の再入国不許可に踏み切るべきだと、強く求めたいと思います。

 そしてもう一つ。北朝鮮に対する圧力は、色々な方法があります。一つは正し
い情報を取るということです。我々は生きているということを知っているんだと
いう情報を取って、交渉に臨むことです。

 彼らの側は何人抑留しているのか全部知っているわけです。交渉が始まった時
に、今みじめなことに、全員が何人かさえ知らないで全員助けなきゃいけないと
いう状況になっています。

 そこで私たちは、様々な情報活動を民間なりにしてきました。今日は一つの報
告をさせていただきます。入手の詳しい経緯は明らかにできないのですが、私た
ちはかなり確度が高いと判断している情報です。

 2007年と2008年に2件、日本人拉致に関する情報を入手しようとした
者が逮捕される事件があった。そのため2008年に入り、拉致被害者の居住地
が移され、「この問題に接近する者は職位の高低に関わらず厳重に処罰しろ」と
いう指示が出た。

 2008年に、拉致問題に関する会議が国家安全保衛部で開かれて、「日本人
拉致被害者は日本に送りたくても送れない」という話しがなされた。2008年
の時点で、保衛部は10名未満の日本人被害者を管理していた。そのうち2人の
朝鮮名は姜クンナムと李チョリョン、残念ながら本名は不明です。外部と遮断さ
れた場所で書類と資料の翻訳をさせられている。

 それ以外の日本人被害者の朝鮮名と、どこでどのような仕事をさせられている
のかは不明である。これは保衛部の側ですが、もう一つ、党の工作機関は30名
以上の日本人拉致被害者を管理している。招待所で生活させられており、秘密保
持のため外国人同士で結婚させている。

 以上の情報を入手することができました。具体的な名前もあげました。私たち
はもっと、もっと知っているんです。日本政府にも実はかなりの情報があるんで
す。なめてもらっては困る。ここに多分、北朝鮮につながる人が来ているでしょ
う。はっきり言っておきますけど、私たちは全員生きているということを知って
いるんです。

 そして、生きている被害者に危害を加えたり殺したりするようなことがあって、
それが判明したら絶対に許しません。

 DNAの本物の遺骨を作ろうとして殺すようなことをしたら、日本の技術をなめ
てもらっては困る。その骨が誰のものかだけではなくて、いつ亡くなったかも日
本の技術で識別することができるんです。

 ですから、1994年に自殺したというめぐみさんの本物の骨が出てきて、そ
れが2002年以降に死んでいたということになれば虐殺です。これは国連安保
理事会の軍事制裁さえ求めなければならないほどのひどいことだと思います。そ
ういうことをきちんと言っておきます。

 そして最後に世論です。私たちは、今年を勝負の年にしようということを決め
ました。そして松原大臣もそうおっしゃっています。その背景には絶対世論が必
要です。

 皆さんに2つお願いがあります。一つは署名です。先ほど増元さんがおっしゃっ
ていましたが、約850万の署名が集まっています。今年中にあと150万プラ
スしたい。この850万は、家族会・救う会が集めたものだけではなくて、特定
失踪者の皆さんが集めたものなども全部含んだ合計の数字です。

 拉致に関するどのような署名用紙でもいいですから、それぞれのところで集め
てください。できれば私たちは新しい署名用紙を今年になって作りました。今年
が勝負の年と書いてあって、総理に全力で取戻してくれとだけしか書いていませ
ん。これは多くの人が呼んだらみんな署名してくださると思います。

 個人情報はコピーをとったりしません。官邸に持って行くだけです。周りの人
に言ってくださって、是非あと150万集めようではありませんか。

 もう一つ。9月2日にもう一度この日比谷公会堂を押さえてあります。金正日
が拉致を認めたのが9月でした。あの9月17日の涙の記者会見を未だに覚えて
いらっしゃる方も多いと思いますが、10年に際しては、もっと強力な世論の盛
り上げが必要だということで、今日も来てくださっております「知事の会」と
「地方議連全国協議会」に共催のお願いをいたしました。一緒に行事を作ってく
ださいとお願いしまして、快諾を得ております。

 そして地方議員の先生は今日は60人以上、70人近く来てくださっています
が、その時は全国から全部の代表に来てもらうことで今お話を進めているところ
です。その時まで、まだ議連ができていない13の府県も含め、全国の都道府県
議会の代表が全部ここに集まる。そして国会議員の先生にももっと来てもらう。
そして先ほど誰かがおっしゃっていましたが、私は野田総理に来てほしいと思っ
ています。対策本部長ですから。そういう集会をしたい。できればその時までに
150万集めて、1000万を達成して、日本人はこの問題を忘れてはいない、
時間が経ては経つほど我々の怒りは強まって、あなたたちは苦しくなるんだとい
う発信を、9月2日に、皆さんと一緒にしたいと思います。是非一緒に頑張りま
しょう。

増元 今日初めて発表する保衛部が管理する拉致被害者の数、そして工作機関が
管理している拉致被害者の数、名前まで分かっているということです。北朝鮮に、
本当に私たちの国は情報を持っているということを改めて強く言いたいと思いま
す。

 次に“今年は勝負の年”というスローガンを掲げました。そして勝負の年に改
めて日本に帰国されてから10年、そしてご自身が拉致被害者でありながらお母
さんのミヨシさんが北朝鮮に拉致されているという、この二つの面をお持ちになっ
ている曽我ひとみさんにお出でいただきましたので、曽我さんにお話をいただき
たいと思います。よろしくお願い致します。

◆母への思い もういい加減、時間を止めてほしい

曽我ひとみさん(母曽我ミヨシさんと拉致され、家族会メンバーとして北朝鮮に
いる母の救出を訴え)

 皆さんこんにちは。曽我ひとみです。今日はこんなにたくさんの方々がこちら
にお集まりいただきまして、本当に心より感謝します。ありがとうございます。
これから少しお話をさせていただきたいと思います。

 今年は帰国して10年目という、私にとっては大きな節目の年となります。こ
の10年を振り返ってみますと色んなことがありました。でもその都度、周りの
方々のご支援をいただきまして、困難なことも乗り越えてこれたと大変感謝して
おります。夫と子どもも帰国しまして8年になりました。今ではすっかり佐渡の
生活にも板について、これといった心配もほとんどなくなりました。この数年は
非常に落ち着いた生活を送っております。

 ところが生活が落ち着きまして自分の時間が取れるようになると、他のことを
考える余裕が出てきます。そうなると決まって考えることは母のことです。この
10年間、何の進展もないまま、いたずらに時間だけが過ぎてしまいました。む
なしさだけがどんどん胸に積っています。1年が過ぎ2年が過ぎと、時間の経過
とともに心の痛みはどんどん増していきます。もういい加減、時間を止めてほし
いと願っています。

 母は12月が誕生日で、81歳になります。本当に時間がないのです。平均寿
命を考えても一日一日がとても貴重な時間となります。私にとって、とてもつら
いことです。街中や近所で母と同年代の人を見かけることが度々あります。元気
に歩いて買い物をしたり、農作業をしたり、年齢を感じさせない人もいます。ま
た一方では仕事柄、施設に入所してくる色々な状況の方々のお世話をしています
が、その中には介護を必要とする人もたくさんいます。どうにか自分の身の回り
のことはできる人、色んな方々がいます。

 今でも元気に動き回っているだろうなあと思ってみたり、日本では80歳なら
まだまだ元気な人がたくさんいます。しかし北朝鮮では医療もままならないから、
もしかしたら具合が悪くなり、自分のこともできなくなっているのではないかと
想像してしまいます。残された時間が少なくなればなるほど悪い状況を考えてし
まいます。それが頭から離れなくなってしまい、私の胸が苦しくなってきます。
だからこそ一日も早く母がどうなったのか、どこにいるのか、知りたいです。

 ここ数年間、島内での署名活動の時、マスコミのぶら下がり取材を受けると、
ほんのちょっとだけですが、政府や担当大臣に向けて意見を言わせてもらってい
ます。この10年間、これといった動きがないので、本当はもう少し意見を言っ
てもいいのではと考えたりもします。まさか何もしていないわけではないでしょ
うから、ちょっとの意見で控えていますが。

 署名活動といえば年に数回島内で行っています。毎回感じることがあります。
それは署名してくださる方々が、「お母さん、早く帰って来ると良いね」、「こ
の問題が早く解決して欲しいわね」と声をかけてくれる方々がたくさんいます。
まだまだ関心を持ってくれる人たちがいるということが、とてもうれしいです。
できる範囲での活動しかでしかありませんが、署名をしてくださる人がいる限り、
続けていこうと思います。こんな小さな活動ですが、全国規模を考えればとても
大きな力になるでしょう。皆さん、一人ひとりの声が政府に届き、「何としても
問題を解決するぞ」と政府が行動を起こす原動力になってほしいと願っています。

 皆さんもご存知の通り北朝鮮は金正恩が後継者となりました。また日本では担
当大臣が松原氏となり、まさに交渉するには絶好のチャンスではないかと期待し
ております。ところがすでに数か月が過ぎてしまいました。まだまだ両国とも落
ち着かない状況なのかもしれませんが、一歩でも前進することを、目に見える形
にしてもらいたいと願っております。

 今日ここに参加してくださった皆さん、一人の力は知れたものですが、大勢の
人の力が合わされば、どんな大きな力になるか分かりません。小さな活動かもし
れませんが、どこかでチャンスを使って、担当大臣や政府が動いてくれるよう声
を届けましょう。拉致被害者が一人残らず日本に帰国できるよう、これからもご
協力よろしくお願い致します。

増元 ありがとうございました。ご自身も24年間、北朝鮮で本当に苦労されて
こられました。貴重な青春時代を北朝鮮で暮らさなければならなかった。その犠
牲は何のためにあったのかということを、国民の皆様に考えていただきたい。そ
れは彼らの犠牲が、この日本をまともな国にするための原動力になる。そのため
の犠牲であったということであれば、24年間のその苦しみもいくらかは癒され
るのではないかと思います。

 そのためにも国民の皆様に是非、この拉致問題を通して国のあり方、そして被
害者を取戻せるまともな国にするために一緒に戦っていただきたいと思います。

増元 これから家族会の皆さんに話をしていただきたいと思います。まず横田め
ぐみさんのご両親と弟さん、横田滋、早紀江、哲也さんお願い致します。

◆世論の力を持続させ、引き続き関心を持って見守って

横田滋 みなさまこんにちは。連休の初日にもかかわらず、大勢の方に足をお運
びいただきまして心から感謝申し上げます。

 めぐみは昭和52年の11月15日、新潟市の寄居中学校でバトミントンの練
習を終えて帰宅する途中で、自宅のすぐ近くで行方不明になりました。警察がす
ぐに捜査にあたってくださいましたが、身代金目的の国内での誘拐事件というこ
とで、新潟県警始まって以来といわれるほどの大捜索をしてくださいましたが、
しかし、めぐみの姿だけではなくて遺留品も何もみつかりませんでした。

 そしていつのまにか20年が経過しました。平成9年の1月に、国会議員の秘
書から電話がありまして、「お宅のお嬢さんは北朝鮮の工作員に拉致されて平壌
にいるらしい」という情報が入りました。

 その後、マスコミの取材もあって、平成9年の2月3日の「産経新聞」と、同
日発行された「AERA(アエラ)」という雑誌で詳しく報道されて、さらにその日
の午後に、衆議院の予算委員会で西村眞悟代議士が橋本総理大臣に、「少女拉致
事件」として質問して、それがテレビに生中継されました。

 そして翌日の「読売新聞」、「毎日新聞」、「朝日新聞」等の大新聞も全部が
報道したことによって、日本人のほとんどの方はその時に初めて拉致ということ
をお知りになったかと思います。

 しかし、実際はもっと早くから拉致問題は報道されて、アベックがいなくなっ
たのはめぐみの1年後の昭和53年7月、8月ですが、この時未遂事件も1件あ
りました。そして昭和55年には外国の情報機関が関与しているのではないかと
いうことで、「産経新聞」が報道しましたけど、しかしそのころは、「拉致なん
てあるものか」というようなことで立ち消えになっています。

 しかし、昭和63年には参議院の予算委員会で橋本敦議員が政府に対して拉致
の質問をして、そこで国家公安委員長であった梶山静六さんが、「拉致の疑いは
極めて濃厚である」と答弁されていますから、政府関係者の方もその頃から知っ
ていたのではないかと思います。

 宇野外務大臣も、「事実であれば断固とした措置をとる」と答弁していますが、
しかしこの時はテレビの生中継もなく、新聞も日経と産経が小さく報じただけで、
一般の人はそれでほとんど気がつきませんでした。また家族の人も名乗りを挙げ
なかったものですから、結局拉致問題を日本中に知らされることがなくて、何も
動かないままに時間が過ぎていきました。

 しかし、めぐみの時(平成9年)には実名を挙げて写真も出したものですから、
新潟を中心に拉致の救出運動が始まって、半年くらい経って全国的に救う会がで
きました。そして拉致問題が国民の間に大きく知れ渡るようになりました。

 しかし、その当時、北朝鮮は拉致を否定していますし、署名運動に言っても、
「拉致なんて本当にあるんですか」とか、「こんなものに関わって大丈夫なんで
すか」と質問される方が多かったわけです。

 それが平成14年に小泉総理が訪朝した時に北朝鮮は拉致を認めて、認定して
いる12人の内4人の方が生存、8人が死亡、その他に曽我さんが生存というこ
とが分かったわけです。

 それから5人の方が帰国して、家族の方も2年後の5月と7月に帰りましたの
で、北朝鮮側は、「これで生きている人はすべて返した。後の人は死亡または入
国していないので拉致問題はすべて解決済み」と言って、実質的な進展がなく、
安倍さんの時にも、福田さんの時には2回交渉があって調査のやり直しをするこ
とになったのですが、福田さんが政権を投げ出したのでそれ以降は交渉は全く行
われておりません。

 北朝鮮は、初めはめぐみは平成3年に29歳で死亡と発表しました。2002
年の秋にめぐみの遺骨なるものが帰ってきましたが、これはDNA鑑定の結果、別
人のものとなりました。ですから死んでるとは思いません。また北朝鮮は遺骨と
同時に写真も出してきましたが、しかし結婚した時、それからヘギョンさんが1
歳の誕生日の時の写真なので、まだ若く、29歳以下の写真です。

 しかし、北朝鮮が失敗したというのは、一番初めに日本政府がヘギョンさんに
会った時、お母さんの写真として持ってきたのが一番年配で20歳くらい、子ど
もだからそう思ったかもしれませんが、配布資料の右上の写真ですが、元警察で
鑑定をやっておられた方の話ではこれは40歳くらいの時の写真だということに
なっていますから、言っていることはとても信用できません。

 ちょっと前まで救う会の署名用紙に、「生きているのになぜ助けられない!」
と書いてありましたが、「死亡」と言われた人は特別の証拠があるわけではない
ですが、色々な状況から見てほとんどの方が生きていると思われます。

 ですから、前に世論がなかった時拉致問題が話題にならなかったのと同じよう
に、今は国民の方が、「同胞を救わなければ」という気持ちが非常に強くて、講
演会に行ってもどこでも満員になるような感じなので、世論の力を持続させるこ
とがやはり一番解決のためになると思います。

 今日お見えになられた方は特別関心が深い方ですが、そういう方が大勢いらっ
しゃることが政府認定の人だけでなく、大勢の特定失踪者や、身寄りがなくて届
けていない人もいると思います。すべての被害者を救出する最大の力となります
ので引き続きこの問題に関心を持って見守ってくださいますようお願いいたしま
す。

◆日本が一つになって、一刻も早く元に戻して

横田早紀江 みなさまこんにちは。本当に長い15年の活動の中で、こんなに解
決しないのに、皆様が私たちを支えてくださり、こうして政府に向けて、また、
北朝鮮に向けて、アメリカに向けて救出のためにメッセージを出し、力をいただ
いていることに感謝いたします。

 子どもたちは、あっという瞬間に自分の人生を変えられてしまっています。そ
して向こうに捕らわれたままに過ごしています。何にも分からない闇の中で悲鳴
をあげていると思います。声も出せない悲鳴を挙げながら今日も頑張っていると
思います。

 色々な噂が出てきますが、本当のことは何も分かっておりません。破格の厚遇
をされているとの噂があったり、また変なところにほうりこまれてしまったんじゃ
ないかという思いも持って、色々なことを考えながら嘆くわけです。

 しかし彼らはそんなところで生きていけるとは思っていなかった人たちです。
日本に生まれ、日本で育って、日本のために日本で元気で暮らしたいと思って育っ
てきたものが、ある瞬間に隣の国の指導者の指令によってなされた犯罪に捕まり、
そして今もなお解放されないという状態が拉致問題です。

 そしてその間、彼らは非常に苦しい、死にたい思いで暮らしていたと思います
が、今日お見えになっている曽我さんからもめぐみたちと一緒に過ごしたことが
あることを聞かせていただいたり、蓮池さんたちからも聞かせていただきました。

 そして、そのような中でも、皆さんとお話しながら暮らしたことがあったんだ
なあと色々なことを思いながら、私たちの越された家族はいます。そして先ほど
の特定失踪者の方々はもっと何もわからない中で苦しんで、その内お父様が亡く
なられたりとか、去年までお会いしていた人がいらっしゃらなくなったりとか、
そういうことが年々続いてきています。

 家族は皆様が想像される以上にこの苦しみ、悲しみの中で一生懸命に生きてき
ました。その中で、立ち上がり、立ち上がりして生きてきたわけですが、こんな
恐ろしいことが堂々とまかり通っているような国がすぐそこにあるということで
す。

 日本の国民も政府もあらゆる方々が一つになって、あの国がそんなことしてい
ていいんだろうかという思いを持って立ち上がっていただいて、日本国中がみん
なでそのことをしっかりと捉えて動いていくことができるように、これからもご
支援くださいますように。

 一刻も早く元に戻していただきたく、お願いいたします。

◆憤りを持って本腰を入れて取組んでいただきたい

横田哲也 皆様こんにちは。横田めぐみの弟の哲也です。本日はお越しをいただ
き誠にありがとうございます。

 何の進展もないまま、今日この場にいることが本当に悔しくて残念でならない
というのが正直な気持ちです。見えないところで政府が動いてくれていると信じ
たいですが、国会議員や外交官僚は主権意識で、憤りを持って本腰を入れて取組
んでいただきたいと思っています。

 拉致問題も然り。先日の北朝鮮のミサイル発射を受けての政府の対応の遅さも
そうですが、安全保障に関して関心がないとしか思えないというのが私の正直な
思いです。

 素人大臣ですとか、解決する意思のない官僚は即刻お引取りいただきたいと思
います。野田首相におかれましても、消費税増税に命をかけるのもいいですが、
拉致解決に向けても同様の熱意を持って取組んでいただきたいと、改めてお願い
をしたいと思っています。

 主体として動くのは国ですが、それを動かすのは我々ですから、是非皆様お力
をお貸しいただいて国を動かしていきたいと思いますので宜しくお願いいたしま
す。

増元 次に、有本恵子さんのお父さん、有本明弘さん(副代表)、嘉代子さんお
願いいたします。

◆北朝鮮と対決できる強い国、強い内閣を

有本明弘 みなさんこんにちは。今日は皆さんに是非知っていただき、皆さんの
考えを実行に移していただくことを申し上げたいと思います。
私の家内の発言を貰って、一枚のペーパーを読上げます。

 本日は国民大集会に参加くださりありがとうございます。拉致実行命令を出し
た金正日が去年の末に亡くなり、私たちの拉致問題も交渉がしやすくなるのでは
ないかと思っていましたが、最近のニュースを見ていると、金正恩は亡くなった
金正日の先軍政治の思想をそのまま受け継いでいくことがはっきりしてきました。
この現実を見る限り、日本政府に考え方を変えていただくしかないんです。

 1988年9月、娘たち3人が北朝鮮で助け合って生活しているという手紙を
受け取ってから24年になります。救済するための活動を行ってきました。当時
私が話をした憲法学者は、北朝鮮に対してはアメリカの武力で押さえ込むしか方
法がないと私に断言しました。私も、当時の日本の現状を知る限り、そうだと思
いました。今でもそうだと思っているんです。

 そして、24年が過ぎた今、アメリカは北朝鮮との核とミサイルの問題を抱え
てその交渉たるや長きに渡り、北朝鮮に騙され続け、現在があるのです。日本国
として、アメリカにわが国の安全保障を全面的に託せるのか。一番アメリカが怠
慢なんです。これを皆さんに死っていただきたい。

 そこで、安倍元総理の、総理時代の発言をみなさんに思い出していただきたい。
安倍元総理は、憲法改正と教育改革を提唱して実行に移す前に閣僚の不始末をマ
スコミに叩かれ、短命に終ってしまいました。このことは、日本の国にとっては
私は不幸なことだと思っています。

 そこで、安倍総理が唱えた憲法改正を実現し、独立国家としての種々様々な法
規制を整えなければ、北朝鮮のような無法な国家と対決していくことはできませ
ん。当然北朝鮮の不法行為に対する法規制をはっきりと明文化するとともに、対
処する部署も作らなければならない。

 その部署にいる幹部は職を賭して対外的な危機管理ができるのです。このこと
は不安定なアジア情勢が続く現在において早急に実現しなければならない政府の
責任であると思います。

 北朝鮮と対決できる強い国、強い内閣を作るため、ご来場の皆様によく考えて
いただきたい。近い将来行われる総選挙で、政党ではなく、憲法改正を唱える志
のある先生方を選んでいただくことをお願いして、私の挨拶に代えさせていただ
きます。ありがとうございました。

増元 それでは市川修一さんのお兄さん夫婦、市川健一・龍子さんお願いします。

◆父は97歳、本当に時間がありません

市川健一 父は97歳になりました。息子の帰国を待ち続けています。1年半前
に、脳梗塞で倒れてしまい、現在近くの老人ホームにお世話になっています。私
たちが行くと、いっぱい涙をためて、「よく来たなあ」とすごく喜んでくれます。
父の年令、体調のことを思う時に、私には本当に時間がありません。一刻も早い
救出を願っています。

 日本の国家としての基本は国民の生命を守ることです。金正恩政権の転回に左
右されることなく、必要な圧力はしっかりとかけるべきだと思います。北朝鮮に
は拉致問題、人権問題、核・ミサイル問題があります。人間本位の観点から、北
朝鮮に物を言う。そして、ぶれることなく対応していくことが大事だと思います。

 総理に強いリーダーシップを取っていただき、被害者全員を救出していただき
たい、そう願っています。皆さん、私たち家族に皆様方の力をお貸しください。
宜しくお願いいたします。

◆国会議員を動かす戦いをしなければ真剣になってくれない

市川龍子 皆様こんにちは。松原大臣の言葉は信じます。そして西岡先生の言葉
も信じます。信じるしか私たちにはできないんです。だから信じていきますが、
あちこちの集会で、本当にたくさんの方が共感してくださり、涙を流しながら激
励してくださいます。

 それにつけてもということで、いつも手を挙げられます。「それにしても日本
政府は本当に真剣に動いているのか」という言葉を聞くので、答えに本当に困っ
てしまいます。今まで日
  
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