救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

拉致リスト更新・松木薫さん氏名公開(2002/04/19)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2002.04.19)

■拉致リスト更新・松木薫さん氏名公開

 このたび、スペインからよど号グループに騙されて拉致された松木薫さんの
氏名を公開することになりました。

 松木さんについてはすでに一部マスコミで写真が出たものの、氏名はイニシ
ャルのままでしたが、熊本の会の加納会長が親族に会うことができ、公開につ
いての了解を得、熊本の会の理事会で決定したことにより、こちらのリストも
実名を掲載して更新することにしたものです。すでに熊本の会では11日、実名
を出して街頭署名活動を行っています。

 松木さんと札幌出身のIさんについては警察も北朝鮮による拉致と認定する
可能性のあることを示唆しており、今後はその方向に向けてこちらも働き掛け
ていくことになると思います。

★拉致事件関連資料

(救う会全国協議会作成・平成14年4月19日改定)

政府が北朝鮮による拉致と特定している「8件11人」
 
(1)久米裕さん
 昭和52(1977)年9月19日、東京都三鷹市役所で警備員をしていた久米裕さ
ん(当時52歳)は、能登半島の宇出津海岸から北朝鮮に拉致されている。久米
さんの足どりは宇出津海岸の旅館で途絶えており、久米さんをその旅館まで連
れていった在日朝鮮人Rが外国人登録法違反で逮捕され、次のように自白した。
 「北朝鮮工作員から『52,3歳の日本人男性で身寄りのない者を北朝鮮に拉致
すること。頭の程度は問わない。戸籍謄本を取らせて9月19日夜、能登町宇出
津海岸で待っている工作員に引き渡せ』と指令を受け、金に困っていた久米さ
んに近づき、密貿易を手伝わないかとだまして、戸籍謄本をとらせて宇出津海
岸の旅館まで連れて行き、昨夜、海岸で待っていた北朝鮮の工作員に久米さん
を渡した」
 東京のRの自宅から乱数表、暗号解読表等の証拠も押収されているが、Rは
「出国時の意思」を久米裕さんから確認できないことを理由に起訴は見送られ、
外国人登録法違反でも不処分のまま釈放されている。

(2)横田めぐみさん
 昭和52(1977)年11月15日夕刻、新潟市の中学校から帰宅する途中で拉致され
た。この事件は平成8年10月号『現代コリア』に朝日放送の石高健次氏が寄稿
した論文で言及されていた「中学校一年生の少女拉致」が端緒となり、同年末
その少女が横田めぐみさんであることが判明、翌平成9(1997)年1月23日西村真
悟衆議院議員(現自由)が政府に質問書を提出、さらに2月3日には予算委員会
で質問し、橋本総理も調査中であると答弁した。
 政府は平成9年5月1日の参議院決算委員会の吉川芳男議員(自民)の質問へ
の答弁を通じ北朝鮮による拉致事件として認定したことを明らかにした。アベ
ック拉致と同様無線傍受などの情報によって特定したものと考えられる。この
事件は当初工作員が海岸に来ためぐみさんに見つかり、工作活動が発覚するの
を恐れて拉致したと言われていた(当初この情報をもたらした亡命工作員及び
亡命工作員安明進氏が聞いた話)が、その後現場の状況の調査などから、遭遇
ではなく自宅近くで待ち伏せされて(個人名を特定しない、「若い女性」など
の指示による)拉致されたものと思われる。安明進氏の情報は北朝鮮の工作員
養成機関「金正日政治軍事大学校」の教官から伝えられたものだが、安氏によ
れば、「想像だが暗くて年齢が分からず、拉致してみたら子供だったので、『
見つけられたので拉致した』ということにしたのではないか」とのことである。
 
(3)田口八重子さん
 昭和53(1978)年6月に東京高田馬場のベビーホテルに3歳と1歳の幼児を預け
たまま拉致された。朝鮮語や政治の教育を受けた後、昭和56(1981)年7月から
58(1983)年3月まで大韓航空機爆破事件の犯人金賢姫の日本人化教育係を勤め
る。北朝鮮では「李恩恵」と呼ばれた。
 昭和63(1988)年1月、金賢姫がソウルで行った記者会見によってその存在が
あきらかになったが、事件後2人の子供を養子として育てていた田口さんの兄
と姉が子供への影響を考えて申し出ず、特定するのに時間がかかった。
 平成3(1991)年5月15日、埼玉県警は記者会見をして、匿名での報道を条件
に「李恩恵」は埼玉県出身の田口八重子さんと判明したと発表し、「李恩恵が
船で日本から引っ張られたと金賢姫に言っていることから、拉致の可能性も含
め、刑事事件として捜査を行なう」と述べた。その5日後の5月20日から北京
で開かれた第3回日朝国交正常化交渉の日本側は「李恩恵」の消息調査を求め
たが、北朝鮮側は激しく反発した。第4回から第8回までの日朝交渉では日本側
は本交渉ではなく次席代表同士の実務協議の場で持ち出し、真相の究明を求め
た続けた。北朝鮮側はこれを不満として第8回交渉でそのことに言及すること
自体認められないとして会談は決裂し現在に至っている。
 
(4)地村保志さん(5)浜本富貴恵さん
 昭和53(1978)年7月7日午後7時40分頃、福井県小浜市の海岸に近い国道沿い
のレストランを出た後、拉致された。地村さんは当時23歳の大工見習い、浜本
さんは当時22歳。海岸を見下ろす展望台に地村さんの乗っていた軽トラックが
鍵のかかったままで残されていた。2人は9日前に結納を済ませたばかりで、自
らの意志で失踪すべき理由はない。金賢姫は招待所(拉致された日本人から工
作員教育を受けた秘密施設)の世話係の女性から「ある招待所に日本人で大工
仕事を上手にこなす男性がいた」と聞いたと証言しているが、地村さんではな
いかと推測される。
 
(6)蓮池薫さん(7)奥土祐木子さん
 昭和53(1978)年7月31日、午後6時に新潟県柏崎市の海岸から250メートル離
れた図書館で待ち合わせをした後拉致された。蓮池さんは当時20歳で帰省中の
中央大学の学生、奥土さんは当時22歳の美容指導員。蓮池さんは夏休み後に提
出するレポートを書き上げたばかりで、奥土さんは職場の店長に「コーヒーを
一杯飲んだら帰るわ」といって出かけており自らの意志で失踪すべき理由はな
い。海岸近くに林があり、そのあたりで拉致されてゴムボートのある地点まで
移送されたものと思われる。
 
(8)市川修一さん(9)増元るみ子さん
 昭和53(1978)年8月12日、鹿児島県日置郡吹上町の吹上浜に自家用車を残し
たまま拉致された。市川さんは当時23歳で鹿児島市の電電公社(現NTT)職
員、増元さんは当時24歳で事務員。車はロックされ、助手席には増元さんの手
提げバックとカメラが置いてあった。バックの中にはサングラス・財布・化粧
道具などがそのまま残され、車内はまったく荒らされた形跡がなかった。なお、
市川さんについては安明進氏が金正日政治軍事大学で何回も目撃し話をしたこ
ともあると証言している。
 
(10)原敕晁(ただあき)さん
 昭和55(1980)年6月、北朝鮮工作員辛光洙らによって宮崎県青島海岸から北
朝鮮に拉致された。原さんは当時49歳で、李三俊・在日朝鮮人大阪府商工会理
事長の経営する中華料理店「宝海楼」の店員をしていた。その後辛は原さんに
なりすまし日本に入国。パスポート、運転免許証、国民健康保険証まで取得し、
海外にも出て対南工作を続けていた。辛は昭和60(1985)年2月、原さん名義
の旅券を持って韓国に入国し逮捕され、韓国当局の取り調べによって原さん拉
致事件が明らかにされた。辛は平成11(1999)年12月31日恩赦で釈放され、金大
中政権の「非転向長期囚送還」によって翌12年9月2日北朝鮮に送られた。

(11)有本恵子さん
 有本さんは昭和58(1983)年8月9日、ロンドンでの語学留学から帰国する予
定の当日実家に「仕事が見つかる 帰国遅れる 恵子」という電報が実家に届
いた。その後10月中旬にコペンハーゲンから手紙が届いたのを最後に音信が途
絶える。有本さんが北朝鮮にいることは札幌市出身のIさん(男性・下記18)
から昭和63(1988)年9月6日に実家に届いた手紙で分かった。手紙には有本さ
ん・Iさんの写真や住所と松木薫さん(男性・下記19)の名前などが書かれて
いたという。手紙はポーランドから送られており、封筒の裏には「Iより 平
壌にて」と書かれていた。最近になってこの手紙に有本恵子さんとIさんの間
にできた子供と推定される乳児の写真が添えられていたことが分かった。有本
さんの事件は実行犯の1人八尾恵氏の証言に基づき政府が平成14年3月11日北朝
鮮による拉致事件と認めたが、Iさん、松木さんについてはまだ政府は拉致事
件と認定していない。

政府が北朝鮮による拉致未遂事件としている事件 
富山のアベック拉致未遂事件
 昭和53(1978)年8月15日、富山県高岡市の雨晴海岸で、アベックが4人組の男
に襲われた。2人は捉えられ、縛られた上、頭から布袋を被せられた。その状
態で寝かされていたが、犬の鳴き声が聞こえた後、男たちはその場を離れ、2
人は逃げ出して難を逃れた。袋や猿ぐつわ、手錠などの遺留品は日本のもので
はなかった。この事件以後アベック拉致は行われていない。

政府がまだ認定していない拉致事件
(12)寺越昭二さん(13)寺越外雄さん(14)寺越武志さん
 昭和38(1963)年5月11日、石川県志賀町に住む寺越昭二さん(当時36歳)、
外雄さん(同24歳)、武志さん(同13歳)は漁に出て行方不明となり、船だけ
が沖合いで発見された。昭二さんは寺越嘉太郎さんの二男、外雄さんは四男、
武志さんは長男太左衛門さん・友枝さん夫婦の息子。
 失踪から24年後の 昭和62(1987)年1月22日、外雄さんから姉に北朝鮮で生活
している旨の手紙が届いた。太左衛門さんと友枝さんは8月、平壌を訪れ外雄
さんと武志さんに会った。昭二さんについてはこのとき昭和43(1968)年に病
気で亡くなったと伝えられた。友枝さんはこのとき以来度々北朝鮮を訪問、武
志さんに会っている。外雄さんは平成6年秋に亡くなった。
 安明進氏はこの事件と推定される事件について先輩工作員から聞いており、
それによると昭二さんと思われる人物は拉致の現場で抵抗して射殺され海に沈
められたとのこと。また、安氏は武志さんと思われる人物が金正日政治軍事大
学の中(物資の集積をする基地)で働いているところを直接見たと言っている。
 

(15)福留貴美子さん
 昭和45(1970)年3月に起きた赤軍派グループによる日航機ハイジャック、い
わゆる「よど号事件」の犯人の一人、岡本武の夫人である。独身だった犯人た
ちを結婚させるため、色々な手段が使われたが、福留さん以外(いわゆる「よ
ど号の妻たち」は結婚は考えていなかったとしても全員が主体思想研究会など
の親朝団体の会員ないし何らかの関係を持っており、少なくとも北朝鮮までは
自分の意志で行った人々である。福留さんだけはモンゴルにあこがれて渡航の
方法を調べていたことなどを利用され、騙されて出国し、拉致された上で無理
矢理結婚させられた。昭和51(1976)年のことである。
 その後岡本と福留さんは北朝鮮からの脱出を企て逮捕され、収容所に送られ
たという。もともと岡本の妻は現地の女性ということになっていた。それをジ
ャーナリストの高沢皓司氏の得た情報をもとに朝日新聞の記者が日本人福留貴
美子であるとつきとめ、平成8(1996)年8月7日付で報じたが、その2日後に
よど号グループが流した情報と思われる「福留さんは岡本と共に昭和63(
1988)年頃事故死した」との報道が各紙に報じられた。本当の生死はまだ分か
らない。なお、福留さんは昭和55(1980)年に一度帰国し、3月に横浜の友人
の家に立ち寄ったことがある。何らかの工作活動に利用されたものと推定され
る。政府は福留さんがこの年6月に出国したとしている。これと高沢皓司氏の
著書『宿命』の記述その他の情報を総合すると、家族や知友人との接触を厳禁
されていたのを無視して友人に会い、その後高知の実家に帰ろうとして監視者
に捕まり6月まで監禁された上で北朝鮮に帰された(あるいは福留さんは工作
船などで北朝鮮に送られ、6月に福留さんを擬装した別人が出国した)ものと
思われる。
 
(16)田中実さん
 田中さんは昭和24(1949)年生まれ、神戸市東灘区に住む身寄りのないラー
メン屋店員だった。店を経営していた韓という朝鮮人が工作員で、「海外旅行
に行く」と言って誘われ、昭和53(1978)年6月6日に成田を出国、ウィーンに
向かった後消息を断っている。ウィーンで拉致されモスクワを経由して平壌に
至ったと思われる。
 田中氏については、北朝鮮工作員の指導の下日本国内で活動していた地下工
作員、張龍雲氏の証言によって明らかにされた(後掲参考図書参照)。また、こ
の事件については平成8(1996)年12月12日の兵庫県議会警察常任委員会で大
前繁雄県議が質問しており、大橋県警警備部長は「当該人物の行方については、
拉致された可能性も含めて慎重に調査をしている」と答弁している。
 
(17)小住健蔵さん
 小住さんは北海道出身で昭和36(1961)年に行方不明になっていた。昭和
55(1980)年頃北朝鮮に拉致されたと推定されている。昭和55年6月、朴とい
う工作員が小住健蔵名義のパスポートを取得、海外に6回にわたって渡航して
いた。朴は昭和60(1985)年に指名手配されたが、現在も逮捕されていない。
朴は小住さんに成り代わる前、小熊和也さんという男性を拉致しようとし、こ
の男性が病死したため小住さんをターゲットにしたとされている。
 
(18)Iさん(19)松木薫さん
 (17)有本さんの事件で出てくる2人の男性。有本さんは平成14年3月11日政府
が北朝鮮による拉致と認めたが2人はまだ認められていない。
 Iさんは札幌市出身、ヨーロッパ旅行中の昭和55(1980)年に消息を絶ち、
昭和63(1988)年9月6日に実家に手紙が届いた。そこには有本さんの写真や住
所と熊本市出身の留学生(京都外大大学院生)松木薫さん(男性)の名前など
が書かれていたという。手紙はポーランドから送られており、封筒の裏には「
Iより 平壌にて」と書かれていた。最近になってこの手紙に有本恵子さんと
Iさんの間にできた子供と推定される乳児の写真が添えられていたことが分か
った。

※以下の氏名未詳者については、氏名の記載されている被拉致者、あるいは後
掲の「可能性のある事件」の失踪者と重複している可能性もあります。
 
(20)Aさん
 安明進氏の証言で何人かの新たな日本人被拉致者が明らかになったが、その
うちの一人。男性で時期は1970年代末から80年代初め。北海道で電気製品を配
達する仕事をしており、その仕事の途中で拉致された。届けた荷物の領収書に
拉致する対象であるとする符丁が書いてあったという。身長は160センチ弱。
 
(21)Bさん(22)Cさん
 安明進氏が金正日政治軍事大学で見かけた女性の日本人教官。二人とも現在
の年齢で40代後半ぐらい。Bさんは髪が肩くらいまでの長さ。色白、少し老け
て見えた。Cさんは横田めぐみさんより少し背が低い。後述Dさんとよく話を
しているのを見かけた。
 
(23)Dさん
 安明進氏が金正日政治軍事大学で見かけた男性の日本人教官。めがねをかけ
ていた。30代前半に見えた。身長170センチ位。体格がいい。
 
(24)Eさん
 安明進氏が平成2(1990)年10月頃爆破訓練用の模擬放送局で見かけた女性。
身長160センチ以上で、当時30代半ばに見えた。タバコを吸っていた。
 
(25)Fさん
 1991年8月、安明進氏が訓練中にけがをして入院した915病院で会った。同じ
入院患者の女性。当時30代半ばに見えた。
 
(26)Gさん
 安明進氏が915病院で盲腸手術を受けようとしていたとき見かけた男性。70
歳近くに見えた。
 
(27)Hさん
 田口八重子さんが、1979年頃平壌市内の大聖山遊園地の食堂でお見合いさせ
られた相手。当時40歳ぐらいに見え背が低かった。田口さんは入り口から入っ
てくるその男性を見てそのまま席を立ってしまったという。金賢姫が石高健次
氏に証言している。
 
(28)?(44)
 よど号関係者のかなり確実な情報によると、よど号グループがヨーロッパ等
で拉致した日本人は上記(17)?(19)を含む合計20人だという。すなわち残り
17人の被拉致者が存在することになる。 

(45)Iさん
 1999(平成11)年3月14日付産経新聞朝刊及び週刊朝日3月26日号に掲載され
た。韓国に亡命した元労働党調査部工作員が拉致を実行した工作員と親しい教
官から聞いた話。1980 年代の中ごろ西日本の海岸から、柔道と思われる格闘
技にかなり熟達した男性が3人がかりで拉致された。
 
(46)Jさん
 (45)と同じ産経及び週刊朝日に掲載された。亡命した元労働党作戦部工作員
((45)の亡命者とは別人)の証言による。1979(昭和54)年から1980年に海岸
の公園で午後7時から8時頃、20代の男性がデートをしていた女性と別れた直後
に拉致された。
 
(47)Kさん
 韓国に亡命した元工作員車成根氏が工作員指導員から聞いた話。海岸から日
本に潜入した工作員が公園を散歩していた20代の男性1人を襲い麻酔をかけて
清津に運んだという。
 
北朝鮮による拉致の可能性のある事件(順番は失踪時期の順による)
 
 以下の事件はあくまで「拉致の可能性のある失踪事件」であり、前に述べた
ような確定的事件ではありません。北朝鮮による拉致でなく、日本国内で無事
見つかればそれにこしたことはありません。その意味で北朝鮮に関係ないもの
でも構いませんので以下の方々について何か情報がありましたらご連絡下さい。
なお、救う会関係者のところには他にも多数の拉致の可能性のある失踪事件に
ついての情報が寄せられていますが、ここでは一定の拉致可能性が推定される
事件のうち、ご家族がリストに載せることを承諾されたもののみを掲載してあ
ります。
 
(1)森洋子さん
 函館市に近い道南の町に居住していた森洋子さん(昭和19年5月15日生まれ
)は昭和38(1963)年9月20日夜函館市内で行方不明になった。他の拉致と時
期は離れているが寺越事件と同年である。
 
(2)Mさん
 昭和42(1967)年2月、当時18歳の高校3年生で、自宅(富山県A町)近くの
海岸にバットの素振りをしてくる、と出かけたまま行方不明になった。海岸に
バットと履いていた下駄が並べておいてあった。その日は海はベタ凪で、水島
さんは遠泳の名手であり、溺れた可能性はない。拉致されたとすれば、時期的
に考えると寺越事件と同様工作員の出入りに遭遇したことによって連れ去られ
たケースであると思われる。
 この事件については元参議院議員秘書で拉致問題に取り組んできた兵本達吉
氏に家族から相談があった。兵本氏は多数の拉致及び拉致疑惑事件を取り扱っ
てきた経験から本件が拉致の可能性が高いとして月刊「正論」平成11(1999)
年1月号に寄稿した論文「私が直感した拉致疑惑『新たな二件』」で明らかに
した。
 
(3)新木章さん
 この事件も前述兵本氏が「正論」の論文の中で明らかにしたもの。新木さん
は埼玉県川口市に住む銀行員だった。昭和52(1977)年5月21日(当時29歳)
外出して以来行方不明。自殺、家出の原因等は全く存在しない。
 
(4)前上昌輝さん
 前上昌輝(まえがみ・まさてる)さんは実家が京都市にあり、北海道を旅行
中の昭和52(1977)年9月22日、旭川駅の荷物一時預かりにザックを預け、以
来消息を絶っている。11月初旬、実家に男性の声で電話が入った。声の主は低
い声で「前上昌輝の家の者か」とだけ尋ねた。電話に出た母親が「昌輝のこと
を知っているお方ですか」と数回叫んだが、それには答えず「また電話する」
と言って電話を切った。以来手がかりは全くない。昭和32(1957)年7月16日
生まれ、身長173cm。
 この事件には北朝鮮による拉致と思われる要素は現在のところ見つかってい
ない。ただ、時期が久米裕さんの拉致(9月19日)とほとんど同じであり、こ
の時期から拉致事件が頻発している点からすると可能性も否定できない。
 
(5)松本京子さん
 松本京子さんは事件当時29歳。昭和52(1977)年10月21日夜8時頃、自宅近
くの編み物教室に行くといって家を出て以来行方不明。普段着で現金も持って
いなかったとのこと。この夜、自宅から約200メートル離れた松林で松本さん
と2人の男が話をしているのを近くの人が目撃、「何をしている」と声をかけ
ると男がこの人を殴り、その直後、片方のサンダルを残したまま2人の男と松
本さんは姿を消した。兄の孟さんは、事件の暫く後から北朝鮮に拉致されたと
認識していたが、警察には取合ってもらえないと思い、北朝鮮による拉致とい
うことは口に出さなかった。
 事件の現場は北朝鮮の拠点の一つでもある境港市との市境に近く、地理的条
件、環境など色々な条件は横田めぐみさんのものとよく似ている。時期は横田
さんの事件の一ヶ月前である。
 
本人の特定されない拉致の情報
 
 以下の情報は全国協議会が入手したものですが、今のところ本人を特定する
に至っていません。何かお気づきの情報がありましたら全国協議会までご連絡
いただければ幸いです。
 
(1)仲村春彦さん (2)金田一美さん
 北朝鮮で東北弁の教師をさせられている。出身は青森と岩手。1977年10月3
日頃、清津港から入国。被拉致時、24歳と23歳。1978年に男の子が産まれてい
る。両者は三沢基地工作員の教師をさせられている。金田さんはコンタクトを
使っている。仲村さんは酒が飲めない。

(3)前田勇さん
 1978年6月頃北朝鮮に入る。兵庫県出身。被拉致時32歳。化学関係の専門家。
平安北道寧辺地区の研究所勤務。本人が了解した上で北朝鮮にわたっている可
能性もある。夫人は日本人。
 
(4)五十嵐進さん
 1978年8月北朝鮮に入る。当時28歳、東京出身。肥料関係の専門家。咸鏡南
道咸興の工場副責任者。平成12年9月末までの確認事項。本人が了解した上で
北朝鮮にわたっている可能性もある。

それ以外の事件
高敬美さん・剛さん
 敬美さんは昭和42年生まれ、剛さんは昭和45年生まれの朝鮮籍の兄弟。父親
の高大基が北朝鮮工作員で、昭和48年失踪したのを母親の渡辺秀子さんが探し
に上京し、勤めていた北朝鮮工作機関のダミー会社であるユニバーストレーデ
ィングを訪ねた。既に高は北朝鮮に行っていたが、発覚するのを恐れた工作員
が母子を監禁、秀子さんを殺害し、二人の子供を北朝鮮に拉致した事件。これ
については月刊「文藝春秋」平成12年12月号に掲載された朝日放送石高健次氏
の論文「母子『拉致・殺害』北朝鮮工作組織を暴く」に詳しい。
 
※拉致された人々の総数は約70名と推定されている。これは警察庁に国内から
の拉致48人が挙げられていると言われ、これにヨーロッパルート20人を加える
と68人という数、元朝鮮総連工作員張龍雲氏が北朝鮮の当局者と話していて受
けた感触などを元にしている。人を特定して拉致する場合、身寄りのない人を
選ぶ場合も多いから失踪届すら出ない場合もあると考えられる。日本に侵入す
る工作員の基地は清津・咸興の2カ所あり、また色々な機関が動いているので、
被拉致者の総数は北朝鮮でも金正日などごく一部の人間しか分からないだろう。
 
(拉致問題に関する参考文献)
横田早紀江著『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』(草思社・1500円)
安明進著『北朝鮮拉致工作員』(徳間書店・1500円)
石高健次著『金正日の拉致指令』(朝日文庫・660円)
石高健次著『これでもシラを切るのか北朝鮮』(光文社・848円)
高世仁著『娘をかえせ 息子をかえせ』(旬報社・1500円)
高沢皓司著『宿命 「よど号」亡命者たちの秘密工作』(新潮文庫・857円)
恵谷治著『金正日大図鑑』(小学館・1800円)
ジン・ネット北朝鮮問題取材班著『追跡!北朝鮮工作船』(小学館文庫・495
円)
西岡力著『暴走する国家・北朝鮮』(徳間文庫・495円)・西岡力著『闇に挑
む』(徳間文庫・590円)
張 龍雲『朝鮮総連工作員――「黒い蛇」の遺言状』(小学館文庫・495円)
寺越友枝著『北朝鮮にいる息子よわが胸に帰れ』(徳間書店・1500円)
佐藤勝巳著『日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか』(草思社・1400円)


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発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
TEL 03-3946-5780/FAX 03-3944-5692 narkn@hotmail.com http://www.asahi-net.or.jp/~lj7k-ark
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担当:事務局長 荒木和博
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