救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

「拉致被害者はなぜ生きていると言えるのか」国際セミナー レポート[2](2011/12/29)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2011.12.29)

■「拉致被害者はなぜ生きていると言えるのか」国際セミナーレポート[2]

◆韓国で盛り上がっている救出運動

西岡 続いて司会をさせていただきます。第2部は、「韓国拉致被害者の訴え」
で、ここにパネルがあります。

※パネルは、救う会ホームページの以下を参照。

 http://www.sukuukai.jp/img2/20111215.pdf

 韓国で家族会ができたのが2000年ですから、韓国で11年振りに、やっと
拉致問題が国民の関心に、そして政治の関心に上がってきました。実はその韓国
での拉致問題の起爆剤を作ったのが、ここにいる三人です。

 その当事者である呉吉男(オ・ギルナム)さんにも来てもらおうと思ったので
すが、ご病気のため来れなくなりました。

 このパネルを見ていただきますと、大変かわいらしい二人の娘さんが写ってい
るのは、拉致される前の様子です。呉博士は、ドイツで経済学の勉強をしていま
した。そして夫人の申淑子(シン・スクチャ)さんは看護士だった。二人が結婚
して、子どもが産まれ愛らしく育っていた。

 しかし、北朝鮮にだまされて連れて行かれ、呉博士だけが脱出して、今韓国に
います。その韓国の呉博士にこちらの写真が届いたのです。これは耀徳(ヨドク)
収容所の写真です。その詳しい内容は、これから金美英(キム・ミヨン)先生か
らお話があります。

 そしてこのパネルを作ったのが、そこの二人の大学生です。パネルをたくさん
作って、全国で巡回パネル展をしたところ、韓国人の拉致被害者が収容所にまで
いるのかと、お母さんと娘たちを助けなければならないということになりました。

 特に、この申淑子さんは、だまされて自分たちの家族は北に来たけれども、自
分の夫である呉博士が、もう一度ドイツに行って、韓国の新しい留学生をだまし
て連れて来いと命令を受けた時に、申さんが、「あなた逃げなさい。自分たちは
だまされて来たけれども、これ以上被害者を増やしてはならない。私たちはどう
なるか分からないけれど、逃げた後、私たちの救出運動をしてください」と言っ
て、夫を逃がしたんです。その結果、収容所に入れられてしまった。

 自分が犠牲を払って、韓国人を守ったという気高い精神が、韓国の国民を感動
させて、今韓国の中で、救出運動の波が起こりつつあるという報告をこれからし
ていただきます。

 今日は、三人の方に来ていただきましたが、金美英とは、私は10年以上のお
付き合いで、1999年の第1回国民大集会、日比谷公会堂でやりましたが、そ
の時から来られています。(拉致被害者家族協議会会長の)崔祐英さんのサポー
ターで、韓国には救う会がなかったのですが、一人で救う会をやっていた方です。

 その後、(朝鮮戦争拉致被害者家族協議会代表の)李美一さんの協議会の研究
室長になって、今年法律が通りまでの仕事をやり、そして今、申淑子さんの拉致
のことをやっています。

 その間に、韓東(ハンドン)大学の教授になられて、今はNGO活動もしていま
す。そして金美英さんが大学で教えた二人の弟子がパネル展をしました。今日は
その、河林淑(ハ・イムスク)さんと韓眞植(ハン・ジンシク)さんにも来てい
ただきました。

 まず、呉吉男博士からメッセージが来ていますので、通訳の岸野さんに読んで
いただきます。

◆平壌で日本人を目撃

【メッセージ】呉吉男(オ・ギルナム)

2011年12月10日国際セミナーメッセージ 呉吉男

 みなさまにご挨拶できてうれしいです。 北朝鮮に拉致されている人々に温か
い心を持ってこの席に集まられた皆さんに感謝の言葉を申し上げます。

 私は北朝鮮にだまされて1985年、家族とともに北朝鮮に行って、二人の留学生
を拉致してこいとの指令を受けてヨーロッパに出て脱出し、家族を奪われ一人で
暮らしてきた呉吉男(オ・ギルナム)といいます。 病気により招待に応じられ
なくなって非常に申し訳ないと考えます。 次の機会に必ず参加して皆さんにお
目にかかりたいです。

 私は1985年に北朝鮮に入った時、拉致された日本人二人を目撃しました。美林
招待所で最初に目撃した人は若い男でした。 3回もこの若者(石岡さんか?)が、
3号庁舎指導員(朝鮮労働党中央委員会所属中央党指導員)に連れられていくのを
見ました。煙炭ガス中毒で死亡したと北朝鮮側は主張していますが、とうてい信
じることができません。

 他の1人は女子で平壌(ピョンヤン)駅前デパートと東興洞(トンフンドン)
20階アパート(高麗ホテルそば)の間の広場(空地)で目撃しました。 この女
性が生存しているならば年齢は今、70歳くらいを少し越えたくらいでしょう。

 北朝鮮犯罪集団の蛮行をとうてい容赦できません。 日本は北朝鮮との戦争も
辞さなくて徹底した応懲を通じた解決策を講じるべきだと考えます。

 直接皆様のところに行って、こういう話を交わすことができれば良かったので
すが、今後の機会を待ちたいと思います。

 北朝鮮に拉致されたすべての人々が早急に帰ってくることを希望して、もう一
度感謝の言葉を申し上げます。

西岡 この二人目の女性は、特定失踪者の中の、生島さんと似ているということ
で、後で荒木さんが第3部で触れてくださると思います。
それでは、金美英さんにお願いいたします。

◆「統営の娘」救出運動の展開過程

【特別報告】金美英(統営の娘救出運動共同代表、SAGEKOREA代表、元韓東大学教授)

金美英 こんにちは。私は金美英(キム・ミヨン)と申します。今、西岡先生か
らご紹介いただいたように、これまで活動をしてきましたが、それほど大きなこ
とはしてきませんでした。

 これまで3回、この活動に参加し、ご覧いただいたパネルを初めとして、申淑
子さんに関する活動をしています。

 発表の前に、このように脱北者のこと、拉致被害者のことについて活動をして
いらっしゃる皆様に感謝のことばを申し上げます。

 2002年9月、日本訪問を終えてソウルに戻った日、空港から家に帰る途中
で、北朝鮮が日本人拉致を認めたという消息を、ラジオを通じて聞きました。

 自ら過ちを認めることなどない北朝鮮が、もしかすると歴史上初めて、自身の
犯罪の事実を是認したのではないかと思います。日本国民と政府の一致した要求
によって、北朝鮮は、とうとう、拉致是認に至ったのでしょう。このことは、北
朝鮮人権運動史において、画期的かつ歴史的な事件であったと思います。

 残念なことに、韓国ではいまだ、拉北者(拉致被害者)問題を含む北朝鮮の人
権問題について、全国民的関心があるとは言えません。韓国では、政治的・社会
的・歴史的に、全国民の心が一つになりにくい、複雑な理由があるようです。本
日、私がこれからご説明いたします申淑子・呉恵媛・呉圭媛親子の問題が、やや
もすると、韓国現代史のこのような複雑な様相を象徴的に代表するのではないか
と思います。

 昨日、東京に来る時に、入ってきたニュースですが、注目していた北朝鮮政府
が申淑子母娘のニュースに対して、反発的な声明を発表しました。祖国平和統一
委員会声明です。

 この運動をしている運動家と、それから呉博士が名誉毀損の裁判で告訴されま
した。これから面白いことが起こると思います。

 申淑子さんは、今日、ここに私と一緒に参席していらっしゃる呉吉男博士の夫
人です。呉博士夫婦は、ドイツで二人の娘、恵媛と圭媛を産み育て、いま二人の
娘は申淑子さんと共に北朝鮮に収容されています。北朝鮮に残ったこの親子は、
少なくとも22年以上、北朝鮮の耀徳(ヨドク)政治犯収容所に囚われているよ
うです。それにも拘らず、私たちはこの親子が生きていると固く信じています。
先ほど、拉致被害者は生きているというお話があったように。

 最近、韓国では、この親子を助けようというキャンペーンが、社会で熱く巻き
起こっています。去る5月から申淑子さんは「統営(トンヨン)の娘」という別
名で呼ばれています。統営は「韓国のナポリ」という別名を持つ、釜山からほど
近い美しい港町です。ここは、韓国で、芸術家が多く輩出されることでも有名な
所です。詩人・音楽家・小説家等がたくさん輩出され、伝統工芸の螺鈿漆器も大
変有名な所です。

 20年を越す歳月の間、統営の市民たちは、ここで生まれ育った申淑子さんが
どう暮らしているか、知らずにいたようです。今年、統営のあるキリスト教会を
通じて、申淑子さんの故郷が統営だという事実と、彼女が北朝鮮の耀徳政治犯収
容所に囚われているという事実が広く知られるようになりました。そのことに統
営市民は大変驚いたようです。

 統営で有名な尹伊桑という作曲家がいるのですが、尹伊桑が呉吉男家族を北朝
鮮に呼び寄せるのに手を貸したと言われています。それに関するニュースですが、
昨日尹伊桑氏の娘が訴えたとのことです。尹伊桑氏はもう既に亡くなっています。

 統営で火の手が上がってから、全国、全世界的に「統営の娘、申淑子親子救出
運動」が拡散しています。韓国政府と国連で、この問題に関心を持つよう請願す
る運動も強く巻き起こっています。ついに、国連北朝鮮人権特使が去る11月末
に韓国を訪問し、この問題を国連次元で最善を尽くして解決すると言明するに至
りました。潘基文(パン・ギムン)国連事務総長も、この問題に関心を持ってい
ると最近表明しました。また、昨日、カナダ議会が救出決議を採択したというニュー
スが入っています。

 いまだ韓国の政治圏や知識人たちはまだなまぬるい態度のままですが、いずれ、
より多くの方たちがこの問題に関心を持ち、罪もなく北朝鮮に囚われている申淑
子さん親子を救出するために力を合わせるであろうと信じます。

 良い知らせとしては、韓国の多くの若者たち、今ここに同席しております河林
淑さんや韓眞植さんのように、新しい世代がこの問題に関心を持ち始めているこ
とです。統営で北朝鮮政治犯収容所展示会を開く前に、これらの大学生たちが中
心となって、先にソウルで展示会を開き、小さな展示場ではありましたが、多く
の人たちが観覧しました。後ほど、この学生たちが直接説明する時間を持ちたい
と存じます。

 ソウル市内の中心街で、申淑子親子送還のために署名運動を展開してきた市民
運動家たちも何人かいます。全国各地で、多くのアマチュア市民運動家が、この
運動に自発的に参与している状況です。韓国ではまだ活動が少ないのですが、日
本で1990年代末、拉致問題が徐々に拡散していった様相と比較してみることがで
きるかも知れません。

 統営は南にあるんですが、その南の地から休戦線まで1700里(680km)
を歩き、「統営の娘救出に国民の意を一つにすること」を叫んで「国土大遠征」
をする若者もいます。その中には幼い小学生も含まれていて、昨日まで20日間
の険しい苦行を終えて、今日その報告会をソウルで開き、また大行進を行うそう
です。

 しかし、一方で、韓国で「統営の娘」救出運動を妨害する人たちもいます。こ
の人たちは申淑子さん親子が拉致されたという事実を否認しています。明らかに
北朝鮮を誤って判断したもので、呉吉男博士にも責任がありますが、このような
誤って判断するように誘い込んだ何人かの人々がいました。もちろん、北朝鮮工
作員が主犯でしたが、ヨーロッパで暮らしている呉博士の友人たちも加担しまし
た。この人たちは、いまもなお西側の世界で、ヨーロッパで、自由で安全な暮ら
しを享受しています。

 実は、先ほど言った作曲家の尹伊桑には息子と娘がいます。息子と娘は北と南
を自由に行き来しています。息子は北朝鮮で商売をしています。娘は統営で大変
立派な家に住んでいます。

 この事件についてもう少し説明をいたします。呉吉男博士は当時、ドイツで経
済学を学ぶ留学生であり、看護士であった夫人、申淑子さんは、ドイツの病院で
働いていました。当時、呉博士はドイツで韓国の民主化のため活動していました
が、当時のドイツの親北的雰囲気により、呉博士は北朝鮮の状況について誤った
判断をしていたのです。

 1980年中盤に、経済学博士学位を取得してから、呉博士は、数人の人から、韓
国に行かずに北朝鮮に入って、金日成総合大学の教授職につくのはどうかという
提案を受けるようになります。「民族のために働く」という使命を抱き、いよい
よ家族と共に北朝鮮に入った際、それは事実ではなかったということに気づきま
した。北朝鮮の工作に陥ったのです。こうして、呉博士夫婦は、韓国に向けて虚
偽の放送をする秘密要員として働くことになりました。

 こうして1年後、北朝鮮は、呉博士に対し、ドイツに行って2名の留学生を誘
い出し、北朝鮮に連れて来いという指令を下します。妻の申淑子さんは、他の若
者を闇の世界に引き込まず、独りで脱出するようにと勧めます。このようにして、
呉吉男博士は脱出に成功しますが、その代価として二人の娘と妻は、悪名高い、
北朝鮮の耀徳政治犯収容所に囚われることになります。この2名の留学生の内1
人は申淑子さんの親戚だったそうです。

 呉吉男博士の脱出は、「ヨーロッパの朝鮮総連」と言い得る勢力に多大な打撃
を与えました。呉吉男博士の家族が経験せねばならなかった悲劇が繰返されるの
を防ぐことができたのです。それにも拘らず、呉博士家族を北朝鮮に引き渡した
人々はいまだに反省していません。彼らはむしろ、呉博士が家族を捨てて独りで
脱出したと腹を立てているのです。それは今も同じことです。

 だまされて、二度と戻れなくなったのなら、それは明らかに「拉致」です。こ
うして、永遠に逃れられない数多くの人々が、北朝鮮で悲劇的な人生を送ってい
るのが事実です。

 罪もなく、政治犯収容所に引きずられていった申淑子・呉恵媛・呉圭媛さんの
ような人々がいるということ、また中学生で拉致され、いまだ父母のもとに戻れ
ずにいる横田めぐみさんのような人々がいるということ、韓国だけでも6.25
(朝鮮)戦争後、数万名の拉北者たちがいまだ戻れずにいることは、明白な事実
です。このようなことは「人類の良心」の観点から容認できないことです。これ
らの拉致に協力したり、加担した人々がいまだに何の処罰も受けず、甚だしくは
反省さえせずに暮らしているという事実もまた、「人類の良心」という観点から、
受け入れてはならない事実です。

 そういえば、今日は国連世界人権宣言63周年の日です。金正日は2002年
に「日本人10名くらいの拉致は認めてしまおう」という心情で拉致の事実を認
めたのかも知れませんが、世界人権宣言の精神は、一人ひとり誰もが宇宙的な価
値を持っているという事実を含んでいます。したがって、10名の拉致を認める
ことで問題は終わらないでしょう。

 今苦難に陥っている人が残っている限り、私たちの努力はやむことがないでしょ
う。この場で、北朝鮮拉致問題は、「人類の良心」の名において必ず解決されね
ばならないと、もう一度申し上げたいと思います。われわれすべてが心と意志を
共にし、韓国と日本の拉致被害者たちが戻れるよう、最善の努力を傾けることが
できればと思います。招待してくださった皆様にもう一度感謝申し上げ、これで
私の報告を終わります。

 今、北朝鮮政治犯収容所展示会を通じて、申淑子母娘の事件を広く知らしめる
のに大きな役割を果たした、私が大学で教えた私の弟子たちでもあり、多くの韓
国の若者たちの模範となっている二人の大学生をご紹介いたします。大きな拍手
をお願いいたします。

◆「愛が無い所」北朝鮮政治犯収容所

韓東大学校学生 河 林淑(ハ・イムスク)

 初めまして。私は韓東大学の北朝鮮人権学会SAGEの河林淑と申します。このよ
うな貴重な場に、皆さんとご一緒できて光栄です。

 我々の学会は北朝鮮の人権問題に興味を持つ学生たちが集まって勉強したり、
解決策を示す学会です。去年の11月、校内で初めて北朝鮮政治犯収容所の展示
会「そこに愛は無い」を始めました。そして、今年の2月にソウルの仁寺洞(イ
ンサドン)のガナ・アートスペースでの展示会を通じ、多くの人々に紹介され、
今では市民の自発的な参加で韓国全土だけでなく、世界の様々な場所で進められ
ています。去る2月、紆余曲折を経て始まった北朝鮮政治犯受容所展示会は、最
初から最後まで展示を準備した学会員全員にとって驚きの連続でした。多くの方
々がその空間で一緒に泣き、心を痛ませながら共感してくれました。50平米あ
まりの展示館で、たった12日間に2万5千人の方にお越しいただけました。し
たがって様々な新聞社や放送局などにこの展示会は若い人たちの新しい北朝鮮人
権運動であると報道されました。私は今まで我々韓国人は北朝鮮の人権問題にあ
まりにも関心が無かったと思います。

 実は豊かな都市のど真中で、「愛が無い所」北朝鮮政治犯収容所を語るのは大
きな挑戦でした。「私たちだけの空虚な叫びではないか」と心配しました。展示
する内容が不足していることも心配しました。しかし、北朝鮮のために祈るとい
う芳名録一枚一枚、一言も言わずに食事代を握らせてくれた脱北者、展示を見て
泣いた20代の観覧客。ありがとう、と言ってくださったお年寄りの方、2時間
の間念入りに展示品を閲覧し、次々と質問していた外国人観光客。みんなが愛す
る心で一緒にみんなが一緒になってくれました。

 今、私は相変わらず北朝鮮政治犯収容所についてどうやって紹介するか、この
問題を解決するために何をするべきかと考えています。どうしても現実ではあり
えないようなここは、私が知っているいかなる否定的な単語を使っても説明し切
れない所だからです。しかし、展示会を通じて一つだけ明白に悟ったのは政治犯
収容所問題を解決できる鍵は「愛」であることです。愛こそ奇跡を起こす力です。

 私は、展示会で見た小さな奇跡が、消えない灯のように、少しずつ、しかし、
しっかりと広がってもっと大きな愛になることを期待しています。そこには愛は
ないですが、我らがお互いに愛し合った時、政治犯収容所にいる彼らも愛を知る
ようになると信じているからです。

 その愛を通じて申淑子さん母娘を始めとした政治犯受容所の罪のない人々もす
ぐ解放されると信じています。日本にいらっしゃる皆さんも北朝鮮政治犯収容所
がなくなるその日まで、一緒に力を合わせてください。

◆政治犯収容所の展示会は全世界的に拡散

韓東大学校学生 韓眞植(ハン・ジンシク)

 はじめまして。私は韓東大学のメディア情報文化学部3年生の韓眞植と申しま
す。私はとても期待しながら東京での会議に参加しました。大学生の身分で特別
な経験ができるようにして下さった関係者の方々にお礼申し上げます。

 私が申淑子さんと二人娘の呉恵媛、呉圭媛さんの話に興味を持ったのは最近の
ことです。北朝鮮政治犯収容所のことについて知った後、耀徳収容所に申淑子さ
ん母娘が収監されていることを知り、その家族の悲しい事情に強い関心を抱くよ
うになりました。私は2009年初に北朝鮮住民たちの人権蹂躙状況について知
り、持続的に北朝鮮人権問題を解決するために自分なりに努力してきました。同
じ民族の北朝鮮で多くの人々が飢えて死んだり、圧政の中で苦しみながら死んだ
という事実は自分にとっては大きな衝撃でした。

 身近な所で数え切れないほど大勢の人々が死の床にいる間、自分は何もしてな
かった事実に非常に心苦しかったです。その後、私は苦しみの中で死に掛かって
いる北朝鮮の住民のためになにかをやってみようと決断しました。幼い時から教
会に通いながら「自分を愛するように、あなたの隣の人を愛せよ」というイエス
・キリストの教えを受けてきたので、凄惨な環境に住んでいる北朝鮮の住民たち
を助けようと思う心が自然に湧いてきました。

 人類が普遍的に享受している人権さえ知らない人々が北朝鮮にいることに気づ
いて、私は北朝鮮の人々の話に耳を傾け始めました。北朝鮮の人権蹂躙状況がど
れだけ深刻であるのか本や新聞などを見て分かり、同じ学校に通っている脱北者
に会って北朝鮮での経験と脱北過程、韓国に定着した話などを直接に聞きながら
見聞を広めていきました。そのうち今年の2月にソウルで学校の友達と一緒に、
「そこに愛は無い」というタイトルで北朝鮮政治犯収容所の展示会を開きました。
愛が無い北朝鮮政治犯収容所の実状を紹介する展示会には2万5千人もの観客が
訪れ、李明博大統領の夫人も足を運んでくださって、私たちは驚きました。

 北朝鮮政治犯収容所の展示会はその後、全世界的に拡散されて様々なところで
北朝鮮の人権実状が知れ渡るようになりました。韓国の中高生と大学生もこの問
題に興味を持ち始めました。申淑子さん母娘の救出運動と一緒に北朝鮮政治犯収
容所解体運動もすぐ拡散されると信じています。私たちは、これからは展示会を
インターネットのウェブサイトを使って全世界に公開しようとしています。様々
な言語で翻訳もしています。そこには日本語も含まれています。皆さんの関心を
寄せていただけますよう、お願いいたします。

 また、拉北者への関心と一緒に自由を謳歌できずに生きていく北朝鮮の住民た
ちへの愛が大勢の人々の心に伝わればと思います。ここから響く叫びが遠からず
暗くて冷たい地で苦しく生きていく彼らに自由と希望のメッセージとして伝えて
いたいと思います。最後までご清聴いただき、ありがとうございました。

◆日本でも申淑子さん母娘のパネル展

西岡 日本はまだ、大学生をこういうセミナーに出して発表してもらうほど、運
動家が育っていないですね。問題だと思います。

宋允復(ノーフェンス 事務局長)
 飛び入りですみません。申淑子さんたちのパネル展を日本でアレンジし、12
月16日から10日間、東京大学駒場キャンパスで、初めて開催します。以後、
早稲田大学など各地でも行う予定です。

西岡 申淑子さんたちのパネルは、今東京都庁でやっている家族会・救う会・調
査会のパネル展でも出しています。是非広げていきたいと思っています。

 コメントですが、韓国での拉致の運動は大きな意味があると思います。野田総
理と李明博大統領が9月に会った時、野田総理がいつものように拉致への協力を
要請しました。日本の政治家は外国のお客さんに会う時、日本人拉致問題への協
力を要請するんですが、その時、李明博大統領は、「我々にも拉致問題がありま
す」と言いました。

 これは共同対処すべき問題であって、日本だけが協力を要請する問題ではない
という本質が、やっと韓国の大統領の口から出たということです。それも、彼ら
の運動の成果ではないかと思いますが、まだ韓国では始まったばかりですし、北
朝鮮は韓国での運動が一番怖いですから、先ほども話が出ましたが、祖国平和統
一委員会が、「反共謀略宣伝だ」という声明を出した。

 そして、政治犯収容所での写真を呉吉男(オ・ギルナム)博士に持ってきて、
「北朝鮮に戻りなさい」と脅迫したのが、尹伊桑(ユン・イサン)という作曲家
ですが、その人がやったことをこういう風に告発したら、この作曲家の娘が、こ
の人は尹伊桑記念財団の理事長で統営でいい生活をしている人ですが、名誉毀損
だと言って訴えてきた。それも被害者の家族、呉吉男博士を訴えたというのが韓
国の実情です。

 ですから、家族会の飯塚さんが日本の親北派に名誉毀損で訴えられたようなこ
とが韓国では今起きているということで、先ほど金美英教授は、「これから面白
いことが起きるだろう」と言っていましたが、法廷で相手の欠点を全面的に明ら
かにしてやると、法廷闘争こそ戦う道だと言っていますが、これからも協力して、
全員救出するいために北朝鮮の悪事を暴くことが必要です。

 そして耀徳収容所に、先ほども言いましたが、日本人もいるんです。その証言
があります。申淑子さんを見たというイ・ヨンスさん(仮名)という脱北者が、
日本人を見たと言っています。耀徳収容所の問題も他人事ではないんです。共に
戦っていきたいと思います。今日はありがとうございました。


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