救う会全国協議会

〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
TEL:03-3946-5780 FAX:03-3946-5784 info@sukuukai.jp

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

北朝鮮による国際的拉致の実態と解決策に関する国際会議(2006/12/14)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2006.12.14)


■北朝鮮による国際的拉致の実態と解決策に関する国際会議

 12月6日のメールニュースでご案内の通り、昨日、平成18年12月13日、
「北朝鮮による国際的拉致の実態と解決策に関する国際会議」が東京都内の都市
センターホテルで開催された。日本、韓国、タイ、米国の拉致被害者家族と支援
する民間団体や議会関係者、国連関係者、在日公館関係者などが参加した。また、
政府が拉致を認定し12日の家族会臨時総会で家族会に入会することとなったた
松本京子さんの兄、松本孟さんも写真展などを含め全日程参加した。

 同会議は、政府の外務省、拉致対策本部が後援して開催されたが、政府の全面
的支援がなされたのは初めてのことで、これまでとは全く異なる積極的な政府の
救出意思が感じられた。

 前夜の12日夜には、齋賀富美子人権担当大使主催の夕食会が開催され、13
日は中山恭子総理大臣補佐官・拉致対策本部長主催の昼食会が、また塩崎恭久官
房長官主催の夕食会が開催され、夕食会には溝手顕正国家公安委員長、漆間巌警
察庁長官ら、捜査機関の最高責任者も参加した。また、在外公館からは、シーファー
米国大使を初め、拉致関係国であるルーマニア大使、ヨルダン大使や韓国、タイ
などの外交官が参加した。ウィテット・マンターポーン国連北朝鮮人権担当報告
官は夕食会に参加した他、13日朝食会で日本人拉致被害者家族から、続いてタ
イ人拉致被害者家族から聞取り調査を行った。これは来年1月に国連に報告する
レポートに反映されるという。同氏は国際会議でも報告を行った。この国際会議
を機に、世界に拉致被害が広がっていることもさらに強く発信された。

 13日の国際会議については、追って何らかのレポートで報告する予定である
が、下記に、北朝鮮に脱走した米兵で曽我ひとみさんと結婚し家族とともに帰国
したジェンキンス氏の報告、映画監督である夫とあいついで拉致され、後に脱出
に成功した元女優崔銀姫氏の報告を掲載します。いずれも拉致被害者を直接目撃
した人による貴重な証言です。この中から、ルーマニア人、フランス人などの拉
致被害者を特定する新たな情報も出ており、また中国マカオから拉致された孔レ
ンインさんが平壌のインドネシア大使館にかけこんだことがある点も新たな報告
であった。外務省は当日直ちに関係国に情報を提供した。

■拉致被害者・特定失踪者・救出運動 写真・パネル展
 平成18年12月12日、東京都庁45階南展望室で拉致被害者・特定失踪者
・救出運動 写真・パネル展がスタートした。国際会議に参加するために全国か
らまた各国から東京に集まった家族や支援者が都庁を訪問し、石原慎太郎都知事
や拉致議連と懇談し、一緒に写真パネル展を視察した。この3日間で、約6千人
が訪れており、16、17日の土日にはさらに増える見込み。

 写真・パネル展には、家族会・救う会作成の115枚と特定失踪者問題調査会
作成の90枚が展示されており、12月18日まで展示される。入場無料。

■政府主催「法務省・拉致対策本部が「拉致問題を考える国民の集い」で安倍晋
三総理大臣が訴え
 本日、12月14日、日比谷公会堂で開催された政府主催の「拉致問題を考え
る国民の集い」に、国際会議参加者のほとんどが参加した。家族会・救う会・拉
致議連による国民大集会はこれまで10回開催されてきたが、初めて政府主催の
集会が開催された。集会は、中山恭子総理大臣補佐官・拉致対策本部長と横田滋
・早紀江家族会代表夫妻が講演することとなっていたが、午前中開催された国会
日程が不安定化する中で、来日中のインド首相との面会を終えた安倍総理がかけ
つけ、「拉致問題の解決なくして国交正常化はありえない」、「すべての国の拉
致被害者を救出すべき」など、政府の毅然とした意思を表明した。また、韓国、
タイの被害者家族を激励した。「集い」には、塩崎恭久官房長官、下村博文官房
副長官を初め多数の拉致議連衆参議員も参加した。

 また本日5時から、国際会議参加者は、麻生太郎外相に面会した。麻生外相は、
「安倍総理も私も首脳会談、外相会談では必ず、繰り返し拉致問題を提起し解決
の重要性を訴えている」、「北朝鮮による拉致問題は国際的な話になりつつある」、
「韓国政府も拉致問題を忘れないで努力してほしい」などと述べた。


★崔 銀姫氏 北朝鮮での目撃証言
(2006年12月8日 ソウル 西岡力救う会副会長が聴取・翻訳)

 皆様こんにちは、崔銀姫です。

 今回、国際会議に直接参加できず大変申し訳ございません。皆様方とお会いし
たかったのですが、残念です。

日本人拉致被害者について

 私は1978年1月に北朝鮮に拉致され、1986年3月に脱出し米国に亡命
しました。

 北朝鮮にいたとき、いわゆる招待所というところで5年間、洗脳教育を受けま
した。そこにいた間、理髪師のおじさんから日本人女性がある招待所にいるとい
う話を聞いて、とてもうれしかったです。

 日本の雑誌、主婦の友の付録をその理髪師のおじさんを通じて1ヶ月間、借り
て読みました。あとで返しましたが、その日本人女性が何をしているのかとたず
ねたところ、日本語を教えている、日本語の先生をしていると聞きました。

 そこでの生活とは、お互いに隣の家を行き来できず、ばれてしまえば大変なこ
とになるのでそんなことはできないのですが、私とその日本女性が住んでいたと
ころがとても遠く離れていたため、一度会いたかったのですが、残念なことに会
うことはできませんでした。

 それは1979年、1980年ぐらいのことでした。私はそのとき、元興里の
招待所にいて、日本人女性は東北里にいました。私は、はじめ東北里にいて元興
里に行ったのですが、そのあとに日本人女性が東北里に来ているという話を聞き
ました。

中国人拉致被害者ミス孔との出会い

 偶然、散歩していて見たところ、私と同じような良い服を着た女性と出会いま
した。しばらく見つめてみると北朝鮮女性ではないようで、中国女性のようでし
た。

 近づいてお互いに、どこから来たのか、自分はマカオから来た、そうですかな
どと話しました。道で長く話を交わすことはできません。もし見つかると大変だ
からです。そこで、明日もう一回昼ご飯のときに会おうという約束をして別れま
した。

 昼食を食べたあとには必ず、散歩することになっていました。消化がよくでき
ないからでした。そこで、ある場所で会おうと約束して、その日は別れて、次の
日に会って、それからほとんど毎日、秘密で会いました。

 それで、ミス孔がマカオからどのように拉致されてきたのかという経路を詳し
く聞くことができました。またミス孔も、私が香港で拉致されたときに新聞、雑
誌にたくさん出たため、私という人間を知っていたのです。本当の姉妹のように
秘密で会い、自分の過去の話もしました。

(崔先生が先に拉致され、ミス孔があとから拉致されたから、崔先生の拉致事件
のニュースを知っていたのですね)

 はいそうです。

 そのようにお互いに慰め合っていたのですが、私が元興里に行くことになった
ために、別れることになりました。

 ミス孔と会っていたのは東北里です。79年から80年ころです。

 別れたあとのミス孔の消息は知りません。

ミス孔の拉致の経緯

 ミス孔は宝石店で働き、副業で観光案内をしていました。美男子の青年二人が
宝石も買ってくれたりして知り合いになったといいます。

 よい顧客ですから親しくなりました。それで観光案内をしてくれと頼まれて、
ボートに乗ったところ、そこにもう一人の女性も乗っていました。ミス孔は観光
案内だからと疑いもせずにボートに乗りました。

 ところが、観光案内のために乗ったのにボートがおかしな方向に向かっていく
ので当惑してどこに行くのかとききましたが、そのまま海側に行き、大きな船に
乗せられて連れてこられたというのです。

 もう一人の女性は社会経験のある女性で、10歳上でした。そのときミス孔は
19か20歳で若くて、怖くて震えてばかりいましたが、もう一人の女性は、な
ぜ私たちを連れて行くのかと激しく抗議をしたといいます。
(その女性もマカオ人ですか)

 はい、マカオ女性です。キャバレーのようなところにいた女性のようだったと
いいます。はじめて偶然そこで知り合って、二人で拉致されたのです。

インドネシア大使館に逃げ込む

 外国から連れられて来られたから、(平壌に)外国人だけが出入りできる商店
がありますが、その商店にときどき案内されたそうです。その機会に見てみると
インドネシア大使館があったので、そこに飛び込んだといいます。

 はじめは助けてくれるといっていたが、一時間くらい過ぎてから、助けてあげ
られない、あなたたちは中国人で、国際関係があるので助けることは難しいとい
われ、ふたたび北朝鮮に引き渡されたそうです。

 そのあと、食事で拷問をされました。あそこでは殴ったりするのではなく、食
べ物を使って拷問します。食事を少しだけにして、食べることのできないような
ひどいおかずを出す。そのように苦しめられていたとき、もう一人の女性が、こ
んなことするなら私たちを殺せ、と泣き叫びました。そのあと、彼女は別のとこ
ろに連れていかれてしまった。

 ミス孔が一人で東北里に残ったのです。ミス孔は頭がいいので、このままでは
だめだ、言葉が通じず、私が朝鮮語を学ばなければならないと考えて、朝鮮語を
教えて欲しいと申し出たところ、そうか、よく考えたといわれたそうです。中国
語を教え、朝鮮語を学んだ。私と会ったときには朝鮮語をある程度、できました。
それで意思が通じたのです。

 最初、そのようなことがあったあとは、ご飯を少しだけ与えられ、私たちでも
食べられないくず野菜のようなものを少しだけ与えられ、そのように拷問された
といいます。それで怖くなって、このまま誰にも知られずに死んだらあまりにも
口惜しいと考えて、言葉を教えてくれといったのです。言葉を学びはじめてから
は、再び待遇がよくなったそうです。

ミス孔の家族と信仰

 ミス孔から家族について聞きました。

 もともと中国本土に住んでいて、お父さんは教師をしていました。お父さんは
中国本土にそのまま残り、お母さんと弟と3人でマカオに来たといいます。

 お母さんが針仕事をしながら自分たち2人の兄弟を学校に通わせてくれました。
ミス孔は高校卒業後に進学せず、弟を大学で勉強させるために働きだしたところ、
このように拉致されたというのです。

 ミス孔はカソリック信者でした。自分はカトリックを信じているから、姉さん
も一緒に信じようといいました。私は、こんなところでどうしてカトリックを信
じるのか、ここでは宗教は阿片だというのにどのようにして信じるのかとたずね
ました。

 彼女は、自分が秘密で私に臨時に洗礼を授けることができるといって、二人で
山の中に入り、落ち葉がたくさん積み上がっているところに、首だけ出して入り
二人でお祈りをし、そこで彼女が洗礼を授けてくれました。そのとき私の洗礼名
をマリアンヌとつけてくれました。自分はマリアだと教えてくれました。

 彼女は二人のMのイニシャルを入れた首飾りをプレゼントしてくれました。そ
の首飾りを私はいまも持っています。そのように、本当の姉妹よりも親しく過ご
しました。そのあと、私は米国に行ってから正式にカトリックに帰依しました。
(ミス孔のマリアという洗礼名はマカオの家族も知らず、教会で調べてもらって
分かったといいます)

 そうでしたね。

 私はいまでもミス孔についてお祈りを捧げています。健康だけでもよくいてく
れること、可能なら自由世界に出てきて父母と会う機会が与えられればよいと、
祈っています。

ミス孔との約束

(ミス孔は家族に会いたがっていたでしょう)

 もちろんですよ。私たちはこんな約束までしました。なんとかしてここから脱
出しよう。二人のうちどちらが脱出しても、先に脱出した方が、世界にこの非人
道的な事件を告発しようと約束しました。

 私が先に脱出したのですが、もちろん本には書きましたが、このように正式に
お話をする機会はなかったのでできませんでした。本当に今回、国際会議でこの
ようにお話しできることは幸いだと考えています。

 ミス孔が1日でも早く自由世界に出てくる機会があればよいですし、健康でい
てくれることを願っています。
(今年3月にミス孔のお父さんと弟さんとお会いになりましたよね)

 はい。ミス孔はお父さんとよく似ています。典型的な目が細い顔はお父さんに
そっくりです。

ヨルダン人について

 ヨルダン人は直接会ったのではなく、窓から車両が通りすぎて騒がしいので眺
めてみると、遠くのほうで指導員と女性の二人が口げんかをして通りすぎるのが
見えました。あとで、ヨルダンから捕まえられてきた女性だと聞きました。

 私は、主婦の友から編み物をたくさん学び、もともと編み物が好きだったので、
手編みでジャケットもつくり、帽子をつくりそれを着て出歩いたのです。彼女は
偶然その私を見た様子です。私はそんなふうにしか彼女を見ていないのですが、
彼女は私をしっかり見たようでした。

 彼女の世話をしている人がきて、こちらの先生は毛糸の帽子をどこで買ったの
ですか、とてもよいものに見えると連絡が来ました。正式に行き来はできず、ば
れたら大変なことになるので世話をする人たちも普通は怖くてそんなことは取り
次がないのですが、あまりにも頼んだので、私のところに来てそんな話をしたの
です。

 そのあと、帽子を編んで贈り物しました。お返しにスカーフをプレゼントして
くれました。会うことはできませんでしたが、そのような交流がありました。
 東北里でのできごとです。その女性がどこかに行ったあとミス孔が来ました。

金正日に結婚させてやるといわれたミス孔

(ミス孔は、いまどうしていると思いますか)

 金国防委員長が嫁に出してやると言ったといいますから…。ミス孔もときどき
(金正日の)会食に招待されていました。直接、いいところに嫁に出してやると
いわれたといいますから、もしかしたらいい人と会って結婚して幸せに暮らして
いるかもしれません。

 あるいは、あのときのように両親に会いたくて毎日泣いて暮らしているかもし
れません。彼女は胃腸がよくなかったです。悩みが多くてそうなったでしょう。
薬を飲んでいました。とにかく、健康でいてくれればよいのですが。

ヨルダン国王の訪朝

 (ヨルダン女性との交流があったとき、ヨルダン国王が平壌を訪問していたの
ですね)

 そうです。ヨルダン国王が来ました。私は内心、自国の女性が強制拉致されて
いるのに、外交的に国交を結ぶのとは別問題なのだ、嘆かわしいことだと考えま
した。

フランス人拉致被害者とマレーシア人拉致被害者について

 (それ以外の拉致被害者とは会っていませんか)

 会ってはいません。話でだけ伝え聞いています。

 フランスからも拉致されたそうです。その女性は教授だそうでした。北朝鮮の
青年が結婚しようといって、新郎の国をはじめて訪問するという形で北朝鮮に来
たといいます。来てみると新郎はいなくなり、自分は監禁状態におかれたので、
強く抗議して国際的に訴訟すると言ったようです。インテリだからそこまで考え
たようでした。そのような話だけを聞いていて、そのあとどうなったかは分かり
ません。
(その北朝鮮青年は東洋の富豪の息子のふりをしたのでしょう)

 そうです。
(マレーシア人拉致被害者についても聞いていらっしゃいますね)

 話だけを聞いて、会ってはいません。

(マレーシア人夫婦がいるという話ですね)

 はい、そうです。
(フランス人について聞いた時期はいつですか、やはり東北里ですか)

 いつ拉致されたのかは分かりませんが、その話は80年、81年に聞きました。

(マレーシア夫婦については)
 私が東北里にいたときです。

拉致被害者の待遇

 待遇はよかったです。食事はコックが一人に一人付き、掃除などをする人と合
わせて2人がいました。一軒に(拉致被害者が)一人で暮らしました。生活は不
自由なく、よくしてくれました。けれども行動の自由はありませんでした。

国際会議参加者へのメッセージ

 本当にひどいことです。

 私はこのように自由世界に戻れ、故郷に帰り家族とも会えて、悪夢を見たよう
な気持ちですが、まだ、愛する家族を奪われ苦しんでいる人たちにどのような慰
めの言葉をおかけしたらよいかわかりません。

 今回の会議が、いまだに北朝鮮にいる方々が一日でも早く自由世界に出てこら
れる契機になればよいと思います。

★ジェンキンス氏 北朝鮮での目撃証言
2006年12月8日 於:真野支所
聞き手 島田洋一救う会副会長

1.タイ人拉致被害者アノーチャさん拉致に関する経緯について知っていること
をお話ください。

 自分がアノーチャからきいた話では、まず、アノーチャはタイでいい仕事がな
かったので、当時ポルトガルの施政下にあったマカオに出向き、そこで2、3ヶ
月間浴場で勤務していた。

 アノーチャは、その勤務中に、数人の客からあと数日でマカオから帰国するの
で一緒に写真をとりに街に出てくれと頼まれ、上司にもそのようにするように命
じられた。上司の職務命令でもあるので、アノーチャは、客とともに外出した。
しかし、数人の客は、昼間は海岸等で写真撮影をしていたが、夜になると急にア
ノーチャを襲い、縛り上げ、猿ぐつわをした上で、注射を打ち、深い草むらにア
ノーチャを放置して車でとこかに消えていった。

 1、2時間経つと、車が戻ってきて、連中がどこからか連れてきた他の2、3
人、(恐らく2人と述べていたと思うが)、と共にアノーチャを担ぎ上げ、丘を
越え、農村を通過し、船に乗せた。農村を通過する際、アノーチャがうめき声を
出すので、連中は声を出すと殴って失神させると脅した、とアノーチャは述べて
いた。

 アノーチャは、乗せられた船は大きくはなかったと述べていたが、いずれにし
ても、甲板の下の船室に放り込まれ、2、3日が過ぎたそうだ。3日目には、洗
濯のために着ている服を脱がせられ、その翌日に船がどこかに接岸した。アノー
チャはその場所がどこか分からなかったと述べていたが、私は清津だと推測して
いる。

 その後、アノーチャは平壌の招待所に移された後、庭に連れ出され、私の部署
にいくことが決められた。アノーチャが私の部署に連れられてきた際、その日に
この部署に来るように決められた人は自分だけであると述べていた。

 その数日後、北朝鮮はアノーチャを外出させ、同じ場所に(脱走米兵の)アブ
シャーも連れだした。北朝鮮当局は、アブシャーにアノーチャとの同居を奨めた
が、当初はアブシャーはどのような人をあてがわれるかを知らされておらず拒否
したが、北朝鮮当局は相手が外国人であり、彼のためになると述べて説得した。
何れにせよ、二人は同居を始めた。時期は、キムチを作った時期だったので、1
1月下旬あるいは12月上旬だと考える。

 この時期に、私の家が建っている丘の下手に住んでいた(脱走米兵の)パリッ
シュと(レバノン人拉致被害者の)シハームがどこかに移住させられ、代わりに
アブシャーとアノーチャが移り住んできた。ちょうど、ひとみが入院している時
だった。そうやって、私はアノーチャと知り合いになり、その後、1989年ま
での約9年間一緒だった。


2.アノーチャさんの家族について
(以下要約)
 アノーチャには多くの家族がいた。父や兄についても語っており、また、母は
若くして亡くなり、姉も夭逝したと述べていた。

3.アノーチャさんが再婚したドイツ人の夫について

 アノーチャの再婚した夫はドイツ人であり、頻繁に欧州に出張していた。工作
員の1人だった。だから、北朝鮮当局は私たちがアノーチャの夫が何を行ってい
るかを知られたくなかったのである。また、同時にそのドイツ人の夫に我々の存
在を知られたくなかったのである。我々、男の外国人はマドンヒ大学で英語を教
えていたが、アノーチャの夫は一度に1ヶ月、2週間と出張していた。アノーチャ
とアノーチャの夫は数ヶ月に一度大学で語学教師を行っていたが、その頻度は低
かった。

4.ルーマニア人拉致被害者ドイナさんについて

 ドイナは、父がルーマニア軍の大佐であった。しかし、ドイナの父は、ある晩、
将軍の奥さんと踊っていたが、その際、誘惑しようとして失敗して将軍の奥さん
と争いになり、左遷された。

 ドイナ自身は、まずイタリアでイタリア人と結婚したが、流産したことを契機
に離婚した。離婚の際、ドイナは10年は悠々自適に生活できるだけの手切れ金
を入手し、その後イタリアの美術学校に通い、卒業した。

5.レバノン人拉致被害者シハームさんについて また、他の欧州人を目撃しま
したか。
 
 シハームはスパイ訓練をうけたことはないと思う。シハーム以外にハイファと
いう人もいた。この二人は、(脱走米兵の)パリッシュとドレスノクが大変なお
気に入りで、まずドレスノクが平壌に二人に会いに行ったと思う。

 この他に更に2人もいた。誰もみかけたことはなかったが、シハームがいうに
は、その内の一人は非常にきれいで、自分にあてがわれるはずであった。しかし、
その女性の姉がレバノンの駐クウェート大使の娘であり、その大使が近々平壌に
転勤になる可能性がある大使であったため、北朝鮮側が心配になり、一年そこそ
こで帰国させたと聞いた。




★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
●安倍首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 安倍晋三殿

●救う会全国協議会ニュース

発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

  
■ サイト内検索 ■


■ メールニュース ■
2024/04/26
横田拓也代表が拉致議連ユーチューブで訴え
2024/04/19
家族会・救う会が米国国連大使と面会
2024/04/15
日本維新の会が政府に「拉致問題に関する発出文書」提出
2024/04/12
国連総会が北朝鮮の人権侵害非難を決議
2024/03/18
家族会・救う会の新運動方針について4

■過去のメールニュース■

  ■ 2024年
  ■ 2023年
  ■ 2022年
  ■ 2021年
  ■ 2020年
  ■ 2019年
  ■ 2018年
  ■ 2017年
  ■ 2016年
  ■ 2015年
  ■ 2014年
  ■ 2013年
  ■ 2012年
  ■ 2011年
  ■ 2010年
  ■ 2009年
  ■ 2008年
  ■ 2007年
  ■ 2006年
  ■ 2005年
  ■ 2004年
  ■ 2003年
  ■ 2002年
  ■ 2001年
  ■ 2000年
  ■ 1999年
■あなたにも出来る救出運動■
あなたにもできること

 ■ 映画「めぐみ」 ■ 

映画「めぐみ」

■ 書 籍 ■