救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

虚偽まみれの北朝鮮と正念場の拉致問題(2004/12/28)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2004.12.28-2)

■虚偽まみれの北朝鮮と正念場の拉致問題

 西岡 力・救う会常任副会長が、雑誌「正論」1月号に発表した論文を全文掲
載します。


◆欺瞞に惑わされず制裁発動を

 11月9日から14日まで続いた日朝実務者協議が終わった。金正日政権側の
提供した情報は一言でいうと「嘘の上塗り」であり、まったく誠実さを感じるこ
とができなかった。

 日朝平壌宣言に基づき金正日政権は拉致問題解決のために誠意をもって対応す
る責任を有しているにもかかわらず、「嘘の上塗り」ばかりを繰り返した。核開
発問題を含め、もはや誰が見ても平壌宣言は遵守されているとは言えない。

 この結果は、制裁発動をもって金正日政権の態度を変える以外に拉致被害者救
出の方法がないことを証明した。家族会・救う会・拉致議連は11月16日、声
明を発表して経済制裁を発動することを強く要求した。

 ところが、協議の日程が2日延長され、わざわざ帰りのために東京からチャー
ター便が飛ばされ、機内から運び出されるコンテナ7個が生中継で放映され、そ
して、めぐみさんの「遺骨」と称する生々しいものがでてきたことなどで、「釈
然としない点は依然多いが今回金正日政権は彼らなりに努力して多くの『物証』
を提供した」というような虚構イメージができあがってしまった。

 小泉純一郎首相はそのイメージに上手くのり「北朝鮮の努力の跡はうかがえる
が、まだ日本側として納得できる内容でない点もある。再度、報告をよく検討し、
もう一度精査する必要がある」と語り、現段階で経済制裁を発動せず協議をつづ
ける方針を明らかにした。一体どこに「努力の跡」があるのか。本稿では金正日
政権がついた嘘について詳しく検討し、制裁発動以外に局面打開の方法がないこ
とを証明したい。

◆死亡「確認書」と「台帳」の偽造


 今回明らかになった金正日政権の嘘は、大きく言うと次の4点である。

 ?一昨年10月、日本政府調査団に「8人死亡」を証明する「物証」として提
供した検死した医師による「死亡確認書」8枚がすべて捏造されたものであった
こと。また、横田めぐみさんの病院「死亡台帳」もやはり捏造であったこと。
「1993年3月13日に自殺した」という当時の説明が嘘であったことを認め、
「1994年4月13日」と訂正した。

 ?「田口八重子さんは大韓機爆破犯の日本人化教育係・李恩恵でない」という
従来からの嘘をそのまま言い張りつづけたこと。

 ?同じく「よど号メンバーは石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さん拉致に関
与していない」という従来からの嘘をそのまま言い張りつづけたこと。

 ?曽我ミヨシさん、久米裕さんについても、特定失踪者らについても、入国し
ていないという従来からの嘘をつきつづけたこと(なおこの点については、本誌
8月号拙稿で詳しく論じたので本稿では再論しない)。

 まず「死亡確認書」「死亡台帳」の捏造について論じたい。

 一昨年、日本政府調査団に提供された8人の「死亡確認書」と横田めぐみさん
の病院「死亡台帳」は、本来存在しないものを捏造したものだった。そのことを
金正日政権は実務者協議の席ではっきりと認めた。死亡の証拠を出せなかった彼
らが唯一出してきたのが、この「死亡確認書」「死亡台帳」だったが、それが捏
造だった。金正日政権当局は医師がサインまでした公式書類を堂々と捏造したの
だから、今回出してきた調査委員会と称する人間、証人と称する人々の話をいっ
たい何を根拠に信じたらいいのだろうか。

 横田めぐみさんの「死亡確認書」は、死亡日が「1993年3月13日」、死亡
診断名「鬱病」、医師氏名「ナム・スアム」と自筆の署名がありその横に捺印さ
れていて、その下に発行機関として「委員会49号予防院」とゴム印が押してあ
り、一番下に「1993年3月13日」と発行年月日が記載されていた。「死亡
日」に49号予防院の医師が検死して作り署名捺印した「死亡確認書」だ。なお、
8人のうちめぐみさんだけ「死亡台帳」と称する書類綴りが出され、表紙とめぐ
みさんの名前が記載されているというページの写真が公開された。

 増元るみ子さんの「死亡確認書」は死亡日が「1981年8月17日」、死亡診
断名「心臓マヒによる死亡」、その下に医師氏名として手書きの署名で「チョン
・ギョンイル」(殴り書きのためギョンイプとも読める)、その下に発行機関と
して「第695号病院」とゴム印が押されていた。そして、一番下に「1981
年8月18日」と発行年月日が書いてある。「死亡日」が「1981年8月17
日」だから、その一日あとだ。遺体を検死した医師が「死亡」翌日に作成したも
のだ。

 めぐみさん以外7人はすべて同じ「第695号病院」とゴム印が押されている。
そして同じ印刷された用紙に手書きで書き込まれたものだ。死亡診断名、医師名、
死亡日、発行年月日を確認しておこう。
 
◎市川修一さん「元山海水浴場にて海水浴中心臓マヒで急死」「チョン・ギョン
イル」「1979年9月4日」「1979年9月5日」

◎増元るみ子さん「心臓マヒによる死亡」、「1981年8月17日」、「チョ
ン・ギョンイル」、「1981年8月18日」

◎田口八重子さん「マシク峠での自動車事故」「チョン・ギョンイル」「198
6年7月30日」「1986年7月30日」

◎原敕晁さん「肝硬変」「チョン・ギョンイル」「1986年7月19日」「1
986年7月20日」

◎石岡亨さん「一酸化炭素中毒による死亡」「キム・ギョンイル」「1986年
11月4日」「1986年11月5日」

◎有本恵子さん「一酸化炭素中毒による死亡」「キム・ギョンイル」「1986
年11月4日」「1986年11月5日」

◎横田めぐみさん「鬱病」「1993年3月13日」「ナム・スアム」「1993
年3月13日」

◎松木薫さん「激しい脳挫傷による死亡」「ハン・ヒョンリョル」「1996年
8月23日」「1996年8月24日」
 ※横田めぐみさんのみ「委員会49号予防院」発行、それ以外の7人はすべて
「第695号病院」発行
 
 ここで強調しておきたいのは、「死亡確認書」の発行年月日が死亡直後とされ
ているという点だ。金正日政権が伝えてきた「死亡日」は市川修一さんの197
9年から松木薫さんの1996年まで17年間にまたがっていたが、「死亡確認
書」の発行日も17年間にまたがり「死亡」当日か翌日だった。つまり、検死し
た医師による「死亡確認書」ということだ。

 家族会・救う会はこの「死亡確認書」「死亡台帳」に関して、一昨年10月、
次のような矛盾点を指摘し、それを受けて日本政府はやはり一昨年10月の日朝
交渉でその点を金正日政権側に糺していた。

◆「死亡確認書」について
 1、横田めぐみ以外の7人は同じ第695号病院から、書式もまったく同じ
「死亡確認書」が出ている。「死亡」場所は金正日政権情報によると、松木さん
は咸鏡南道高原郡と北西郡の境界、石岡さんと有本さんは慈江道煕川市、原敕晁
さんと田口八重子さんと増元るみ子さんは黄海北道麟山郡、市川さんは江原道元
山市と4つの道にまたがり、死亡日は79年の市川修一から96年の松木薫まで
の17年間にわたる。捏造しない限りあり得ない文書となっている。

 2、その上、原敕晁、松木薫、石岡亨の3枚は、透かしてみると同じ位置にゴ
ム印と丸印が押されている。これは、未記入の死亡確認書が残り一枚となったた
め最後の一枚にゴム印と丸印を押し、コピーしたものと推測される。

 3、市川修一さん、有本恵子さんの生年月日が誤って記載されている。

 4、第695号病院というのは、工作員を養成する金正日政治軍事大学の中に
ある病院で、695は同大学の隠し番号である。ここで捏造されたと推測される。
「死亡台帳」について

 5、表紙に「患者入退院台帳」と記されていたのを青色の線で消し「患者死亡
台帳」と書き直している。

 6、横田めぐみとされる女性の欄の通し番号は「3?239」であるが、次の
行の男性も同じ「3?239」となっている。
 

 今回の協議で、彼らは「死亡確認書」について「すべて後で慌てて作った物だ。
特殊機関が死亡確認書に関する資料を焼却した。その後『死亡の証拠を出せ』と
言われたので作った」と説明した。

 まためぐみさんの「死亡台帳」も「患者死亡台帳における、めぐみさんの名前
の記載は、今回の再調査により、後で書き込んだものであることが判明した。2
002年8月頃、当該機関関係者が来て、台帳を求めたが、49号予防院には彼女
の死亡を確認できる具体的日時を覚えている人がおらず、当該機関関係者が正確
でない日時に基づき、死亡台帳を作成し、名前を書いておいたため、番号が重なっ
た」とした。

 上記1から6までの家族会・救う会の指摘に対して反論できず、捏造を認めざ
るを得なくなったということだ。

 この説明は重大な意味を持っている。何気なくこの説明を聞くと、慌ててミス
をしたと誤解しやすい。めぐみさんの「死亡日」を、2002年の説明で「93
年3月13日」と伝え、今回「94年4月13日」に訂正したのは、過去の記録
などを基に「死亡確認書」を作る際に起きたミスという誤解だ。捏造かミスかは
大きな違いであり、その点をきちんと論じないと今回の実務者協議の意味を正し
く理解できない。残念なことにこの点を指摘したマスコミや専門家はほとんどい
ない。

 繰り返し書くが、「死亡確認書」発行日はあくまで「死亡直後」の1979年
から1996年だ。だから2002年にいくら慌ててもミスは起こりようがない。
ただ過去作られた「死亡確認書」を出してきてコピーを取って日本側に渡せばす
む話だったのだ。それを慌てて作ったなどと弁解したということは、単なるミス
ではなく、悪意に満ちた捏造だったことを彼らが自白したということだ。特殊機
関の指示で病院の医師らがぐるになって「死亡日」の日付にさかのぼって検死医
師のサイン入りの「死亡確認書」と「死亡台帳」を捏造したのだ。

 2年前、金正日が拉致を認めた直後、金正日政権が日本政府調査団に対して行っ
た「8人死亡、2人未入国」の説明は、このような捏造に基づく欺瞞だった。
 
◆改めて悔しさ募る毎日新聞の報道
 
 2002年9月末に派遣された政府調査団は、松木薫さんの遺骨と称する火葬
された骨、8人全員の「死亡確認書」の写し、横田めぐみさんの病院死亡台帳の
写し、の合計3種の死亡に関する「物証」を持ち帰っていた。

 松木薫さんの遺骨と称するものは、火葬されていたためDNA鑑定は不可能だっ
たが、警察庁科学警察研究所の骨相学による鑑定により同年11月11日に偽物
であることが分かっている。本人の遺骨であれば40代男性であるはずだが、あ
ごの骨に残る歯根跡などから「日本人の平均年齢からみると60歳以上と考える
のが妥当で、骨格も小さく女性のものではないか」というこの分野の最高権威で
ある東京医科歯科大学橋本正次助教授の鑑定が出されている。

 残る「死亡」の「物証」は、「死亡確認書」と「死亡台帳」だけだったが、今
回の協議で、それらがすべて捏造されたものということが判明したから、現段階
ではいよいよ死亡とされた8人の生存の可能性が高まったと言える。

 今回提供された「死亡」の「物証」は横田めぐみさんの遺骨と称するものと田
口さん、松木さんの交通事故資料だけだ。そのうち、軍当局が出したことになっ
ている二つの交通事故資料は、ただの紙切れであって事故現場の写真など客観的
に事故を証明するものは一切添付されていない。捏造された疑いが大きい。

 めぐみさんの遺骨と称するものも、松木さんの偽遺骨と同じく火葬されDNA
鑑定できなくされている極めて疑わしいものだ。松木さんのケースから考えて、
12月中旬頃には鑑定結果が出るだろう。捏造の可能性が高いと私は考えている。

 もし最悪の場合であったとしたら、死亡時期と死亡理由が金正日政権の説明通
りかどうかが大問題になる。「死亡確認書」さえも捏造する国の説明を信じる根
拠は何もない。骨相学鑑定では死亡時期は特定しにくい。彼らがそのことを知っ
て、2年前には生きていためぐみさんを殺害した可能性すら想定しつつ救出活動
をつづけなければならない。

 遺骨を提供した夫と称する人物は、工作機関に勤めているから写真撮影、毛髪
や血液の提供には応じられないと語ったという。また、94年4月に亡くなり病
院の裏に土葬されためぐみさんの遺体を96年秋に掘り起こして自分で火葬して
骨壷に入れ自宅で保管していたと、あり得ないような説明を行った。

 骨壷に入れて遺骨を自宅で保管するなどという習慣は朝鮮文化には全くない。
また、わざわざ、自宅で保管したのなら、なぜ娘であるキムヘギョンちゃんは一
切そのことを知らなかったのか。朝鮮文化に従うなら、毎年命日などには「祭祀」
を行わなければならないはずだが、それはまったくなされていない。まして、土
葬して2年半後の遺体はまだ白骨化しておらず、腐敗した肉が付いたすさまじい
状態であるはずで、それを掘り出すことなど通常考えられない。

 今回の協議でめぐみさんの死亡状況について、日本代表団は2年前に続いて再
度49号予防院を訪れ担当医師と面談するとともに病棟内、集合墓地区域などを視
察したという。しかし、先に見たようにこの病院の医師らは、「死亡確認書」と
「死亡台帳」を捏造し、93年3月にめぐみさんは自殺したと詳しく事情を説明
した、いってみれば嘘つき集団だ。そこにもう一度行って説明を聞いて、一体そ
れが真実だとなぜ分かるのか。

 今回、彼らは前回とほぼ同じように、めぐみさんは医師と散歩している途中、
目を離した隙に松の木で首をつって自殺したと詳しく説明したというが、一方
「49号予防院には彼女の死亡を確認できる具体的日時を覚えている人がおらず、
当該機関関係者が正確でない日時に基づき、死亡台帳を作成し、名前を書いてお
いた」とも語った。

 死亡の日時すら覚えていない「担当医」と称する人物がなぜ、死亡の状況だけ
は詳しく覚えているのか不思議でならない。そして、信じがたいのは2年前にも
現れたと同じ「担当医」から今回も説明を聞いている点だ。一度だまされたのに、
なぜまた同じ人間から話を聞いたのか、常識を疑う。

 それにつけても悔しくてならないのは、8月の第1回協議の最中に毎日新聞8
月11日夕刊が「02年10月に帰国を果たした蓮池さんは、外務省の聴取に対
し『94年のある段階までめぐみさんの姿を目撃している。93年に死亡したと
いう金正日政権の説明は間違いだ』と証言した」と、なんの配慮もなく報じてし
まったことだ。この報道で金正日政権は、帰国した被害者が日本政府に何を証言
しているかを把握し、めぐみさんの死亡時期をそれと矛盾しないように今回、修
正してきたと考えられる。

 同日家族会・救う会が出した抗議声明を再録し、毎日新聞とこの情報を同紙に
提供した政府関係者に猛省を促したい。

「私たちは本日8月11日、毎日新聞夕刊の蓮池薫さんの『証言』なるものに関
する報道に強い怒りを持ってここに抗議する。

 まず、明白にしておくが、薫さんは帰国後、外務省に情報を伝えたことは一切
ない。外務省以外の政府に対して情報提供はしているが、特に横田めぐみさんを
初めとする未帰還拉致被害者に関する情報は、金正日政権の再調査結果の反証材
料として活用されるべきもので、公開を前提とした性格のものではない。

 従って、外務省が毎日新聞に『証言』なるものを提供したのであれば、それは
重大な裏切りと言わざるをえない。

 また、毎日新聞は、拉致という国家テロが現在進行形で続いている状況下で、
薫さんによる『証言』なるものを、金正日政権が再調査結果を出さない段階で報
じることがめぐみさんの生死に関わる利敵行為であることを理解していなかった
筈がない。

 報道の自由も、被害者の人権とのバランスの上で考えられるべきもので、毎日
新聞も、例えば、誘拐事件の際は、犯人を利する報道は避ける報道協定に参加し
てきたではないか」

 なお、帰国した被害者から政府と家族会・救う会が何を聞いており、今回の協
議で金正日政権が提供した調査結果とどこが食い違っているのかという問題や、
被害者たちが語っていることと亡命工作員安明進氏証言との矛盾など、帰国した
被害者の証言については論ずべき重要な点が多々あるが稿を改めたい。
 
◆田口さんに関しても嘘の上塗り
 
 次に本稿冒頭で掲げた「今回明らかになった金正日政権の嘘」4点のうち、?
の「田口八重子さんは大韓機爆破犯の日本人化教育係・李恩恵でない」と、?の
「よど号メンバーは石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さん拉致に関与していな
い」について論じたい。

 この2点はどちらも日本警察の地道な証拠の積み上げに基づく捜査結果を真っ
向から否定する嘘である。今回の協議で、調査委員会責任者を自称しこのような
嘘を繰り返したのが、人民保安省(一般警察)の捜査局長ジン・イルボという男
だ。

 小泉首相はそれを評して「努力の跡が見られる」と語ったが、となると、日本
警察の捜査より金正日政権の警察のいうことを信じるということになる。まった
くばかげたことだ。

 よく知られているとおり、田口八重子さんが金正日政権に拉致されているとい
う事実は、大韓航空機爆破犯人金賢姫の証言によって明らかにされた。1987
年11月に事件を起こした金は所持していた日本旅券が偽造だとばれて青酸カリ
入りのたばこを噛んで自殺を図る。共犯者の男性は死亡するが、金は三日間昏睡
状態にあったが蘇生し韓国に連行され、自身が北朝鮮工作員であることを自供し
た。翌年1月、ソウルで金は記者会見を開き犯行について詳しく語ったが、その
席で「日本語」を使い「自分は1981年7月から83年3月の間、日本から拉
致された日本人女性と共に生活をしながら一対一で日本人に化ける教育を受けた。
その女性は李恩恵と呼ばれていた」と話した。

 日本警察は金から詳しく事情聴取を行い、李恩恵の似顔絵入りポスターを全国
に張り巡らすなど全力を挙げて捜査し、91年5月に「李恩恵は1978年6月
に失踪した田口八重子さんである」という捜査結果を発表した。125頁の表は
警察が作成した金が語る李恩恵の特徴と田口八重子さんの特徴の一致点(一部略)
だ(表は略)。

 田口さんの家族は日本警察の捜査が始まってすぐ、李恩恵は八重子さんに違い
ないと分かったという。しかし、八重子さんは失踪当時、1歳と2歳の息子、娘
をベビーホテルに預けたままだった。前夫が扶養義務を果たす意思がなかったこ
ともあり、息子と娘はそれぞれ八重子さんの兄と姉の養子とされ育てられていた。
大韓機爆破事件の頃、二人と子どもは10代前半の多感な時期であり、自分が養
子であり実の母は金正日政権に拉致されテロリストの教育係をさせられているな
どという衝撃的事実を告げるには若すぎると判断した家族らは、極秘に警察捜査
に協力しながら名乗り出ることをしなかった。

 したがって、田口さんの特徴はマスコミにまったく報じられず、ソウルにいる
金賢姫がそれを知ることは絶対に不可能だった。

 それなのに表の通り、これだけ多くの特徴が一致するのだから李恩恵は田口八
重子さんに間違いない。

 特筆すべきは4項の氏名で、金賢姫は「某ちとせ」又は「ちとせ某」と証言し
ているが、これは田口八重子さんが飲食店勤務時代の店で使っていた名前とピタ
リ一致している。北で田口八重子さんは李恩恵と呼ばれており、ちとせ云々が出
てくることは不自然なのだが、その理由は以下の通りだ。

 そもそも、工作員教育においては教官も学生も仮名を個人に関することは一切
明かしてはならず、特に本名を明かすことは絶対禁止だった。ある日、金賢姫へ
の日本人化教育の中で田口さんが日本女性の名前を紙に書いて教えたところ、一
旦「ちとせ」と書いたものを突然狼狽して消し去った。それを見た金賢姫は直感
的に「ちとせ」が田口さんの本名であると察知した。ところが、韓国で取り調べ
を受けていた当初はその名前を忘れていたが、1990年に札幌で開催された冬
季アジア大会のニュースの中で千歳空港という名前を聞いた瞬間、そのことを思
い出したという。

 ちなみに、日本国内における失踪者は毎年数万人もいるそうだが、そのなかで
これだけピタリと証言が一致した訳だから、李恩恵が田口八重子さんであるのは
100%間違いない。

 しかし、今回の北の発表では1981年から84年までの間、田口八重子さん
と横田めぐみさんが一緒に生活していたことになっているのである。つまり、田
口さんが金賢姫と寝食を供にして工作員教育をした1981年7月から83年3
月までの期間をそっくりそのままでっちあげている。横田めぐみさんまで巻き込
んでなんとかして李恩恵は田口八重子でないという嘘をつきとおそうとあがいて
いるわけだが、そのことにより田口さんに関する情報だけでなく、めぐみさんに
関する情報にも嘘の上塗りを行ったということになる。

 また、松木薫さん、石岡亨さん、有本恵子さん拉致へのよど号グループの関与
については、よく知られていることなので簡単にだけ触れておく。よど号グルー
プ柴田泰弘の妻だった八尾恵が「私が有本恵子さんを騙して北朝鮮に連れていき
ました。それ以前に、私以外の二人の日本人妻が拉致したと聞いていた日本人男
子留学生(石岡さんと松木さんのこと・西岡補)と結婚させることが目的で、連
れていったのです」と東京地裁で証言をしている。彼女が証言した石岡さんと松
木さん拉致はやはりよど号グループの妻である森順子と黒田佐喜子である。スペ
インのバルセロナの動物園で森と黒田が石岡さんと一緒に写っている写真が明白
な物証として残っている。

 八尾恵は1983年有本さん拉致に加担した後、日本に戻り、横須賀で防衛大
学学生を相手にするスナックを開き、自衛隊内に金正日政権のスパイを作ること
を目的に活動したが、日本警察の捜査能力の高さで、そのたくらみは露呈し彼女
は逮捕される。しかし、スパイ防止法がないため微罪で終わる。
 
◆自国の警察より北の言い分を信じる小泉首相
 
 以上のように、日本警察の捜査により明らかになっている「李恩恵は田口八重
子さん」「有本さんら拉致によど号グループが関与」という二つの重大事実を堂
々と否定する金正日政権の言い分に対してなぜ小泉首相はもっと怒りを表さない
のか、疑問でならない。首相が日本の警察当局よりも北の人民保安省を信頼して
いるのでなければ、「金正日政権側の努力の跡はうかがえる」などと言えるわけ
はないのだが、ぜひ国会などで追及していただきたいところだ。

 なぜ、彼らはこうも見え透いた嘘をつきつづけるのか。拉致を命令したのは金
正日であるが、それを認めると個人独裁国家の最大のタブーである独裁者の責任
を追及することにつながるから、真実を公開できないのだ。嘘つき政権に真実を
白状させるのは、それをしないとたいへんな不利益が来ると金正日本人に思い知
らせる以外にない。

 また、近い将来金正日を倒す政変が起きる場合?その可能性は日ごとに高まっ
ている?経済制裁発動で圧力をかけておいて、次期政権を握る勢力に日本は拉致
問題をたいへん重要視しており完全解決まで一歩も引かないという強いメッセー
ジを植え付ける必要がある。そうしておけば、金正日打倒後すぐに新政権は拉致
被害者保護に取り組むはずだ。それをしなければ日本からの大規模支援はないと
彼らに思わせつづけておくことができるかどうかに、被害者の安全はかかってい
る。

 制裁発動によって金正日政権の態度を変える以外、拉致解決の方法はない。小
泉首相の決断を強く促すものだ。

...............................................
◆ 声をあげてください ? 皆様にお願い ? ◆
今こそ経済制裁を!(メール・葉書送り先)
・ E-mail は首相官邸のホームページ http://www.kantei.go.jp/
のトップページ右下の「ご意見募集」をご利用下さい。
・ 葉書は、100-8968 千代田区永田町2-3-1
  内閣総理大臣 小泉純一郎 殿

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