救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

5月6日韓国拉致被害者家族代表が訪日、日本家族会と懇談会(2003/05/05)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2003.05.05)

■ 5月6日韓国拉致被害者家族代表が訪日、日本家族会と懇談会



 韓国の拉致被害者家族と家族会・救う会は1999年以来、交流協力関係をもって
いますが、今回7日の第5回国民大集会参加のため韓国から家族と支援者合計11人
が明日6日来日されます。家族はそのうち7人ですが、7人もの拉致被害者家族が来
日するのは今回が初めてです。
 崔祐英(チェ・ウヨン)・(韓国)拉致被害者家族協議会会長、朴蓮玉(パク・ヨ
ンオク)・同総務、金台玉(キム・テオク)・同会員、そして李美一(イ・ミイル)・
朝鮮戦争拉致被害者家族協議会名誉理事長、金聖浩(キム・ソンホ)・同理事長、金
平基(キム・ピョンギ)・同理事、金聖泉(キム・ソンチョン)・同運営委員、の7
人です。
 (韓国)拉致被害者家族協議会は朝鮮戦争休戦後の拉致の家族会です。韓国政府は
486人の拉致を認定しています。
 朝鮮戦争拉致被害者家族協議会は朝鮮戦争中に北朝鮮に拉致された被害者の家族会
です。韓国政府が当時作った被害者名簿によると8万3千人が拉致されていまだに家
族のもとに帰れず、大部分は、まったく消息すら分かっていません。
 しかし、北朝鮮は朝鮮戦争中も休戦後も一切拉致などないと強弁し続けています。

 以下、韓国家族会の日程と関係資料として7人の紹介、2団体作成のパンフレット
を掲載します。
 なお、現代コリア2003年3月号に李美一(イ・ミイル)・朝鮮戦争拉致被害者
家族協議会名誉理事長の長文インタビューが掲載されていますのでご参照ください。


5月6日、16時?18時 日本・韓国拉致被害者家族の懇談会
グランドアーク半蔵門(03-3288-0111)3階 光の間
出席予定者 
韓国家族7人 李美一・朝鮮戦争拉致被害者家族協議会 名誉理事長
     金聖浩・同 理事長
     金平基・同 理事
     金聖泉・同 運営委員
     崔祐英・(韓国)拉致被害者家族協議会 会長
     朴蓮玉・同 総務
     金台玉・同 顧問 
韓国支援者ら4人 、洪ジンピョ(北韓民主化ネットワーク)、金民九(記録映画監
督)、河允瑛(記録映画監督)、金容範(ソウル大学大学院生)
韓国来賓1人 安明進 
日本家族15人 横田滋、横田早紀江、蓮池秀量、蓮池ハツイ、蓮池透、
     浜本雄幸、飯塚繁雄、有本明弘、有本嘉代子、斉藤文代、
     松木信宏、平野フミ子、増元照明、市川健一、市川龍子 
救う会6人  佐藤勝巳、小島晴則、西岡力、黒坂真、平田隆太郎、三浦小太郎 
調査会1人  荒木和博 
合計34人

取材は2時間全部可。ムービーカメラ1系列1台。スチールカメラ1社1台。終了後、
その場で韓国被害者家族の会見。

19時?21時 韓国家族会歓迎夕食会



5月7日

韓国家族会 安倍晋三官房副長官表敬
11時30分?45分 衆議院第1議員会館第4会議室にて


国民大集会参加
崔祐英・(韓国)拉致被害者家族協議会会長と金聖浩朝鮮戦争拉致被害者家族協議会
理事長の2人が壇上から訴え
     








※ 来日韓国拉致被害者家族紹介※


1、崔祐英(チェ・ウヨン)
(韓国)拉致被害者家族協議会会長、1999年5月の第1回国民大集会から連続し
て参加
拉致被害者 
父親、崔宗錫(チェ・ジョンソク)1946年9月24日生まれ
拉致当時、東進(トンジン)27号漁労長
拉致状況
 1987年1月15日、韓国の西側の海、南北境界線近くの白x島(ペンニョン島。
xは令へんれいに羽)付近で漁業操業中に北朝鮮の警備艇によって拉致。当時北朝鮮
は簡単な調査だけを済ませてその年2月に船員を送還すると韓国政府に通報したが、
その頃北朝鮮から金万鉄氏一家が韓国に亡命し、北朝鮮は東進27号船員12名と金
氏一家11名を交換しようという提案したが韓国政府はそれを拒絶したため、12名
は北朝鮮に抑留されたままとなった。
 崔宗錫氏はその後政治犯収容所に入れられたと、1999年1月、韓国・国家情報
院が発表した。(韓国)拉致被害者家族協議会結成後、崔宗錫氏が収容所から出され
たという非公式情報ある。


2、朴蓮玉(パク・ヨンオク)
(韓国)拉致被害者家族協議会総務
拉致被害者 
父親、朴東順(パク・トンスン)1932年4月8日(陰暦)生まれ。
拉致当時、フィヨン37号航海士(甲板長)
拉致状況
 フィヨン37号とフィヨン38号が1971年1月6日午後6時頃、白x島(ペン
ニョン島。xは令へんに羽)付近で漁業操業中に北朝鮮の警備艇に襲われ、フィヨン
38号は逃走したがフィヨン37号は拉致された。
 その後、一切消息がない。ある脱北者が写真に記憶あると証言。


3、金台玉(キム・テオク)
(韓国)拉致被害者家族協議会顧問
拉致被害者
息子、李民教(イ・ミンギョウ)
拉致当時、高校1年生。
拉致状況
1977年8月11日、高校の夏休みを利用して、全羅南道紅島の海岸にキャンプを
しにいっている間に失踪した。その後、亡命工作員安明進氏の証言などより、北朝鮮
の工作員養成機関・金正日政治軍事大学で教官をしていることが明らかになる。しか
し、韓国政府は李氏が拉致されたことは認めているが、その後の消息を公式に確認し
ていない。


4、李美一(イ・ミイル)
朝鮮戦争拉致被害者家族協議会名誉理事長。
2001年の第3回国民大集会から連続して参加。
拉致被害者
父親、李聖煥(イ・ソンファン)1920年8月7日生まれ
拉致当時、工場経営(事業家)。
拉致状況
 1950年9月4日午後3時頃、ソウル市東大門区清涼里洞の自宅で隠れていた李
聖煥氏を、当時ソウル占領中の北朝鮮政治保衛部ユ少尉が、右翼団体「西北青年団」
に寄付をしたことと、同団の清涼里分隊の看板を掲げたことを理由に少し調査するこ
とがあると、連行していった。支所で夜まで調査を受け、東大門警察署に移送された。
移送されるとき、追ってきた妻に「まだ調査することがあるという。たぶん、明日に
は帰れるはず」と話したのが最後の一言になった。東大門警察署に移送されたあと、
罪がなかったとして1週間後に出てくるとされたが、北朝鮮から指令が下り釈放でき
なくなった、安全地帯に移したとされたが、その後消息がない。
 1951年KLO(対北情報部隊)隊員から北朝鮮慈江道捕虜収容所にいるという
消息を聞く。


5、金聖浩(キム・ソンホ)
朝鮮戦争拉致被害者家族協議会理事長
6、金聖泉(キム・ソンチョン)
朝鮮戦争拉致被害者家族協議会運営委員、金聖浩理事長の弟
拉致被害者
父親、金有淵(キム・ユーエン)1901年12月10日生まれ
拉致当時、神学校教授、牧師
拉致状況
1950年8月23日正午頃、ソウル市麻浦区公徳洞の自宅に政治保衛部員が3?4
人、黒いジープでやってきて「キリスト教連盟で会議があるから行こう」と強制連行
した。そのときすでに、神学校の同僚教授らが逮捕されたという消息を知った黄ソン
テク牧師が、金有淵氏の自宅に逃げてきていたが、金有淵氏は黄氏をかくまったまま
自分一人で自宅を出て逮捕された。連行されるとき家族に「心配するな。教会を守っ
て連れて行かれるのだから光栄だ」と語った。金有淵氏はすでに殉教の準備ができて
いたのか、連行される1カ月前に、息子である金聖浩氏を麻浦の河岸から逃がしなが
ら「私はここに残って教会を守り残った信者たちの世話をしなければならない。お前
は避難して私のあとを継いでくれ」と話し自宅に戻り、拉致された。


7、金平基(キム・ピョンギ)
朝鮮戦争拉致被害者家族協議会理事
拉致被害者
父親、金忠植(キム・チュンシク)1923年7月11日生まれ
拉致当時、鉄道工作廠勤務
拉致状況
朝鮮戦争勃発当時、ソウル市龍山区鉄道工作廠に勤務し、ソウル市龍山区アプクムジョ
ンに間借りして暮らしていた。妻が金平基氏の出産のため実家に帰っている間の19
50年7月頃、息子と一緒に拉致されたと、間借りしていた家の主人が伝えてくれた。




※ 「拉北者家族協議会」案内 ※


問:韓国では何人が拉北されているのですか(訳者注:韓国では、北朝鮮に拉致され
ることを拉北という)。

答:2002年度の政府の統計によれば、朝鮮戦争以後拉北された韓国人は486名
で、そのうち435名が休戦ライン付近の、海上で拉致された船員(フィヨン号 朴
トンスン他434名)で、日本の横田めぐみさんのように学生が拉致されたケース
(李民教、崔スンミン、洪ジンピョ、金ヨンナム)、中国で拉致された牧師(金ドン
シク、安スンウン)、海外留学中に拉致された学生(李チェファン)らも拉致されて
います。

問:拉北者家族協議会はいつ、どのように結成されたのですか?

答:2000年2月28日に拉北者の七家族が集まり、拉北者の人権と送還のための
拉北者家族協議会を結成しました。その当時、拉北者の家族は金大中大統領に「拉致
された家族も太陽政策の恩恵にあずかりたい」という嘆願書を出しました。

問:北朝鮮は韓国の拉致問題をどのように扱っていますか?

答:現在、北朝鮮は拉北者など一人もいないと主張しており、南北高位級会談では拉
致問題について言及することを避けています。

問:韓国政府は拉北者問題をどのように解決していこうと努力していますか?

答:韓国政府は93年の南北高位級会談のときまで一貫して、非転向長期囚問題につ
いて対応し、拉致された東進号の送還問題を会談で言及する程度でした。2000年
9月に非転向長期囚を全員送還して以後、金大中大統領は拉致問題の解決の意思をほ
のめかしたことはありますが、拉致問題の原因と結果を不問に付し、離散家族の中に
含めて問題を解決してきました。拉北者家族協議会はこのような政府の解決方式に反
対してきました。一方、日本の拉致問題が進展したために、韓国政府も自国民を保護
するという次元から接近していますが、今日まで拉致された韓国人をただの一人も政
府が帰還させることはできていないのが実情です。

問:拉北者家族協議会の要求事項は何ですか。

答:第一に、北朝鮮が拉北者486名の生死確認をただちに実施し、送還すること。
第二に、北朝鮮の金正日国防委員長が韓国人拉致問題を認め謝罪すること。
第三に、南北韓の真の統一は人々の統合にある。そのために南北韓当局は拉北者問題
を優先的に解決すること。
第四に、韓国政府は南北高位級会談で拉北者問題を主要議題として採択すること。
第五に、韓国政府は「拉北者調査のための北朝鮮訪問団」をつくり拉北者の中で生存
が確認できた人との面談を実施しなさい。

問:これからの活動計画を教えてください。

答:この間、拉北者家族協議会は拉北された家族を中心にして世論形成と拉北者の生
死確認に力を注いできました。2003年度には拉北者家族協議会以外の支援団体も
拉北者の送還のために活動するべく、国内の市民団体との連帯を強化します。また北
朝鮮に拉致された人々が家族の懐に戻れるよう、国際的な訴えを重視します。そうし
た活動の一環として6月はじめに米国を訪問し、国際的な世論形成を図ります。また
欧州でも北朝鮮の人権問題に関心を持っている点に注視し、北朝鮮により人権を蹂躙
されている韓国の拉北者が帰還できるように努力します。日本の拉致された家族およ
び支援団体と連帯し力を授かって、北朝鮮に拉致された日本人と韓国人が帰ってくる
その日まで最善を尽くします。

問:拉北者家族協議会の連絡所はどこですか?
ホームページ: http:// www.rehome.or.kr/
E-mail : papanet@hanmail.net.
住所:ソウル市鐘路区チェブ洞18?5 ホンソンビルディング2階
事務所:電話02(723)6711 
崔祐英会長の携帯電話019(336)4188 ファクス02(723)6715

2000年から2003年までの主要活動日誌

2000年度活動事項
?4月18日 ソウルで「拉北者帰還のための韓・日合同記者会見」開催

? ジュネーブ訪問:拉北者家族協議会崔祐英会長がジュネーブの国連人権委員会に
参席し関連人権団体を訪問して拉北者関連のビデオと諸資料を渡す。

?4月29日?5月1日:日本の「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための第二
回国民大集会」に崔祐英代表、安スンウン牧師夫人の李ヨンスン氏、北朝鮮民主化ネッ
トワークなど拉北者支援団体が参席し記者会見を開いて「北朝鮮に拉致された日本人
を救うための全国協議会」「拉致被害者家族会」と連帯。

?5月10日:南北頂上会談で拉北者問題を主要議題として採択することを要求する
集会を世鐘路?セジョンノ庁舎前で実施。

?5月26日:拉北者家族協議会会長が南北頂上会談に先立ち統一部長官と面談。

?6月10日:統一を準備する集会を拉北者家族協議会の主催、北朝鮮民主化ネット
ワークの後援で「拉北者の現況と解決方案のためのフォーラム」をキリスト教会館で
開催。

?6月27?29日:明洞聖堂で拉北者問題を主要議題として採択することを要求す
る「拉北者および拉北者の帰還のための特別法制定を要求」という集会と拉北者帰還
のための100万人署名運動を始める。

?8月15日:離散家族の再会があるウォークヒルホテルで示威行動。

?9月2日:非転向長期囚を送還する日なので、イムジン閣付近で国軍捕虜関連団体
と連帯し示威行動。

2001年度主要活動

?2月16日:拉致された学生李チェファン氏(87年7月28日)についての声明
発表。

?4月17日:韓国の拉北者家族協議会会長(崔祐英)と、北朝鮮による拉致被害
者家族連絡会事務局次長(増元照明)、北朝鮮に拉致された日本人を救うための全国
協議会事務局長(荒木和博)はジュネーブの人権委員会強制的失踪作業部会に、強圧
的あるいは非自発的に消え去った崔スンミン、朴トンスン両氏を含む五種類の事件に
関する審議申請書を提出。

?5月:日本の東京で開かれた「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための国民大
集会」に崔祐英会長が参席し韓国の拉北者運動の活動について紹介。

2002年度主要活動

?1月16日:拉北者家族協議会所属12家族が国家を相手に損害賠償請求訴訟を提
起。

?9月16日:崔祐英会長が北朝鮮に拉致された日本人を救うための「第四回国民大
集会」に参席し韓国の拉致された人々を救うための運動に関連して訴え。小泉総理に
捧げる書簡を渡す(日本の拉致被害者家族会代表、横田滋氏が渡す)。

?9月18日:朝日国交正常化交渉で北朝鮮の金正日国防委員長が、日本人の拉致問
題を認め謝罪したことに対し、韓国の拉北者問題にも進展が見られるように追求する
声明書を発表。

?9月24日:統一部長官との面談で、南北高位級会談において最優先課題として扱
うことを要求した。長官は拉北者問題に最善を尽くすことを約束。

?10月16日:拉北者の早期送還のために、歴史上初めて海上デモを行い、金大中
大統領との面談を要請。国内では初めての海上デモだが、拉北者486名中435名
が船員で、大部分が海上で拉致されたのである。

?10月29日:大韓赤十字社総裁との面談で拉北者問題を主要議題とするべく追及
したところ、総裁は南北赤十字会談で拉北者問題を主要議題とすることを約束。

?11月29日:海洋水産部長官との面談で長官は国際人権機構及び国際セミナーに
参席する際、韓国の拉致された船員の人権問題を提起することと、日本政府との情報
交換を約束。

?12月12日:民主党、ハンナラ党、民主労働党を訪問し大統領候補に公開質疑書
提出。




※「社団法人・朝鮮戦争拉致被害者家族協議会」案内 ※

 あなたの関心は、朝鮮戦争拉致被害者の人権回復と送還の念願を実現する大きな力
です。

 1950年朝鮮戦争中に北朝鮮共産集団は8万人あまりの大韓民国の善良な民間人
を拉致し、世界戦争史上類例のない蛮行を犯しました。

 拉致被害者問題は1952年1月休戦協定第66回会談で国連軍によって上程され
たが、北朝鮮側は「拉致被害者はただの一人もいない」というでっち上げの主張を貫
いた。

 休戦協定直後の1953年、1954年「拉致者家族会」が拉致被害者救出大会を
開き、国際赤十字社に訴え1956年大韓赤十字社が国際赤十字社の仲裁の下、「失
郷私民」という名称で消息問い合わせをした結果、1957年北朝鮮赤十字社から3
37人に対する回答を受けたのが最初で最後だ。

 1964年12月11日、朝鮮日報が主体となって、大統領をはじめとする全国民
から集めた「拉致被害者送還100万署名簿」が国連人権委員会に提出された。

 2000年11月30日、50年ぶりに再び志を同じくする家族が集まり、朝鮮戦
争中拉致被害者の生死確認と生存者・遺骨の送還のために「朝鮮戦争拉致被害者家族
会」を創立し、2001年10月5日、「社団法人・朝鮮戦争拉致被害者家族協議会」
を設立し活動中だ。

韓国では53年前にどのようなことがあったのか?

いつ:大部分1950年朝鮮戦争初期である7月はじめから9月下旬まで。

どこで:韓国の38度線以南の全地域で

だれが:北朝鮮金日成の秘密指令である「送還作戦」と韓国人の北朝鮮転出命令によっ
て北朝鮮共産集団が

だれを:韓国の各界の有名人(政治家、公務員、法曹人、言論人、宗教人、医療人、
学者、企業家、文化芸術人など)は勿論、平凡な労働者、農民、学生など8万人あま
りの民間人を

どのように:強制的に拉致し北朝鮮地域に連れ込んだ。

なぜ:1、政治的体制宣伝と戦争遂行及び戦後復旧に必要な人的資源調達
   2、韓国に有能な人材と反共人士の空白を招かせ混乱を造成して、将来
     の再侵時に共産化に有利な環境を作るため

拉致証拠資料の発見
1952年10月大韓民国政府が調査し作成した『6・25事変被拉致者名簿』を2
002年2月本会が発見したが、そこには8万2,959名の被拉致者の身の上資料
が記録されている。

主要活動
2000年
11月30日朝鮮戦争拉致被害者家族協議会が創立(初代会長李美一選出)
12月2日 大統領に送る第1回訴え文送付(追加送付3回)

2001年
2月15日国会請願「6・25事変拉致者の生死確認と生存者及び遺骨の送還要求
2月22日討論会開催「朝鮮戦争中の拉致者実態と解決方案」
3月22日「朝鮮戦争拉致者生死確認要求100万署名運動」開始(継続)
6月25日朝鮮戦争体験「拉致の道、たどり歩き」旧西大門刑務所出発、約8キロ行

10月5日社団法人設立
10月14日北朝鮮による拉致被害者家族連絡会・北朝鮮に拉致された日本人を救出
するための全国協議会が東京で主催した第3回国民大集会「救おう!世界が力を合わ
せて、北朝鮮に拉致された人々を、そして北朝鮮の人々を」に李美一代表参加
11月15日会機関誌「トゥッ(志)」創刊号発行
12月3日創立1周年記念公聴会と資料展示会

2002年
1月21日政府作成朝鮮戦争拉致被害者の最初の名簿公開記者会見
2月9日?10日北朝鮮人権市民連合が東京で開催した「第3回北朝鮮人権難民問題
国際会議」に参加し、朝鮮戦争拉致者紹介と国際人権団体に個別生死確認依頼書を伝

2月21日論文公募の授賞式と発表会(2001年11月10日論文公募開始)論文
主題:朝鮮戦争拉致者の生死確認の現実的解決方案
3月5日「6・25事変被拉致者名簿」82,959名全国名簿発見記者会見
6月20日朝鮮戦争拉致者名簿、本会ホームページ検索サービス開始(94,747
名)
8月13日朝鮮戦争拉致者、停戦後の拉致者の生死確認と送還要求決議大会(南北長
官級会談開催中)
9月16日北朝鮮による拉致被害者家族連絡会・北朝鮮に拉致された日本人を救出す
るための全国協議会が東京で主催した第4回国民大集会で李美一理事長あいさつ

2003年
3月1日反核反金正日・自由統一3・1節国民大会代表として本会理事長参加


1, まだ終わっていない戦争と待ち続ける家族
1953年韓国軍捕虜は休戦協定によって送還されたが、民間人拉致者はただ一人も
帰れず強制労働と監視の下で悲惨な生を終えたか、生き続けている。
家長を奪われた残された家族らは、戦争拉致者に対する韓国政府の無関心と連座制の
犠牲にさえなり、骨身にしみる苦しみのなかで愛する家族の生死すらも分からないま
ま、待ち続けて50年を超える歳月を暮らしてきた。

2, 北朝鮮の犯罪隠蔽と韓国政府の無関心
北朝鮮の金正日は日本人拉致問題は認めて謝罪までしながらも、同じ民族である韓国
人拉致犯罪については始終一貫、隠蔽しており、韓国政府は真の南北和解と平和共存
の道を忘れ、南北交渉で北朝鮮が主導する政策に妥協しようとして戦争拉致者問題は
取り上げることさえもせずに放置している。

3, 拉致家族の努力
拉致家族は2000年11月に家族会を作り、北朝鮮に拉致者の生死確認、生存者と
死亡者遺骨の送還を要求する活動を展開している。一方、非転向スパイらの人権を尊
重し無条件で北に送った韓国政府に対しては、自国民である拉致者の人権保護と生死
確認・送還を優先議題として北朝鮮と交渉することを要求し続けている。

4, わずかな進展
2002年9月南北赤十字会談で北朝鮮側は「朝鮮戦争中の行方不明者」というあい
まいな用語を使ったが、生死・住所確認をしようと提案があり合意した。私たちはそ
れを歓迎し即時の実践を要求したが、北朝鮮側の非協力で現在まで何の進展もない。

私たちの要求
第1に、拉致被害者の生死を確認し
第2に、生存者を送還し
第3に、死亡者の遺骨を送還せよ

社団法人 朝鮮戦争拉致被害者家族協議会
130-011 韓国 ソウル特別市 東大門区 清涼里1洞317 ソンイルビル


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担当:西岡力(副会長 CYS01452@nifty.com)
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