救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

北朝鮮が拉致を認めて10年、9/17東京特別集会報告4(2012/09/25)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2012.09.25)

 暗号がかかる電話があると言ったんですから、電話をして、「メーカーはどこ
なんですか」とか、少なくともそのラケットを借りてきて、横田さんたちに見て
もらうこともできたのに、何もしなかったのです。ただ、「ラケットを持ってき
ました。それを私は見ました」と。ラケットの写真も撮りませんでした。

 ちょうど平壌宣言のサインの直前に、それぞれの家族が別室に呼ばれて、「な
くなりました」と断定形で伝えられたんです。

 私も、人がいいので、一晩は信じました。多分、飛行機に遺骨が積まれてくる
のかなあと。ちょうどこの古いホテルに家族がとまっていて、私も泊まったんで
す。外務省は飯倉公館まではバスを準備してくれたんですが、そのバスでホテル
まで帰ろうかなと思っていたんですが、バスは帰っちゃっていないんです。それ
でタクシーに分乗してここに戻ってきて、眠れない夜を過ごしました。

 死亡の年月日が1997年以降だったらどうしよう、運動の結果殺されたのか
もしれない、よかれと思ってやったことが最悪の結果になってしまったらどうし
たらいいんだろう、と本当に眠れない夜を過ごしました。

 そうしたら、朝、安倍晋三官房副長官(当時)の秘書から電話がかかってきて、
「副長官がそちらに行きます。説明します」ということで、みんな眠れない夜だっ
たんですが、着替えてもらって、会議室を準備して副長官がいらっしゃいました。

 家族の人はみんな、「死因は何ですか」、「いつ死んだのですか」という話を
するんですけど、副長官はそれに対して、「分かりません」、「分かりません」
と言うんです。それで私がちょっとかっとなって、大きな声で、「死亡の確認は
したんですか」と言ったら、副長官が「していない」と言いました。

 家族には、「慎重に確認作業をした」と伝えていながら、死亡の確認はしてい
なかったという驚くべき事実が、18日の朝、安倍副長官によって我々は知るこ
とができたのです。

「じゃあ、確認にいった梅本さん(駐英公使)はどこにいるんだ」と。私は、人
がいいもんですから、「私が担当者だったら、初めて蓮池さん、地村さんに会っ
たんだから、その側を離れないでいるだろう。北朝鮮は拉致を認めたんですから、
その人を取り戻す交渉を平壌に残ってやっている筈だ」と思っていたんですが、
一緒に帰ってきていて、19日にロンドンに帰る予定になっているということが
分かったのです。

 18日の朝、安倍さんに会った後記者会見をして、地方の家族はそれぞれ故郷
に帰ったんです。地村さんのお父さんや(地村)富貴江さんのお兄さん、浜本さ
んは電車に乗っちゃったんです。でも、蓮池さんの両親は、透さんが東京に住ん
でいるものですから、1泊しようと東京にいたので、梅本さんを夜つかまえた時
に一緒に同席できました。

 横田家、蓮池家、当時の荒木事務局長が梅本さんに会った。そしたら、そこで
も確認作業をしていないことが分かった。北朝鮮に行って、被害者を助けようと
思っていたのなら、紙が出てきて、「死んだ」と言われても、「じゃあ死因は何
ですか、遺骨はどこにあるんですか」と、生きてる人がいるというのなら、「こ
こに連れてきてください。被害者だから今この飛行機で連れて帰ります」と言う
のが普通だと思ったんですが、外務省はそういう態勢じゃなかったんです。

 その時は、拉致を認めた向こうが困っていたんです。認めるところまで困って
いたんです。それなのにこちらが国交正常化を優先する交渉をやってしまったた
めに、10年という年月がかかってしまったと私は思っています。

 ですから我々は、外務省の外に家族を担当する部署を作ってくれと言って、
「家族支援室」ができました。そして中山さんが参与になりました。参与という
のは非常勤の役割です。そして家族支援室の室長は課長です。田中均局長はその
後出世して外務審議官になった。外務省ナンバーツーです。

 中山さんは家族支援室の参与になった後、その年の年末くらいに、福田官房長
官に呼ばれて、「あなたの仕事は家族をサポートすることだけですよ。外交に口
を出さないでください」と言われたと聞いています。そういう中で、平壌宣言を
優先して日朝国交正常化を進めていこうという動きはずっとあったんです。

 我々の味方は、内閣官房副長官と参与だけだった。副長官も権限は何もないん
です。官房長官に権限があるんです。ただ、世論が、「死亡の根拠がないのに死
亡というのはおかしいじゃないか」と、当り前のことに気づいて、政府も「死亡」
とか「遺族」という言葉をやめて、「死亡と言われている」という言葉に変えて、
何とか、俵に足はかかりながらも踏みとどまってきた。

 しかし小泉総理は、先ほど増元さんがおっしゃったように、2度目の訪朝の後、
家族に対しても、「私は生きてるのか、死んでるのか分かりません。ただ、家族
が求めるから再調査を求めたんだ」と堂々と言ったんです。

 助けようと思っている人であれば、死亡の確実な証拠がない限り助けようと思
うのが普通ですよね。よく早紀江さんは、「子どもたちが池でおぼれている時、
大人は飛び込むじゃないか」と。「拉致被害者である子どもたちは今おぼれてい
る。なぜ飛び込んでくれないのか」とおっしゃいますが、飛び込んで、助け出し
て、病院に運んで、脈をとって、死亡と確認されるまでは、生きてると思って飛
び込むんですよね。

「この水は冷たいからもう死んでるんじゃないか。分からないな」、というのは
第三者ですよ。助けようとする立場の人じゃないです。北朝鮮は「死んだ」と言っ
てるけれども、確実な死亡の証拠がない限り、生きてると思って助けるというの
は、私はそんな無理な注文ではないと思ったんですが、残念ながら日本政府は、
全体としてそういう体制ができていなかった。

 2度目の訪朝をすませた直後に、小泉総理は韓国に行き、盧武鉉大統領と会談
して、「自分の任期中に日朝国交正常化をしたい」とおっしゃった。「拉致問題
を解決したい」じゃなかったですね。当時、拉致問題の解決は日朝国交正常化の
条件だったのに、任期中に日朝国交正常化ができると思っていた。

 つまり、総理の頭の中には、確実な死亡の証拠が出てくるということが入って
いたとしか思えない。そして、満を持して、「めぐみさんの骨」と称するものが
出てきたわけです。

 実は、本当にあの時は危なかったと思います。北朝鮮も謀略にはすぐれていま
すので、簡単に骨を出してこなかったんですね。彼らはあるストーリーを書いて
いたわけです。よく日本の世論を見ていて、横田さんのご両親が運動の中心だと。
13歳の娘がさらわれたということが日本人にアピールしている、と。

 だから、横田さんたちを悲しみのどん底に陥れれば勝てると彼らは思ったわけ
です。めぐみさんについてだけは、たくさんの「死亡」の根拠と称するものが準
備されていました。担当の医者まで出てきたわけです。

 他の7人は、同じ病院の「死亡確認書」で、それも最初は準備されていなくて、
一番最後に机をたたいたら同じ病院から7枚出てきた。それも同じところにゴム
印が押されたもの、コピーをとったもので、生年月日など間違いがあるものが7
枚出てきた。

 しかし、めぐみさんについては、ちゃんとした精神病院で、北朝鮮では精神病
院を49号予防院というのですが、医者も準備されていて、首をつったという木
まで準備されていて、色々なものが準備されていたんです。

 そしてめぐみさんの骨だけが(洪水で)流れてなかったんです。他の人はみん
な丁寧に葬ったけれど流れたとされていたんです。めぐみさんだけは夫が持って
いる、と。しかしその夫は、横田さんたちが来てくれれば渡しますよというストー
リーになっていたんです。

 しかし、彼らも考えたわけです。骨を出すとDNAが出るらしい、と。しかし、
高温で焼くとDNAは出ない。その高温というのは何度なんだ、と。日本の技術で
は、何度で焼いたらDNAが出るか。それは秘密だったわけです。

 それで、松木薫さんの骨は流れたんだけど、下流で拾った、と。拾った後、2
回火葬した。なんで拾った後火葬しなければならないのか。訳が分からないんで
すが、「下流で拾ったからもしかしたら違うかもしれないけれど」と言って、最
初に松木さんも骨を出してきた。

 警察の鑑定ではDNAは出なかった。しかし、法人類学という骨の形から年令や
男女を見分ける技術があり、それで40代の男性であるべき骨が60代の女性だっ
たということで、これは本人じゃないだろうということになった。

 北朝鮮も、「本人かもしれない」と出した物ですから、その時は大きな問題に
はならなかった。その時彼らは、「警察の技術をしても、自分たちの火葬場で焼
いたら大丈夫なんだな」と。だいたい1200度くらいらしいです。彼らが自分
で、後で言ったんです。

 そして満を持して2年後に、「めぐみさんの骨」を夫が持ってきて、当時の薮
中局長に渡したわけです。同じ火葬場で焼かれたと思われる形だったそうです。
そして骨の形がないように、焼いた後、ハンマーのようなもので砕かれていた。
特にあごの骨で歯の長さをはかるわけですが、あごの骨ははずされていた。鑑定
不能にすることを狙ったわけです。

 しかし、帝京大学の最新の技術でめぐみさんではないということが分かった。
そして後から分かるんですが、松木さんの骨も、最初に来た時に帝京大学で鑑定
していた、と。しかし、それを北朝鮮に知らせなかった。日本国内でも公表しな
かった。

 当時早紀江さんは、「この骨は絶対めぐみじゃありません」と直感がはたらい
て、「めぐみのものだと分かってもセカンド・オピニオンを求めたい」と、「西
岡先生何か探してください」と言われていて、私が色々調べたら、帝京大学が日
本で最高権威だと分かったのです。

 それで帝京大学に相談にいこうと思っていたら、発表されたんです。「産経新
聞」に書いてありますが、政府の高官が、「松木さんの骨も最初帝京大学に出し
た。そしたらDNAが出た。しかしそれは表に出さなかった」と。

 北朝鮮はその後、1200度で焼いたらDNAは出ない筈なのに、なぜ出たとい
うんだ」という声明を出した。誰も1200度なんて言ってないのに。

 その時までは、政府の中でも、「死亡」ということで終らせようという強い流
れがあったんです。危なかったんです。我々は負けない戦いをしていた。そして
我々の味方は世論しかなかったんです。あと拉致議連の先生たちがいましたが、
政府の中は、外務省という強い組織があり、こちらの味方は官房副長官という低
いレベルの人しかいなかったんです。

 しかし、世論の力で何とか乗り越えて、2006年に安倍政権ができて、「全
員生存を前提とする」という政府方針が出ました。また、総理を本部長とする拉
致問題対策本部ができました。外務省の外に。そして担当大臣も置かれました。
自民党時代は主として担当大臣は官房長官が兼任していました。一度だけ中山恭
子さんが単独でなったことがあります。

 官房長官が兼任するということは、もちろん忙しいということはありますが、
拉致担当の補佐官がいて、官房長官が兼任していた時は、鑑定機密費が情報費と
して使えるということで、情報の予算は別途もたなくていいという利点はありま
した。

 その後、民主党政権になりましたが、総理が本部長である対策本部、そして担
当大臣、外務省の外に置かれた事務局体制は変わりませんでした。そして、「全
員生存を前提」とする体制になりました。

 少しずつですけれども、体制派整ってきていると私は思っています。金丸訪朝
の時はゼロだった。10年前は、世論に押されて一応拉致を出したけれども、国
交正常化を優先した。そういう点で0.5くらいだった。

 今は、対策本部ができて担当大臣がいるということ、特に今、松原先生が担当
大臣になっています。党派を超えて、安倍晋三さんも今日の新聞で、「松原さん
がいるから安心だ」と言っていますが、我々もそういう気持です。

 先ほど言いましたが、日本の中に全員救出の体制を作るということと、北朝鮮
が困るということ、2つが合わさって話合いが始まるということなんですが、第
1条件は何とか整備することができつつある。それも世論が必要ですが。では第
2条件の、北朝鮮が今どれくらい困っているかということが焦点になると思いま
す。

 実は北朝鮮が1回、困ったことがあったんです。それはアメリカの金融制裁と
朝鮮総連に対する厳しい取締りが車の両輪のように効いた時です。それが200
7年から8年にかけてです。

 北朝鮮は、日本に対して、「拉致を議題にして交渉しましょう」と突然言って
きたんです。今よりも向こうが譲歩しています。今は、「双方の関心ある事項」
と言って、日本側は拉致が入っていると言って、北朝鮮は今日も、「完全に終っ
ている」と言っています。

 しかし、金融制裁と日本の朝鮮総連に対する厳しい法執行制裁が効いた時は、
拉致を議題にして話し合おうとまで降りてきたんです。そしてアメリカに対して
は、「核を止める」と言いました。そしたらアメリカのライス国務長官と、ヒル
国務次官補が焦って、寧辺にある核施設の煙突を爆破するというショーを楽しん
だだけで、金融制裁を解いてしまった。そして「テロ支援国家指定を解除する」
と言ってしまった。

 実は、我々は必死でアメリカに対して働きかけをやって、テロ支援国家指定の
理由に拉致を入れてもらったんです。元々、テロ支援国家指定は、韓国に対する
テロが理由だったんです。大韓機爆破事件とか、あとよど号ハイジャックが理由
で、拉致は入ってなかったんです。

 2001年以降、何回も訪米して、「拉致はテロだ。アメリカはテロとの戦争
と言っているのに、日本人へのテロについてなぜ戦わないんだ」と言って、アー
ミテージ国務副長官が、「その通りだ」と言った結果、2004年からやっと拉
致が理由に入ったんです。北朝鮮はそれが嫌だったから、その指定を解除してく
れと言ってきたんです。

 アメリカを舞台にして、我々は北と戦っていたんです。ブッシュ大統領は、ラ
イスさんをかわいがってはいたんですが、「それがブッシュの欠点だ」と島田洋
一教授は言うんですが、しかし、ライス・ヒルに対して、「拉致が一切動かなかっ
たら金融制裁の解除をしたらだめだぞ」と言っていたんです。それもあって、と
にかく彼らは金融制裁を解除してもらいたかった。

 なぜ北朝鮮は金融制裁を解除してもらいたかったかということですが、これは
北朝鮮の内部経済の問題なんです。我々専門家の間では広く知られていることで
すが、北朝鮮の経済は実は三重構造です。本来北朝鮮は社会主義ですから、計画
経済で、すべての経済が政府によってコントロールされている、政府の上に共産
党がいるというふうになってなくちゃいけないんですが、中国のように改革解放
をやっていません。

 ところが、金日成が死んだ1994年以降、一般人民の生活は計画経済からは
ずれてしまった。配給は停止されて、みんな闇市で食べています。人口の15%
が餓死して、その後は闇ができる人だけが食べている。闇経済がどんどんふくら
み、政府の計画経済はどんどん縮小している。そしたら北朝鮮はアフリカの貧困
国家のようになっていかなくちゃいけないのに、平壌のまちはきれいなんです。
ベンツを買えるんです。トロを輸入しているんです。

 その費用はどこから来ているか。金正日の統治資金というのがあるんです。計
画経済の政府とは全然別に党の39号室が管理している外貨があります。それは
スイスなどの外国の銀行に預けてある。

 その収入源はどこかというと朝鮮総連の送金だった。バブルはなやかなりし頃、
1990年、91年に日本からいくらぐらいの送金がなされていたか。内閣調査
室が調べました。カネとモノを合わせてですが、1800億円から2000億円
だったという結果が出ています。

 そのような厖大なカネが、政府に入らないで党の39号室に入って、スイスの
銀行なんかに預けてあって、キャッシュでベンツとかを買っているんです。核開
発もそのお金でやっているんです。

 そこを締めないといけないということで、安倍政権になってから朝鮮総連に対
して厳しく法執行をやったわけです。その結果、朝鮮総連中央本部が差し押さえ
されて、競売されるというところまで来ました。日本からの送金はほぼなくなっ
ています。ハンドキャリーで今7億円くらい持っていっていますが、何百億円と
いうことではなくなった。

 そしてアメリカは海外にあるその秘密講座を使えなくするために金融制裁をか
けた。収入を断ち、預金をおろせなくする。だから効いたんです。それで本当に
金正日は慌てたんです。しかしアメリカが拙速に制裁を解除してしまって、金正
日が倒れたということもあって、彼らの困り方は少し息を吹き返してしまって三
度目のチャンスはこなかった。

 しかし、金正日が死んで金正恩になって、今日本に対して、遺骨を名目にして
ですが、話し合いを求めてきた。一番いい彼らのシナリオは遺骨だけでお金を取
りたいと思っているんでしょうが、そう簡単にはいかないと思いますし、いかせ
てはならないと思います。

 そして、今のところ、「拉致は解決済み」で、平壌宣言に基づいて国交正常化
をしましょう、過去を清算しましょうと言っているわけです。しかし、「拉致は
解決済み」と言うのなら、「拉致はある」と言っている日本と交渉しない方が彼
らにはいいわけです。「けしからん」と言って席を立てばいいのに、席を立たな
いんです。席は立たないけど議題にしないという微妙なアレンジメントを、金正
恩は今、させています。困り始めてきたからだと思います。

 困り始めてきたもう一つの背景は、今の李明博大統領がやっていることは我々
はいいと思わないことがたくさんありますが、一つ評価できることは、韓国が北
朝鮮に対する無条件の支援をやめたことです。

 日本からの外貨が止まったあと、金大中・盧武鉉時代はどんどん韓国から(支
援が)行っていたんです。それが止まっています。中国があるじゃないか、とい
う人がいますが、中国は現金は出さないんです。核開発されるのは、いいとは思っ
ていませんから、食糧や油は出します。見返りを取ります。しかし、日本からの
朝鮮総連マネーや韓国からの資金みたいに現金は出さないんです。

 39号室資金が最近枯渇し始めているという情報があります。北朝鮮の軍のナ
ンバーワン李英浩が更迭されましたが、それは外貨をめぐって李英浩と張成沢の
間で争いがあって、張成沢が軍が持っている外貨を奪おうとして、それに抵抗す
るようなそぶりを見せたから飛ばしたということです。

 これは韓国の情報機関が、色々な情報を入手して出した結論です。私も同じよ
うなことを北朝鮮の内部から聞いています。では北朝鮮が外貨を得られるところ
はどこか。中国に完全に頭を下げて、改革解放をやれば外貨は得られるでしょう。
しかしそれは、金正日の遺訓に反するんですね。

 あるいは核をやめれば西側からもらえます。韓国からもアメリカからももらえ
るでしょう。しかし、それも金正日の遺訓に反するんです。

 逆に、日本との関係改善は遺訓だと言っているんです。しかし、30年前のテ
ロについて真相を明らかにしたくない。田口八重子さんが帰ってくれば、大韓機
事件の真相は明らかになってしまいます。めぐみさんも同じテロリストの教育を
したわけですから30年前、あるいは20年前のテロが明らかになって、その責
任者が金正日だということが明らかになってしまう。

 あるいは、田口さんが金賢姫に対して、「自分は金正日の秘密パーティに呼ば
れた」と言っているんですね。そこで、ただれた私生活をしているのを目撃した
と言ってるわけです。金正日のただれた私生活も秘密なんです。そのことを知っ
ている人たちはなかなか出せない。

 しかし、そんな私生活をしていた人物が死んじゃった。そして、金正恩は堂々
とミッキーマウスと遊んでる映像を国民に見せたわけです。寿司屋を呼んでパー
ティをしたところも、週刊誌に写真を撮らせて見せているわけです。私生活がタ
ブーでなくなっているし、金正恩は拉致被害者をパーティに呼んでいません。相
対的に認めやすくなったとは思います。

 だからこそ、最初の話に戻りますが、全員救出の体制が政府にあるのかどうか、
国交正常化を優先するような過去の外務省に戻らないように、世論を高めて厳し
く監視する必要があるのではないかと思っています。

 そしてその世論を背景にして、外務省にお願いしたいのは、今回開いた対話の
門を使って、「日本人は生きてる人が帰ってこない限り怒りは解けませんよ」と、
「正常化したいならまず、生きてる人を返しなさい」と。そのことをきちんと伝
えるために、せっかく開いた交渉の窓口を使ってほしい、と。

 杉山局長は家族の前にきて、「頑張ります」と言っていましたから、一応お手
並み拝見だとは思いますが、しかし、外務省の人たちは、とにかく話し合いをす
ることが職業ですから、話し合いをつなぐために色々なことを考えることがある
ので、そこは外務省がやるけれど、今は対策本部も担当大臣もあるわけですから、
最終的には総理の決断のもとで、全被害者を救出することを最優先にする交渉を
してもらいたいと思います。

 そして、北朝鮮に対しては、自民党が政権をとっていたときにできた対策本部
が、民主党になっても続いていると、民主党では一番強硬な松原さんが大臣だ、
と。自民党に戻ってもまた安倍さんの路線が続く、と。どっちになっても変わら
ないんだ、と。時間稼ぎをしたらゆるむかと思ったら、はずれたじゃないか、と。
菅直人さんみたいな一番親北派の人がなってもだめだったんだから、もうあきら
めなさい、と。日本が変わるということを、日本が少し落ちてるよと、多分朝鮮
総連や日本にいるスパイたちは、報告をあげていると思います。

 しかし、そんなことはないんです。生きてる人を助けたいという気持は絶対変
わらないということを、この機会を使って、外務省が北朝鮮に伝えることができ
れば、もう一歩先にいけるかもしれない。

 大切な時だと思っていますが、向こうが少し困ってきていることは間違いない
し、向こうが認められるハードルが下がってきていることも間違いないので、是
非、松原大臣以下、政府に頑張ってほしいと思います。

 そして、最後に、生きているという情報がいっぱいあるわけです。そのことも
北朝鮮は、知らなきゃいけない。何人か返して終わりじゃないんだ。「8人死亡」
と言っている人について生存情報があるんだ。だから、何人か返して「これで終
わりだ」と言ったら、握っているのを出しますよ、と。終わりになんかなりませ
んよ、と言っておきます。以上です(拍手)。

司会 拉致議連の平沼会長が、この集会に「会長談話」を寄せてくださいました。
配布資料をごらんください。政府に2点要求をしていますので、その部分を読ま
せていただきます。

◆平沼会長談話
 北朝鮮は日本国民の拉致により、日本国の主権と国民の人権を侵害した。それ
を未だに回復できていない。政府は、この失われた10年を回復するためにも、
本日を期して、拉致を理由に全面制裁を発動することを検討するとともに、日朝
政府間協議で北朝鮮側が、拉致問題に関して具体的な進展を見せず、家族の期待
を裏切るような場合は、在日朝鮮人の再入国許可や送金について、直ちに全面制
裁を発動するよう強く求める。

 さらに、国家の総力をあげて、制裁以外のあらゆる手段を動員し、北朝鮮にわ
が国の強い意思を示すよう強く求める。

西岡 これで今日の集会は終りますが、次回の、「曽我ミヨシさんを救うぞ!東
京連続集会」は、佐渡から曽我ひとみさんをお招きして、10月23日(火)に、
文京区民センターで行います。拉致された時の状況、向こうに行ってからお母さ
んのことをどう聞いたのかを聞きながら、みんなでミヨシさんのことを考える集
会を行います。曽我さんは、具体的に何でも話しますと言っています。私と惠谷
治さんが曽我さんに質問して聞くという集会です。是非またお集まりください。
ありがとうございました。

この後記者会見をして終了。

以上


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