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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

感動と感謝?飯塚繁雄さん、耕一郎さん会見(2009/03/12)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2009.03.12)

昨日、3月11日、拉致被害者田口八重子さんの兄で耕一郎さんの育ての親である
飯塚繁雄さん(家族会代表)と田口さんの長男の飯塚耕一郎さんが、金賢姫氏と
面会して帰国し、記者会見を行った。会見の内容は以下の通り。

■感動と感謝?飯塚繁雄さん、耕一郎さん会見

飯塚繁雄 面会のために多くの関係者が、準備、段取り、実施にご協力をいただ
いたことにまず感謝申し上げたい。また、韓国政府、日本政府にも厚く御礼申し
上げたい。韓国でも、この歴史的な会見が実現できたことについてお礼をまず申
し上げた。

金賢姫さんについては、もちろん初めて会いましたが、我々二人は隠せない感動
を表しました。彼女自身も会いたいという意思があり、今回の面会が実現できた
ことを非常に喜んでいました。私からも、面会が実現できてうれしいこと、ここ
に至った経過の中で、彼女が勇気ある証言をしてくださったので田口八重子の消
息がはっきりと確定されたことについてお礼を申し上げた。

歴史的瞬間といえば大げさですが、北の工作員と被害者家族が初めて会ったこと
に感動し、また特に日本で大きな話題になっていることも意識しながら会ってま
いりました。

今回の目的は、田口八重子の実態を肉声で耕一郎に聞かせてあげたいこと、その
ことで母親像を自分の胸に刻み込み、感情的な部分を満たしてあげたいというこ
とが一つありました。二つ目に、今回は新たな情報はあまりありませんでしたが、
これをきっかけに、両国政府が連携してこの問題に取組む、いいきっかけになっ
たのではないかという思いを強くしました。

彼女は、整形したといっても、前の面影がそのままあります。若干痩せたように
思いましたが、すべて日本語で面会し、日本語は十数年前に使っただけなのに、
しっかりした日本語でした。

私は、今回の面会を、この後につなぎたいという気持ちを強く持っています。ま
た政府間の連携も強く要望したいと思っています。

飯塚耕一郎 両国政府、関係者の方々が、我々3人の面会にご理解、ご支援をい
ただき、本当にありがたく思っている。警備状況などを見て、そのことを改めて
感じた次第です。

面会は、最初にフォトセッション(初面会場面報道公開)が5分あり、その後1
時間半面会しました。短い時間でしたが、彼女は熱意とやさしさと喜びをもって
話してくれました。我々も真摯に聞くことができた。しかし、時間が短く、お互
い満足のいく面会だったかというと、そうではなかった。次回会いましょうと改
めて約束をしました。

面会後に思ったのは、これだけで終わらせるべきではないということでした。金
賢姫さんが拉致解決の要素を持っているわけではありませんが、母親に近いとこ
ろにいた女性に会うことによって喜びを感じることができました。素直にそう思
いました。この喜びは、我々だけでなく、認定されていない被害者の家族も含め、
少しでもわかちあいたいと考えると、この流れを絶対止めてはいけない、もっと
発展させなければならないと心の底から感じました。

当初私の目的であった、母の面影や人物像を感じたいということでしたが、強行
な日程だったのでまだ整理しきれていない部分があります。一番に感じたのは、
母親ということよりも金賢姫さんのやさしさを感じました。初面会での彼女の涙
は嘘いつわりのものでは全くありません。彼女の本心だと思います。

元照明・家族会事務局長 (厳重警戒の)報道を見ていて、韓国の異様な状況
がひしひしと伝わりました。また、田口さんを思って泣かれている金賢姫さんを
見て、感動させられました。被害者に直接関わった北朝鮮工作員は彼女しか出て
きていませんので、彼女の被害者に対する思い、耕一郎さんを田口さんに会わせ
てあげたいという思いを強く感じました。

これを機に、日本に来ていただいて、直接私も会いたいと思いますし、韓国にい
る脱北者の中で被害者の情報を持っている方々が、一気に情報を提供していただ
けるような環境づくりができればと思っています。

西岡力・救う会会長代行 家族会・救う会・拉致議連で金賢姫さんを日本に招請
したいという話を飯塚代表からしていただき、はっきりとしたお返事はいただけ
なかったということでしたが、来られないということでもなかったし、この次お
会いしたいという話があったということなので、我々としてはその実現のために
努力したいと思います。

私たちと連絡がある韓国の趙甲済さんのところに昨日も彼女から連絡があったと
いうことです。そのラインなどをつかって直接彼女と連絡をしていきたいと思っ
ています。

【質疑応答】

問 どんなおみやげを持っていったのか。

飯塚繁雄 フォトセッションでは、チーズケーキ、ハンカチーフ、CD。面会の
時は、旅行ハンドブック(東京と沖縄)。耕一郎が監修した、「母が拉致された
時僕はまだ1歳だった」という本、私がまとめた「妹よ」という本。写真9枚は
説明しながらお渡しした。その他、家族会の活動写真、「家族会・救う会10年の
闘い」の写真集、調査会の資料と全失踪者のポスター、救う会資料、政府のパン
フレットです。なお、これらのお土産については、韓国の国家情報院の検閲の可
能性もあると思います。

耕一郎 チーズケーキは、小さなお子さんがいらっしゃるので。また、彼女が
「忘れられない女(ひと)」の中で、田口さんが好きだった沢田研二さんの歌の
CDです。過去を思い出していただければと思って。旅行ハンドブックは、「忘
れられない女」の中に、「玉ちゃん(金賢姫氏の仮名が金玉花)を色々なところ
に連れて行ってあげたいわ」という記述があることを思い出し、田口八重子さん
ならどこに連れていくだろうかと考えて東京と沖縄の本でした。沖縄は、彼女が
軟禁というか閉塞的な環境で暮らしてきたことを思い、南国の開放的なところに
と思って選びました。

問 聞いた中で最も印象的だったことは。

飯塚繁雄 「忘れられない女」にも書いてありますが、生まれ育ち、考え方が違っ
ていても、一緒に暮らした20か月の間、人間的に純粋なつきあいができたとい
う意味の話を聞きました。互いの信頼関係、心を許せる関係があったということ、
「八重子さんは非常に心の広い方だった」と言っていました。彼女は、「田口八
重子さんは絶対生きている」とはっきり言っています。これは確たる証拠はない
としても、なぜそれが出たかというと、拉致被害者というのは一般市民より生活
レベルの格が上で、飢え死にするようなことは絶対ないということでした。あま
り重要な情報を持っていない拉致被害者は返せるが、帰ってきていない人は北の
悪の情報をたくさん持っていて返せないと言っていました。

耕一郎 本に書いてあることでは、一番彼女が言っていたのは「自由主義を行え
る」ということでした。がんじがらめの北朝鮮では勝手な行動が許されない。ま
た、主体思想塔まで八重子さんと散歩に行った時、ハイヒールで行ったので足が
痛く、二人とも泣きながら帰ってきたということが書いてあります。そのことを
ものすごく楽しそうに話していました。「まるで姉妹のようでした」とも書かれ
ていますが、「恵さん(けいさん=田口さんの仮名李恩恵の恵から)とは姉妹の
ようだったんですよ」と言っていました。また、最後の方で、「私が韓国のお母
さんになってあげる」と本当に親身に心優しく言っていただけたのを鮮明に覚え
ています。一番強く残っていることは、「私は、86年7月30日にマシク嶺で交通
事故を起こした」と北から報告されていると言ったら、彼女は、「私も行った
ことがある。あんなところで交通事故なんか絶対に起きない。車がそんなに走っ
ているわけではない」と言っていました。

問 本に書かれていないことは。田口さん以外の被害者については。

飯塚耕一郎 第一に、「83年に別れてから何か月か後に、指導員が『顔だけ見せ
てやる』と言って、市内に行く途中、田口さんの顔だけ見たことがある」と言っ
ていました。

第二に、「85年1月、海外実習から帰ってきてスッキ(淑姫)と合流した。その
ときスッキは、84年末に田口さんとめぐみさんとスッキの3人で市内から遠く離
れた招待所で一緒に生活したと言っていた。スッキによれば、そこは電気事情が
悪く寒いので、服を何枚も着重ねていたということである。いずれにせよ、その
時点で結婚していたという事実はない」ということです。

第三に、「87年1月マカオから帰ってきて2月?10月にかけて招待所で生活して
いたが、2月か3月頃、運転手から田口さんをどこか知らないところに連れて行っ
たと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんも
どこかに行って結婚したのだと思った。その招待所にいた間、日本人拉致被害者
が死亡したと聞いたことはない」。86年くらいから拉致被害者を徐々に結婚させ
ていたらしい。そういう背景があるので、「田口さんが連れて行かれたというこ
とは結婚したという推測が成り立つのではないか」と言っていました。また、
「87年1月から10月にかけて彼女が招待所にいた間に拉致された日本人の誰かが
死亡したという話は一切聞いたことがない」ということでした。

第四に、これはこちらから確認したのですが、「(蓮池薫さんが田口八重子さん
は86年にここに行ったと証言している)敵工部、あるいは敵工地については知ら
ないが、とにかく田口さんはどこか招待所ではないところに行って結婚したのだ
と思った」と。そして、「招待所であればその後の情報もとれるが、招待所でな
いところに行ったから情報がなくなったのではないか」と言っていました。

最後に、(北朝鮮が田口さんの朝鮮名として発表した)「『コ・ヘオク』という
名前は知っている。指導員や幹部がそう呼んでいたのを聞いたことがある。『リ
・ウネ(李恩恵)』は仮名ですよ」と言っていました。

新しい情報は以上で、他の被害者に関する情報は聞けなかったということです
(面会後の会見では横田めぐみさんに言及)。

問 その中で一番驚いたことは。

耕一郎 「87年1月から10月にかけて彼女が招待所にいた間に拉致された日本人
の誰かが死亡したという話は一切聞いたことがない」という部分です。

問 84年には結婚してないということですね。

耕一郎 そうです(金賢姫氏は、「田口さんは84年の末まで横田めぐみさんと、
同僚の女性工作員の3人で一緒に暮らしていた」と証言)。

問 「日本に来ませんか」への反応は。

飯塚繁雄 彼女は前から、「日本に行きたい」と言っています。それを受けて、
できれば皆さんの前で色々なことを聞かせてほしいという希望がありましたので、
「日本に来ませんか」と言った。しかし、はっきり「今度是非」というわけには
いかない理由があると思います。本心は行ってみたいという気持ちがあるようで
す。

問 耕一郎さんが小さい時の家族写真についてのコメントは。母子手帳やへその
緒は見せましたか。

耕一郎 母子手帳やへその緒は、話の流れで出すタイミングがありませんでした。
それ以前に、彼女には本当に好意的にしていただいたので、私の中で、見せるま
でもないような気持ちもありました。冒頭40分は、彼女から熱心に話していただ
いて、「お母さんは大丈夫だから」、「生きているから」と。40分経った時に、
「私一人しゃべりすぎですね。ごめんなさい」と。そこで初めて吾に返ってゆっ
くりしゃべれるようになりました。彼女が過去の八重子さんとの話など、40分しゃ
べっている間、本当に胸がいっぱいになりました。そして会見が終わったあとの
控室で、「そういえば忘れてたね」と話しました。短かったけど、そのくらい満
足できる面会でした。

問 フォトセッションで抱き合ったり、会見で腕を組んで出てきましたが、どう
いう気持ちでしたか。

耕一郎 フォトセッションは挨拶程度だと思っていました。いきなりそこまでの
親近感を持っていただいているとは思っていませんでしたので、正直、とまどい
もありましたが、耳元でそっと「抱きしめていいですか」と言われた時は、本当
に嬉しかったですね。フォトセッションの時も、彼女は涙を流して感極まってい
て、私の右手をずっと放そうとしないのです。そこに彼女のやさしさが現われて
いると思っています。面会後の会見前には、彼女は、「またしばらくお会いする
こともできませんね」、「お互い元気でやりましょうね」、「できれば八重子さ
んも含めて4人で会えればなお嬉しいですね」と言っていました。

問 今日は田口八重子さんと言っていましたが、距離感やイメージが変化しまし
たか。

耕一郎 まだ整理がついていないですね。自分のことは後回しでもいいからこの
流れを止めてはいけないと思います。

問 実際に会ってみて八重子さんへの思いは。

飯塚繁雄 妹への思いは変わりませんが、金賢姫さんの今の立場が可哀想という
印象を受けました。12年間、真実を話したくても話せない中で、やきもきしてき
た。彼女が証言した後、「私はすぐ出て行って救出活動をしたかったのですが、
それができなくて申し訳なかった」と謝っていました。また、彼女は、自由の身
になったとはいえ、自由ではないんですね。我々との交流も自由にできない。国
家情報院の管理下におかれている。まだ彼女が自由の身ではないことに、私は非
常に心苦しく気の毒な感じを受けました。

問 八重子さんが教えた日本語については。

飯塚繁雄 学校の先生が教えるような日本語ではない。普段の会話の中で教わっ
たアクセントだし、最後にやたらに「ね」をつけるところなどそうですね。確か
に八重子が教えた感じが相当あったなと思いました。

問 何かハッとしたことは。

飯塚繁雄 金賢姫さんにしてみれば、何年か間違った人生を過ごしてきたこと、
そして結婚して家庭を持って、家庭がいかに大事かということを強調していまし
た。従って、母として耕一郎の気持ちもすべてよく分かる。幸せの単位として家
族ということを非常に意識するようになったとのことです。

以上

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