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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

救う会TV第8回「北朝鮮拉致の全体像-その3」(2020/05/26)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2020.05.26)

以下は第8回救う会テレビの概要です。西岡力救う会会長からの報告です。5
月25日に収録されたもので、救う会ホームページで動画を見ることができます。


■「救う会TV」第8回「北朝鮮拉致の全体像-世界規模の拉致、4つの時期」

 みなさんごきげんよう。救う会テレビ救う会全国協議会会長の西岡力です。今
日は令和2年5月25日午後7時半です。

 今日も北朝鮮による拉致の全体像3として、前回から引き続いて1976年の
金正日の拉致指令についてお話ししたいと思います。

◆1976年に金正日が「工作員現地化教育のために教官を拉致せよ」

 前回お話ししましたけれども、1976年に金正日が「指導核心工作員を育成
せよ。その素養として工作員現地化教育のために教官を拉致せよ」という拉致指
令を1976年に出した。その結果全世界で外国人拉致が起きたという話をいた
しました。

 そのことについて証言している元工作員が6人いると言いましたけれども、前
回はここで書いた1と2で、安明進(アン・ミョンジン)さんと申平吉(シン・
ピョンギル)さんの証言を紹介いたしました。

 今日はそれに引き続いて3から6、車成根(チャ・ソングン)、金用珪(キム
・ヨンギュ)、金賢姫(キム・ヒョンヒ)、呉求鎬(オ・グホ)この4人の証言
を紹介したいと思います。

◆金正日が後継者になって拉致が多発−車成根元工作員の証言

 それではまず3人目になりますけれども車成根(チャ・ソングン)さんの証言
です。

 1967年生まれで、87年に労働党中央委員会直属政治学校、当時そう呼ば
れていたのですけども、今の金正日政治軍事大学卒業。21期生です。そして調査
部の工作員となってタイやロシアで勤務して、94年に作戦部に変わって、96
年1月、ザンビアの北朝鮮大使館に勤務してる時に韓国大使館に逃げ込んで亡命
したという人であります。

 2004年に私がソウルで車さんにあったのですが、そこで金正日の拉致指令
に関してこのような話を聞きました。

「75年、金正日が後継者となった後、75年から81年まで、対南事業につい
ては金正日の「唯一指導体制」になると多くの変化が起きた。83年にラングー
ン事件、87年に金賢姫(の大韓航空機爆破)事件が起きた。このころ拉致が多
発した」という話をしていました。金正日が後継者になって拉致が多発したとい
う話ですね。

 車成根(チャ・ソングン)さんについては、実は本人が拉致をしたのではない
のですが、あることが契機になって日本に潜入して拉致をした。先輩から話を聞
いたということがありまして、それは大変興味深い証言だったのですが、それは
今後拉致のの類型などをお話しするときにお話したいと思います。

◆縁故者利用の工作は中止に−金用珪元工作員の証言

 そして4番目の金用珪(キム・ヨンギュ)さんですね。前回もちょっと言いま
したけども、この本(『金日成の秘密教示』)の著者、金東赫(キム・ドンヒョ
ク)というのはペンネームで、本名は金用珪(キム・ヨンギュ)さんですけども、
この人からいろんな話をたくさん聞いています。

 その中で、金正日の拉致指令に関する話について紹介いたします。まずですね、
「1976年初めの金正日の演説を直接は聞いていないが、後に内容を聞いたこ
とがあります。現地化教育をしろというのを聞きました」。

 76年の9月に亡命してるわけですけど、その年の初めに金正日が新しい工作
の方針について演説をしたわけですね。実はですね金正日の新しい方針の結果、
古い部類の工作員に分類されてしまったのがこの金用珪(キム・ヨンギュ)さん
で、これは前回も言いましたけれども、韓国出身の人で縁故者がいるわけです。

 (金正日が)「縁故者がいる工作員はダメだ」と言った。整理の対象になった
ということが、この金用珪さんが亡命した一つの動機なんですけど、彼はその幹
部だったんですが、その幹部会議に呼ばれなかったのですね。そこから疎外され
ていったということになるわけです。

 もう一つですね、金用珪さんがこういうように言っていました。70年代中盤
より前までは日本人拉致工作にそれほど神経を使うことがなかった。60年代は
対南工作の成功率がとても高かったです。北の工作員が南の縁故地に侵入するの
で成功率が高く、あえて日本を通じて行う必要がなかったのです」

 これは自分が成功したっていうことを言ってるわけですね。その後ですね金正
日は対南事業に対する集中検閲を断行して、「50年代以来これまでの対南事業
の成果はゼロ、零点だ」としました。同じ表現で言いますね。

「そして工作機関を自分の直属体系に入れ替えした後、対南事業を推進しようと
しました。ところが歳月が流れたので南出身工作員の源泉が枯渇し、仕方なく日
本を通じた迂回侵入工作に比重を高めるしかなくなったのです。それで日本を対
象にした色々な工作をしたので、(日本人)拉致工作に神経を使うようになった
のです」。

「ですから70年代中盤以降に日本人拉致工作が多くなされました。それ以前も
たまにあったのかもしれないが、その頃は日本人拉致工作が実際あったという話
はあまり聞いたことがなかったです。70年代中盤から向こうにいるときに、日
本人拉致の話を時々聞きました」という話をしています。

◆呉求鎬教官がおれが拉致の元祖だ−安明進元工作員の証言

 そして5番目金賢姫(キム・ヒョンヒ)さんについてはちょっと後にまわしま
して、6番目の呉求鎬(オ・グホ)教官の証言をまず紹介いたします。

 この人はですね実は亡命してなくて、安明進(アン・ミョンジン)さんが金正
日政治軍事大学で教わった教官なんですが、この人の話を詳しく覚えていたので、
独立した証言として紹介いたします。

 実は日本人拉致を行った作戦部の連絡所、清津(チョンジン)連絡所というと
ころがありまして、これが日本担当だったのですけども、めぐみさん達も拉致さ
れて、清津連絡所に連れて行かれていますけども、そこでですね1961年から
62年頃から、22、3年間日本担当で工作員、工作員の上に方向長っていうの
があって、その上に党書記があるのですけども、そこで勤務してそして叩き上げ
の工作員として金日政治軍事大学の教官になって航海講座を担当した。

 91年、安明進が第5学年の時ですね。航海の講義中に、呉求鎬教官と次のよ
うなやり取りがあったと。実はその前の時間に金正日の拉致指令ついて習ってい
て、その話題になったと。

 学生は呉教官が清津連絡所に長くいたことを知っていて質問した。「呉教官も
日本人何人か連れて来ましたよね」。呉教官は。「おれが元祖だ。おれがいる時
たくさんやった。ここ(金正日政治軍事大学)にいる日本人はみな知っている」。

「金正日同志の指示が出てからしたのではないですか」。

「金正日同志の南朝鮮革命史の業績を記録するためにそのようにいっているもの
で、その前から拉致は必要に応じてやっていた。おれが拉致したときは木船だっ
た。昔々のことだった」と言ってるのですね。

 そしてこの後、60年代に能登半島に侵入して、漁船に乗っていた漁民を拉致
した話をするのですが、これが寺越事件と一致するのですけども、これについて
もまた後日紹介したいと思っています。

 先ほどのあの金用珪さんは、70年代の工作員として、70年代半ば以前、金
正日以前拉致について、「あまり聞いたことなかった」って言ってましたけど、
しかし呉求鎬さんは、「俺が元祖だ」と言って、「金正日の拉致指令前も拉致は
あったのだ」と言ってるわけですね。

 では具体的には何なのかというと、寺越事件をあげてるいうことですけれども、
これも興味深い証言であります。ただしこの呉求鎬(オグホ)さんも、金正日同
志の指示があったことを認めているわけです。

◆偽装しやすいので特に日本人を狙った−金賢姫元工作員の証言

 それでは次にですね、金賢姫(キム・ヒョンヒ)さんの証言ですね。有名な大
韓機爆破事件の犯人で、田口八重子さんから日本人化教育を受けた人ですし、
「横田めぐみさんにも会ったことがある」と証言している人でありますよね。

 実は金賢姫さんには私がソウルで長いインタビューをしていて、家族会・救う
会・拉致議連主催の国際セミナーでそのビデオを公開しているのですけども、そ
の一部を持ってきましたのでその映像を見てもらいたいと思います。

西岡 1976年の金正日の工作員の現地化命令、そしてその後77年、78年
に全世界で拉致は起きたのですね。

金賢姫 はい。

西岡 そして金賢姫さんは80年に平壌外国語大学の日本語学科の学生をやって
るときに党に召喚されたのですが、1期生だということで。

金賢姫 はい。

西岡 ではいつまで。そのことについてまず聞きます。全体の事を聞きたいので、
知ってることをお話ししてください。

金賢姫 そうですね70年後半から金正日が対南工作部門を直接に担当して指揮
しました。そうしながら担当してる前に活動をしたことを点検してみると、成果
が少ないと。こうじゃいけない。なんとか画期的な対策をたてなくちゃいけない、
と言いながら、そのためにはまあ外国人を利用しなさいと、現地化教育はそれも
含めてね、それしなさいという方針ね、教えがあったらしいんです。

 その時に80年後半になって日本人を初め全世界から。

西岡 80年じゃなく70年後半ですね。

金賢姫 70年代後半から全世界から拉致が行われましたけど、特に日本人が多
いですよね。それは地理的にも近いし、それから近いから拉致しやすいし、それ
からまた北朝鮮が偽装するのに顔とか何か似ていますからね。偽装しやすいんで
すからね。特に日本人を狙ったと思います。

 でもそれ以外にも中国人東南アジアからも拉致しましたけど、主にその時に集
中的に本格的に拉致が行われました。金正日が74年に後継者になって、そして
工作機関を点検して、「外国人を使いなさい、現地化をしなさい」という命令を
出したということを。

西岡 いつ、だれから聞きましたか

金賢姫 それは幹部達から(聞きました)。私が工作員になってから。幹部達か
ら。それはもう幹部達からちょくちょく聞きました。それで私が工作員に選ばれ
たことも日本語科に通っていたし、日本人化するためには必要でしょう。それで
私が選ばれてその一期でした。

西岡 ここまでにしておきます。(金賢費証言を整理します)。

 70年代後半から金正日が対南工作を直接担当して指揮しました。前の工作活
動を点検し、「成果が少ない」と。先ほども成果がゼロだとかそういう話がずっ
と出てきましたけども重なりますね。

「画期的な対策を立てなければならない。そのために外国人を利用しなさい」。
現地化教育を含めた方針が立てられたようです。彼女は70年代後半にはいません
でしたから伝聞形で言ってるのです。

 そして70年代後半に、日本人を初め全世界から拉致が行われました。特に日
本人が多い。それは地理的にも近いので拉致しやすいし、北朝鮮の人が偽装する
のに顔などが似ている。と。それ以外にも中国人、東南アジア、ヨーロッパから
も拉致しましたけども、主にこの時に集中的に本格的に拉致が行われました。

 私が工作員になってから幹部たちからよく聞きました。私が工作員に選ばれた
ことも日本人化するため必要でしょう、と。彼女は平壌外国語大学の日本語学科
の学生だったのです。それで日本人化教育の一期生として選ばれた、ということ
であります

 今日は4人の元工作員の証言から、1976年に金正日が、工作員の現地化教育の
ために外国人を拉致しろという命令を下したということがよくわかるということ
についてお話いたしました。

 今日はこのくらいにしておきます。

 ありがとうございました。

以上


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