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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

訪米報告と米大統領面会報告、最新情勢報告2(2019/06/11)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2019.06.11)

■訪米報告と米大統領面会報告、最新情勢報告2

◆政府が全署名用紙を保管、大集会で積上げ

西岡 政府が、私たちが1997年(平成9年)から集めてきた署名を倉庫にき
ちんと保管していて、日本政府宛の署名は色々なものがあると思いますが、それ
らと一緒になっておらず、拉致だけの署名用紙が倉庫にあることが分かり、国民
大集会で積上げてもらいました。

 実は横田早紀江さんが、繰り返し「署名はどこに行ってしまったんでしょうか」、
「署名を体育館に全部並べて写真を撮ってほしい」とおっしゃっていたんです。
名前や住所は個人情報ですから署名用紙そのものを、政府に提出する以外の目的
で写すことは難しいのですが、探してみたら現物がすべてあるということで、こ
れだけの人が署名したということを見せたいという家族会の希望を政府に伝えた
ら、全面的に協力してくださり、業者を手配していただき、箱を並べてください
ました。

 大集会が始まる前に、家族会と特定失踪者の代表の方が署名の山の前に立ち、
(報道の方に)写真を撮っていただき、取材にコメントすることもできました。
20年以上の間に、1300万を超える国民の皆さんが署名してくださったこと
を現物で見せることができ、北朝鮮に対してもアピールできました。1300万
という数字は北朝鮮の人口の50%くらいですから大変な数字です。日本の人口
でも10%を超えています。そういうことができたことも今回の国民大集会は意
味があったと思います。その点政府に感謝しています。

◆飯塚代表が来られないなら最後までいると早紀江さん

横田 20年以上の活動の中で、1300万以上の署名を集めることができたと
いうことの裏側には、残念ながら他界された家族もおられます。当日は私の母も
身体の調子が悪くて国民大集会には欠席をするか、来ていただいた方には申し訳
ないのですが、冒頭の挨拶だけで中座をするかという選択肢を探っていたのです
が、飯塚代表が来られないことが分かりました。私は、中座することを薦めたの
ですが、「それならば私が出なければ」ということで、こういう時は母は絶対譲
らないんですが、無理をしても最後までいることにして、皆さんに感謝の気持ち
を伝えていました。

◆「条件なしで会う」ということは、言いたいことが言えるということ

西岡 昼食懇談会の時も、総理から、「条件なしで会いたい」ということについ
て、どういう意図があるのか、一定のお話をしていただきました。それは私たち
がワシントンに行って感じたこととほぼ同じでした。そこでも、政府も同じこと
を考えているんだなと強く感じました。

 「条件なしで会う」ということは、会うために米支援などはしないという意味
でもあります。過去の日本は、会うために、会話をするために米支援をするとか、
制裁を緩めることをしましたが、そういうことはしない。「条件なしで会う」と
いうことは、向こうが「拉致問題を言うな」という条件を付けてきたら、「それ
はだめだ」ということなので、こちらはこちらが言いたいことを言うということ
です。向こうが欲しいと思っている経済支援の入り口に拉致問題を置いているこ
とを最高指導者に説明することが必要だということだなと思っています。

 そういうことをアメリカに行って感じたのですが、総理の口からもそういう話
を聞いたので、考えていることは全く一緒だなと思いました。

◆トランプ大統領に、個人的な気持ちの力強さを感じた

横田 国民大集会が終わった後、5月の一番大きな山と言っていいトランプ大統
領との面会がありました。27日の午後に、2017年11月以来2回目の面会
がありました。

 今回の日程を見ても、常識的に考えると私たちと会う時間はほとんどないのに
時間を作っていただきました。これは北朝鮮にダイレクトに、日米の絆の強さ、
人権問題では日米は絶対譲らないということを確認できたことで我々は勇気づけ
られますし、北朝鮮は、拉致問題はこのままではいけないんだというところに追
い込まれたのかなと思っています。

 大統領の横には、ボルトン主席補佐官やポッテンジャーさんもおられました。
ポッテンジャーさんが一番先に入ってこられたんですが、位置の関係で私とすぐ
に目が合って、どちらが来たのか分からないくらい握手をしていただきました。
私はその場で、「力強い支援に感謝します」という言葉を伝えました。

 大統領と話をした後、ボルトンさんが私の所に寄ってきてくださって、「久し
ぶりです。また会えましたね」と言われ、私からも「ご協力ありがとうございま
す」と申し上げ、絆というか信頼感があり一枚岩だなということが実感できまし
た。

 また、トランプ大統領との懇談では、通訳を含め一人2分ということでした。
元々の予定は13時5分から30分間ということでしたが、首脳会談の時間が延
びたため、私たちの面会は13時55分からになったのですが、14時38分ま
で、43分間会っていただきました。

 飯塚代表と私と、耕一郎君と有本のお父さん、そして私の母が話しました。有
本のお父さんは結構長い話になるのですが(笑)、大統領を前にしても演説をぶっ
てしまい、政府の方々が「ちょっと」と止めている中で、やめるかなと思ったら
大統領が、「何か言いたいことがあるんだろう。何?」と聞いてくださったこと
もあって、我々の考え方や気持ちが少しでも多く伝わっただろうし、そこで事務
的に「終わりだよ」とはしないアメリカ政府の熱い心を感じることができて、そ
こは有本さんの年の功というか、大きな面会の場面でした。

西岡 (有本さんは)英文の手紙を準備していたんでしょう。大統領が「どこに
あるんだ」と言ったら、NSCの日本部長が手で振って見せたら、「俺の机の上に
置いておけ」と指示してくれたとある人から聞きました。

横田 大統領が私たちの前にいて、NSCの日本部長ジョンソンさんが席の後ろに
座っていたのですが、有本のお父さんが「手紙を日本のアメリカ大使館に渡した」
という話をした時に、トランプ大統領が「どこにあるんだ」と言われ、後ろの方
で「持っています」というジェスチャーをされたのですが、「持ってこい」とい
う話になって、まるでこづかいみたいにジョンソン部長が大統領の後ろに来て手
紙を渡したら、「これは必ず見るし机の上に置いておく」とその場で私たちに表
明してくださって、本当に心がこもったことをやってくれました。

 また、母がしゃべった時も、母はトランプ大統領に父親的な父性的な何かを感
じるとよく言うんですが、そういう温かさはいつも感じることができるからこそ、
一国のリーダーとして、父親として、この拉致問題、人権問題は絶対許さないん
だということを示してくださっているのだろうと思います。

 私が2017年9月にポッティンジャーさんと会って話したことが、その後の
国連総会でのトランプ大統領の発言につながったと思いますし、今回の限られた
面会の中で私がお伝えしたのは、トランプ大統領がメラニア夫人や娘のイバンカ
さんを愛しているように、私の父と母もめぐみを愛しているんです。ただそれが
40年間拘束され続けているために会うことができていない。この非道さを是非
分かってほしいんだ、ということをお伝えしました。

 そしたら、私の発言をそこでさえぎって、「絶対君の活動を止めてはならない。
絶対止めるな」と言ってくださって、本当に個人的な気持ちの強さというものを
感じました。

◆金正恩氏の英断を、変わったなと世界に発信できるいいチャンス

横田 母がしゃべった時も、発言をさえぎって、「めぐみにはきっと会えるよ」
と言ってくださった。本当に力強さを感じるとともに、ありがたいなと感じまし
た。

 これまでの色々な積み重ねがありましたが、例えば飛行機に乗りながら、この
行動が何につながるのだろうかと弱さに近いような心細さをいつも感じます。ア
メリカから日本に帰ってくる機内でも、今回の訪米で何か得たものがあったのだ
ろうかと毎回思います。

 しかし、それが一つひとつ、色々な人の見えない心に刺さって、2017年が
転機になって、米朝首脳会談があり、今回2回目の大統領との面会があり、補佐
官や大臣とも会うことにつながっているので、この人権問題は許さないという一
枚岩の方針は揺るがないと思っています。

 今回のニューヨークでのシンポジウムやワシントンでのセミナーでもお話した
ように、やはり金正恩委員長が人権問題を解決しなければならないんだというこ
とを改めて悟っていただいて、英断をして、自分の国も明るい未来が描けるよう
な国を作ってほしいし、人権問題を解決して今までとは変わったなと世界に発信
できるいいチャンスだと思います。そういう機会を捕えて、大英断をくだしてほ
しいと思っています。

◆繰り返し訴え続けることが政治のうねりを作る

西岡 これくらいトランプ大統領が積極的にこの問題に取組んでくださったのは、
大きく言うと2つの理由があると思います。1つ目の理由は、我々は2001年
から繰り返し訪米をしてきたのですが、その結果理解者がワシントンにかなり増
えているという手ごたえを強く感じていることです。

 2003年、小泉訪朝の後に大デリゲーションで訪米し、議員の方々もたくさ
ん来て、家族会も5、6人か、もっといたかもしれませんが、横田ご夫妻もお元
気で行った時、米上院の院内総務に会いました。

 上院議長はアメリカでは副大統領が議長になります。上院議長は議員ではない
んです。なので院内総務が実はトップで、共和党と民主党の両方に会えたのです
が、実はビーガン北朝鮮問題特別代表は、共和党の院内総務の補佐官をしていま
した。

 なので、横田拓也さんと会った時、「私はあなたのご両親に会ったことがある
んですよ」と言ってくださったわけですね。

横田 初めて来日された時、耕一郎君と私がビーガンさんと日本の大使と政府の
ビルの中で会った時ですが、先方からその話をしてくださって、「15年前に私
はフリスト院内総務の補佐官をやっていて、あなたたちのお父さん、お母さんが
やっていた活動は無駄ではないんだ」と言ってくれたわけです。

 やはり、先ほどの話につなげると、一つひとつの活動の効果は見えないんです
が、10年、15年経つと、心と心がつながって、こうした大きな政治のうねり
をつくっていくんだなと思うので、今回の訪米も強行日程だったのですが、私た
ちの言葉の力や気持ちの強さを伝えて、政治につなげていくのが民主主義の原点
だと思いますが、絶対に許さない、人権問題を解決しなければならないと言い続
けることが大事だと思います。

 今回トランプ大統領と会った時には、「言葉を武器にして戦う」ということを
言いました。「絶対にあきらめてはいけない」と言ってくれましたから、あきら
めずに、姉を初めとする全被害者を取り返すまでこの活動をやめません。絶対頑
張りたいと思います。

◆何度も会って拉致を知っているワシントンの要人たち

西岡 もう一人、政権の中枢にいるジョン・ボルトンさん。家族会・救う会が一
番先に会ったのは2003年の秋、拓也さんと哲也さん、島田副会長と行った時
で、ボルトンさんが国務省の軍縮担当次官だった。軍縮担当には核問題が含まれ
ていて、北朝鮮の非核化を担当していたという関連もあって、会ってくれたわけ
です。

 今回東京で会ったことを入れると7回会ったことになります。軍縮担当次官の
後、ブッシュ政権で国連大使になり、その後AEIというシンクタンク、そして
トランプ政権に入った。ワシントンに行く度に、時間があれば会ってくださって
います。

 「13歳の少女が拉致されているんです」という話を最初からする必要がなく、
「1年経ってこの間何があったのか言いなさい」、「今アメリカに何をしてほし
いのか言いなさい」と。1年毎に行くと、そういう話をしてくださる人が政権の
中にも外にもいる。

 今回も私が島田さんと先行した時に、何人かそういう人たちに会いました。例
えばアーミテージ元国務副長官に会いに行くと、「この間あったことを言ってく
ださい」ということで、「横田さんのご両親は今元気でやっているのか」と聞か
れました。

 マイケル・グリーンさんもブッシュ政権の時は中心にいました。そういう人た
ちに会うと、「この間のことを話してくれ」と言われる。政権が変わるとまたそ
ういう人たちが中に入る。そういう人がワシントンにかなりいるということが、
2001年から繰り返し働きかけをしてきた結果です。そして国際連携と制裁の
圧力で北朝鮮を話し合いに引き出す、というのが私たちの戦略で、その中の主要
なターゲットの一つがアメリカでした。それには一定の手ごたえを感じました。

◆我々の心に向き合って時間を作ってくださった

横田 二度目のトランプ大統領との面会の時、そういう本質的な話とは別に、舞
台裏の話です。私の後ろに哲也が座っていたんですが、30分強で一通りの話が
終わった後、トランプ大統領が退席される時、私と哲也を直線上に見て、「君た
ちは似てるね」(笑)ということを言って、「自分の目が悪くなったかと思った
よ」と。

 そういうことを温かく話をしてくださったり、また私が持っていた和服を着た
姉の写真を見て母と話して、「お母さんに似てるね」と言ってくれたりする。政
府に言われて事務的に会うのではなく、本当に我々の心に向き合って時間を作っ
てくださったんだなということがその場でも感じられました。

 日米首脳の絆があってのこととは思いますが、日米両政府に改めてお礼を申し
上げたいと思います。

◆トランプ大統領は日米連携の必要性を戦略的に理解している

西岡 これからは、今の情勢を概観して、今後私たちは何をしたらいいのかとい
うことについて、私の考えを述べさていただきます。

 アメリカがこれほど協力的な背景には、我々の2001年からの努力があった
ことがありますが、もう一つ、安倍総理とトランプ大統領との関係があることは
間違いないわけです。

 そしてトランプ大統領が父親としての心の広い愛情、あるいは人権問題につい
ての関心だけで、外国人の被害者と3年で2回も会うだろうか。金正恩委員長と
の会談では、アメリカの安全保障にとって絶対譲れない核・ミサイルを止めさせ
るために時間を作ったのに、外国人被害者の問題に3回も言及した。

 もちろん私たちの働きかけや安倍総理の働きかけもありますが、その背景には
北朝鮮問題を解決するためには日米が同じ足並みでいかなければだめなんだとい
うことを、トランプ大統領も戦略的に理解しているからだと思います。

 そしてこれは安倍外交の大きな勝利で、ここまで持ってくることができたとい
うことは大きく評価していいと思っています。

◆プルトニウム原子炉を止めてみせ、濃縮ウランを作っていた北朝鮮

 そのことをこれからお話したいのですが、そのことを考えるために比較をした
いと思います。

 私はこれまで、拉致問題のチャンスは過去に2回あった、3回目は必ず来ると
言ってきました。1回目は金丸訪朝(1990年)以降、クリントン政権が第一
次核危機で爆撃を考えるということになった時に、金日成・カーターの会談があ
り、ジュネーブ合意ができた。北朝鮮がプルトニウムを作る原子炉を止めたんで
す。国際的な圧力の結果、大きな譲歩があった時です。

 2回目は2002年の小泉訪朝の時です。その時と今とどう共通して、どう違っ
ているのか。

 私は拉致問題解決のためには、北朝鮮が追い込まれて話し合いに出ざるを得な
くなる状況を作ること、そして日本政府がすべての被害者を取り戻す体制になっ
ていることです。その2つが必要だとずっと言ってきました。

 1回目のチャンス、金丸訪朝と第一次核危機の時は、今と同じように、核問題
でアメリカが北朝鮮に強い圧力をかけた。その時北朝鮮は日本に接近してきたわ
けです。しかし、金丸訪朝では拉致問題は議題にもならなかった。

 では日本政府は日本人が拉致されていることを知らなかったのか。金丸訪朝の
2年前に梶山(静六)答弁があったわけです。国会で、国家公安委員長が、「北
朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と言ったのに、与党と野党の最高幹部が北朝
鮮のトップに会って、拉致問題を議題にしなかった。

 曽我ひとみさんは北朝鮮で、金丸さんたちが来たことをテレビで見ていた。
「白旗を挙げて来た」と言っていたそうですが、その時心の中で、「日本の政治
家が来てくれたのだから私のことが議題になっているのではないかと思った」と。
多分、横田めぐみさんも有本恵子さんも、みんな同じだったと思います。

 その時チャンスがあったのに、こちらが議題にしなかった。世論がなければ日
本政府は動かないんだということで、運動をしようというのが我々の動機でした。

 その時アメリカは核を優先したわけです。アメリカは爆撃の準備もしていたん
ですが、かなり大きな被害が出るだろうというシミュレーションもあり、金泳山
大統領が今の文在寅大統領と同じように、「自分が了承しないのにアメリカは戦
争をすることができない。俺は反対だ」と公然と言っていたわけです。

 そういう中で、日本から多額のお金が北朝鮮に行っていた。朝鮮総連の資金で
すが、年間1800億円から2000億円です。当時まだ救う会はなく、現代コ
リア研究所として問題提起をしました。警察も税務署も動いて、お金を止める動
きをみせた。

 そしてアメリカが爆撃の準備をした。外貨源を断つということと、軍事的圧力
がかかったら金日成が出てきた。1986年に臨界に達していて、その後プルト
ニウムを作り始めていました。

 冷戦が終わったから北朝鮮は核開発を始めたのではない。86年には臨界に達
していたんです。その前からプルトニウムを作っていたんです。自衛のためでは
なく、韓国を赤化することが主たる目的ですが、とにかくせっかく作っていたも
のを止めたんです。

 原子炉を止めるから爆撃は待ってくれと言って、話し合いがついた。その時拉
致はどういう扱いだったか。何も動かなかった。北朝鮮をせっかく追い込んだの
に、アメリカが核で追い込んだ時に、日本が問題提起をしなかったから拉致問題
は取引きの中に入らなかった。しかし、日本に接近してきた。

 北朝鮮はただでは譲歩しないんです。圧力をかけられれば譲歩しますが、その
代り見返りを要求します。その見返りは、KEDOというものを作って、ただで
原爆を作りにくい原子力発電所を作った。

 軽水炉というものですが、それに45億ドルかかる。韓国に30億ドル出せと
言ったら韓国は出すと。日本に10億ドル出せと言ったら、当時の村山政権は出
すと言った。あと5億ドルはEUなどが出した。アメリカは出さない。

 今回アメリカで確認したんですが、全体主義政権に対してはアメリカは大規模
な支援は出せないんです。予算を決める権限は議会が持っている。日本では予算
案は政府が国会に提出しますが、アメリカではそうではなく、予算は議員に頼ん
で出してもらう。そういうこともあって、当時のクリントン政権も自分でまとめ
たのにお金は出せなかった。

 それで日本に請求書が来たわけですが、10億ドル出すと言って、実際は5億
ドル出した。しかし、その時の条件に拉致問題は入っていなかった。

 そして北朝鮮は、プルトニウムを作る原子炉は止めていたのですが、そして軽
水炉の工事が進んでいたんですが、北朝鮮はもう一つの原爆の材料である濃縮ウ
ラニウムを作っていた。北朝鮮にはウラニウム鉱山があり豊富な埋蔵量がありま
す。

 そのウラニウムを濃縮する技術を北朝鮮は持っていなかったのですが、パキス
タンからそれを導入した。アメリカと合意して核開発凍結、代わりに軽水炉を作
らせるということをやりながら、裏で濃縮ウラニウムを作っていた。

 濃縮ウラニウムを作るには原子炉はいらないんです。遠心分離機を回せばいい。
電気さえあればできますから、地下でできるわけです。ですから核についても実
はだまされていたんです。

 日本にとっては、そのだまされていた合意に拉致は入っていない。しかし、お
金の請求書は来た。そういう関係でした。

(3につづく)



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