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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

北朝鮮は世界の拉致被害者をすぐに返せ!国際セミナー報告7(2014/03/13)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2014.03.13)

■北朝鮮は世界の拉致被害者をすぐに返せ!国際セミナー報告7

<通訳=海老原智治>

◆国際社会が極めて深い関心を払っていることが大きな励まし

パンジョイ 日本の皆様、私がこのような場に来るようになってから早8年にな
ります。8年もの間、私たちの家族を忘れることなく、皆様がこのような場に招
待してくださっていることに改めて感謝申し上げたいと思います。

 アノチャー・パンジョイは1978年に拉致されました。それから全く消息を
聞くことがないまま、私たち家族は2006年まで待たざるをえませんでした。

 2006年に突然私たちはアノチャー・パンジョイの消息に触れることになり
ました。1978年に叔母が拉致されたことが分かり、私たち家族は本当に悲し
みにうちひしがれて、悲しい時を過ごさざるを得ませんでした。

 アノチャーの父、私の祖父ですが、91歳で亡くなりましたが、ずっと帰りを
待ち続けていました。2006年にアノチャーの消息がもたらされましたが、ア
ノチャーの父は、そのわずか3か月前にこの世を去ることになりました。

 昨年9月のことですが、国連の調査委員会がタイに来て、私は調査委員会に招
かれて、国連ビルの中で極めて詳細な面接を受ける機会を得ました。国連調査委
の面接を受けて、私たちは国際社会が私たちの件で極めて深い関心を払っている
ことに大きな励ましを受けました。このような報告が出たことを聞き、これだけ
の肉付けを国連からいただいたことが、叔母の北朝鮮からの帰国、他の国の拉致
被害者の皆様全員の帰国に大きな足掛かりになったのではと考えています。

 今日はこのセミナーの前に、国際拉致解決連合と支援団体の会合を行いました。
そこで我々は結束を新たにしてこの問題に当たることになったことも我々家族の
期待を高めることになりました。

 今日この場で、国際拉致解決連合としての強いメッセージを北朝鮮に送ること
により、北朝鮮に拉致被害者が存在していること、拉致を行ったことを認めさせ
る強いきっかけになればと願っています。

 私はこのような場に来させていただいて8年になると申しましたが、この8年
の間、待たされている家族も、また北朝鮮で待っている被害者も歳を重ねていま
す。

 叔母のアノチャー・パンジョイに一番近しい親族でタイにいるのは、アノチャー
の実の兄で、私の父であるスカム・パンジョイです。父は今動けない状態にあり
ます。そんな中で、一日も早く妹に会いたいと毎日のように言っています。

 そのような中で私たち家族が頼れるところがどこなのかといいますと、これは
まさに日本と韓国であると言わざるをえません。ではタイはどうなのか。タイ政
府は私たちのことなど、拉致被害者は私の叔母一名だということもあり、要する
に国民たった一名のことなんだということです。

 私たち家族は、タイにおいて首相に申立書を送ったり、外相に面会を要請した
り、外務省の関係の人に会って陳情したりということを続けてきたわけですが、
その中で示された政府の対応、今もってきちんとした回答が政府から来たことは
ありません。

 外相は会うこともあれば会わないこともあって、要するに私たちの問題を大き
な問題ととらえていないということです。タイがそのような状況である中で、私
たち家族は、今回の国連報告書がこのような形で出てきたこと、そしてそれを受
けた集会が東京でこのように開かれ、こんなに皆さんにお集まりいただいて、家
族会の方々もこれだけ集まって、メッセージを発することができるようになり、
これは拉致の解決と帰国に本当に大きな励ましです。

 今日このような機会にお招きいただきましたことに改めて心から御礼申し上げ
ます(拍手)。

櫻井よしこ パンジョイさんありがとうございました。今のお話を聞くにつれ、
本当に日本国民がこの問題の最前線に立って戦うことがどれほど大きな意味を持っ
ているのかということを改めて分かりました。パンジョイさんありがとうござい
ました(拍手)。

 次は、ルーマニアのドイナ・ブンベアさんが1978年にローマで拉致されて
います。この方は拉致されて、北朝鮮で脱走したアメリカ兵の妻となって、曽我
さんたちと一緒に暮らしていました。

 ドイナさんは97年に亡くなられました。息子さんの一人にガブリエルと名前
をつけていたそうです。このドイナ・ブンベアさんの弟さんが、本来今日ここに
ルーマニアからいらっしゃる予定だったんですが、何かご都合で飛行機に乗れな
かったということでここに参加できていません。

 そこで島田さんにガブリエル・ブンベアさん、弟さんのメッセージを紹介して
いただきたいと思います。

 そのあとに、アメリカのデヴィド・スネドンさん、この方は北朝鮮によって拉
致された可能性が強く、ご両親などが日本に来られましたし、中国にも足を運ん
で、デヴィド・スネドンさんが姿を消したルートを歩いて、レポートを書いたり
しておられます。このスネドンさん一家からのメッセージも島田さんにお願いし
ます。

<代読=島田洋一救う会副会長>
※以下はメッセージの全文です。

◆孫たちに会うために母は生きている

 1978年に北朝鮮に拉致された画家だったドイナ・ブムベアの弟のガブリエ
ル・ブムベアです。
日本、韓国、タイ、アメリカの皆様、そして同じ苦しみを味わっている兄弟の皆様、こんにちは。

 時と予見しえない事が起きて、今回は東京に来ることができませんでした。皆
様と一緒に2014年3月3日に、この歴史的な集まりに参加できない事をとて
も残念に思っています。

 今年は姉ドイナ・ブムベアがイタリアのロ―マから行方不明になって、ちょう
ど36年が経ちます。姉はとても魅力的な東京での有名な画廊の仕事の誘いを受
けて、1978年にイタリア国籍の男性と一緒に、イタリアから東京へと出発し
ましたが、しかし東京には到着せず、その代わりに平壌の収容所に連れていかれ
ました。

 北朝鮮の工作員のよく考え抜いた、巧みな策略でした。そこでスターリンの共
産主義を暗記させられました。洗脳の効果がないと北朝鮮の工作員やその指導者
達に罰せられました。こんな悪魔的な計画を仕組んだのは金日成であり、そして
継続したのは金正日と金正恩です。

 北朝鮮に捕われた方法は、いまだに謎のままです。ルーマニアの政府高官たち
はルーマニア女性に何が起きたのか、調査を怠っています。政府はまだ平壌にこ
の件について公的な調査や事実の確認を申し入れていません。わたしが日々感じ
るのはルーマニア政府の無関心さと北朝鮮に対する恐怖心です。

 80年代の初めごろ、姉は強制的にジョー・ジェイムズ・ドレスノクというア
メリカの脱走兵と同棲させられました。その結果、二人の息子が生まれました。
リカルド・ドレスノク、1981年12月生れと、ガブリエル・ドレスノク、1
983年2月生れです。1996年の半ば、姉が肺癌であることが分かって、数
か月後の1997年1月に平壌で亡くなりました。47歳でした。これらの痛ま
しい事実をチャールズ・ジェンキンスさんとその妻、曽我ひとみさんから聞きま
した。お二人は素晴らしいご夫婦で、長い年月を北朝鮮で厳しい監禁生活を送っ
ていました。そして私の姉と同じ建物に住んでいました。

 2007年4月に、日本のNGO救う会と家族会、そして日本政府の計らいで
私はチャールズ・ジェンキンスさんと曽我ひとみさんとに会うことができて、そ
の時に姉は北朝鮮でどのように生きたか、子どもたちはどうだったのか、姉がど
のように死んだのかと色々聞く事ができました。

 まだはっきりしないでき事や、状況はありますが、いつか神がすべてを明らか
にしてくれることを願っています。わたしの母は数年前から病気で苦しんでいま
す。孫たちを抱きしめたいという思いが生きがいになっています。孫たちは娘と
の唯一のつながりだからです。この特別な瞬間のために母は生きています。これ
は母の最後の願いです。

 2か月前にわたしの兄でブムベア・ミルチャ、ドイナ・ブムベアの弟が亡くな
りました。だからこの問題を解決する責任が私に残されています。

 最近の北朝鮮と韓国の政治と軍事的な紛争、また、平壌政府が韓国やアメリカ
そしてこの両国を支持しているその他の国に対する好戦的な態度等から地域戦争
勃発の可能性が益々高くなっています。

 どんなハイテクな武器を使うにせよ、人の命が失われることは確実です。わた
したちは皆、戦争の恐ろしさをよく知っています、そしてこんなに恐ろしい武器
の乱用が招く結果もよく知っています。

 反感を招く言葉かもしれませんが、戦争だけが北朝鮮の政治、経済や社会に変
化をもたらすことができるとわたしは思っています。皆さんも知っての通り、あ
らゆる外交手段や友好的、また平和的な方法が試みられてきましたが、すべて失
敗に終わりました。どんな違った国や国民、民族でさえも、色々な問題を解決で
きる可能性はありますが、北朝鮮とだけはそれができないのです。非常識的なも
のが常識的になることや、二つに分裂している国が一つになることや、共産党ス
ターリン主義とそれが招いた悲惨なでき事がなくなって、新しい民主的な政治と
安定した経済に変わることが一体あるのでしょうか。

 ルーマニア国民の私も含めて、皆平和を愛する国民です。わたしたちルーマニ
ア人は紛争を支持していません。極東の人々と同じ思いでいます。北朝鮮の軍事
的な脅しに各国が国際的に協調し合って圧力を強めることによって、長期的な和
平問題の解決にたどり着くことを願っています。

 そして私たちの拉致された、愛する家族との再会を願って、北朝鮮が停戦協定
後に起こした全ての問題と過ちえお解決する事を望みます。わたしはこの国と近
隣諸国との問題の解決を歴史的な瞬間の目撃証人になりたいです。どんな方法を
使うにせよ、問題を前向きに解決できたとしたら、同じ問題を抱えている国の手
本と希望になれると思います。

 今回の第3回国際拉致解決連合を通して日本のNGOや韓国、タイの皆さんが
集まって、この決議を通して拉致問題を早く解決してほしいと願っています。皆
さんとご一緒できませんが私は全ての決議案に賛同いたします。わたしの心と願
いは皆さんと一緒です。

 この手紙の最後に、わたしは平壌政権に拉致され、囚われの身になり、拷問を
受けた、愛する皆さんの家族と再会できる事を強く願っています。
冷静に注意深く聞いてくださった皆さんに深く感謝します。

ガブリエル・ブムベア ルーマニア(拍手)

島田 ドイナさんは肺癌ということですが、例えば曽我ひとみさんが帰ってこら
れた時肺癌が見つかったわけですが、日本の優れた医療のおかげて治療が成功し、
ピンピンしておられます。

 だからドイナさんもイタリアにいれば47歳という年齢で亡くなることはなかっ
たと思います。その意味で、拉致されたがゆえに早世したと言えることだと思い
ます。

 次にジェームズ・スネドンさんからのメッセージです。スネドン家の方は、3
月17日のジュネーブにおける会議に、長男のマイケル・スネドン氏、彼はミュ
ンヘンで仕事をしていますが、会議にかけつけてヒューマン・ライツ・ウォッチ
の集会、これは飯塚さんも参加されますが、そして人権理事会の本会議にも出る
とのことで、両方の主催者から許可をもらって参加するとの連絡が来ています。

 ちなみにスネドンさんの失踪は2004年8月で当時24歳でした。

(8につづく)


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