救う会全国協議会

〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
TEL:03-3946-5780 FAX:03-3946-5784 info@sukuukai.jp

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

金賢姫氏ビデオメッセージ?国際セミナー4(2012/12/20)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2012.12.20-2)

◆金賢姫証言の2か月後に日本政府も拉致を認めた

西岡 日本政府が、最初に日本人が拉致されていることを国会で明らかにしたの
は1988年3月でした。金さんの記者会見の2か月後です。それがなかったら、蓮池
さんたちもまだ帰ってこれてないと思います。

金 そうですね。2002年に小泉総理が北朝鮮に言って、金正日に会いましたよね。
拉致を認めてなかったけどそれを認めたことが大きな発展だと思います。もちろ
ん北朝鮮側がお金を狙っていたことはありますが。しかし、返すと困るので死亡
だと言った。5人は帰ってきましたよね。

西岡 それは本当に金さんのおかげだと感謝しています。

金 当り前のことです。私も田口さんと一緒に生活しながら彼女の苦痛、悩み、
それをよく知っていますからね。一生懸命私に教えてくれて。私の日本語の先生
でしたから。

西岡 そしてもう一つ感謝しなければならないのは、私たちは家族会を作って、
そして救う会を作ったのは1997年なんです。それはめぐみさんの拉致が明らかに
なった年です。

金 それが私は一番謝りたい。ご両親にも言いましたけど。私は知っていました
けど、当時は拉致に関心がなかったんです。そして田口さんを探すのも本当に時
間がかかりました。

 めぐみさんは名前も知らないし。そして金淑姫に誘われて、秘かに自由主義し
て会ったんですから。淑姫やめぐみさんが処罰されるかもしれないので、あれは
忘れてしまったんです。言わないと心の中で思って。

 ところが97年からニュースに出たりしました。ああ、私が知っている人だな、
と。何か言いたいし、明らかにしたかったけど、機会がなかったんです。韓国は
左派政権になって私はいじめられ。

西岡 私たちは97年からですが、金さんが本を出したのは91年でしたね。その後
の6年間、私たちが探さなければいけないのに、田口さんを探す先頭に立ってい
ただいたことも感謝しています。

 「田口八重子さんが金正日の秘密パーティに言ったと聞いた」、「そこに日本
人の夫婦もいたと聞いた」と本にありますが。

金 ええ、書きましたが、正確には分からないんです。その時は(田口さんが)
酔ってうっかりして言った。後で聞いたこともなかったし。

◆金正日の秘密と工作機関を知っている人は返せない

西岡 でも一番の秘密で、そういうことを言っちゃいけないんでしょう。
金 後で聞いたことはありません。

西岡 私は、田口さんが帰ってこない理由の一つは、金正日のプライベートな生
活を知っているからですね。
金 北朝鮮ではあれが一番重要なことです。第1の秘密ですから。

西岡 第2が工作ですか。
金 工作です。

西岡 金正日の秘密を知っている人はなかなか帰せないですね。
金 今は金正日は死にました。だからちょっと余裕があるんじゃないかと思いま
す。

西岡 私たちもそう思って希望を持っています。金正恩が拉致を命令したわけで
はないし。
金 責任感が違いますよね。

◆フランス人拉致被害者の写真を見た

西岡 それからフランス人のことについて聞きたいんですが、本の中で、「フラ
ンス人がいるという話を聞いた」と。

金 話も聞きましたし、写真も見ました。

西岡 それは初めてですね。いつ、どこで。

金 私が東北里2号特閣招待所に泊まっていた時、まかないのおばさんが、フラ
ンス人の女性が前に泊まっていた、と。最初北朝鮮に来た時には、男の工作員に
誘われて恋愛するみたいになって来ましたが、突然その男が消えて、幹部たちが
来た時、「その男を出しなさい」と抗議した時なぐられたこともあると。涙をポ
ロポロ流しながら泣いたりしたと言いながら、写真を見せてくれました。

西岡 おばさんたちが写真を持ってるんですか。

金 最初来た時か名節の時か、記念写真を撮ったことがあるそうです。私たちも
4月15日の名節の日(金日成誕生日)には撮ってくれます。そうでない時は写真
を撮る機会はないです。

西岡 カラー写真ですか。
金 そうです。目が青く、とても美人で。

西岡 小さな証明書のような写真。大きな写真。
金 普通の写真です。

西岡 その話を聞いたのはいつですか。
金 84年だと思います。金勝一と泊まっていた時に聞きました。

西岡 中国人の孔さんのことはもう確実ですよね。

金 孔さんとは84年、めぐみさんに会う前に中国語を教えてもらいました。本人
は言わなくても、まかないのおばさんや指導員から聞きました。あの人はマカオ
から来た、弟がいる、最初来たばかりの時はインドネシア大使館に逃げて行き、
連れてきてひどい目にあった、という話を聞きました。

 心の中では、自分から来たんじゃなく、強制的に連れてきたんじゃないかなあ
という疑いがありました。私たちを教える前に、女性3人に中国語を教えたと言っ
ていました。

 中国語を教えると、すぐ中国に送るんです。実習しやすいですから。日本は直
接行けないから困るんですが、中国に送れば現地化ができます。私がマカオから
帰ったらもうみんな結婚していました。

 めぐみさんも南朝鮮の人と結婚して娘を産んだという話も聞きました。近いと
ころにいたから、淑姫さんがめぐみさんのところに遊びに行ったんです。その時
は招待所ではなく、新婚生活をするようなところだった。納豆プッチム(朝鮮式
お好み焼)料理も作ってくれたと。

 孔さんのところには一度自由主義をして行きました。淑姫と二人で。結婚して
だんなさんもいました。

西岡 どこにいたんですか。
金 龍城(ヨンソン)招待所です。

西岡 子どもは。
金 子どもはいなかった。

西岡 最後に家族会、日本へのメッセージをお願いします。

◆家族へのメッセージ

金 70年代後半から今まで、本当に長い歳月が過ぎました。被害者家族と日本国
民が今まで力を合わせて一生懸命闘争してきましたけど、大きな成果がなくてちょっ
と疲れていると思います。

 でも最近北朝鮮では、政権も代わりましたし、また拉致問題を再調査するとい
う話も出ていますから、希望を絶対に失わないでください。

 そして北朝鮮も、被害者家族の歳が段々高くなって、いつまでも待ち続けるこ
とができないことを分かってほしいんです。

 家族のみなさんはいくら辛くても、彼らが帰ってくる日まで、最後まで希望の
ひもを放さないでください。ありがとうございます。


西岡 解説することはほとんどありませんが、めぐみさんも最初は洗脳して工作
員にするために拉致されたのかも知れなかったということですが、これは李英秀
さんの話と同じです。

 拉致の目的は教官と身分の盗用だけではなく、洗脳して(工作員として)使お
うとしたことがあったということが二人の証言から明らかになったと思います。

 様々な新しいこともありましたが、これらのことも踏まえ、第2部でどう救出
するかについて話をしたいと思います。

(つづく)


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
■野田首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
[PC]https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
[携帯]http://form1.kmail.kantei.go.jp/cgi-bin/k/iken/im/goiken.cgi

葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 野田佳彦殿

■救う会全国協議会ニュース

発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
  
■ サイト内検索 ■


■ メールニュース ■
2024/12/02
国民大集会報告4
2024/11/29
国民大集会報告3
2024/11/27
国民大集会報告2
2024/11/25
国民大集会報告1
2024/11/23
「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」決議

■過去のメールニュース■

  ■ 2024年
  ■ 2023年
  ■ 2022年
  ■ 2021年
  ■ 2020年
  ■ 2019年
  ■ 2018年
  ■ 2017年
  ■ 2016年
  ■ 2015年
  ■ 2014年
  ■ 2013年
  ■ 2012年
  ■ 2011年
  ■ 2010年
  ■ 2009年
  ■ 2008年
  ■ 2007年
  ■ 2006年
  ■ 2005年
  ■ 2004年
  ■ 2003年
  ■ 2002年
  ■ 2001年
  ■ 2000年
  ■ 1999年
■あなたにも出来る救出運動■
あなたにもできること

 ■ 映画「めぐみ」 ■ 

映画「めぐみ」

■ 書 籍 ■