救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

曽我ミヨシさんを救出するぞ!東京連続集会5(2012/11/02)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2012.11.02-2)

◆増元るみ子さん、石岡亨さんと有本恵子さんに会った

曽我 一度ですが、偶然に増元るみ子さんにお会いしています。当時私が拉致さ
れて北朝鮮に行って1か月たらずの頃だったと思いますが、革命の英雄たちを祀っ
てあるお墓が新しくできていて、それを見にいった時のことです。

 私と指導員より先に、増元るみ子さんが指導員と一緒に来ていて、偶然お墓の
真ん中あたりでばったり会いましたが、両方とも指導員がついていたので話すこ
ともなく、ただ見て通り過ぎたことがあります。

 その時には、増元さんということは分からず、日本に帰国してから写真など色
々見せてもらってるみ子さんだということが分かりました。

 あとは、何年ということは覚えていないんですが、向こうに行ってだいぶ経っ
た頃、結婚した後、石岡亨さんと有本恵子さんを、偶然に外貨ショップで身かけ
ています。

 その時、私たちのアパートで一緒に暮らしていた米兵の奥さん、シハームさん
がいました。シハームさんは、一番下の子を出産した時に、有本さんと一緒だっ
たということで、知り合い同士で、その時ちょっとだけ紹介されました。ただ頭
を下げて挨拶するくらいでした。

西岡 レバノン人のシハームさんですね。シハームさんが有本さんと、平壌産院
ですよね(はいと返事)、そこで出産が一緒だったから知っていたと。その出産
の後、どれくらい経ってからあったんですか。

曽我 1年前後だと思います。

西岡 その時、外貨ショップで偶然会って、シハームさんが有本さんと知り合い
なので話をして、曽我さんのことも紹介されたと。日本人だと紹介されたんです
か。

曽我 そうです。名前などは分からなくて。

西岡 その時、石岡さんと有本さんは子どもを連れていましたか。

曽我 いや、子どもは連れてなかったです。

西岡 二人で来ていて、曽我さんとシハームさんと偶然会って、日本語で少し話
したんですか。

曽我 私と、有本さん、石岡さんは全然話してないです。

西岡 シハームさんと有本さんがちょっと挨拶して、後であの人たちは参院で一
緒だった日本人だと聞いたと。

曽我 はい。

西岡 そして、日本で写真をみたら有本さん、石岡さんだと思った。

曽我 はい。

西岡 その時、有本です、と聞いたわけではないのですね。

曽我 聞いたことはないです。

西岡 それ以外に認定されていない被害者の人たち、荒木さんのところで作って
いるポスターにはたくさんの写真がありますが、そういう人たちに出会った、あ
るいは話を聞いたという経験はないですか。

曽我 特にないです。

西岡 向こうで、どこか他の所に日本人がいるとか、外国人がいるという話を聞
いたことはないですか。

曽我 そういう話は、風の便りには聞いていますが、どこにいて、どの国の人と
かは分からないです。

◆停電で寒かった冬、トイレも凍る

西岡 家族会の人たちの感想も述べてもらいたいので、最後の質問ですが、家族
や我々の関心としても、向こうに行っている人たちの具体的な生活がどうなのか、
衣食住について、あるいはどのように監視されているのか。特に最初の招待所に
いた時には工作機関の中にいたわけで、めぐみさんたちが今もいると思われる招
待所の生活ですね、そういう生活の物質的な面と、統制がどうだったのかという
ことについて少し教えてください。

曽我 食料は、結婚する以前は全部配給でもらっていました。結婚する前までは、
食事を作ってくれるおばさんがいましたので、自分たちで買い物に行って、食料
を買って生きて作るということはありませんでした。

 結婚してからは、米と小麦粉は配給が毎月あり、その他の食料品は月に2回ほ
ど、店に行って必要なものを買っていました。それは自分たちで料理します。野
菜なんかは自給自足というか、自分たちで作って、食の足しにしていました。

西岡 着るものは。

曽我 服はぜいたくできず、月に1度お金をもらえるんですが、ほとんど食料品
に払ってしまって、子どもたちが小さい頃はミルクを買うのがとても大変でした。

西岡 お金はパックントン(兌換券)ですか。外貨ショップで使える。

曽我 はい。

西岡 外貨ショップに入れるというのは、北朝鮮の中では物質的には恵まれてい
ますよね。

曽我 そうですね。

西岡 住居はどれくらいの広さでしたか。

曽我 結婚してからは、4世帯一緒のアパートで、3階建ての大きなアパートで
した。狭くはなかったです。

西岡 何部屋あったんですか。

曽我 風呂場と台所以外に3部屋ありました。

西岡 暖房は石油のオンドルですか。

曽我 いや石炭ボイラーでお湯をわかして回すものでした。

西岡 じゃあお湯も出たんですか。

曽我 多少でます。

西岡 停電はなかったですか。

曽我 電気の停電はしょっちゅうでした。

西岡 停電するとボイラーも使えないんじゃないですか。

曽我 そうですね。

西岡 じゃあ停電した時は寒いんじゃあ。

曽我 寒いです。風呂やトイレが凍ってしまって使えないことがあります。

西岡 どのような形で監視を受けていたんですか。

曽我 週に2、3回は指導員が来て、お勉強などしました。

西岡 主体思想とか革命歴史とか。

曽我 はい。その他は見せに行く時とか、急に病気になった時とか。車が迎えに
来てくれて行ってました。

西岡 病院は915病院ですか。

曽我 最初はそうでしたが、結婚してからは平壌市内の大使館の人たちが使う病
院でした。

惠谷 南山病院ですか。

曽我 いや、そことは違います。

西岡 監視はされている。停電したり、トイレが凍るというのは日本の水準から
すれば悪いわけですが、物質的には北朝鮮社会の中ではいいということですね。
彼らの必要があって連れてきたので、それなりの暮らしをしている。北朝鮮の中
では、外交官と同じ医療というのは水準がかなり高いわけですが、自由はなかっ
たということですね。

曽我 そうです。

西岡 そういう生活を今もお母さんはさせられているのではないか。今年の12
月で81歳になられるわけですね。曽我さんの心配は介護を誰がしてくれている
んだろうかとか、そういうことですね。

曽我 はい。

西岡 曽我ミヨシという名前を、私たちはもっと、もっと思い、叫ばなければな
らないというのが今日の集会の結論です。最後に何かありますか。

曽我 今日こういう場を設けていただきまして、色々な話を聞かせていただきま
した。この話が何か参考になって明るい光が見えてくればと思っています。そし
て北朝鮮に拉致された人たちが1日も早く日本に帰ってくることを願っています。
どうもありがとうございました(拍手)。

(6につづく)

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