救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

曽我ミヨシさんを救出するぞ!東京連続集会4(2012/11/01)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2012.11.01)

■曽我ミヨシさんを救出するぞ!東京連続集会4

◆日本の調査団には「いらないことを言わないように」

西岡 その時ですね、さっきの話ですが、北朝鮮側がこのペーパー(「拉致問題
に関する事実調査チーム」と書かれた資料)を説明したんですよね。その時、あ
なたについては、「日本の現地請負業者に依頼して引渡しを受けた」と説明する
んだと。お母さんは、「現地請負業者から引き渡されていない」と説明するんだ、
と。「あなたはそれに合わせて日本側に答えなさい」というような事前教育はあっ
たんですか。

曽我 特に、事前にそういった話はありませんでした。

西岡 その時まで、お母さんは日本にいると曽我さんは思っていたわけですね。

曽我 はい。思ってました。

西岡 そしたら斎木さんから違うことを聞いた。

曽我 佐渡には父親と妹がいるけれども、母はいない、と。

西岡 そういうことを日本側から言うから準備しなさいとは北朝鮮は言わなくて、
突然それ(母はいないこと)を言われた、と。

曽我 (うなづく)

西岡 それはショックだったですね。

曽我 ショックでした。ショックと言うか、信じられない、信じたくないという
どうしようもない気持でした。

西岡 そこで、指導員とかに、「お母さんは日本にいると言ってたじゃないです
か。どうなったんですか」と聞かなかったんですか。

曽我 聞きましたけど、その時の指導員は全然違う人なので。最初は、母親は佐
渡で元気に暮らしている、と言っていたんですが、調査団が来た時に斎木さんに
言われて、私も指導員に聞いたんですけど、「分からない」と。

西岡 ああ、「分からない」と言われた。その後、今度は、「一時帰国で日本に
行きなさい」となったのですか。

曽我 はいどうです。

西岡 その時、何をしてもいいとか、どういう準備をしなさいとか、日本に行っ
たらお母さんのことを聞かれるだろうとか、事前教育はあったのですか。

曽我 別に、事前に、こうしなさい、ああしなさいということはなかたんですが、
私と蓮池さんと地村さんと5人いて、初めて日本に帰る前に会った時には……。

西岡 それいつですか。

曽我 そうですね、2週間前くらい。

西岡 でも10月15日に帰ってきて、調査団が行ったのは10月1日ですから、
その後ですよね。2週間はないかもしれませんね。

曽我 そうかもしれないです。

西岡 で、一緒になって、一緒にこういうことを言いましょうと分担をするよう
なことはあったんですか。

曽我 分担は特にはなかったんですが、「いらないことを言わないように」と。

◆めぐみさんのことは「言ってもいい」と

西岡 その時でも、帰ってきて、「めぐみさんと一緒にいました」ということは
すぐおっしゃいましたよね。めぐみさんのことは「いらないこと」じゃなかった
ということですか。

曽我 それは、「言ってもいい」と言われました。

西岡 「言ってもいい」と言われた。蓮池さんたちもめぐみさんのことは言った
んですよね。みんなそう言われてたんだ。そして最後に羽田に着かれますよね。
そこでやっぱりお母さんを探したんですね。

曽我 探しました。

西岡 佐渡に帰られても、ずっとお母さんのことを探したと聞きましたけど。

曽我 探してました。だけどこの10年間、何の情報もなく、今日まで来てしま
いました。

西岡 お母さんのことを中心に、8月12日にあったこと、そして招待所や(1
0年後の)9月17日前後の事を聞かせていただいたんですが、明確に言えるこ
とは、北朝鮮の工作員が8月12日に、お母さんと曽我さんを襲った。これはも
う体験ですから間違いないですね。

曽我 はい、間違いないです。

西岡 従って、説明責任は北朝鮮にある。一緒に襲ったんですから。一緒の被害
者について、片方は「拉致しました」と言って、片方は「知りません」という。
北朝鮮の日本に対する説明はこんなに理不尽なことだということが、具体的に今
日お話を聞いても明らかになったと私は思ってますが、そうですよね。

曽我 はい。

西岡 是非みなさんも、「未入境」と北朝鮮は一言で言ってますが、こんなにで
たらめな説明をしているんだと。「死亡」と言われた人たちについては、偽の
「遺骨」とか分かりやすい嘘がありますが、「未入境」と言われている人たちの
説明もこんなにでたらめなんだということを、まず今日、強く訴えたいと思いま
す。

 そのためにも、曽我ミヨシさんがどんな人だったのかということを私たちがイ
メージできた方がいいと思うので、曽我さんにとってお母さんとはどんな人だっ
たですか。少しお母さんの思い出を話してくれませんか。

◆やさしい母、いつも側にいてくれた母

曽我 私の母は、とても働き者でした。昼間はヒューム管で一日油まみれになり
ながら働いて、夜は笊(ざる)を作っていました。夜中までずっと笊を作って、
私たち姉妹を学校にも通わせてくれました。本当に辛いことがいっぱいあったと
思うんですが、私たちにはぐち一つこぼしたことがなくて、自分ができる範囲の
ことを少しでも私たち姉妹にしてやろうと思って、一生懸命働いていました。

 とてもやさしい母でした。そして、とても子どもが大好きな母でした。近所の
子どもたちの面倒もよく見ていました。私の一つの夢は、私も母に似て子どもが
大好きでした。だから保育師になりたいという夢を持っていましたが、佐渡の中
では、保育師になる学校もなく、私はやはり手に職をつけて一日も早く母を楽に
してあげようと思いました。

 そして、中学校を卒業して夜間高校に通いながら看護師の勉強をしました。本
当にやさしい母で、母というよりは私にとっては友だちみたいな、本当にいつも
側にいてくれて、色んな話も聞いてくれて、本当に大好きな母です。

 だからこそ、北朝鮮には入っていないと、この10年間ずっと言ってますけど、
はっきりしたことを知っているのは、北朝鮮にいる拉致をした人たちだと思いま
す。その人たちからはっきりした話を、説明を聞きたいと思います。

 そして、80過ぎた母が一日も早く佐渡に帰ってこれるように、皆さんのお力
をお借りしたいと思います。

西岡 家族会は親の世代が始めたんですが、今親の世代で運動を続けられている
のは有本さんたちと横田さんたちだけになって、飯塚さんは兄弟です。今、家族
会の主軸は兄弟になりましたが、曽我さんは娘なんです。飯塚耕一郎さんは息子
ですけど、子どもの世代が親を探すということも、今、家族ということで出てき
ているわけです。

 ミヨシさんのことについてここまでこだわってきましたが、せっかく来ていた
だきましたし、それ以外の人のことについても知っていらっしゃることがあるん
じゃないかと、色んな人たちも関心がありますので、もう少し事件のことについ
て、その後北朝鮮で他の被害者を見たり、聞いたりしたことがあったかどうかも
お話を聞きたいと思います。

◆曽我さん親子拉致は「条件拉致」か

 まず、先ほどからこだわっていた事件についてですけれど、実は私や惠谷さん
たちで、「拉致の全貌プロジェクト」というのをずっとやっていまして、拉致を
いくつかのパターンに分類をしてきました。

 まず、拉致の形態としては3つあります。遭遇拉致、条件拉致と人定拉致です。
これは我々が作った言葉です。

 遭遇拉致というのは拉致を目的にして日本に侵入してきたんではないけれども、
隠さなければいけない秘密を見られてしまった、遭遇してしまった、それで連れ
て行くというもので、典型的事件は寺越事件です。

 それに対して、拉致を目的にして日本に入ってきた、拉致指令が下って工作員
が日本に入ってきた場合に2つの形態があるんではないか、というのが我々の分
析です。

 第1が条件拉致。これは「若い男女」とか、あるいは「若い女性」など、条件
は決められているけれども、その条件に合う人なら誰でもいいという形で拉致を
したもの。その場合は、拉致をしてすぐ連れて帰る。船が待っている。

 それに対して人定拉致の場合は、日本にいる組織が、「この人が候補だ」と言っ
て選び、北に連絡してそれがOKになったら北から船が来る。船が来る時間に合
わせてその人を海岸にまで連れていく、という2つの形があるんではないかと思っ
ていました。

 曽我さんは、土曜日には家に帰っていることは分かっていることだ、と。しか
し、毎土曜日の7時に買い物に行くということは誰にも分からないし、それこそ
そのお店に行くのは久しぶりだった。その時、あの道を曽我さんが歩いていると
いうのは、事前には全く分からないことです。

 市川さん・増元さんの拉致も、初めて吹上浜にデートに行ったんです。それも、
どこにデートに行こうかと二人だけで決めることですから、その時間に海岸に行っ
ているのか、どこに行っているのか分からないわけです。どこで盛り上がるか分
からないわけですよね。

 地村さんたちが七夕で星を見に行ったのも、毎回デートのために星を見に行っ
た訳ではないんです。蓮池さんたちもデートして、海岸の人気のないところに行っ
たのは、アベックなので人に見られるところは嫌だから行ったんです。

 だから我々の仮説は、当時、1978年の夏には少なくともアベックを連れて
来いという条件拉致があったのではないか。7月から8月にかけて、富山の未遂
事件も入れると4件ありました。海岸からやられています。しかし、その時間に
海岸にいるということは、自分たちの意思で行ったのです。だから条件拉致では
ないかと思っています。

 曽我さんの拉致はアベックではなく、お母さんと二人ということがあるので、
どちらになるのかなということで、今色々と聞かせていただいたわけです。今の
議論を踏まえて、惠谷さんどうですか。

惠谷 新聞報道、あるいは別の情報で、金ミョンスクが、曽我さんが土曜日に帰
宅して日曜日に寮に帰るというスケジュールを知っていたと思っていたものです
から、これは人定拉致と思っていました。

 しかし、今のお話を聞くと、そういう話は聞いていないということです。金ミョ
ンスクが作戦決行日の1週間前くらい、あるいは何日前からいたと曽我さんに話
をしていることは確認できましたが、しかし、母親と娘という指令を出すはずも
ないので、判断に苦しむところです。話を聞くまでは人定拉致と思っていたので
すが、条件拉致の可能性が高いと思います。

西岡 私は、姉妹がけんかしていたということから、条件拉致だろうと前から思っ
ていました。一つのパターンがあって、三人の戦闘工作員と、一人の日本語がで
きる調査部の工作員が一緒に拉致するというのは、惠谷さんが明らかにしたこと
ですが、それにはぴったり合っていますね。

惠谷 金ミョンスクという女性で、日本語が多少はできるのは調査部ですね。曽
我さんの後ろから歩いてきた三人の男たちは、当時作戦部の戦闘員だと思います。
戦闘員は腕っ節が強くて、一瞬にして縛り上げて、袋に入れてかついで、船まで
連れて行く。その船の管理も戦闘員が行います。

 作戦部の戦闘員は実働部隊であって、曽我さん親子を拉致した現場指揮官は金
ミョンスクだろうと考えています。金ミョンスクは家柄がいいというか、曽我さ
んも、横田めぐみさんも彼女の家に行ったことがあるということです。
その辺のことを曽我さんにお話していただければと思います。

西岡 金ミョンスクの家に行ったことがあるんですか。

曽我 金ミョンスクの家ではなく、兄弟の家だと思います。ここに写真を貰って
いますが、この人が弟だと自分で言っていたので。

 そこでの会話は、まだその頃ほとんど朝鮮語が分からなかったので、相手がど
ういう話をしていたかは全然分からず、こっそり行きましょうということだった
ので、散歩がてらちょっと行って、座るか座らないかのうちに出てきてしまった
のです。

惠谷 補足しますと、金ミョンスクの弟は著名な、北朝鮮でも指折りのバイオリ
ニストで、曽我さんを自慢の弟の家を見せに行ったのだろうと思います。逆に言
えば、その弟の存在によって、金ミョンスクという実行犯が当局によって確認で
きたという経緯があります。

西岡 話を戻しますが、蓮池さんたちは、小住健蔵さんにさりすました朴某、工
作機関の名前はチェ・スンチョルという調査部の工作員と三人の男に拉致された。
地村さんは、辛光洙が日本語ができる案内人で、やはり三人の男に拉致されたと
言っています。一人の日本語ができ日本に潜入する工作員と、三人の戦闘員とい
うのは、帰ってきた3組が皆同じことを言っています。

 富山の未遂事件も三人と一人の組み合わせでした。四人いたということです。
四人ということしか分かっていなくて、それが誰かということは分かっていない
んですが、1985年の『週刊朝日』の報道によると、富山の事件の被害者に辛
光洙の写真を見せたら、「見覚えがある」と言ったと書いてありますが、その後
確認はとれておらず、それ以上は分かりません。

 とにかく、日本に浸透している一人と三人で、日本人二人を拉致する能力があ
るということです。

惠谷 しかも、同日に2か所で拉致している。

西岡 日本の警察は、金ミョンスクとチェ・スンチョルを国際指名手配していま
す。蓮池さん拉致では、チェ・スンチョルの上司の責任指導員も手配、地村さん
拉致は辛光洙を手配しています。

 辛光洙は、横田めぐみさんのことを、「彼女も俺がやったんだ」と曽我さんに
言ったんですよね。

曽我 その話は聞いてます。

西岡 辛光洙は実は韓国にいたわけです。2000年に金大中大統領が北に返し
てしまったんですが、それまでは我々は本当は話を聞くことができた。そうすれ
ば曽我さんたちのことも、めぐみさんのことも、地村さんたちのことも知ってい
たわけです。

 話を聞ける人間がいながら、悔しいですけれども、曽我さんのことは北が認め
るまで我々は知らなかったという経緯があります。

 ここまで曽我さんの事件について聞いてきましたが、今日は家族会の方々もお
られますし、特定失踪者のご家族でこの集会にいつも出てきてくださっている方
もいらっしゃいます。そこで、曽我さんが向こうにいた24年間の間に、タイと
レバノンとルーマニアの被害者については曽我さんの証言で明らかになったわけ
ですが、それ以外の人たちについて、どこかで会ったり、話を聞いたりというこ
とがあったかどうか、記憶をさかのぼっていただけないでしょうか。

(5につづく)



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