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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

曽我ミヨシさんを救出するぞ!東京連続集会2(2012/10/30)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2012.10.30-2)

■曽我ミヨシさんを救出するぞ!東京連続集会2

惠谷 袋をかぶせられた時は、立っていた状態ですか、寝かされていた状態です
か。覚えてないですか。

曽我 その辺は定かではありません。

惠谷 はい。大混乱していますから私もそうだと思います。曽我さんはご存知か
どうか、私が現場に行ってみたら、そこから川に出る小道があります。おそらく
そこを一人の男がかついでいったのだろうと。つまり、俊敏に行動しないと目撃
されるような時間帯だったということです。

 今もそうですが、当時は葦が水辺にはえていまして、そこに小型の船を当然待
機させていた。ところが、佐渡で色々お聞きすると、不審な船がいつも泊まって
いたというたくさんの証言がありました。それが工作船かどうか分かりませんが、
逆にそういう形で紛れ込ませて待機し、曽我さんを乗せた。

 岸から船に乗って、しばらく動かなかった。すぐに出発しなかったような証言
ですが、いかがでしょうか。

曽我 最初小さい船にそのまま置かれたというか、しばらくそこにいたような気
がします。時間がどのくらいかと言われてもよく覚えていません。その時、近く
で日本語で話している声が聞こえたのです。

惠谷 そのタイムラグは恐らくお母さんを乗せるまで待っていたんじゃないかと
私は想像しています。そしてお母さんが連れてこられて、その時に金ミョンスク
が、お母さんに何かを話したのではないかと思っています。

西岡 そこが一つの大きなポイントなんですが、曽我さんは木の船に乗せられて、
待たされていた時に、自分に対してではなくて女性が日本語をしゃべっているの
を聞いた。その発音などは日本語が母国語じゃない人だということは未だに覚え
ている。その後、金ミョンスクと船の中で話をし、清津でも話をして、その声の
持ち主が金ミョンスクだったというふうに今は思っている。それでいいんですか。

曽我 多分そうだと思います。

西岡 そこにいたのは、男の工作員三人と金ミョンスクと曽我さんとお母さんな
んですね。工作員同士話をする時は、朝鮮語を使うわけです。しかし、日本語が
聞こえた。曽我ひとみさんに話しかけたのではなかった。とするとお母さんに話
しかけていたとしか思えない。

 つまり、その段階ではお母さんも襲われていて、船のところ、近くまで来てい
て、多分母親は娘のことが一番心配でしょうから、抵抗したりしたとすると、
「静かにしなさい」というようなことを言われていたと、私はその話を最初に聞
いた時から思っていたことです。

 何かそういう感じ、何か覚えてないんですよね。

曽我 それが、どういう話をしていたかは、私も袋をかぶされたままで、ちょっ
と離れたところにいたので定かではないです。

◆たまたまお母さんと買い物に

西岡 お母さんのことを話した後、曽我さん拉致がどういう形だったのかを議論
したいと思いますが、そのためにもう1回確認しますと、買い物は夕食のおかず
を買いにいったのですか。ご飯を食べた後ですか。

曽我 まだ食べてなかったと思います。でもよく覚えてないです。

西岡 妹さんも行きたいと言ったというのは、妹さんとお母さんが二人で行くか、
曽我さんとお母さんが二人で行くかでけんかしたのか、三人で行きたいと言って、
あなたは残ってと言ったのか、どうですか。

曽我 私が母親と二人っきりで話をしたいという思いがあって、別に妹をそっち
のけにして行くという問題じゃなかったんですが、二人っきりで話をしたかった
のでちょっとけんかっぽくなって、妹は残ることになった。

西岡 というのは、毎回曽我さんが土曜日に帰ってきて、その時間に逸見商店に
買い物に行っていたわけではないですよね。

曽我 それは違います。

西岡 先ほども、初めてということでしたし、二人で行くか、三人で行くか、お
母さんと妹さんで行くかは、その時の曽我さんやお母さんの気持で決まったこと
で、事前に他の人は誰も分からなかったと言えますよね。

曽我 そうです。

西岡 では次に、小さな木の船のことで。大きさは覚えていますか。

曽我 大きさは分かりません。

西岡 少なくとも三人の戦闘工作員とミョンスクと曽我さんとお母さん6人乗っ
て、なお曽我さんにお母さんがいることを感ずかれないくらいの広さがあったか
どうかということになりますね。そこから移される時に木の船を見ませんでした
か。

曽我 袋をかぶされていたので見てません。

西岡 その船がそのまま母船に入れられたかどうかは見てないですよね。

曽我 そこも分からないです。

西岡 今までだと、ゴムボート、小船、母船と2回乗り換えるというのが常識だっ
たのですが、ここではそうじゃないですね。北朝鮮の工作船というのは、漁船に
偽装していて、船の後ろが開いて小船が出てきます。しかし、小船が港まで来る
というのはちょっと考えられなくて、小船は沖にいてゴムボートかアクアラング
などで潜入するというのが今までのパターンですね。

惠谷 通常は3段階ですが、今回の船は、地元の人が川にいつも泊まっていたと
いうのは、15メートルくらいで日よけの屋根を付けていた。釣りなどに使うよ
うな船だった。それが曽我さんが乗せられた船かどうかは分かりません。しかし、
恐らく曽我さんのケースは通常の工作母船から小船が出て、小船は沖合い1キロ
くらいのところに止める。あとはゴムボートかアクアラングで上陸するというシ
ステムです。

 曽我さんの場合は、地元に溶け込んだ小型の木の船に乗せて母船にその船を収
容したのか、あるいは曽我さんたちを母船に乗せた後、どこかに行ったのか、そ
のあたりは確認がとれません。

 曽我さんの記憶では(乗り換えは)1回ですから、母船にのせられ、翌13日
午後5時に清津に着いた。非常に高速の船です。通常は二晩かかります。もちろ
ん高速船なら一晩で着きます。曽我さんは日付付きの腕時計だったので、「はっ
きり覚えている」とおっしゃいます。

西岡 そうなんですか。

曽我 そうです。

惠谷 最新鋭の工作母船だったと思います。

西岡 母船の話に行く前に一つだけ。(78年)当時夏に襲われたのはみんなア
ベックです。曽我さんだけ親子なんです。後ろから見た時にお母さんの服装が男
性に見られるような服装だったという仮説もありえると思います。向こうは後ろ
から見ていたわけです。惠谷さんは、「お母さんは黒の作業着だった」と書いて
います。そして、「ひとみさんは白地に花柄模様のブラウスだった」。どこかの
新聞か何かに書かれています。これは正しいですか。

曽我 私はワンピースです。紺色で細かい花柄です。

西岡 ワンピースを着ていれば女性だと分かりますが、お母さんについては覚え
ていますか。

曽我 よく覚えていないんですが。

西岡 これは失踪した時のどこか、警察か何かの記録かなあ。

惠谷 申し訳ないんですが、これを作ったのは8年前なので。私も気になって服
について書いたんですが、背丈でいうとお二人が並んでどうですか。

曽我 ほとんど同じくらいか、母親の方が少し小さいと思います。

惠谷 私はカップルを狙ったというよりは別の指示があったのではないかと思っ
ていますがはっきりとは分かりません。

西岡 お母さんは普通家にいる時はズボンですか、スカートをはいていましたか。

曽我 けっこうズボンの方が多かったです。

西岡 髪は長かったですか、ショートヘアーですか。

曽我 短いです。

西岡 ズボンをはいていて、髪が短くて暗いと、アベックに見えた可能性もゼロ
ではない。後ろから見て。まあなんともいえないんですが。

惠谷 今通りかかったアベックのカップルを拉致したという状況ではなかったと
いう気がします。これは全く私の推測です。

西岡 小船にいた時は袋に入れられていて、その近くにお母さんがいた気配は全
然しなかったということですね。

曽我 感じませんでした。

西岡 船が出る前に聞いた日本語の話だけですね。

曽我 はい。

西岡 そして沖に行って母船に乗り換えさせられた。そしてどういう所に入れら
れたのですか。

曽我 船の中の個室です。

西岡 上から入れたのですか、横からですか。

曽我 横から。

西岡 じゃあ部屋ですね。

惠谷 大きさは。立って歩けましたか。

曽我 横になるとぎりぎりくらい。斜めに寝る。立つのはできました。

西岡 扉が横についていた。

曽我 多分そうだったと思います。

西岡 扉が開いて食事が入ってきたのですか。

曽我 (扉の)下に出窓のようなものがあって、そこから入ってきます。

西岡 トイレはその部屋には。外に出て使った。

曽我 そうです。

西岡 どのくらいの部屋が船にいくつあるかということは。もう一つあれば別々
に管理ができる。工作船の構造からしてどうですか。

惠谷 工作母船であれば今横浜に展示していますが、それであれば4つくらいの
部屋は十分とれると思います。

西岡 めぐみさんは真っ暗な船倉に入れられて、コンクリートの壁をかきむしっ
たと、連れていかれた人間から間接的に聞いた情報がありますが、真っ暗だった
んですか。

曽我 夜は真っ暗でした。朝方になるとどこからともなく陽が射してくるような。
別に電気をつけたわけではなく。

西岡 入れられた時は夜だから真っ暗ですね。最初に入れられた時は袋をかぶせ
られたままですか。

曽我 そうです。

西岡 本当に怖くて大混乱だったでしょう。

曽我 はい。

西岡 お母さんのことを具体的に聞きますが、トイレを使ったりする時も、お母
さんの気配は全然なかったのですね。

曽我 母親の気配はなかったです。

(3につづく)

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