救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

「脱北者から見る拉致問題」特別集会報告2(2009/06/26)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2009.06.26-2)

6月6日に開催された特別集会の報告2です。(報告1は2009.06.19)。


金聖● KIM SEONG MIN(●=王ヘンに文、以下同じ)
まず私たち脱北者が韓国で、どのように北朝鮮民主化運動に取り組んでいるか
ということについて説明します。私が3年前にここに来た時は、1日1時間対北
放送をやっている自由北朝鮮放送の局長という肩書きだったと思います。今は1
日6時間放送しています。ボイス・オブ・アメリカや自由アジア放送などアメリ
カに本部がある対北放送よりも、日本でやっている対北放送よりも一番長い時間
放送している対北放送になりました。

放送を始めて私たちが切実に必要としたのは北朝鮮内部の情報です。そこで私
たちが作ったのが北朝鮮情報センターです。放送を始めると中国やいろいろな国
にいる脱北者から助けてほしいという連絡がきました。他の人に頼んでばかりい
られないので、私たちも脱北者救出センターという自前の組織を持ちました。そ
れぞれの放送では、黄長◎(火ヘンに華)元労働党書記、そして趙甲済元月刊朝
鮮社長、康仁徳元統一部長官、李トンボク先生などいろいろな専門家が出演して
番組を作っていますが、それだけではもったいないので本として出版しようとい
うので自由北朝鮮放送出版センターも作りました。

また、脱北者が行っている対北放送の効果があると判断したアメリカのキリス
ト教宣教団体から我々に宣教放送をやってほしいという依頼がきたのでキリスト
教宣教センターも作りました。自由北朝鮮放送の略称はFNKですが、北朝鮮に
ビラを送っている自由北朝鮮運動連合というような団体とネットワークを作り、
FNKネットワークというものを持っています。我々は今後も韓国で北朝鮮民主
化のために実質的な活動をしている団体と連合を作っていこうと思っていますし、
その連合体が日本人拉致被害者救出のためにも助けになると思っています。

3年前に日本に来たとき、増元照明事務局長と約束しました。「あなたのお姉
さんを私が連れてきてやる」と。その後日本に来て増元さんの顔を見るたびに申
し訳ない、今回も来ていいのだろうかと思いましたけれども、そうような申し訳
ないという思いでネットワークを作り活動しています。

これから、北朝鮮労働党幹部の講演テープを公開します。まず、洪◆(=榮の
木を火に)先生にテープの内容の解説をしていただきます。

洪 ◆
この録音テープはどのようなものかというと、例えば北ではほとんどの情報が
秘密なのですが、どうしても秘密にしておくことができないとか、政治的な目的
で一般人民に知らせるという時はまず党の幹部を対象にしていろいろな講演会が
行われるのだそうです。基本的には金正日体制に望ましくないような憶測が広が
るのを止めるための目的で講演会が開かれるわけですから、すべてが事実ではあ
りません。事実を元にして党員や党幹部、また人民に自信を与える目的で行われ
ます。その辺のことを考えながら聴いてください。

(北朝鮮での講演会録音テープの一部を放送)
聞いていただいたテープでは、まず、今日なぜこういった講演会を持つように
なったのかについていろいろな説明がありました。繰り返しになりますが、この
講演会は基本的には体制に望ましくないような憶測が広まるのを遮断する目的で
行うものです。党の機関紙などを通じてのものよりもっと踏み込んだ内容、そし
て何より聞く側が面白く興味が持てるような形で講演会が行われるということで
す。私が知っている限りでは、韓国のメディアでも一部公開されましたが、北が
2006年10月に核実験をやった。その後、核実験に対して世界的な反応があ
る中で、北の内部ではこれまで極秘だったから党幹部もわからない。金正日の命
令、教示によって我が共和国の核能力はどういうものなのかを党幹部に知らせよ
うという特別な教示があって行われたということです。同様の小さな講演会が行
われたには2007年8月と知られています。その録音テープを自由北朝鮮放送
が入手したわけです。そのテープを起こしたものから特に核開発に関する説明の
中で主に日本に関係するところ、また6者協議と関連して対日核危機が起きる背
景、会談の様子などを彼らはどのように説明したのか読んでお知らせします。



「日本の原発51基をミサイル攻撃すれば」

06年核実験に対する朝鮮労働党内部講演録音(日本関連部分)

張ヨンスン(朝鮮労働党中央党副部長)

(自由北朝鮮放送(www.fnkradio.com)は、第1次核実験後、金正日の特別指示で党
幹部らを対象に行われたという講演の録音テープを入手した。講演は2006年12月
以降で、この内容は日本に関する部分を抜粋したものである。)

◆抜粋部分
ブッシュが大統領の椅子に座るや否や、それまで進めていた「朝・米会談」もぶ
ち壊したではありませんか。2002年10月3日、ケリーが来る時も、我々はブッシュ
がぶち壊した「朝・米会談」の再開か、何かの意見を提起すると期待したのです。
ところが、ケリーは我々を脅し始めました。何と言ったのか。「彼らとの朝米関
係が改善されない」と、「今良くなりつつある南北関係、朝日関係も全部破綻さ
せる」、こういう形で脅したのです。

それで、対座していたわが外務省次官が、あまりにも腹立って、「オイ、核兵
器はお前らだけが持てるものか。我々も持つ権限がある。出て行け!」と追っ払っ
たのです。これもわが外務省次官が自分の考えで言ったものではありません。偉
大な将軍様が、わが外務省次官に、「なぜアメリカのやつらに、我が国に核兵器
がないとくりかえし言うのか。アメリカの奴らに核兵器がないと言うのは真実を
教えてやることではないか。どうしてアメリカの奴らに真実を教えてやるのか。
いっそ我々も持てると言ってやれ」。こういう意味のお言葉を下さったのです。
それで、わが外務省次官が堂々と、「核兵器とはお前らのみが持てるものか。我
々も持てる。出て行け」、その上に自分の意見を付け加えて、「それよりもっと
強力な武器も我々は持つ権限ある、出て行け」と言って追っ払ったのです。

ケリーは、10日間一言も言えずじっとしていて、十一日目の10月17日、「北朝
鮮が核を開発したと認めた」、とその時嘘をついたのです。なぜ嘘をついたのか。
我々の周りの国々は、我々が強くなるのを望みません。だから、我々が「核を開
発したと認めた」、と嘘をついておけば、我々の周辺の国々が一斉に我々に非難
を浴びせるだろうと思ったのです。ところが、我々の周辺の国々が一斉に、米国
に騒ぎ始めたのです。なぜか。これから情勢が悪化し戦争が勃発する場合、自分
たちの屋根に先に火が付くから…。

これはどういう意味か。仮に、アメリカの奴らがこれから情勢を悪化させ、第
2の朝鮮戦争が起きれば、我々は、米国本土、日本本土、南朝鮮を同時に攻撃し
ます。攻撃できる力があるのか。いくらでもあります。米国の本土を攻撃するに
は13,000キロあればできます。13,000キロ、衛星を発射した、これでは十二回も
攻撃してもあまります。

偉大な将軍様が、米帝国主義者などの侵略策動を看破され、「苦難の行軍」の時、
「先軍政治」で、「先軍政治」をなされながら、我々の核科学者たちを自ら育成さ
れました。わが核科学者たちは、将軍様が育成された30代、40代の青年科学者た
ちです。

わがロケット発射基地は、東海岸の海岸に添って少し上がれば咸北道花台郡の
舞水端里に我々のロケット発射基地があります。そこは何度も火の海になったこ
とがあります。そのたび、科学者らは慌てて途方に暮れたが、将軍様は、「大丈
夫だから続けろ」と。

率直に申し上げると、ロケット一発を開発するためには、あの「金策製鉄連合
企業所」のような大きな工場を、およそ50個を売ってもその金額を補填できない
ほど、それくらいの多くのお金がかかります。そのため将軍様が「苦難の行軍」の
時、胸の痛いお言葉も下さったことがあります。「工場は回らず、人民たちが飢
えているのを彼自身がよくご存知ながらも、お金がちょっと入ると、ここに全部
注ぎ込んだと…、こうやったから我々が奴らにやられなかった、そうでなかった
ら、すでにかなり前に奴らに押しつぶされたはずだ」と。「わが人民たちはこれ
を理解する時が必ずくると…」このように胸の痛いお言葉を下さったことがあり
ます。

ついに、わが科学者たちがミサイルを開発しました。去る(2006年の)7月5日
の明け方の4時、7発のミサイルを一挙に発射したのを含めて、我々は4度も発射
試験しました。一番初めに550キロを発射したのです。この情報は日本の下駄野
郎らがちょっと早く入手したのです。この野郎らが潜水艦で近づいてこっそりと
観察して、その時何と報道しまくったのか。朝鮮民主主義人民共和国がミサイル
の発射試験をした。550キロを撃った。目標に正確に命中した。そして何と言っ
たのか。半径をそのまま東に回せば、日本、大阪を攻撃できると報道したのです。

その次、今度は将軍様がより射程距離の長いミサイルを開発せよ。1,000km、
3,000kmをわが科学者たちがまた取組んで開発しました。二番目の発射試験の時、
日本チョッパリ(=豚等ひずめが二つにわれた動物=日本人が下駄をはくことか
らつけられた蔑称)野郎たちの頭越しに、わが国から3,000km離れているグアム
島、6,000km離れているハワイ、これと同じ距離の公海上に、太平洋上に、
3,000km、6,000kmの二発を発射したのです。その時まで日本チョッパリ野郎らは、
自分たちの頭越しに我々が試験発射したロケット二発が飛んで行ったのも知らず
にいました。米国の奴らが教えてやったのです。

「オイ、お前らの頭越しに共和国の試験発射したミサイル二発が飛んで行った」
と。その時、日本の奴らが何と言ったのかご存知ですか。「私たちの探知機が故
障していた」。そう言いながら、「粉を炒める日に風が強く吹いた(タイミング
が悪いことの例え)のと同じ現象だ」、と報道したのです。

このようにして開発された運搬ミサイル三つを連結して衛星を付けて、1998年
8月31日の12時07分に衛星を打ち上げたのです。ここの先生たちは皆ご存知でしょ
うが、三つのミサイルには、9つの高速機関(エンジンのこと)が入っています。
1つ当り3つずつ。この高速機関は、発射すると秒当たり8kmの速度で飛んで行く
高速機関です。

秒速8km、3,500度の熱にも耐えるこういう高速機関です。見て下さい。我々は
作る力がなくて作らなかったのではありません。今でも我々はミサイル工業をは
じめとする軍需工場を、人民のほうへ回せば、甚大な経済強国になります。しか
し、そうはできないということです。なぜ。米国野郎が我々を飲み込んでしまお
うとしている条件では、軍需工場を人民のほうに回すわけには行かないというこ
とです。それで、私たちがしきりにモノとカネを節約し、(お腹がすいたら)ベ
ルトをきつくしめようというのです。

ここにいる歳をとった先生方は、「あの人は正気なのか、朝鮮戦争直後からモ
ノとカネを節約し、ベルトをきつく締めろと言ってきて、もうこれ以上締められ
るベルトの穴もない。いったいどこまで締めろというのか」と考えるかもしれな
い。私が、ここにいる先生方に明白に申し上げられることは、祖国が統一される
日まで締めよう、ベルトに穴がなければ新たに作ってでも…。

結局、この思想は何ですか。わが将軍様は、今日のための今日を生きず、明日
のための今日を生きよう、とされているのです。われわれ現世代の基本任務は何
でしょうか。必ず統一された祖国を後代に譲ってやることではありませんか。見
て下さい。我々が良い暮らしをしたくなくて、しないわけではないということな
のです。誰のせいなのか。米帝国主義者らのためだということです。そう、米帝
国主義者らは我々と一つの空の下では生きられない、不倶戴天の敵だ、こういう
ことです。

それから、我々のミサイルは誰にも迎撃できません。今、アメリカのミサイル
専門家という人々が何を言っているのか分かりますか。「ミサイルを迎撃する方
法は三つある。一つはミサイルが発射される前に発射基地を叩きつぶすことだ。
二番目の方法は、発射されたミサイルが水平飛行する時に叩くことだが、これは
技術的に不可能だ。弾丸が弾丸をどうして撃てるのか。これは技術的に不可能だ。
三番目の方法は、ミサイルが目標に向かって下降する時、向い撃つことだが、こ
れは技術的に可能だ。だが、ミサイルが地面に落ちて被害を被るか、頭上で爆発
して被害を被るか。被害を被ることでは同じでないですか。これでも迎撃と言え
るのか」。こう言っています。絶対に迎撃できません。これを米国の地に落とせ
ば良いのです。

ですから、米国の巷に、人々の中に、わが共和国のミサイルアレルギーが蔓延
しているということです。我々がミサイル発射の試験をしたというニュースを聞
くだけで、角度がずれて彼らのところに飛んできて爆発して死ぬかと心配したあ
まり、なかった神経痛が生じ、全身にじんましんが出て、今アメリカの巷がそう
です、小さな子供が泣くのをなだめる最後の方法が、そんなに泣いたら共和国か
らミサイルが飛んでくるというと、泣いた子供も恐くて泣くのをぴたりと止める
というのです。

日本のチョッパリ野郎らを見ましょう。あそこは北海道、本州、四国、九州の
島ではありませんか。北海道から九州の南端までの日本全域を攻撃するには、
1,500kmあれば充分です。率直に申し上げると、我が国は1,500kmまで飛ぶミサイ
ルをトンネルの中で系統的に生産しています。その上、日本チョッパリらは、土
地も狭いのに、原子力発電所がかなり多いのです。51カ所あります。今、我々が、
ミサイル一発で日本の原子力発電所一つを攻撃したら、2次大戦の時、広島に落
ちて20万人も殺した原子爆弾の爆発の320倍の爆発が起きます。原子炉一つが壊
された時のことです。狭い日本の地にある50個の原子炉を我々が攻撃すると想像
してみて下さい。どれくらいの爆発が起き、どんなことが発生するだろうかを。

万一、日本チョッパリらが過去の補償もせず、あのように悪辣に居直り続けた
ら、我々は地球上から日本という国を跡形もなく消せます。だから、日本チョッ
パリらが、わがミサイルを見て喚きたてるのです。

休戦ラインに配置されている一万門あまりの砲、今アメリカの奴らが何と言う
のかご存知ですか。30分で、南朝鮮の全域が死の灰とされるというのです。1時
間 50万発の砲弾が飛んでくるといいます。50万発。

もう一度申し上げますが、アメリカの奴らが情勢を悪化させ、第2の朝鮮戦争
が勃発する場合、我々は米国本土、日本本土、南朝鮮を容赦なく同時に攻撃する
のです。だから、我々の周辺の国々の屋根の上に火が先に付くではありませんか。
そのため、我々の周辺の国々が一斉に、アメリカに喚き立てたのです。「オイ、
共和国がいつ核を開発したと認めたのか。持つ権限があると言っただけなのに、
お前らはなぜ嘘をついて、我々の屋根に先に火が付くようにするのか」と騒ぎ立
てたのです。

本来、アメリカの奴らが嘘を付いて、周辺の国々から我々を孤立させようとし
たのが、彼らの方が孤立したのではありませんか。だから、奴らが困って、2003
年の4月9日、国連の安全保障理事会で北朝鮮の核問題を審議しよう、と国連に持っ
て行ったのです。それで、4月6日、わが外務省が代弁人声明で、その時、糾弾し
たのではありませんか。「お前ら国連というものが、われわれの核問題に対して
決議案というものを紙の上に何文字かでも書いて見ろ。我々は、我々に対する宣
戦布告と見做して相応する対応策を取る」と警告しておいたのです。

4月9日、国連の安全保障理事会が開かれました。常任理事国は5か国あるでは
ありませんか。この5カ国は皆さんがご存知のように、「満場一致」の原則ではあ
りませんか。我々が、2003年4月、労働新聞に米国ともう一つの国だけが反対し
た、こう表現しておきました。少なくないわが人民たちが、これは名前を書かな
かったのを見ると、ひょっとして中国ではないか、こういう考えがあったそうで
すが、実は、それが中国でなく英国だったということです。

ところが、なぜ、英国という名を書かなかったのか。我々は「主な敵」であるア
メリカの奴だけを孤立させれば良いということなのです。それで、我々がアメリ
カともう一つの国と、こう表現しておいたら、その時英国の人々が我々に何と言っ
たと思いますか。「自分の国名を書かなかったことを、本当にありがとうござい
ます。すみません」。こう言ったのです。

以下次号


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