救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

家族会の報告2?国民大集会(2009/05/13)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2009.05.13-3)

引き続き、国民大集会報告です。

■家族会の報告?国民大集会2

◆金賢姫さんと会って得た気持ちの和らぎ
飯塚耕一郎(田口八重子さん長男、事務局次長)

金賢姫さんとの面会では、政府関係者の、またそれ以上に国民の皆様のご協力、
ご理解により、5年越しの面会の希望がかないました。まずそのお礼を申し上げ
たいと思います(拍手)。

釜山では、最初のフォトセッションが10分、3人での面会が1時間20分、
共同会見が30分で、全体で2時間というとても短い面会でした。彼女からは、
大きく分けて二つのことを伝えていただきました。

一つは、北朝鮮が発表した内容が嘘であるということです。具体的には、彼女
が1987年2月にマカオから帰ってきた時、「どなたも死んだということを聞
いたことはございません」という言葉を耳でじかに聞きました。

また私から、「八重子さんはマシク嶺で死亡」とされていることを伝えた所、
「あんな所で交通事故など起きるわけがない。ガソリンがないのだから、車が通っ
ている筈がない」とのことでした。それは分かりきったことではありますが、北
朝鮮を知っている人、当時の彼女(八重子さん)を知っている人から聞く話とい
うのは、私の中で安心という厚みを加えていただきました。

また、それ以上に強く思ったのは、当時の八重子さんを知る彼女から話を聞く
というのは、私の心の中ではとても心強いものでした。八重子さんにどういう気
持ちを持てばいいのかという不安定な状況の中で、彼女は最初の40分、本当に
一生懸命、ずっと八重子さんのことを話し続けてくれました。

彼女もとても辛い状況にあります。特に過去10年はとても辛い状況でした。
それにも関わらず、1時間20分の面会の間に、私に3回、「もっと早く会えれ
ばよかったのに、ごめんね」と言ってくれました。その気持ちが、痛いほど伝わ
りました。そのような私の心に響く面会でした。

一方、これを成果として扱うとなると、また難しいところがあると思います。
当時の八重子さんを知る彼女に会うのに5年もかかっているわけです。この時間
は、とてつもなく長いと思います。従って、残念ながらこれを成果として扱うこ
とはできません。我々は、拉致被害者が帰ってくることが成果ですから、小さな
一歩だと思います。

先ほど、河村官房長官は、「まず一歩を踏み出した」とおっしゃっていました。
でしたら、2歩目、3歩目と歩みを進めていってほしいと思います(拍手)。

これについて、2点、大きなポイントがあると思います。1点は、我々が過去
ずっと言い続けていることですが、被害者に関する情報収集を強化していただき
たい。特に実感したことですが、今回の面会のように、向こうに行って、本に書
いてある内容と全く同じことなのですが、それを知っている人から聞くというこ
とは、本当に私たちの心の不安定さや怖さに対し、勇気を与えてくれるのです。
そういう意味も含め、情報収集をしていただきたいと思います。

次に、これも継続して言っていることですが、日本としての対外的な意思を見
せていただきたいと思います(拍手)。

去年の夏に、(日本は北朝鮮から)できる限り秋までに再調査を行うという約
束を取り付けました。結局その約束は、反故にされた形です。これに対し、日本
政府は対外的に発信をしたのでしょうか(拍手)。まず日本が対外的に意思を見
せることが必要になると思います。

韓国と国際連携が取れ、韓国から情報が取れるようになれば、小さい意味では
家族の気持ちが和らぎ、大きな意味では情報収集ができるようになります。今回
の面会はそういう位置づけだと思います。この一筋の希望の光を絶対つぶしては
いけないんです(拍手)。

従って、政府の方には、大きく意思を示してほしいと思いますし、今回の面会
で私と親父が喜んだように、一筋の光を継続して、我々の家族を初め、特定失踪
者の家族の方々に見せるはからいをしてほしいと思います(拍手)。

◆自国民を救うのは国家の責任
横田滋(横田めぐみさん父、前代表)
小泉総理が2002年9月に訪朝して、「5人生存、8人死亡」と発表されま
した。約1か月後の10月15日に、5人が帰国されました。当時は、「一時帰
国」とされていましたが、当時の中山参与、安倍官房副長官などのご尽力で、小
泉総理が決断し、「加害者のもとに被害者は返せない」ことを日本政府が決めま
した。しかし、北朝鮮側は約束を破ったということで、子どもさんたちが帰って
くることができなかったのですが、2004年の二度目の訪朝で5人の子どもさ
んを連れて帰り、その後曽我さんの家族もジャカルタ経由で帰国しました。

ですから、北朝鮮側からすれば、生きている人は、家族も含めてすべて返した
のだから拉致問題は解決済みだと主張したわけですが、小泉総理が再調査を要求
しました。その結果、3回の会議が開かれました。1回目は調査委員会を作った
ということだけでしたが、2回目はめぐみの死亡年が1年延びたくらいですが、
3回目には決定的なめぐみの遺骨が提出されました。

しかし、これはDNA鑑定の結果、別人のものということに決まったわけで、
我々だけでなく、自民党、民主党の拉致対策本部、衆参両院の拉致特別委員会も
制裁を要請しましたが、「対話の窓口が途絶える」ということで制裁は行わなかっ
たのです。その後、ミサイルの発射によって万景峰号の入港を差し止めるなど、
後付ですが、拉致の問題も含めてということになりました。さらに、核実験に対
し、制裁の強化をしています。

今日のスローガンにありますように、すべての拉致被害者をすぐに取り返すた
めにどうするかというと、「今こそテロ国家北朝鮮に全面制裁を!」ということ
を我々は政府に要請したいのです。

アメリカを訪問するということは、あくまでも協力を要請することであって、
救出を要請しているわけではないのです。救出というのは、自国民を救うのは国
家の責任ですから日本が解決しなければならない問題です(拍手)。

アメリカがテロ支援国家の指定を解除しました。これは結果的には失敗ですが、
核の廃絶をすすめる、そして北朝鮮を6者協議に参加させるような意向があった
わけです。しかし、これはたくさんある法律の中のたった一つを解除しただけで
す。これによって北朝鮮はテロ支援国家から普通の国に戻っただけです。どんな
メリットがあるかというと、国際金融機関からお金を借りる道が開けたわけです。
指定している場合は、アメリカが必ず反対するわけです。一番大きな出資国です
から、アメリカが反対するとお金は借りられないわけです。

しかし、アメリカが解除した場合、日本にも北朝鮮人権法があり、日本がテロ
国家に北朝鮮を指定すれば、今度は日本が反対しなければならないわけです。日
本は(世界銀行は)第2位の出資者で、アジア開銀は第1位ですから、北朝鮮は
絶対借りることができません。ですから、よその国に頼むことも大事ですが、こ
の切り札もあります。先ほどの韓国の方のお話でも、日本が制裁すれば国交正常
化できないから歩み寄ってくるのではないかということでしたが、北朝鮮が、昨
年8月に合意した「調査のやり直し」を反故にしたままでいるのであれば、日本
がそういう切り札を切って制裁を強化することが、被害者を早期に救出すること
につながると思っています(拍手)。

そのためには、国民の皆様が、同胞を救わなければという合意がなければ、政
治家や政府はなかなか動けないわけです。

拉致の問題は、昭和63年に、実際に国会で取り上げられたことがありました。
しかし、マスコミが報じなかったこともあってほとんどの方が知らず、知らなけ
れば救出運動も起きないのです。当時は、拉致もあるけど国交正常化に力を入れ
たわけです。当時と今とは比べ物になりませんが、国民の皆様の支持があってこ
そ解決することにつながると思います。

対象としては、政府認定者の他、届出ベースでの特定失踪者が500人います
し、身寄りがなくて届けていない人もいるかもしれません。全ての被害者を救出
するためには、皆様が関心を持ってくださること、政府に色々なメッセージを送っ
てくださることが大事です。これは何も悪口を言うばかりでなく褒めることも大
事なことだと思います。解決のためにどうぞ皆様のお力を貸してください(拍手)。

◆普通の子どもたちが、どうして恐ろしいことのために使われなければならない
のか
横田早紀江(横田めぐみさん母)
拉致問題が浮上した初めの頃、蓮池さんのお父様、お母様と私たち夫婦の4人
で、新潟港で、「息子を返せ、娘を返せ」という垂れ幕を持って、万景峰号が接
岸している所まで、金正日宛の手紙を船長さんに渡そうとして持って行ったこと
を、みなさんの話を聞きながら思い出していました。

その頃は、マスコミの方も、救う会新潟の方もたくさんいて下さいましたが、
新潟港は日本の港ですよ、その港にさえ、「ここは4人だけ、他の人は行けませ
ん」と言われました。そして、マスコミや救う会の人たちは、ずっと後ろにバリ
ケードを張られて、それ以上いけなかったのです。

その時、日本の国の港なのに、どうして一生懸命やっているこの人たちが足止
めをされなければならないのだろうと非常に不思議で、何があるのだろうと思っ
ていました。本当にあの頃のことが夢のような感じがするほど、今、こうして拉
致問題に関しては本当にたくさんの方のご支援をいただいています。出版社の方
が徹夜で頑張って、多くの書物を出してくださったり、また映画監督がすばらし
い拉致の映画を作ってくださったり、歌を作って歌ってくださったり、写真展を
してくださったりしています。本当に数え切れない多くの方々が、親身になって、
わが子のことのように私たちに寄り添って、12年もの長い時間を一緒に歩んで
くださいました。

そしてこのような大きな集会では、見えないところで一生懸命に働いてくださっ
ている多くの方々の、本当に暖かいお気持ちがあってこそ今日があることを、私
は本当に感謝しています(拍手)。

今年は、飯塚さんが、念願だった金賢姫さんにお会いすることができました。
私たちも、どんな風にして暮らしているんだろうといつも思い巡らしてきました
が、めぐみが金淑姫さんという、金賢姫さんの同僚の女性工作員に日本語を教え
ていたということが、前から言われてはいましたが、今回分かってきました。中
学1年生だった子どもが、どうして先生をするようなことができるのだろうかと
私は不思議でしょうがないんです。

それらのすべてのことが、あちらの国の指令によって、何の罪もない、他国の、
平和な国の若者たちが連れて行かれて、そして向こうの国のために、それも悪い
ことのために一生懸命に参与していかなければならない人生に変えられてしまっ
たわけです。私たちは、そのようなことのためにめぐみを育ててきたわけではな
いんです。お花を愛しなさい、どんな小さな虫でも殺してはいけない、犬も猫も
可哀想だと思ったら大事にしなさい、と言い続けて育ててきました。あの子はそ
ういうことが実現できた子でした。お年寄りの方が、重い荷物をもっていると、
小学生の時でも、「おばあちゃん持ってあげるよ」とお家まで送っていったら、
「こんなりんごをおばあさんがくれんだよ。悪いことをしちゃった」と、ほほを
上気させて帰ってきたあの子の姿を、私はいつも思い出します。

そのような普通の子どもたちが、どうしてそんな恐ろしいことのために使われ
なければならないのか、ということです。そしてこんなに長い年月、日本の国の
中で行われ続けているというのに、今なお、今日ここにお越しくださった多くの
議連の先生方はほんの一握りの方々です。あれだけ多くの国会議員の方々が、偽
の遺骨が返ってきて、それが偽物だと分かった時は、全員が怒って立ち上がるべ
きなんです(拍手)。なんということを言っているんだ、と。

大事に育てた子どもたちが、あなた方の勝手なことに使われて、そして死亡し
たと言われて偽の骨を出されて、「そうでしたか。あの子たちは可哀想でしたね。
そんなことを言う親が一人でもいるか」と、はっきりとみんなが、言ってくださ
るのが日本の国の国会の姿だと思うのです(拍手)。

そのようなことができる国に早くなってほしいのです。今日ここにおいでになっ
ていない本当に多くの方々は何を考えていらっしゃるのか。物事がうまくいきそ
うになっても、どこかで抑制される。何があるのか分かりませんが、抑圧される、
圧力をかけられるということがあっては、絶対にならないと思います(拍手)。
この国は、そんなことでへこたれる国ではないということを、国民と一緒にみん
なが一つになって、大きな岩となって、向こうに向けて発信していく力をどうぞ
貸してくださいますようにお願いいたします(拍手)。

◆家族と被害者が抱き会える日を
平野フミ子
12年前、家族会が声を上げて、サポートをする救う会も発足しました。私た
ちが訴えた時、日本国民はみんな私たちの味方だと思いました。でもふたを開け
てみるとそうではなく、がっくりしましたが、1回目の国民大集会からずっとい
らしていただいている方々が、この席にはたくさんいらっしゃると思います。そ
の方々に支えられて、私たちは活動を続けることができています。

この拉致問題を、早期に解決するのは、国民はもちろん、衆参両院の先生方、
そしてマスコミ、ジャーナリスト、有識者の方々です。同胞を救うんだという一
点では、社会党も共産党もない筈です(拍手)。

私は、小さいときから、人権問題といえば、社会党は私たちの味方だと強い思
いがありました。父も労働者でしたから、社会党の動員がかかればいつも行って
いました。だから社会党は私たちの味方なんだと思っていました。しかし、家族
会を立ち上げた時に、全然違っていてがっかりしました。

国民の命を守るのが、国会議員の国家の使命だと思います。私たちは納税する
のが義務です。私はちゃんと義務を果たしています。国家の使命をないがしろに
する政党はいらないんです(拍手)。

しかし、自民党の中にも民主党の中にも北朝鮮の族議員のような方がいらっしゃ
います。その人たちを正しい目で選んでください。そうでなければ、この30年、
40年も、拉致被害者は人生を無駄にしてしまいます。

私は、妹が拉致された10年後に、熊本に嫁に行きました。その時、二十歳の
るみ子が成人式の時撮った写真と妹が使っていた数珠を持って家を出ました。今
でも携帯しています。一日も早くるみ子に帰ってきてもらって、それを渡したい
んです。

この前、金賢姫さんと耕一郎さんがハグ(抱き合う)しました。あの光景を早
紀江さんとめぐみさんにさせてあげたい。私の母とるみ子をハグさせてあげたい。
その一念で頑張っています(拍手)。私たちはあきらめません。どうぞ宜しくお
願いいたします。頑張ります(拍手)。

◆使命を果した偉大な母
市川龍子

安祥と旅立つ姿みごとなり使命を果せし偉大な母かな

(母が亡くなったのは)11月15日でした。奇しくも横田めぐみさんが拉致さ
れた日です。望みを捨てずに春の来るのを耐えて耐えて待ち続けた母が、くも膜
下出血で倒れてしまいました。この日、2か月半に及ぶ撮影で、母を主にしたド
キュメンタリー(NHK「『ただいま』を待ち続けて」)ができあがり、11月
15日は家族全員で見ようねと言って楽しみにしていました。しかし、この日、
3時22分に旅立って言ったのです。

母が死をもって、ドキュメンタリーで、「拉致問題は絶対に忘れないでくださ
いね」と言って、偉大な使命を果たして逝った母は、本当にすごいと思いました。
最後の力を振り絞って、子を思う最大の力を出し切って、メディアの力を借りて、
日本列島に訴えた母は本当にすごいと思います。私は、毎朝毎晩、仏壇の遺影に
向かって、大喝采を送っています。最敬礼をして母を飾っています。

その時、

大空を見上げて想ういとし子よ雲から降り立ついつの日なるや

あのドキュメンタリーの中で母がぽつんといいました。「あの白い雲に乗って、
修一降りてきてくれないかな」と。今も鮮明に覚えています。母に修一を抱かせ
てやることはできませんでしたが、3月14日に94歳を迎えた父がおります。
なんとしても元気なうちに、父の胸に抱かせてやりたいと思います。

11月15日、母が亡くなった日、私の次男は、母の亡骸をテレビの前に持っ
てきて、「おばあちゃん、頑張ったねー 頑張ったねー」と言って、母の亡骸を
なぞりながら、泣き崩れていました。長男は、アメリカのNASAのケネディ宇
宙センターで仕事をしていました。「デンバーが打ちあがった日と、おばあちゃ
んが天に昇った時刻が一緒だったよ」と、帰国した時に言っていました。

私は、修一が、北朝鮮で病気でもしているのなら、早く連れ戻して日本で治療
を受けさせてやりたい。そして一日でも長く、日本での生活を満喫させてやりた
いと思っているんです。

家族も、被害者も、時間がないのです。23歳の時に拉致されたままの修一は、
今54歳です。私たち家族には、54歳の顔が想像できません。修一には二人の
男の子がいるという目撃証言があります。2006年まで目撃されているんです。
たった3年前ですよ。しかし、未だに北朝鮮は返してきません。

スパイ防止法がないわが国日本です。悪逆の限りを尽くされても、日本人は、
日本の国会議員は立ち上がらないんですか。このままでいいんですか(拍手)。
国会議員は私たちの代弁者、代表です。このまま拉致問題を解決しなければ、国
会議員は笑われるということを思ってください。日本国がばかにされているんで
す。日本国の国会議員がばかにされていると思って、真剣に取組んでいただきた
いと思います(拍手)。

北朝鮮という、四六時中監視付きの自由のない国で、何百人という日本人がお
月様を見ながら、星を見ながら、日本人の助けを待っているんです。国会議員め
ざめてください、と言いたいんです。お願いします。被害者日本人全員が祖国の
土を踏むまで、皆さんと一緒に頑張っていきたいと思います。助けてください。
宜しくお願いいたします(拍手)。


◆国民と日本政府と政治家が全部立ち上がれば
斉藤文代(松木薫さん姉)
2002年に小泉総理が訪朝された時のことを思い出しながらみなさんの話を
聞き入っていました。5人の家族が帰ってくるということで、私たち家族はバス
で羽田に迎えに行く日でした。今日来ておられる小池(百合子)先生が、私たち
兄弟の前に座られたんです。妹が泣くものですから、私の方も泣きながら、それ
もうれし涙と帰ってこない家族の涙と入り混じっていました。その時、先生が、
「何と申し上げて言いか」と言われたことを覚えています。

私は、絶対に日本の政府は、助けてくれると信じています。今からでも絶対に、
国民と日本政府と政治家が全部立ち上がれば、家族は一気に取り戻せると思うん
です(拍手)。どうか宜しくお願いいたします。

家族には時間がありません。父は亡くなっておりませんが、母が病院で、帰りを
待っています。動くこともできないんです。それでも毎日、「薫、薫」と言って
います。来年はこういうこと(集会)がないようにしてください。今度飛行機で
帰ってくる時は、泣いて迎えにいくのではなく、喜びの涙で帰ってこれるように、
全員が帰ってこれるように、助けてください。どうぞ宜しくお願いいたします
(拍手)。

◆アメリカで拉致問題は核問題の障害と言う日本の議員
増元照明(司会、増元るみ子さん弟、事務局長)
先週訪米し、豚インフルエンザが猛威をふるっているアメリカで風邪にもかか
らずにいたんですが、ボズワース北朝鮮問題担当特別代表に会って、一気に熱が
出ました。それだけボズワース菌の方が強かったということですが、それよりひ
どかったのは、私たちがアメリカに行って「制裁を強化してください」、「北朝
鮮との対話は制裁をもってしかできないのだから」と申し上げる前に、日本の国
会議員がアメリカに行って、新政権の中枢に対して、「日本は拉致問題に固執し
て北朝鮮の核の無能力化の障害になっている」という発言をあちこちでされてい
る方がいるという話を聞きまして、残念でなりませんでした。

核問題は確かに大切なことですが、国民を見捨てて核を優先するということは、
自分たちさえよければ他の人間はどうでもいいという論理だと私は感じました
(拍手)。

もう一度、国民の皆さんに、拉致問題の重要性を、国はどうしなければならな
いのかということを、皆さんと考えて一つになっていただくしかないと強く感じ
ます。アメリカがどう動こうと、中国がどう動こうと、日本は動かない。皆さん
とともに戦っていきたいと思います。

以上



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下記をクリックして、ご意見を送ってください。
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葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 麻生太郎殿

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