救う会全国協議会

〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
TEL:03-3946-5780 FAX:03-3946-5784 info@sukuukai.jp

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

「未認定拉致被害者も救出するぞ」東京連続集会報告(2008/03/18)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2008.03.18)

平成20年2月29日夕、東京・港区芝の友愛会館で東京連続集会35を開催、
島田洋一救う会副会長(福井県立大学教授)の進行で、荒木和博特定失踪者問題
調査会代表(拓殖大学教授)、惠谷治氏(ジャーナリスト)、西岡力救う会常任
副会長(東京基督教大学教授)の順に、「未認定拉致被害者も救出するぞ」をテー
マに北朝鮮拉致の全貌を探った。登壇者の発言概要は次のとおり。

島田洋一救う会副会長(福井県立大学教授)
今日は、政府未認定拉致被害者についてどこまでわかっているのか、どうやっ
て救出するのかということが中心的なテーマになる。また、韓国に新政権が誕生
したので、3人とも朝鮮半島問題の専門家だから、韓国新政権に何を期待するか
ということも含めて議論したい。

■調査会発足5年経過して
荒木和博特定失踪者問題調査会代表(拓殖大学教授) 

特定失踪者問題調査会(調査会)ができてから5年余り経過した。特定失踪者
という言葉は、それ以前は存在していなかった。平成14年の「9.17」で北
朝鮮が初めて拉致を認めた中で、北朝鮮が言った「5人の生存者」の中に、それ
まで拉致だと認識していなかった曽我ひとみさんが入っていた。そのことから、
全国から「ひょっとしたら家族が失踪したのも拉致ではないか」というような声
が寄せられるようになり、当時救う会の事務局長だった私は、これは単なる偶然
ではないと思うようになった。例えばアベックの失踪のほとんどが1970年代
に集中している。あるいは70年頃を中心に印刷の仕事をしている人が何人も失
踪している。80年代の半ば、90年代初めに若い女性が全然関連ない場所から
全く同じような失踪の仕方をしている。地域で言えば埼玉県川口市、神戸市の灘
で失踪している人が多い、など縦横斜めに様々な共通点が出てきた。このような
ことについて、どうにか対応しなければならないと考えたことが5年前に調査会
を立ち上げるきっかけになった。

曽我さんについては、実は、佐渡で看護婦さんがいなくなっているということ
を聞いていた。だけども新潟県警が拉致ではないと言っているということで、佐
渡の場合は大沢孝司さんの方の可能性が高いと見られていた。曽我さんには申し
訳ないが、正直なところ、あまり関心を払っていなかった。ところが、「9.1
7」で曽我ひとみさんが出てきたということだった。

調査会が発足して5年やってきて、私は、特定失踪者の問題、未認定被害者の
問題はほとんど9割方日本の問題だと思っている。北朝鮮は、認定、未認定には
関係ない。北朝鮮側は拉致したことを認めるかどうかだけであり、認定するかど
うかは日本政府の問題だ。

横田めぐみさん拉致にしても、既に90年代の前半に韓国の情報機関が日本政
府に情報を出していた。間違いなくその情報を受け取った人が政府にいる。それ
が政府の中で消えてしまっている。それが表に出てきたのは『現代コリア』平成
8年10月号の石高論文であった。あの論文がなければ横田めぐみさんだって、
ただの失踪少女とされていた可能性が高いと思う。

一昨年に認定された松本京子さんの事件は、平成12年の確か8月、米子の妹
原・調査会常務理事(当時は救う会鳥取事務局長)が米子警察に行った時、そこ
に来ていた警察OBから、「鳥取県内に拉致の可能性のある失踪者が3人いる。
その中で1人はほとんど間違いない。1人は米子にいる」という話を聞いた。そ
れから妹原さんが米子市内を回って調べ、松本京子という名前にたどり着いた。
これをどうしようかということで、最初、鳥取選出の石破茂衆院議員を通じて鳥
取県警に聞いてもらったところ、県警は「あれは拉致ではない」と答えた。その
後、金子善次郎衆院議員から質問主意書を出してもらっても「所要の捜査をした
けれども拉致とは思えない」という答弁書が返ってきた。今から7年余前、日本
政府は、松本京子さんは拉致ではないと事実上断言していた。それが一昨年になっ
て認定されるに至った。認定のための関係者のご苦労は多としながらも、その間
いったいどうなっていたのか、政府全体の動きとしては許しがたい。それまで分
からなかったのであれば、分からなかった責任を誰かが取らなければいけないし、
拉致だということが分かっていたのを隠していたのであれば、薬害肝炎問題など
のようにその責任も取るべきであると思う。

政府機関の人から聞いた話だが、調査会の1000番台リスト35人と、警察
は拉致の可能性が高いと認識しているが認定されていない人が一定数一致するそ
うだ。でも、言わないから分からない。ある県警の人が「あの人は拉致だと思う
けれども、なぜ家族は調査会に言わないのか」というケースすらある。現場では
物凄い苦労をして一生懸命やっていると私は信じている。だけれども、上に上げ
れば潰されるということをずーっと続けてきたのがこの国の状況だった。だから
表にも出せないのだ。私は、ここをどうにかしないと拉致問題は解決しないだろ
うと思っており、それが我々のスタンスにつながっている。

北朝鮮という国家の成り立ちから考えれば、人を連れてくるというのは当り前
の話だ。朝鮮戦争中の8万3千人以上の拉致、休戦後の韓国人拉致、さらに世界
中で拉致をしているということを考えれば、北朝鮮という国が、元々スターリン
の指示によって造られた人工国家であり、インフラは日本が造ってあったものだ
し、軍隊はソ連が指導して中国から持ってきて造ったというように何でもかんで
も人からもらってきたことが一種の国体のようなものだから、あの国の体制が変
わらない限り、これからも必要があればいつでもやるだろうと思っている。

拉致は、北朝鮮に自分で行った人から、横田めぐみさんのように強制的に連れ
て行かれた人まで、シームレスにつながっているはずだ。騙されて連れて行かれ
た有本恵子さんのようなケース。日本からどこかへ騙されて連れて行かれて、後
は暴力的に連れて行かれたケースもあろう。飲み屋で酒に薬を入れられ、眠らさ
れて連れて行かれた人もかなりいると思う。あるいは人間関係のある人に誘われ
て行った所で当て身で気絶させられ、そのまま箱詰めにして連れ出されてしまう
ということもあるのではないか。さらには、多重債務者の中に、自分の意思で行っ
たという人もいるのではないか。こういう人たちをどういうふうに考えるのか、
難しい問題だ。そういう人まで含めれば何百人という数になるのではないか。そ
れに対してどこまでを拉致として切るかという問題は極めて難しいと思う。

そこまで考えると、在日朝鮮人の帰国者だって拉致被害者だと考えることがで
きる。自分の意思で行った人は分けなければならないが、しかし、騙されて行っ
たことに変わりない。準被害者という言い方がいいかどうか分からないが、そう
いう視野で見ておく必要があるのではないか。北朝鮮側からすれば、来さえすれ
ばどうでもよかったということではなかったのか。

こういう問題を全部解決するためには、北朝鮮の体制を全部変える以外に方法
はない。拉致被害者だけ取り返すことは絶対にできないことである。北朝鮮の体
制が変わって、強制的に連れて行かれた人はもちろん取り返すにしても、自分の
意思で行った人も自由に自分の判断で日本に戻れるようにしておかなければなら
ない。

日本政府は、今は支援法があるので認定ということをやっているが、あれがあ
るお陰で認定、未認定の間に露骨な差ができてしまっている。調査会の中でさえ
1000番台リストになった人とならない人との間に差がついてしまうというジ
レンマがある。その答えはまだ出ていない。答えが出る前に解決してしまえばい
いのだろうと思っている。

政府認定の問題について、寺越事件の拉致認定について、武志さん本人と母・
友枝さんが同意していないからできないのだと寺越昭二さんの息子さんたちが政
府から言われたと聞いているが、これは政府認定がいいかげんなものであること
の証拠である。家族がどう思っているかということが認定の対象になるはずがな
い。そうであれば、寺越昭二さんの場合は家族が認定を求めているのに認定でき
ないのかということになる。元々認定という法的根拠ができる前から場当たり的
にやってきたツケが今現れているということだ。認定についてこういう恣意的な
ことが行われているのはどう考えてもおかしい。しかし、これから先も変わらな
いと思って間違いないのではないか。

だから今、様々な角度から北朝鮮拉致について調べていくと同時に、日本国内
でどうやって隠されてきたのかということの真相究明も合わせてやっていかなけ
ればならない。

そして、それをやっても、北朝鮮があの体制である限りは拉致被害者のすべて
が返ってくることはないだろう。

身寄りのない人を狙ってやった拉致であれば、調べてもわからない人も多いだ
ろうけれども、そういう人でも日本国民として当然助ける義務がある。

在日朝鮮人の拉致被害者もかなりいるだろう。その中には、家族が北朝鮮に連
れて行かれたと分かっていても何かの理由で話せないケースがあるだろう。在日
の場合、日本政府の邦人保護の範疇に入らない。日本人拉致とともに日本から連
れて行かれた人もすべて取り返すということは絶対にやらなければならないこと
だと思う。

今申し上げた中には救う会、家族会と若干意見が違う部分も入っているが、取
り返すという最終目標は同じなのだから、いろいろなアプローチの仕方をやった
方が効果的だろうと思っている。そういう意味で今後も取り組んでいく。

(補足=韓国新政権に期待すること)
2月25日、ちょうど韓国大統領就任式の日が調査会の定例記者会見日と重なっ
たのでアピールを出した。韓国政府に対して、我々民間に対しても情報の開示を
してもらいたい、マスコミが脱北者などにインタビューする時できるだけ協力し
てもらいたいという内容だ。我々としては、改めて正面から韓国政府に対して情
報収集に協力してもらいたいということを申し入れるつもりだし、同時に今まで
あるルートをさらに広げて脱北者等の情報を取りたいと思っている。


■金日成時代の拉致
惠谷 治 氏(ジャーナリスト、救う会拉致問題研究プロジェクトメンバー) 

1975年、金正日が3号庁舎の責任者になる以前はどういうふうになってい
たのかということについて、1945年から洗い直している。この集会では前々
回、60年代までの話をしたが、それを聞いていない方のために簡単に言うと、
45年8月の朝鮮解放直後に、北朝鮮では「金剛学院」という対外工作員養成所
が作られる。軍幹部を養成する「平壌学院」も解放直後に作られた。「朝鮮人民
軍」は48年9月に創立されたから、北朝鮮は国家ができる以前に軍を作ったこ
とになる。

49年5月、北朝鮮国家ができて1年も経たないうちに既に日本に工作員が入
り、66年7月に摘発されている。事件化されたものだけでも48年以降毎年あ
る。

50年以前の5年間は、内務省(現在は人民保安省)が主導した工作員派遣だっ
た。当時の朝鮮労働党は対南工作をメインとしていて、日本には関知していない。

50年に朝鮮戦争が始まり、50万人拉致計画があり、結果的に約10万人が
拉致された。戦争中だからいろいろな組織が関与する。しかし、朝鮮戦争以降、
戦争中も含め、対南工作、拉致を主導したのは、時代が下ってくると多少変わる
が、人民軍偵察局がメインだ。60年までは内務省の工作員数も多かっただろう
と考えている。

61年に韓国で「5.19クーデター」が起きる。その年の9月に朝鮮労働党
第4回大会があり、この席で、韓国における地下党の組織化と反米統一戦線の形
成などが決定され、これを補強するために労働党の中に「対南工作連絡局」が新
設され、党中央委員会副委員長の李孝淳が局長に就任した。これが一つの時代の
区切りだととらえている。それ以降、拉致も含め党による工作活動が始まったと
見ている。その「対南連絡局」の下に「連絡部」「作戦部」「文化部(後に調査
部)」が置かれ、「金剛学院」が「中央党政治学校」へと変わる。このように、
組織改革、改変が行われた。私は今のところ、その体制は69年まで続いたと考
えている。その間の細かいことはインターネットの「BNN」にて連載している
ので、関心ある方は見ていただきたい。

69年11月に3号庁舎の拡大幹部会議が開かれた。金日成はこの席で「万景
峰号は帰国同胞の事業だけでなく南朝鮮革命と祖国統一を推進する事業を展開し
なければならない。だから新潟に停泊している間に同志たちは革命に有益なこと
を探し行うべきだ。南朝鮮革命に必要な情報の入手や、必要なら日本人を包摂工
作し拉致工作もすることもできるのだ」と述べている。それ以前も金日成から日
本人拉致の指示があったかもしれないが、69年以降、この言葉で日本人拉致工
作がオーソライズされたと思われる。

金日成は一つ一つの作戦すべてに自分の許可がなければだめだというようなや
り方はしていないと思われるのに対し、金正日はすべて自分の許可がなければ認
めないというやり方をしたという違いがある。だから、75年以前の金日成時代
の拉致について、金日成がすべて把握していたかどうか判断できない。しかし、
75年11月に金正日が以前の対南工作は零点だという判断をして以降、76年
からは金正日がすべてに関知している。

組織改変は、それまでのやり方を全く白紙に戻すということが多いということ
を考えると、時代区分の中で似たようなケースがあれば、これは可能性が高いと
考えることもできる。まだ仮説の段階だが、失踪した時期を照らし合わせると、
この組織がやったのではないかということが見えてくるのではないか。

拉致は大きく遭遇拉致、条件拉致、指名拉致の三つに分けることができる。

遭遇拉致、つまり目撃されたことをもって連れて行くケースは48年に工作員
が日本に入って以降あったとしても何ら不思議はない。それは現在まで続いてい
る。確認されている事件として、60年代には63年の寺越事件がある。後は7
4年に渡辺秀子さんの2人の子供が連れて行かれたケースがある。金正日はこの
二つのケースには関知していない。残念ながら75年以前の拉致が認定された事
件はこの2件しかない。しかし、特定失踪者はたくさんいる。印刷工の人たちが
拉致されたとなると条件拉致が指示されたのではないかと考えられる。逆に日本
では指名拉致、この人物の拉致ということで平壌から指示があったということで
はなく、日本国内において人物を特定して拉致するということがあったのではな
いか。

在日のケースとして、私のところにある人物が訪ねてきて、「自分は北朝鮮の
工作員だ。自分も工作員要員を日本海から北朝鮮に送り出すことを何度もやった」
と言った。彼は在日とは言わなかったが、彼が言いたかったのは、自分は一度た
りとも失敗したことがない。必ず説得できるという自信がある。何年もかけて説
得して送り出す。友人として話しながら北朝鮮にシンパシーを感じさせて送り出
す。ある面、非合法な故に秘密を守れということだ。

よど号の妻たちのケースもそうだ。それは70年代にそういうシステム、組織
があったとしても何ら不思議がない。遭遇拉致以外に確認されていないのは、む
しろそういうことが非常にうまくいっていたのではないか。

発覚しているのは金正日時代になってからの事件だ。発覚するのは氷山の一角
だから、金正日は物凄い量の拉致を指示したと考えられる。75年以前は1件も
摘発されていないということは、金正日になってからの数より少なかったのだろ
う。そういうことを考えながら特定失踪者リストを見直そうと思っている。今日
の話は中間報告として受け取っていただきたい。

ついでにもう一つ、日本海沿岸に平底船がたくさん漂着しているという報道が
ある。先週、能登半島に行って現場を見てきた。前年以上に数が多かったと伝え
られているが、さほど多いというほどではない。

このことについて、私の仮説を述べたい。去年、青森県の深浦港に脱北者が乗っ
た平底船が着いた。平底船で日本海を越えてくるということは奇跡に近い。彼ら
は、上陸する直前にそれまで着ていた服は脱ぎ捨てて新しい服を着たと答えたそ
うだが、しかし脱北者が上陸の前に着替えるのか、私は疑問だった。

去年から今年にかけて発見された平底船約50件のうち9件は漂流中に発見さ
れたものだ。ということは、100艘の工作船が潜入しようとすれば、途中では
20艘しか発見できないということになる。8割は誰にも目撃されずに潜入した
ということになる。

深浦港の事件について思ったことは、平底船を途中まで船に積んできて、途中
から平底船である距離だけ苦労して上陸したのではないかということだ。南西沖
不審船事件で工作母船が白日の下にさらされたので、彼らは新しい潜入方法を考
え出したのではないか。つまり、漁船なり貨物船で清津を出て、ある所まで来た
ら平底船を下ろし、工作員を乗せて、行ってこいと…。工作母船、工作子船、ゴ
ムボートという三段階の潜入方式が、今や通常の船舶、平底船という潜入方式に
よって行われているが故にここ5年位、発見される小船が多いのではないかと考
えている。


■日本人拉致の全体像─現時点でわかっていること
西岡力救う会常任副会長(東京基督教大学教授)

救う会拉致問題研究プロジェクトは、過去の日本側のデータ、韓国のデータを
全部探して、そこから何が言えるのかやってみようということに取り組んでいる。
日本に潜入してきた工作機関、工作員のすべてについて調べようと思っている。
また、在日韓国人を北朝鮮工作員が包摂して韓国に送り込みテロをさせた事件の
資料なども集めて、対南工作の中で日本に絡む部分のデータを集める。そこから、
どの時期にどういう実行機関があったのか、どういう命令系統だったのか、何が
主たる目的だったのかというようなことを逆算していくような作業をしている。

韓国には脱北者が1万人いる。また韓国には、工作員として入って捕まり、転
向して、警察や情報機関のアドバイザーのような仕事をしている人もかなりの人
数いる。そういう人たちの書いたものを集めたり、韓国のKCIA、今の国家情
報院が北朝鮮の工作活動について記録したり分析した資料に何とかアクセスでき
ないか試みている。昨12月の第2回国際会議では、この問題に詳しい早稲田大
学の洪?研究員に韓国人拉致をメインにして韓国の資料を基に報告していただい
た。元工作員の人たちにもかなり会い、聞き取りも行った。その一環が、200
2年に平壌にいた李政鉄(仮名)さんが国際会議に来て証言をしてくれたことに
もつながっている。今後もその作業を続けていきたいと思っている。

どうやって全員取り戻すかということについて述べたい。核問題について国際
社会は北朝鮮に対してすべての核を申告しろ、最終的にはすべての核を廃棄しろ、
と言っている。すべてを知っているのは北朝鮮なのだから、彼らには、これがす
べてだということを我々に納得させる責任があり、それが成らない限り国際社会
は圧力をかけ続ける。フセイン政権は国連安保理事会に対して大量破壊兵器を隠
していないということを納得させることができなくて、あの戦争が起きた。すべ
ての拉致被害者を返しなさいということはそういう意味だと理解している。

またイラクに対して国連安保理は、核の技術者を家族と共に国外に出してイン
タビューさせろと要求した。すべての拉致被害者を取り戻す上で我々が納得でき
るとすれば、拉致にかかわったと思われる部署の責任者をその家族と一緒に外国
に出して、北朝鮮に戻さないという条件で聞き取りするという時期を作らなけれ
ばならないと思う。そのためには、彼らがどの時期にどんなことをしているのか、
できる限りの情報を持っておかなければならない。そういう準備をしながら圧力
をかけ続けなければならない。

6者協議で北朝鮮はすべての核を放棄すると言った。そのプロセスが今起きて
いる。拉致問題についてもすべての被害者を返すと約束させて具体的な動きを起
こさなければならない。

6者協議の「2.13合意」のプロセスは、今、第2段階に入っている。それ
に対して一定の見返りを5者は出すのだけれども、日本は北朝鮮が核に対して一
定の譲歩をしても拉致問題の進展がなければ、拉致と核の両方が動かなければ出
さないと決めている。この政策を我々は強く支持している。

拉致問題の進展の定義は、当時の安倍総理、塩崎官房長官が去年国会で明確に
述べている。北朝鮮が全員返すことに同意して、具体的な動きがあること、とい
うことである。そこまでまだ至っていないけれども、その準備作業として民間で
もできることをやっていきたいと考えて我々のプロジェクトを立ち上げた。

「拉致の全貌と解決策」と題して国際会議を2回開催したが、1回目は拉致が
世界規模でたくさんあるということをアピールする場だったけれども、2回目は
もう少し踏み込んで、誰が、どういう命令で、何の目的でやったのかということ
について今分かっていることを整理してみようと試みた。私は、まだ分からない
ことのほうが多いという前提で、試みとして全体像を書いてみよう思って作った
ペーパーを国際会議に提出した。

韓国の拉致については、韓国戦争拉北者事件資料院という研究所があり、分厚
い資料集を出している。拉致の研究については韓国のほうが進んでいる。李美一
さんという朝鮮戦争中拉致被害者家族が私財を出して、自分の持ちビルの中のか
なりの場所を研究所にしてフルタイムの研究員を置き資料収集をして研究してい
る。そのことについては国際会議で報告があった。

韓国以外の拉致については、77年から78年にかけて、日本だけでなく全世
界ですさまじい規模で行われた。日本政府認定の被害者17人のうち3人はヨー
ロッパで拉致された。それを除く14人は日本国内から拉致された。日本国内で
発覚している拉致がこれだけあるということは、かなりすさまじいものであった
ということが言える。市川修一さん、増元るみ子と曽我ひとみさん、ミヨシさん
の拉致は同じ日に起きている。マカオでの拉致やレバノン、ルーマニアなど時期
が分かっている拉致は77年、78年に集中している。

それは76年に金正日が拉致指令を出したことによって行われた。このことに
ついては安明進氏の証言が有名であり、1回目の国際会議の時も証言してもらっ
た。安明進氏の証言については、その後本人が日本のテレビに出て、誇張してい
るところがあったと言ったので、どこまで信用できるのか議論になっていること
は承知している。しかし金正日の拉致指令については安明進氏だけが証言者では
ない。76年当時現役工作員だった申ピョンギル氏の著書『金正日の対南工作』
に具体的な記述がある。残念なことに彼はもう亡くなったが、70年代末期に韓
国に捕まって転向した人だ。ものすごく記憶力の良い人で、その時までの北の工
作活動について書いたものの中に金正日が拉致指令をしたということが出てくる。
それ以外にも、私は安明進氏の先輩の元工作員何人かとも会ったけれども、みん
な金正日の拉致指令があったことを認めている。

特に、安明進氏の先輩の中で、70年代後半から80年代の初めにかけて元山
連絡所で作戦部の案内人をやっていた人は、70年代後半に日本に潜入したこと
があると言っている。それならば拉致のことを知らないはずがないのに、それに
ついては言わない。しかし、70年代後半、日本潜入を担当する清津連絡所は拉
致のためにフル稼働したがそれでも足りなくて、元山連絡所の3分の1の工作船
と工作員が日本潜入に動員されたと証言している。そこにもう少し踏み込んで、
当時元山連絡所に工作船が何隻あったのか、清津に何隻あったのか、どれくらい
の頻度で出て行けるのか、日本に潜入した時どれくらいの成功率だったのかとい
うことを調べていくと、当時、激しくやられた時の規模が推計できるだろうと思っ
ている。

大韓機爆破テロ犯金賢姫は、まさに金正日の指示に従い作られた「日本人化さ
れた工作員」だった。彼女は80年に平壌外国語大学在学中に党に召還され、対
外連絡部の工作員となる。工作員養成教育の教官は、「お前たちは初めてのケー
スだから教材集めに苦労した」と彼女に語った。金賢姫の同期生は彼女を入れて
8人(男6,女2)だった。彼女は田口八重子さんと約2年、1対1で教育を受
けるから、毎年8人が日本人化教育を受けたとすれば、この時点で16人の拉致
された日本人が教官をさせられていたことになり、その配偶者まで計算すると約
30人となる。安明進氏は金正日政治軍事大学で教官らから日本人教官は約30
人いると聞いているから、ちょうど計算が合う。

一方、曽我ひとみさんのように、拉致されたけれども工作員にならなかった人
もいる。精神的不安定や能力の状態などから教官にしなかったケースがあったこ
とも聞いているので、教官採用率が何パーセントだったのかというデータがあれ
ば、教官目的の拉致が50人だったのか、あるいは60人だったのかということ
が分かってくるのではないかと思っている。

教官については、80年までに一定程度そろったと思われる。その後は、補充
は必要だったかもしれないが、70年代後半ほど激しいものはなかったのではな
いか。ピークはやはり70年代後半だったと思われる。

しかしもう一方で、身分を盗むための拉致がまだあったかもしれない。85年
に辛光洙が韓国で逮捕され、原勅晁さんに成りすましていたことが分かり、日本
人に成りすますケースがあることが分かった。88年には工作員の日本人化教育
をしているということも金賢姫の証言によって明らかになった。その後も同じよ
うなことをしたかというと、教官を補充するために拉致をするということはなく
なったのではないかと考えている。しかしまだ分からない。

新しい拉致としては、韓国人のキリスト教宣教師が中朝国境から95年に1人、
2000年に1人の拉致されている。この2000年の拉致は、我々が分かって
いる一番新しい拉致だ。2000年に拉致された金東植牧師は米国永住権者で、
奥様は韓国系米国人である。その奥様に来日していただき、2回目の国際会議で
アピールしてもらった。

さらに、韓国までたどり着いた脱北者で、韓国のパスポートを持って、自分の
親戚などを助けるためや仕事で中国にもう一度入った人が強制的に連れて行かれ
ているということもある。それは韓国人拉致の範疇に入るものと思うが、まだ具
体的なことを調べきれていない。

76年以前の拉致についてどう見ればよいか、惠谷さんが報告された。当時日
本に入ってきた工作員は、植民地時代に日本教育を受けた者たちだから、辛光洙
のように日本人化教育の必要がなかったのではないか。70年代後半になって、
そういう人たちが高齢化してきたので若い工作員を人工的に作らなければならな
り、そのための教官が必要になったことが金正日の拉致指令につながっているの
ではないかと思う。ただ、朝鮮戦争中に日本から拉致して連れて行っているとい
う映画が北朝鮮にあるそうだ。映画にするということ自体、そういうことをやっ
ていたということが背景にあったからとも思われる。その拉致対象が在日だった
のか日本人だったのかについても検証しなければならない。

そして、先ほどの恵谷報告にある、69年に金日成が「必要なら日本人を包摂
工作し拉致工作もすることもできる」という教示をどう考えるか。ここで言う
「必要」とはいったい何なのか。「背乗り(身分盗用)」拉致は当然必要として
いたと考えられる。日本人に成りすまして捕まった岡本事件と、小住健蔵さんに
成りすまして捕まった朴某こと崔スンチョルは、小住さんの前は小熊さんという
方に成りすましていた。だから身分盗用のための拉致は60年代末から70年代、
80年代まであったことは間違いない。

技術、技能の拉致はどうだったのか、今のところ日本では確認されていないが、
韓国では映画監督、映画女優が、金正日が彼らに映画を作らせたいという理由で
拉致したことが分かっている。

今までのことをまとめると、惠谷さんは拉致の形態を遭遇拉致、条件拉致、指
名拉致と分類したが、それと別に拉致の目的について想定できるのは次の6つで
はないか。

1. 秘密隠蔽のため
2. 背乗り(身分盗用)のため
3. 工作員の現地化教育の教官とするため
4. 拉致被害者などの配偶者とするため
5. 特殊技能者(専門家)を必要とするため
6. 北朝鮮に有害な人物を除去するため


この分類を使って時期別に日本人拉致について見ると、朝鮮戦争中や1950
年代にも秘密隠蔽型の拉致が行われた可能性はある。秘密隠蔽拉致である寺越事
件は63年に起こされている。69年には金日成の日本人拉致教示があった。6
0年代末から70年代初めにかけて背乗り型の拉致がなされた可能性がかなり高
い。それについては当時対日工作をやっていた者から情報を取るということが一
番いいのではないかと思うが、その点、辛光洙を北朝鮮に返してしまったことは
大変なマイナスだ。

そして76年に「工作員の現地化教育の教官を拉致せよ」という金正日の拉致
指令があって、70年代後半から80年代初めにかけて全世界で大々的かつ組織
的に教官と配偶者の拉致がなされた。その後も、秘密隠蔽拉致は常になされてい
た可能性があり、90年代に入ると、韓国人牧師らが有害人物除去拉致の犠牲に
なっているが、日本人の被害はまだ確認されていない。

特殊技能者拉致については、朝鮮戦争中の韓国人拉致が典型的ケースであり、
78年の韓国人映画監督・女優拉致もこれに入るだろうが、日本人拉致でこのケー
スが存在するかどうかについては、今はまだ明らかでないと言える。

(補足=韓国新政権に期待すること)
韓国ほど北朝鮮の内部情報を持っている国は世界にない。韓国は拉致問題に対
して非協力的だったと言うけれども、この10年間の左翼政権が非協力的だった
のであって、それ以前はそうではない。実は、横田めぐみさんの拉致情報につい
ては韓国の情報機関が取って日本の警察に外交ルートで渡したと聞いている。横
田めぐみさん、田口八重子さん、原勅晁さんの拉致については韓国の調査の結果
明らかになった。韓国には情報の蓄積があるし、ルートも持っているので、その
ことについては協力していただきたいと思っている。

もう一つ、対北政策について足並みをそろえてもらいたい。李明博政権は盧武
鉉政権と違い、対北援助と核問題の進展について一定程度条件を付けると言って
いる。日本は対北朝鮮支援の条件として拉致と核の進展を挙げている。そこでも
う一歩進んで、韓国も自国民の保護という側面から、援助に当たって韓国人拉致
を条件付けできないか。韓国の被害者家族はそれを求めている。テロ支援国指定
解除の問題についても、盧武鉉政権の韓国は解除に賛成だった。李明博政権が、
核と拉致が両方進展しない限りテロ支援国解除に反対すると言うようになれば、
大変大きな外交的な力になると思う。今年は、韓国に対する働きかけとして、情
報面と外交的な面の二つの面に取り組んでいきたい。




★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
●福田首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 福田康夫殿

●救う会全国協議会ニュース

発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

  
■ サイト内検索 ■


■ メールニュース ■
2024/02/19
「拉致」と「核」の分離が平壌を動かした 
2024/02/07
2024年の国際情勢と拉致問題4
2024/02/05
2024年の国際情勢と拉致問題3
2024/02/02
2024年の国際情勢と拉致問題2
2024/01/31
2024年の国際情勢と拉致問題1

■過去のメールニュース■

  ■ 2024年
  ■ 2023年
  ■ 2022年
  ■ 2021年
  ■ 2020年
  ■ 2019年
  ■ 2018年
  ■ 2017年
  ■ 2016年
  ■ 2015年
  ■ 2014年
  ■ 2013年
  ■ 2012年
  ■ 2011年
  ■ 2010年
  ■ 2009年
  ■ 2008年
  ■ 2007年
  ■ 2006年
  ■ 2005年
  ■ 2004年
  ■ 2003年
  ■ 2002年
  ■ 2001年
  ■ 2000年
  ■ 1999年
■あなたにも出来る救出運動■
あなたにもできること

 ■ 映画「めぐみ」 ■ 

映画「めぐみ」

■ 書 籍 ■