救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

「すべての拉致被害者を救出するぞ! 国民大集会」全記録



【7/07小浜事件】


西岡それでは戸別の事件に即して見ていきましょう。今回は条件拉致を中心に検証します。まず1978年7月7日福井県の事件です。
惠谷これは地村保志さんと富貴恵さんが拉致された事件です。展望台を登る坂道、これが展望台、その屋上に二人はいました。だいたい夜8時くらい。当時は屋上にベンチがあり、そこに二人は座って話をしているところを、いきなり暴力的に拉致をされた。
 この屋上から海を望む展望台には、1階にも二人アベックがいました。屋上から降りてくる階段。この右手に車を止めていました。当時は近くにユースホステルがあり、これと車道をつなぐ細い道が当時ありました。現在は廃道ですが、実行犯たちはおそらく二人をかついで、この急斜面を降りたのではないかと推定されています。
 これは小浜市の真珠浜と呼ばれる海岸で、一の浜、二の浜、三の浜とあります。二の浜から見た映像の向こうに蒼島という無人島があります。地元の方々に聞くと、この蒼島にはどこから見ても死角になる船泊まりがあり、おそらく工作子船は小浜湾に入ってこの蒼島に泊めたのではないかと推定されます。
 浜の人の姿がこれだけ小さく見えますので、車道から浜を見ても、ゴムボートを岩やしげみに隠したとしても発見、あるいは確認することができないと思われます。
西岡私はこの8月に小浜に行き、地村保志さん、富貴恵さんと会って、当時の状況を詳しく聞いてきました。地村さんたちはその年の3月に知人に紹介されて交際を始め、あの展望台でのデートは、七夕のあの日が初めてでした。
 富貴恵さんを自宅に送るその車の中で、七夕だから星を見にいこうと思い立って、偶然展望台に寄ったのです。そのことは誰も知りませんでした。展望台の屋上に座っていると、階段の下におかしな4人の男がいるのが見え、少し嫌な気持になったといいます。
 何とその中の一人が原敕晁さん拉致の実行犯辛光洙(シン・ガンス)でした。後ろから襲われ、口を塞がれ、手を後ろに拘束され、頭から袋をかぶされました。そして肩にかつがれて斜面を降りました。一歩一歩降りる時、犯人の方がお腹にめり込んで痛かったと富貴恵さんは語っています。
 海岸でゴムボートに乗せられ、工作子船に乗り換え、沖に出て工作母船に乗り換えました。保志さんは母船の船室に入れられる時まで袋のままでした。ゴムボートから子船に乗り換えるとき、たぶん放られたのでしょう、海に捨てられて殺されると思ったと話しています。
 富貴恵さんは、海岸で袋から出されています。しかし、保志さんを一回も見ていません。気配も感じていません。北朝鮮に着いたとき、お互いに相手は日本にいると信じこまされていたのです。ゴムボートは大きなものではありません。袋から出されていたのですから、同じボートに乗っていれば富貴恵さんは保志さんに気がついているはずです。ゴムボートが2隻あって、保志さんは一の浜、富貴恵さんは二の浜に下ろされた可能性があります。
 惠谷さん、どう思いますか。
惠谷通常ゴムボートは一隻積んでいますが、二隻のケースもあります。保志さんは一の浜の景観を知っていますので、保志さんは一の浜、富貴恵さんは二の浜からゴムボートで、工作子船が待っている蒼島まで移動。それから工作子船に移されて、小浜から沖合いに待つ工作母船に輸送されたと考えられます。



  
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