救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

緊迫する朝鮮半島情勢下での救出戦略ー東京連続集会95全報告



◆国交正常化を最優先にした田中外交、核・ミサイル開発も批判せず

西岡 田中均局長は、色々なところで言っていますが、「自分が北朝鮮と秘密交渉をしたのは2001年の秋からだ」と。アメリカに決定的な秘密を握られてしまった。「これは濡れ衣だ」と言って弁解できない。自分たちに教えてくれた人間がアメリカに教えているのですから。
 じゃあどうするか。金丸訪朝と同じようなことが起きた。アメリカの軍事的圧力が高まった時日本に接近してきた。それが小泉訪朝で、その時は我々が97年から運動をしていましたから、世論が一定程度高まっていたので、外務省も拉致問題を議題にしないということはできなくて、消息を出せと迫って、消息を出すということになったからこういうふうに交渉ができたわけです。
 しかし、出てきた消息について確認もしないで事実だと思って家族にも告げ、マスコミに告げるというようなことをやって、詰めが甘かったので5人しか取り戻せなかった。
 一方アメリカも、田中均外交に強い不信感を持ちました。アメリカは北朝鮮が核開発を続けているという確実な証拠を持っていて、小泉訪朝の直前に日本に通報しているのに、平壌宣言には、北朝鮮は核・ミサイル開発について国際的約束を守っていると書いてあったのです。国際的約束を守っていないという同盟国の情報があったのに、「守っている」という金正日の口約束を信じて平壌宣言にサインしてしまった。
 アメリカには強い不信感があったし、我々も、「田中局長は拉致被害者を取り戻す気はない。平壌宣言に基づいて国交正常化を最優先にしている。だから確認もしないで『死んだ』と言った」と強い不信感を持っていました。
 そういう点でアメリカにとって我々は田中局長の国交正常化優先の外交について、日本国内で抵抗する勢力だと見えたから、アメリカに行った時、我々に対する待遇がよかったんだと私は思っています。
 第2次核危機もははり、アメリカの軍事的圧力、それも核を理由にする軍事的圧力になった時、我々日本が拉致を一定程度議題にしたら、少し動いたというのが2回目の教訓です。
惠谷 西岡さんが言う通りです。あの時アメリカから来たのは確か8月20日頃だと思いますが、証拠を見せて「核開発をやっているんだ」と言ったにも関わらず、核に関しては触れず、その結果5人になったのかどうかは分かりませんが、全員取り戻すべきところでそうはできなかったのが事実です。


  
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