救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

最終決戦のとき、不退転の決意で全員救出を!国民大集会報告



◆母は寝たきりの病床で21年間戦った

斉藤文代(松木薫さん姉)
 皆さんこんにちは。熊本から参りました、松木薫の姉の斉藤文代です。今日もまた、たくさんの皆様方がお集まりいただきました。毎回ここに来られている方は、本当に熱心にお話を聞いていただき、すばらしい応援の方々と思って感謝しています。
 今日も母のことをふっと思い出しましたが、忘れようと思っているんですが、やはり母の話が出ますと、思い出すことがたくさんあります。昨年、14年の1月11日に母は父の元に参りましたが、21年間ベッドに寝たきりで、私が看病させてもらいました。
 わがままも言わないで、素直になんでも受け入れてくれて、介護してくださる看護師さんたちにも、何かをしてもらう度に、ありがとう、ありがとうと言っていました。
 ある時私に、「お姉ちゃんペンがなあい、ノートがなあい」と言いましたので、「あるよ、何するの」と言ったら、「総理大臣に手紙を出したい」と言いました。「書けるの、大丈夫」と聞くと、「大丈夫」と言ったんですが、もう書ける状態ではなかったんです。
 「総理大臣は誰に出すの」と聞いたら、当時の大平さんとかそういう方しか母は思い浮かばないわけです。その方に出すんだというので、「では書いてちょうだい」とペンを握らせました。そしたら、松木スナヨと書いて、真ん中に松木薫と書いて、そして下に「会いたい」と書いたんです。
 総理に出すのになんとと思いましたが、こういうように母は、ベッドの中で毎日、毎日薫の帰りを待っていたんだなと思って、本当にかわいそうでなりませんでした。それでベッドの中で、ものすごく自分も戦って、帰りを待っているんだなあと思ったら、何としても1日でも帰ってくるまでは会わせてあげなければいけないと思って、一生懸命介護をしました。できる限り頑張ってきたんですが、92歳です。
 母は頑張り切って、疲れ切って、亡くなる前に、もう息が荒くなっていましたが、私は、「もう頑張らなくていいよ。お父さんのところに行ってちょうだい。これだけ頑張ったんだからもういいんだから」ということで、母も涙を流していました。
 「私たちがこれから頑張るから上から守っていてちょうだい」と母に伝えましたら、母も、「分かった」というように目をつむって静かに息を引き取りました。先生から「ご臨終です」と聞いた時には、私は「もう一度目を開けてほしいな」と思ったものですから、耳元で、子どもの頃私たちが言っていたこと、大人になってからは「お母さん」と言っていましたが、「母ちゃん」って言ったんです。そしたらぱっと目を開けたんです。そして私たちを見て、そして目を閉じました。
 こういうことがあるんだなと思って、私たちもできる限り頑張って、兄弟みんなで薫が帰って来た時には間に合わなかったけれど、代わりに墓前で、もう薫が母と会うことはないかもしれませんが、なんとしてもみんながこの日本の地に帰ってくることを私は願っています。
 そして自分の家族だけではありません。みんなが帰ってきて、そして私の母がそういう苦しみを21年間寝たきりで味わったということを、今元気でもないお母様方もおられますから、その方々には是非再会させてあげたいなという気持ちがたくさああります。
 私たちが元気なうちに、みなさんが喜んで再会できるように、私も日本政府を信じて、なんとか頑張っていただきたいと思っています。国民の皆様方も、家族がみんな再会できることを願って、もう少し応援していただけたら、私も嬉しいと思います。
 私もしっかりと頑張っていきたいと思っていますので、これからもどうぞ宜しくお願いいたします(拍手)。
西岡 松木家は、弟の信弘さんも来ていらっしゃいます(拍手)。
 続きまして、増元るみ子さんのお姉さん、平野フミ子さんお願いします。


  
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