救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

最終決戦のとき、不退転の決意で全員救出を!国民大集会報告



◆絶対にあきらめないでいれば、きっと日本に帰ってくることができる

曽我ひとみ(拉致被害者本人、拉致被害者曽我ミヨシさんの娘)
 皆さんこんにちは。今日は日曜日のお休みですが、こんなにたくさんの方がこの会場に足を運んでいただいて、本当に心から感謝しています。ありがとうございます。
 私は13年前に、5人の方々の一人として日本に帰国することができました。それも、お出での皆様方の温かい声があったからだと、今心から感謝しています。
 その反面、37年前に、私と同じ時間、同じ場所でいなくなった母に、まだ会うことができていません。声の一言も聞いておりません。姿を見てないのはもちろんです。
 本当に私の母は、優しくて、とても我慢強い母です。今思い出しても、思い出がたくさんありすぎて、何からお話をしていいか分からないのですが、本当に働き者だった母、そして優しく私たち姉妹を育ててくれました。
 いつも買い物に出る時は、母の後ろをついてずっと歩いていました。みんな私の同級生たちが、親子じゃなくてなんか姉妹みたいねと言ったことがありました。どこに行くにも、いつも母の後ろをついて歩いていた私です。それが、こんなに長い時間母の顔を一度も見られないなんて本当に夢にも思わないことでした。
 私が北朝鮮に行った時、色んなことを考えて、色んなことで悩んで、色んなことで泣きました。だけど、いつも私の頃の中には母が一緒にいました。今も母は私と一緒にいます。そして絶対に大好きな故郷、佐渡の四日町に母は絶対帰ってくると、私は心から信じています(拍手)。
 少し話が変わりますが、私が北朝鮮にいた時、どうしたら日本に帰れるんだろうと、ない頭を絞りながら色んなことを考えたことを今思い出します。
 病気になったら日本に返してくれるかなあとか、誰か知らない人でも誰でもいいからメモを渡して、「私はここにいますよ」と言ってみようかと思ったり、ある時は本当にどうしようもなくて死んでしまった方がいいのかなと思ったこともありました。
 だけど、そんな時、いつも私と一緒にいた母の声が聞こえました。「今ここで命をなくしてしまったら、大好きな私とも会えないし、大好きな佐渡にも帰れないし、お父さんや、妹や、友達にも会えないんだよ」と言ってくれました。
 私はその言葉を聞いて、夢だとは思っていません。どんなことがあっても、絶対にあきらめないでいれば、きっと日本に帰ってくることができる。だから今こうして、この時間も故郷に帰りたいと思っている被害者の皆様のことを考えると、とても心が痛みます。
 母を初め、被害者の方々にひとことだけお願いします。どんなことがあっても、変なことは絶対に考えずに、あきらめずに、日本の故郷の家族を信じて待っていてください。でも、もう時間がありません。私の母も83歳になります。自分のことが段々できなくなってくる歳です。
 本当に時間がありません。今まで以上に、皆様方のお力をお借りして、この拉致問題が一日も早く解決することを心から願っております。これからも、皆様どうぞ宜しくお願いいたします(拍手)。
西岡 力
 続きまして、母として娘をずっと探してこられた横田早紀江さんお願いします(拍手)。


  
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