救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

「寺越事件50年、今何をすべきか 東京特別集会」全記録



◆墓に骨はなく、誕生日は間違っていた


西岡 皆さんのところに、大口英夫さん(救う会石川事務局長)が作られた「寺越昭二さんの墓の嘘」という資料があります。つまり、殺人なのか病死なのかということが真相究明の対象の一つですが、事実として昭二さんが北朝鮮に上陸したことを示す物証は一つもありません。
 外雄さんと武志さんは北朝鮮で撮った写真があります。ご家族もいるわけです。しかし、昭二さんが北朝鮮に上陸したということは、北朝鮮が言っていることです。口で言っているだけです。
 そして、我々からすれば、武志さんはそう言わされているのではないかと疑わざるをえないわけです。物証が何もないんです。あるとすればこの墓です。ここに骨が入っていれば、射殺されて海に捨てられたんじゃなく、病死ということになりますが、この墓も大変怪しいということについて大口さんから解説をお願いします。
大口 皆さんこんばんは。資料にあるこの写真は寺越友枝さんが北朝鮮から持ってこられたものです。3兄弟に渡されたものです。お墓に書いてあります昭二さんの生年月日が間違っていたというものです。生きていたのであれば、間違える筈がないじゃなかと訴えてきました。ですから何の証拠でもない。
 安明進さんが、昭二さんが船の上で射殺されたという事実を、一生懸命北朝鮮が否定しようとやっきになってきました。そして友枝さんにメッセンジャー的なことをさせてきており、今日までそれが続いている。
西岡 遺骨だというものを北朝鮮から貰いましたが、骨が入ってなかったですね。
寺越昭男 二度目の訪朝の時だと思うんですが、その時、お墓の土を持ってきた。遺骨ではなく。遺骨は防疫上よくないということで土を持ってきたと友枝さんは私に説明してくれました。
 お墓まで行ったのなら、少しでも遺骨を持ってくればいいのにと、当時はそういう思いをしていました。なぜそういう工作をしなければならないか。私は後で気がついたんですが、嶋崎譲さんが書いた『再会』の本の中でも、父親は「5年間北朝鮮で生きていた」と。
 最初に北朝鮮に入った時に、北朝鮮の取調官に、「自分たちは在日の帰国民である」と嘘をついたということです。「在日の帰国民」というのは、当時は在日の帰国運動があり、日本人妻を含め在日の方が何万人も北に渡っています。その中の一人と取調官に言ったと書いてあったそうです。
 武志と外雄さんは北朝鮮の国籍を取得し、親父は日本人のまま北朝鮮の国籍を取らなかったとも書いてあります。そういうのを見ていくと親父はなぜ取らなかったのかと思います。普通に考えるとおかしな話です。3人なら3人一緒に取るだろうし。また、「日本人のまま死んだ」と書いてありました。
 墓のことですが、武志が2002年に帰国した時に、私が少し話す時間があったので、お墓の話をした。私は、父親が「日本人のまま死んだ」ということが気になっていて、「墓には何と書いてあるんや」と武志に聞いたら、「自分の名前を書いてある」という。「死んでもおらんのになんで自分の名前を」と聞いたら、そこに友枝さんが来て、「ここはそういう話をする場所ではない」と。歓迎会の席だったので。
 その話を、武志についてきた監視役の二人が多分聞いたと思うんですね。
西岡 そこについて聞きたいんですが。武志さんは2002年10月に、朝鮮職業同盟の訪日団ということで日本に戻ってきたんですよね。その時、監視役の人が歓迎会の席にもいた。その時、歓迎会にはたくさんの親戚がいて、そこに、昭男さん、政男さん、美津夫さんも出ていたわけですね。
寺越昭男 その歓迎会の席は、寺越家の人間は私だけでした。というのは、友枝さんの方から拒否されていて、私は友枝さんの妹さんがやっているニットの工場に働いていましたので、その工場の一員として歓迎会に出ていたんです。
西岡 じゃあ直接話ができたのはその歓迎会の時だけですか。
寺越昭男 そうです。あとは会っていない。その時に話したわずか1、2分の結果がこれなんです。
西岡 お父さんは日本国籍のまま亡くなったのに、なんで墓には朝鮮名が書いてあったのかと。
寺越昭男 そうそう。墓には何て書いてあるのかと聞いたんです。寺越昭二と書いてあるのか、朝鮮名なのか、それを知りたかったんです。そしたら自分の名前を書いてあると言うので、死んでもいないのに自分の名前を書いた。そしたら友枝さんが来て、ここではそんな話はするな、と。
西岡 「自分の名前」というのは武志さんの名前ですか。
寺越昭男 そうです。そのやりとりを北朝鮮の監視役が武志から聞いたと思うんです。それで武志が帰って2週間後に武志の妹さんが北朝鮮に行って、持って帰った写真がこの写真です。
西岡 新しいコンクリートの墓ですね。
寺越昭男 作って1週間も2週間も経ってないような墓です。行ってすぐ作ったことはすぐ分かります。友枝さんに、「えらい新しい墓やね」と聞いたら、「武志が偉くなったから古い墓では何やから、新しい墓に作りかえたんや」と、そういう言い訳をしていました。
 後で気がついたんですが、誕生日と死亡日が続けて書いてあります。「1927.3.30生まれ 1968.3.30死亡」と書いてありますが、親父は3月31日生まれです。誰かが間違った記憶を教えたんだと思います。
西岡 外雄さんと武志さんがいたわけで、13歳で連れていかれた武志さんより、外雄さんが聞かれて、うろ覚えだったのか、意図的に一日ずらして教え、何かのメッセージを発しようとしたのか。特に墓を作ると言われた時に、違うことを入れて違うんだと言おうとしたのか。
寺越昭男 外雄叔父さんはもう亡くなっていないんです。友枝さんが間違った記憶で教えたのではないかと思っています。間違っているということが、親父が北朝鮮に渡っていない一つの証になると思っています。


  
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