救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

■北朝鮮が提出した「調査報告」の疑問点・矛盾点
(第3回日朝実務者協議)



■原敕晁さんに関する「調査報告」の疑問点・矛盾点


以下は、原敕晁さんに関する北朝鮮側の説明資料の公開について家族から了解の連絡を頂き上記と同日公表したもの。「調査報告」の疑問点・矛盾点62点に3点を加え、計65点となった。
以下は、原敕晁さんに関する「調査報告」の疑問点・矛盾点3点と、「調査報告」全文。

8.原敕晁さんについて

‘国経路について、「南浦ではないかとの指摘を受けもう一度確認したが海州だった」と回答したが、原敕晁さんを拉致し、原さんになりすまして韓国に入国中逮捕された辛光沫の事件について、ソウル刑事地方院判決文の犯罪事実に、「1980年6月中旬南浦港に到着し」、「日本人原敕晁を引き渡し」とあり、北朝鮮側の説明と矛盾する。
◆孱僑坑吃賊,撚燭月か入院治療を行い」と説明されたが、金正日政治軍事大学内にある695病院で最初の診療を受けたとしてもここには入院施設がなく、入院が必要な場合は同大学内にある915病院に入院する筈であり説明がおかしい。
0簓覆存在しないというのは不自然である。

※8番になっているのは、最後に情報を入手したため。調査報告では下記の如く3番になっている(注:救う会)

3.原敕晃さん
【北朝鮮側からの説明】

●入国経緯:1980年6月17日、宮崎県青島海岸において身分盗用のために連れてきた。原さんが金儲けと歯の治療のために海外行きを希望していたところ、工作員が、背乗りのために戸籍謄本を受ける代価として、100万円と共和国への入国につき合意した。原さんが、合意を実行するため、島根県に行って戸籍謄本を持ってきたのに対し、工作員は、要求どおり、100万円と高級背広1着を渡した。旅行準備を整えて、工作員とともに大阪から青島海岸まで列車で行き、1980年6月17日夕刻、海岸に出てから船に乗って、工作員とともに入国した。入国経路について、南浦(ナンポ)ではないかとの指摘を受けもう一度確認したが、間違いなく海州(ヘジュ)だった。
●入国後の経緯:1980年6月〜7月地方の招待所において休息。1980年8月〜1983年4月平壌市郊外の招待所において朝鮮語学習、現実了解及び現実体験。1983年5月〜1986年7月平壌市郊外及び地方の招待所において日本社会及び環境に関する教育に従事。
●結婚:1984年10月19日田口八重子さんと結婚。
●入国後の生活状況:酒を好んでいた原さんは、1984年11月ごろ、医師より、肝硬変との診断とともに、飲酒をやめて薬物治療を受けるよう勧められた。しかし、妻も飲酒を好んでいたため、酒をやめられず、病状が悪化した。
●死亡の経緯:1985年2月から695病院において何ヶ月か入院治療を行い、多少好転したものの、1986年4月初めから695病院で入院治療を行っていたところ、7月19日昏睡状態に陥り、食道静脈瘤出血により死亡した。
●死亡後の処理:妻の要求により、麟山(リンサン)郡の招待所に処置した。1995年8月18日、豪雨により麟山郡上月里(サンウォルリ)の貯水池ダムが決壊したため、流出した。墓地の所在地や流出を証明する文書は存在しない。墓地の流出時期について、以前1995年7月としていたのは、事務的な書き間違いである。
●遺品:死亡当時に焼却し、存在しない。

【証人からの聴取等】
○695病元医師及び麟山郡招待所の接待員から、当時の生活状況に関する情報の聴取を行った。

以上

  
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