救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

第2部 世界に広がる拉致被害と救出運動(1)




2-1 西岡 力・救う会常任副会長



 第一セッション「世界に広がる拉致被害と救出運動」を始めます。このセッションでは、世界各地より拉致被害者の家族、支援をしているNGOの代表に参加していただきました。家族会、救う会の調べにより、現在拉致被害者がいる国は少なくとも12か国、家族の国籍まで考えると13か国になることが明らかになっています。
 今日は、米国からの拉致被害者家族が初めて来日されました。金東植牧師といって、2000年に中朝国境近くで脱北者を助ける活動をしていて拉致されています。金東植牧師は米国永住権を持っており、奥様は米国人です。米国下院に提出されているテロ国家指定解除に反対する法案には、「金東植牧師が家族のもとに帰って来るまで解除してはならない」と書いてあります。また、「日本人被害者が家族のもとに帰って来るまで解除してはならない」と書いてあります。だから私たちが訪米したときも、金東植牧師の奥様にワシントンまで来ていただいて一緒に回ったという経緯があります。
 2度目、あるいは何度も来日されている人には、この1年間どのようなことがあったのか、どのようなことが調べられたのか、初めての方には事件の経緯などを話していただきます。
 まず、第一に、昨年の会議では、ルーマニアにも拉致被害者がいるけれどもまだ家族は出てきていないと報告しました。4月に、ここに来ておられるガブリエルさんが名乗り出られたので、増元さんと私がルーマニアまで行ってお会いし、国民大集会に招聘し、ジェンキンスさんにも会っていただいた。1年経って調査が進み、ルーマニアの家族も我々と連帯できるようになりました。それではブンベア・ガブリエルさんにお願いします。


2-2 ブンベア・ガブリエル(ドイナ・ブンベアさん弟、ルーマニア)



戦おう、諦めないようにしよう

 私は東洋の地政学の専門家ではありません。また北朝鮮と国際社会との関係もあまり知りません。しかし私は日本海辺りで起きている真実を知りたいと思って毎日一生懸命に国際的な出来事と北朝鮮の特殊な政治のことを勉強しています。自分の力で今の現実を理解したいと思っています。私は今姉を亡くした弟の立場でここに参加しています。
 平壌に2人の甥(姉の子ども)がいるのですが、接することも抱きしめることも出来ません。しかし私は希望を捨てていません。と同時に、この状態は長く続かないと思っています。私の母すなわち平壌にいる甥たちの祖母でドイナ・ブンベアの母は、今は身体的に弱っていますので孫たちに会ったり口づけをしたりする時間はあまり残されていないかも知れません。だから近い将来に北朝鮮の状態が変わって、ここに参加している皆さんも含めて良い変化が起こることを期待しているのではないでしょうか。
 平壌政権のスケジュールの中で、彼らはもっとも大切で緊迫した問題に取り組んでいるのでしょうか。だから私たち拉致被害者家族に対して人間味のある返答ができないのでしょうか。しかし平壌の指導者がこの地球の人間ならば被害者家族に同情心を示し、過去の過ちを、賢く同情心のある政治の方法で解決に取り組んでほしいと私は願っています。この場に参加している皆さんの中に私が絶望していたときに手を差し延べていただいた方たちがいます。朝鮮半島の二つの姉妹国の間でも固まっていた氷が溶ける日を待っている状態です。ここで話した言葉が開かれなければならない門の鍵となるように願っています。その門とはある国の指導者とその国民のハートに通じる門です。その人たちの思想や渇望も世界中の人たちと同じはずです。私は今このような瞬間を信じています。ある人たちにとってこの瞬間は小さくて無意味に思えるかもしれません。しかし私にとって、そしてここにいる皆さんにとっても、とても大切で決定的な瞬間だと思っています。少なくともこの世の中で、私はもう姉に会うことは出来ないし、母も自分の長女に会うことが出来ない。しかし私は自分の甥たちに会いたいし、母もドイナの子供たちを抱きしめたいのです。
 戦おう。諦めないようにしましょう。成功しましょう。ありがとうございました。


司会
西岡 力・救う会常任副会長
 4月にガブリエルさんと一緒に佐渡に行き、ジェンキンスさん、曽我さんと会っていただいた時、ガブリエルさんがお母さんからのメッセージを持ってこられました。それは曽我さんに謝りたいということでした。本によると自分の娘が曽我さんをいじめたと書いてあったのです。「娘は自分と暮らしていた時はそんな娘ではなかった。しかしそんなことがあったとすれば娘の代わりに謝罪したい」と。母親の心情というものはどこまでも愛が深いものです。拉致被害者同士であっても自分の娘が悪いことをしたなら代わりに謝りたいと言うのです。実は曽我さんは気持ちの中に少しわだかまりが残っていたのですが、それを聞いて、「お互いに被害者同士だったドイナさんが癌で亡くなる時、私が注射をしたりしながら最期を看取った」という話をされたのを思い出します。それを見ながら、いったい誰のせいでこのようなことが起きたのかと、いよいよ怒りを強めた記憶があります。
 続いてタイから参加されたご家族の話を伺います。タイの家族は前回の国際会議にも国民大集会にも参加していただき、我々とともに戦ってくれています。今回もタイから一緒に参加された海老原さんに通訳をお願いします。



2-3 バンジョン・パンジョイ アノーチャー・バンジョンさん甥、タイ



ジェンキンス著『告白』で知った叔母の拉致

 私はアノーチャー・パンジョイの甥で、アノーチャー・パンジョイの実の兄スカム・パンジョイの長男です。今回の会議に招いていただいたことに改めてお礼申し上げます。アノーチャーの拉致、また北朝鮮で生存しているということが判明して以来、日本のこのような会議に常に招いていただき非常に励ましを受けていることに感謝の気持ちで一杯です。アノーチャーが今このときも、生きて待っていると固く信じています。
 アノーチャーがいなくなって30年が経とうとしています。この30年間、アノーチャーがどこに行ってしまったのか、生きているのか死んでしまったのかも全く分かりませんでしたが、幸いなことにチャールズ・ジェンキンスさんの本から証言をいた だき、アノーチャーが北朝鮮で健在であるということを私たち家族が知ることになりました。ジェンキンスさん著『告白』を詳細に読み、アノーチャーがどのように暮らしていたのか知ることができたのです。家族は本当にジェンキンスさんに感謝しています。アノーチャーの父ソムはアノーチャーの帰りを待たずして先立ちました。アノーチャーのことを思うと私たち家族、親戚は悲しい思いでいっぱいになります。アノーチャーの兄で私の父であるスカム・パンジョイも今は体調がすぐれず、ここに来ることができない状況にあります。私は今回の会議を終えてタイに帰ったら、是非父にいつごろアノーチャーに会えそうなのかということを伝えられれば嬉しい。私は叔母アノーチャーに一刻も早く会いたいとともに、ここにいる拉致被害者家族が全て一刻も早く会える日を願ってやみません。
 本日は父スカムがアノーチャーに宛てて書いた手紙を持ってきたので朗読させていただきます。この手紙は2007年8月の北朝鮮とタイの両外相の二国間会談で、タイの外相から北朝鮮の外相に対して金正日に宛てた手紙として手渡されたものです。

 親愛なる指導者である金正日様。
 私はスカム・パンジョイでございます。アノーチャー・パンジョイの実の兄でございます。妹アノーチャーがいなくなってから私は妹の顔を29年にわたり見ることが叶いません。アノーチャーがいなくなってから私たち家族は本当に悲しい思いにさらされてきました。そのような思いが2年前の2005年まで続くことになりました。2005年になって初めて妹が北朝鮮にいるというではないですか。そのような話が入ってきました。それを聞いて私の家族はもう一度妹に会えるに違いないという期待を持つに至りました。妹がいなくなって29年もの間、私たち家族は本当につらい思いを続けてきました。いつ妹に会えるだろうかという思いを29年間も続けてきたのです。父は妹の帰りを待っていながらも、会うことが叶わずこの世を去りました。兄の私も今では健康がすぐれず、耳も聞こえない状態になりました。そのために居ても立ってもたまらずこんな手紙を書くに至ったわけです。北朝鮮の最高指導者であり最高実力者であるあなたにお願い申し上げます。どうか妹に会わせて下さい。あなたが指導者として私たち家族に慈悲の心があるなら、私たちの望みを叶えていただきたいです。私の父は妹の帰りを待つ間に、顔を見ることなく亡くなってしまいました。私がそのようなことにならないように、私の生きている間に一度妹に会わせていただきたい。それを最高指導者であるあなたに今一度お願い申し上げます。どうかこの願いを叶えてください。     スカム・パンジョイ



司会
西岡 力・救う会常任副会長
 タイは北朝鮮と国交があります。一部では日本は北朝鮮と国交正常化すれば拉致被害者を取り戻せるではないかという議論がありますが、国交正常化した後にタイ人は拉致されたのです。国交のある国の人も拉致して未だに返さないのが北朝鮮であるということを我々はもう一度確認しておきたいと思います。
 次の海老原智治さんは、タイでパンジョイさんの家族を支援し、タイの社会に拉致問題を訴え、北朝鮮人権問題も訴えており、去る9月にはタイで第1回拉致と北朝鮮人権問題国際会議開催に尽力されました。



2-4 海老原智治 タイ・パヤップ大学講師



バンコクで国際会議、タイ語版書籍・映画でも訴え

 タイ人拉致の現状について若干報告します。現在判明しているタイ人拉致被害者は1978年にマカオで拉致されたタイ人女性アノーチャー・パンジョイさん1件ということになっています。さらに拉致的な被害案件として1982年に10人のタイ人女性が日本に行くとだまされて北朝鮮に送られ、1年間、外貨食堂で働かされた上で翌年全員解放されたという事例もあります。現在タイ政府が問題として取り上げ北朝鮮と交渉しているのは前者のアノーチャーさんのケース1件となっています。後者については治安部門は関心を寄せてはいるけれども北朝鮮との間で公式に提起されたということはありません。
 アノーチャーさんの拉致が判明したのは2005年、チャールズ・ジェンキンスさんの証言によります。北朝鮮の海岸で撮られた写真に写っていたのはアノーチャーさんであるということは家族からも証言がとれていて、タイ政府が確信する一番大きな根拠となった一つです。家族は、1978年の失踪以来アノーチャーさんの行方も安否も全く分かりませんでしたが、2005年になって、27年を経て初めて明らかになりました。
 この問題に対するタイ政府の対応について、1975年に北朝鮮と国交を開いて、今年で国交樹立32年目となっています。北朝鮮にとってタイとの貿易高は第3位となっている。タイ人拉致問題についてのタイ政府の基本的立場は、拉致という言葉は使わず、「行方不明者」として北朝鮮と二国間の対話の中で協調しながら解決を目指すという姿勢をとり続けています。この立場の下に、タイ政府は拉致が判明した直後の2005年11月には、北朝鮮に対してアノーチャーさんの安否を照会しましたが、北朝鮮側の答えは一貫して、「調査はしたがそのようなタイ人は見つからなかった」というものでした。同時に、「ジェンキンスさんの証言はでっち上げで、このような海岸は世界のどこにでもある」ということに終始しています。
その後タイ政府は、外相会談の席では必ずアノーチャーさんのことを提起し、2006年のアセアン地域フォーラムの両国外相会談で両国実務担当者によるアノーチャーさんの行方不明に関する二国間作業部会の設置を提案しましたが現在まで北朝鮮側から正式な回答はありません。その後2006年9月に軍事クーデターが発生し、暫定政権が続いていますが、2007年8月のアセアン地域フォーラムでも北朝鮮との外相会談が行われ、そこでは先ほどバンジョンさんが読み上げたスカムさんの金正日に宛てた手紙が、タイ外相から北朝鮮外相に手渡されました。しかしこれについてもその後の進展はありません。このようにタイと北朝鮮の交渉は現在手詰まり状態にあると見なされます。
 タイ社会の認識について、実はタイでは北朝鮮に対する認識はほとんどありません。そのため北朝鮮の国家的人権侵害である拉致の問題構造が理解されていません。そのためにアノーチャーさんの拉致と言っても国民の関心はきわめて低いレベルにあります。
 このような中で私たち民間レベルの活動としては、2005年の拉致判明直後に私が立ち上げた「北朝鮮に拉致された人々を救援する会チェンマイ」が今のところ唯一の民間支援団体ということになっています。タイには昨年1年間に約千人の脱北者が流入しており、拉致も脱北者もともに北朝鮮による人権侵害であるということから双方に対する支援を行っています。タイ社会には北朝鮮に対する基礎知識がないので韓国と混同さえしている有様です。その中で北朝鮮人権問題を体系立てて信頼ある形で発信できるか、そこに拉致問題を位置づけていけるかが重要な点であると考えています。
 社会浸透性の高い発信方式として、去る9月に初めてタイで北朝鮮人権状況国際会議をタイの国家人権委員会との共催という形で開催できました。本日出席のホーラーチャイクン・チュラロンコーン大学助教授、それに昨年度のこの会議に参加したワリントン・タマサート大学准教授は、タイで唯一日本人拉致問題をフォローしている学識者です。このような人たちの支援を得て9月の国際会議を成功裡に終了でき、各方面に大きな反響を呼ぶことができました。終了後には在バンコク北朝鮮外交官がタイ外務省にわざわざ抗議にやって来るというような大きなインパクトを呼びました。
 またタイでは体系的な情報発信をしないとなかなか理解されないということから、書籍、映画にも力を入れています。今年はジェンキンスさんの『告白』のタイ語版を発刊できました。また、映画『めぐみ─引き裂かれた家族の30年』のタイ語字幕版を完成し、つい一昨日、チュラロンコーン大学で初上映できました。来年は脱北者の証言を集めた本のタイ語訳版を出版して問題を提起したいと考えています。
 またタイでは、横田めぐみさんの漫画がタイ語で発刊されるに至りました。
 このように資料をきちんと揃えて拉致問題、北朝鮮人権侵害問題の働きかけを行っています。また、日本、韓国、ルーマニアの被害者家族及び支援団体とも連携しています。
 今後の展望として、軍事クーデターによって政治が弱ってしまいましたが、民政復帰のために今月23日に総選挙が行われることになっています。来年は議会が復活することから、これまでの政府外務省ライン一辺倒だったのが、議会レベルでも解決への対応がなされる可能性があります。さらに9月の国際会議を機会に国家人権委員会が拉致と脱北者に理解を深めてくれたことから、2008年には政府外務省以外のチャンネルで踏み込んでいける可能性が見えてきました。このような動向をよく見極めながら各方面と密接に連携してこの問題の働きかけを強めて行きたいと考えています。今後とも日本、韓国、ルーマニアの被害者家族及び支援団体とも連携を強めていきたいと思っています。


司会
西岡 力・救う会常任副会長
 次の鄭英和さんは、先ほど紹介した2000年に拉致された金東植牧師の奥様です。


2-5 鄭 英和 金東植牧師夫人、米国



脱北者を支援した金東植牧師を北朝鮮が拉致

 私の夫の金東植牧師は2000年1月16日に拉致されました。来月は拉致されて満8年を迎えることになります。私は夜眠れなくなりました。多いときで4時間しか眠れません。だいたい2、3時間しか眠れないのです。食事も喉を通らず、精神病院に入院しました。2004年3月11日から2007年5月13日まで、私はシカゴにあるハムトン・プラザ療養院に入院していました。私の全身は睡眠障害による様々な合併症により既に足の指も手の指もしびれ、麻痺しています。
しかし、北朝鮮で生きているであろう夫のことを思うと、私も準備を整えていつか北朝鮮に行かなくてはならないと思っています。今、大学で英語の勉強をしています。北朝鮮で英語の教師を務めようと思っているからです。5年前から美容学院に登録して美容の勉強もしています。北朝鮮住民の髪を整えてあげたいとも思っています。
 北朝鮮の人権は最悪です。私の夫は拉致直前まで中国にいました。カンボジアの永住権を持って北朝鮮とも行き来をしていました。私は300枚のスライドに残されている北朝鮮の実情を目の当たりにし、常に胸を痛めていました。金正日と金日成は人権を踏みにじっています。人間は神のためにあるものなのに、神の栄光を金正日と金日成は自分のものにしようと思っています。自分に従わせ、自分を称えさせている。自分を憎むもの、自分を裏切るものを拉致し、獣のように扱っています。このような金正日が命を落とすまで我々の集いは拡大していくでしょう。我々の会合は神の祝福を受け、金正日はいつかこの世から去るでしょう。
 息子は9歳の時に父と別れました。コンピューターを買ってやるからと言って中国に向かって以来、主人は帰ってきていません。息子は16歳の時、最後のバスケットボールの試合の時、「他の子は皆お父さんと一緒に行くのに、僕は誰と行けばいいの」と言いました。父に恋焦がれる息子の姿を今でも忘れることができません。
 金東植牧師は37歳の時、両親を亡くしました。そして障害者宣教会の会長として障害者のために沢山の仕事をしました。障害者を支援し、飛行機をチャーターして彼らを済州島旅行もさせました。スキーも体験させました。日本語の本も出版しました。中国のヘレンケラーとも言われているチャン・ハイディーさんの本の翻訳もしました。これらは障害者に夢を与えることになりました。しかし1986年、交通事故で右側の脚を失くしてから障害者になり、そして、「この世の小さきものを助けよ」という神様の言葉によって子供たちを支援してきました。私は当時宣教師をしていましたが、金東植牧師の家族の世話をしてほしいと言われました。そしてある方から30万ウォンいただきましたが、金東植牧師の子供が7人いると聞き家族を見に行ったところ本当にひどい情況にあるということを知り、2か月後に私は金東植牧師と結婚することになりました。
 そして88年のソウル・オリンピックの時に様々な障害者のための支援活動を行いました。夫は中国と韓国の国交正常化以前から中国に行って様々な支援活動を行っていました。そして北朝鮮からの脱北者支援活動を始めました。延吉にはミッションホームを九つ作り、朝鮮族の人たちの世話をしながら神様の愛を伝えました。豆満江を行き交いながら支援活動をしたのです。
 96年のアトランタ・オリンピックの時、北朝鮮は経済的な理由によりオリンピックには参加できないと言っていました。そこで夫は北朝鮮に行って、チャーター便を出して、役員20人、選手50人を平壌からアトランタまで引率しました。私は当時アトランタで宣教師をしていましたので、私の方で朝食を作ってやり、昼食、夕食もみんなで回り持ちをして提供しました。食事の前にただお祈りだけを捧げて下さいと言って1か月の間90回、彼らと一緒に神様に祈りました。驚いたことは当時15歳の少女、ケ・スンヒさんが日本の柔道の有力な金メダル候補だった田村亮子さんを打ち負かしました。神様はこのような恩恵を我々に与えて下さったのです。
 その後98年2月、夫は私と一緒に延吉に行きました。そして金という人と、朴教授が脱北して夫・金東植牧師に会う約束をしていました。夫は夕方7時から12時まで彼女らと何らかの会話をしました。そして私に与えられた時間は12時から3時まででした。彼らは暗いうちに北朝鮮に帰らなければならないと言いました。夫は私に、彼女たちは北朝鮮に住んでいるのでイエス・キリストは麻薬に等しいから彼女たちに布教してはならないと言いました。そういう約束をして私は会ったのです。2度と会えないという気持ちでした。北朝鮮に生まれたが故にあれだけの苦労をしています。寒いのにコートも着ないまま、夏用のマフラーを髪に巻いていました。私は胸が痛みました。私は50歳で、朴さんは42歳の未婚でした。私の心の中のイエス・キリストを彼女にあげたいけれども、それができないから私は結婚指輪を朴さんにあげました。2度と会えない彼女に、福音を、命の糧をあげたいと思ったのです。私が3時間、神の言葉を伝えると、彼女は涙を流して自分は罪人だ、神様を信じたいと告白しました。イエス・キリストを信じるなら仇・金正日を愛せよと言ったら、彼女は、自分は金正日を愛すことはできないと言いました。
 そして彼女は何通もの手紙を夫に渡しました。1通目は国連事務総長宛の手紙でした。その手紙は、「世界は人間の体に等しく、北朝鮮はその心臓に当たり、その心臓が今腐ろうとしている。なぜ世界中は死に行く北朝鮮に何もしてくれないのか。助けて下さい」という手紙でした。
 世界の裁判官宛の手紙もありました。「各国にも世界にも法律があるけれども北朝鮮には法律がない。金正日、金日成が法律であり裁判者であり全てなのです。この二人を無きものにして下さい。北朝鮮に法律を与えて下さい」という内容でした。
 次に金大中大統領宛の手紙もありました。「南北統一を早めてほしい」という内容でした。
 金正日に対しては、「私はお前の心臓に剣を突き刺すまで死にはしない。お前の心臓に剣を突き刺して私も死ぬ。天が私を助けるだろう。私はこの使命のために生まれた。貴方を殺す。人類、民族の仇であり涙の源がお前なのだ。私は貴方を黙って見てはおれない」というものでした。私はあの朴さんを忘れることができません。
 12月4日、私はこの会議に来るためにシカゴを出発する時、記者会見を開き、「私は住み慣れたシカゴを離れ、日本に出発する。精神病患者のレッテルを貼られてこれ以上シカゴに住めないからです。私の息子すら私を精神病者扱いしています。私は国際的な孤児、国際的な未亡人になってしまいました」と言いました。私はこの国際会議に出て私が精神病者ではないということを証明できて感謝したいと思います。この国際会議の開催を世界に知らしめ、北朝鮮の人権が正されるまで皆様が支援して下さることをお願いします。命をかけてこの仕事に取り組めるよう力を貸して下さい。ありがとうございました。


司会
西岡 力・救う会常任副会長
 金東植牧師は実は直腸癌で人工肛門をつけておられ、それを洗わなければいけない状況です。北朝鮮でそういうことができているのでしょうか。また透析も受けておられた。未確認の情報ですが、最後までキリスト教の信仰を捨て切れずに殉教したという情報もあります。夫人はそういうこともあって大変なショックを受けて精神科の治療も受けられたということです。米国でお会いした時、「確実な死亡の証拠が出てくるまで北朝鮮は嘘をつく国だから、死亡が確認されるまでは生きているということを前提として戦うべきです。日本の家族はそうしています」という話をしたら、「私もそのような立場で戦いたい」とおっしゃったことを思い出します。
 次の南信佑先生は、米国から来日されました。米国のスザンヌ・ショルティさんと一緒に米国で北朝鮮人権運動をされています。


2-6 南 信佑 米北朝鮮自由連合副会長



北朝鮮の人々に自由を

 私は建築家であり、米国で学校建築の設計をしています。それを40年間続け、2000年頃から私の人生の転機となりました。脱北して韓国に来た黄長(ファン・ジャンヨプ)先生の著書で、「闇に隠れた太陽は照らすことはできない」という本を読みました。この本で様々なことを学びましたが、ガーンと頭を打たれたような驚きを得たのは、北朝鮮で95年から98年の3年間に300万人が飢え死にしたという内容でした。黄先生は詳しく書いています。300万人は一部であって、それ以上の数に上るだろうという内容でした。天災、自然災害で死んだのではなく、金正日が300万人を殺したのです。金正日には、当時の人口である2300万人を食べさせるお金がありました。錦繻山(クムスサン)宮殿に父親の死体を安置するのに使った9億ドルがあれば300万人は生きられたのです。
 私はリンカーン大統領の本を読み翻訳もしました。私は、リンカーンは人類に希望を与えてくれたと考えています。「奴隷制度により貧しく迫害された全ての人々を解放しなければならない」と言ったリンカーンです。この地球の反対側で300万人が死んでいるのにお前は何をしているのかというメッセージを受けたように思いました。
 2001年に私は、活動家のスザンヌさんに出会いました。何をお手伝いできるのかと申し上げたら、今すぐお金が必要だと言われた。その日から毎日、北朝鮮人権問題に共に取り組んできました。2004年4月にソウルでハンミちゃん家族を支援している人権活動家・文国韓氏に会いました。2005年5月8日にハンミちゃん家族に瀋陽の領事館への駆け込み脱北をさせた時は、スザンヌさんからの助けがあり、ハンミちゃん家族は救出されて韓国に行くことができました。ハンミちゃん家族は2006年4月には横田早紀江さんとともにブッシュ大統領に会うことができました。
 北朝鮮自由連合は、2003年6月にスザンヌさんとNGOが集まりを立ち上げました。北朝鮮の人権問題を全世界に知らしめようという目的で、韓国はもちろん日本、ヨーロッパから60のNGOが集まり、組織的な活動を行ってきました。北朝鮮自由連合は宗教や国籍は問わず、ただひたすら北朝鮮人権問題について考え、北朝鮮の人々に自由を与えるのが目的です。
 2004年には、米国国会で北朝鮮人権法案が通過するという大きな出来事がありました。その当時の喜びは一言で表すことができません。あの大きな米国の連邦国会で北朝鮮人権法案が成立したことは歴史的事件でした。法案が通過できるように北朝鮮自由連合は全力を尽くして働きました。
 その後、月日が流れ、今年初めからの6者協議は全くナンセンスです。6者協議のために人権問題が核に押しやられ、後回しになってしまいました。脱北者の問題、拉致被害者の問題、公開処刑の問題、そうしたものをもって金正日を攻撃しなければならないのに。BDA銀行からお金を与えながら金正日に核をなくせというのはナンセンスです。
 北朝鮮自由連合の目標はいくつもあります。何よりも人権問題を話し合わなければならないということ、中国に潜んでいる脱北難民を助けるため中国の強制送還政策を糾弾しなければならないこと、政治犯収容所をなくさせること、北朝鮮の全ての脱北者・拉致被害者・戦争捕虜の帰還を求めること、北朝鮮にあらゆる手段を動員して外部情報を伝えること、北朝鮮住民に直接食料を渡すことです。
 私は個人的には愛を持ってやってきましたが、金正日に対しては憎悪に変わりました。金正日は殺されなければならないと思っています。金正日は「悪の枢軸」そのものです。全ての方法、手段を動員してこの悪魔を取り除かなければならないと思います。
 でも、私の祖国・韓国が人権にそっぽを向いて金正日とともに歩んでいます。金大中は、2000年に北朝鮮にお土産のお金をいっぱい渡し、金正日の肩を叩いて、よくやっていると言ったのです。盧武鉉はさらにとんでもないことをしています。米国、日本を敵に回して、殺人魔・金正日と手を携えています。だから私は四方八方を駆け回って戦っているのです。金正日と戦う人々は私の同胞です。私は、中国人であれ、ロシア人であれ、韓国人であれ、何人であってもかまわないから、死んでいく同胞を共に助けてくれる人が一つの民族である、と言いました。
 1860年12月にリンカーンが、「私たちが黒人に自由をもたらすのは自分たちの自由を確信するためである。奴隷のためだけではない。奴隷に自由を与えて私たち自由人の自由を守るために行うことは全て栄誉である。私たちがどうするかによって、アメリカという国が栄誉の中で生き残ることができるか、もしくは恥辱の中で滅びるかも知れない」ということを語っています。私は100パーセント同意します。北朝鮮の奴隷は米国の奴隷よりひどい状況におかれています。
 43年前、ケネディ大統領がベルリンの壁の前で、ドイツ語で、「私はドイツ人だ」と言いました。私が日本で皆と同じように働けば日本人です。レーガン大統領は87年にベルリンに行って、「この壁を壊しなさい、ゴルバチョフさん」と言いました。90年に壁は崩壊しました。私たちが今叫びたいことは、「金正日、なぜ人を殺すのか。金正日、あの壁を壊せ。金正日、めぐみちゃんを返せ。金正日、金東植牧師を返せ」です。


司会
西岡 力・救う会常任副会長
 続いて、一番近い韓国からの参加者にお願いします。ご承知のとおり韓国には二つの時期別の家族会があります。まず朝鮮戦争中に拉致された朝鮮戦争拉致被害者家族協議会の李美一理事長に、この間いろいろと調査されたことの一端を話していただきます。



2-7 李 美一・朝鮮戦争拉致被害者家族協議会代表


 
金日成の50万人拉致計画を韓国の資料が裏づけ

朝鮮戦争中に韓国人8万人余が拉致されたという資料があります。朝鮮戦争中になぜこのように多くの人々が拉致されたのか、行方不明者も含まれているのではないか、と思う方もあると思います。客観的な事実を証明するため、北朝鮮の資料をもって、つまり北朝鮮の内部文書を証拠にして報告したいと思います。
北朝鮮と韓国の関係からこの問題が発生しています。1945年解放後、北朝鮮には社会主義体制が確立されました。それまでに警戒していた人々はすべて粛清対象者となりました。地主階級、親日派、宗教者などを粛清したのです。そして知識階級を粛清する時に、多くの人々が韓国に南下しました。その際には38度線がありましたが、当時はそれほど警戒が厳しくありませんでした。しかし、北朝鮮の最高指導者金日成には、インテリが必要でした。つまり金日成大学を設立するに当たり、教授などが必要だったのです。
金日成は、1946年7月に、「韓国から知識人を連れてくるように」との教示を出しています。第一の資料がその教示です。北朝鮮では、韓国の知識人のリストも作成されました。そして知識人に接近し、抱き込んで北朝鮮に連れていこうとしたのですが、当時北朝鮮にいた知識人たちは南に逃げてきており、北朝鮮の情報が伝えられていたため、だれも協力しませんでした。その結果、北朝鮮は1950年に戦争を引き起こすとともに、韓国の多くの知識人に接近し、懐柔、脅迫して、銃を突きつけて北朝鮮に連れていきました。
次の文書は、ロシアの機密文書です。「北朝鮮軍事委員会決定事項第18号」をロシア語に翻訳したものです。1950年7月17日付けのもので、戦争後軍事委員会が決めたものです。また、技術者、労働者、青年たちの多数を北朝鮮に拉致したことを立証する文書です。さらに、北朝鮮の農業及び産業の現場に50万人を連れてくることを指示しています。当時は、ソウルの食料事情が厳しかったのですが、北朝鮮がすべての食料を収奪したからです。各家庭に残された食料もすべて持っていかれたので食料がほとんどありませんでした。
3番目は、江原内第3440号という1950年9月5日付の北朝鮮の文書で、「ソウル市民の転出事業に関して」というタイトルがついています。これは「50万拉致指令」を裏付けるもので、「逃亡者がいる際、逮捕せよ」という文言があります。これは、「転出」などではなく、強制的に連れていったことを立証しています。
4番目は、「漣川駐在地事業報告書」という1949年8月5日付の北朝鮮の文書で、「敵陣に浸透して、進歩的な人士らを糾合し反動分子を分裂・和解させ、拉致することによって南北統一の決定的役割を果たす任務がある」と書かれており、戦争前から北朝鮮の拉致が組織的に実行されたことを立証する文書です。
5番目は、米国務省文書で、東京の駐日米国大使館がソウルの状況について本国へ報告した書簡で、1950年10月11日付のものです。それには、9月28日、ソウルが修復された直後、拉致当時に実状を最初に把握し、簡潔に記録した文書です。北朝鮮にどういう経路で連れて行ったのか、また拉致被害者の職業及び人数などが言及されています。「1950年9月17日から28日の間に、刑務所に収監されていたり、抑留•監視されていた1万人以上、少なくとも2万人の政治犯らがソウルからいなくなった」と書かれています。また、「占領最後の何日間に、北朝鮮は共産党の命令に従い、韓国に忠誠心を持っていた音楽家、牧師、公務員、事業家などの知識人と武器の運送ができる青年らを北朝鮮へ転出することに没頭した」と書いてあります。韓国の共産化も目的でありましたが、韓国の知識人、青年を連れて行くことが戦争の一つの目的だったのです。
そうすると拉致の目的は、まず必要な人材の調達。技術者・労働者・青年など戦争遂行に必要な人材です。次に、他国の拉致と違い、指導者・知識人を拉致し、韓国の社会を混乱させ、戦争後は復旧を難しくさせ、韓国共産化に有利な環境を作ることでした。3番目に、拉致した人を偽装させ、政治宣伝に有利に利用する目的があります。しかし、北朝鮮はこのような拉致を1件も認めていません。すべて自発的に北朝鮮に来たと宣伝しているのです。
次に、朝鮮戦争の犯罪性と現在性についてお話したい。戦争という特殊性を利用して、北朝鮮は多数の民間人を拉致しています。つまり、事前に計画し、必要な人材を選別し、組織的に拉致した戦争犯罪です。拉致は過去のことと言われますが、私たち家族は今も安否すら分らない。まさに現在進行形の犯罪なのです。
解決策としては、すみやかな実態把握、関連法の制定が必要です。また、北朝鮮に対する経済支援と今後の朝鮮戦争の終戦及び平和体制の交渉が進む場合、韓国の拉致被害者の送還問題を先決条件として提示しなければならない、と私たちは主張しています。
先般アメリカで活動してきましたが、これからはアメリカの議会でも拉致に関する決議を採択してほしいと思っています。今、13か国に拉致被害者がいます(金東植牧師拉致を米国に分類すれば)。拉致被害者の家族としては、一人の拉致被害も許してはならないと思います。また、二度と拉致という犯罪があってはならないと思います。


【参考資料】別紙


司会
西岡 力・救う会常任副会長
 李美一さんが持参してくださったパンフレットを開くと、世界で最初に結成された拉致家族会の1964年のデモの写真が出ています。最初の家族会は実は1951年にできています。李美一さんのお母さんたちが作ったものです。しかし世界はこの問題に全く関心を示しませんでした。残念ながら朝鮮戦争を一緒に戦った米国も見捨ててしまったのです。そして韓国では戦後も新たな拉致が続いています。戦わないとテロは続くということではないかと思います。休戦後にも約500人の韓国民間人が拉致され連れて行かれました。次の李玉哲さんは、戦後の拉致被害者家族会の会長です。


2-8 李 玉哲・韓国拉致被害者家族協議会会長



拉致問題に触れようとしない韓国政府と戦っている

 私の父は72年12月に拉致されました。拉致されて2年後の写真があります。金日成バッジをつけています。私は、韓国480数人の家族を率いる代表となりましたが、涙が乾いてしまったほど誰よりも痛みを感じています。大声をあげれば問題が解決するならそうしたいと思いますが、この問題は私一人が命を捧げても解決できる問題ではないし、韓国政府は私たちを助けてくれません。日本政府は、「拉致問題の解決なくして全ての経済協力は行わない」と言っていますが、韓国ではそうではありません。北朝鮮と戦うべき私たちは今、韓国政府と戦っているのです。
金大中、盧武鉉の10年間の太陽政策のもと、拉致問題について一切触れることがありませんでした。ここに父の写真があるのに、真相究明されたことは何一つないのです。だから恨んでいます。対策機関を、政府レベルまたは大統領府、国会に設けて真相究明を行えるようになることを望んでいたのに、それすら霧散しました。また南北交流法案を作って金剛山観光とか開城(ケソン)工業団地とか、そういったものをさらに拡大しているから、その陰に隠れて帰国運動が全くおろそかになっています。
韓国国民は、太陽政策は失敗だったと考え、政権交代を望んでいるのが現実です。ハンナラ党が政権を取れば私たちの力になってくれるのではないかと思います。各大統領候補に公開質問状を送ったところ、与党の鄭東泳候補からはあまりいい答えをもらっていません。現在の太陽政策でいくということです。しかし野党の李明博候補は、拉致問題については必ず解決していくという立場を表明していますので、政権交代がなされればこの問題が解決できると思っています。
 少し現実的なアプローチに向けて、野党ハンナラ党が政権を取った時、拉致問題について強攻策を採るとして、金正日が「拉致被害者はいなかった」としたならば問題は別になってしまいます。だからこの問題は国際的に圧力をかけなければならないのではないでしょうか。ここにいる各国の家族の方々、NGOの方々と連帯して、組織を作っていくことも大切ですが、政府レベルで、韓国政府、日本政府そして米国政府、拉致された国々の首脳が集まって首脳会談が行われる形で北朝鮮に圧力をかけていくしかないと思います。
 こう申し上げるのは、私たちも韓国で大きな集会を開きましたが、さほど北朝鮮に圧力がかかるほどのアピールはできなかったからです。だから外交的な手段を講じる必要があると考えました。拉致問題が一歩先に進む現実的なアプローチが行われることをお願いしたいと思います。


司会
西岡 力・救う会常任副会長
 次の増元照明家族会事務局長が、第一セッション最後の発表者となります。


2-9 増元照明・家族会事務局長



運動するほど拉致被害者がどんどん増えて驚愕

姉増元るみ子が拉致されたのが1978年、北朝鮮に拉致されたのではないかと言われたのが1980年です。当時私は、姉と市川さんのアベック、柏崎、福井のアベック3件の拉致被害者だけだろうと思っていました。北朝鮮のことを調べていくうちに、前年には久米裕さんが拉致されていました。さらに、87年の大韓航空爆破事件で李恩恵という存在が明らかになり、自分たちの家族のほかにも大勢の被害者がいるということにびっくりしました。
それでも家族は声をあげることができずに20年近く沈黙を続けていましたが、1997年に横田めぐみさんの拉致が、元工作員の証言で明らかになり、そこで家族会を結成し政府に訴えることになりました。その時点ではめぐみさん、原敕晁さんを含めて6件9人という認識でした。しかし、家族会が結成されて、有本恵子さん、石岡亨さん、さらに松木薫さんとヨーロッパから拉致された3人のことを知り、びっくりしました。日本だけでなく、外国にいる日本人を拉致した事実を知り、北朝鮮とは何という国かと思いました。
家族会を結成して運動していくうちに、韓国の拉致被害者が朝鮮戦争中に8万3千人弱おり、朝鮮戦争後にも5百人弱の人がいるということを知るようになりました。またレバノンにも4人の拉致被害者がいました。日本は北朝鮮と国交はなく、韓国は休戦状態でしたが、レバノンは敵対関係になかったのに4人の女性をだまして北朝鮮に連れて行ったということで驚きを強めました。
私はそこまでだろうと思っていました。レバノンの女性の場合は拉致の目的が分らなかったのですが、韓国、日本人の拉致はある種の目的があって連れていかれたのだろうと思っていました。
2002年9月17日、金正日が拉致を認めるに当たり、多くの拉致が湧き出てきました。日本では、曽我ひとみさんという拉致とは考えられなかった人が実は被害者だったことがクローズアップされました。そのため、日本国中に拉致の疑いが濃厚な人がたくさんいることが大きく取り上げられるようになり、特定失踪者という名前で知られるようになりました。その数が今、500人弱になっています。
さらに帰ってきたジェンキンスさんの証言で、色々な国から拉致されていることが分りました。一昨年はタイ人のアノーチャー・パンジョイさんが拉致されていることが分り、私と西岡さんがタイまで行き、スカム・パンジョイさん、バンジョン・パンジョイさんにお会いし、私たちと同じように30年近く苦しい思いをしていた家族がタイにもいたことを知ることになりました。
昨年3月になり、ジェンキンスさんの著書に出ているドイナさんという名前をルーマニアで調べていた弟のガブリエルさんが、自分の家族ではないかと名乗りをあげられました。また西岡さんと二人でルーマニアに行って、北朝鮮に拉致されていたドイナさんが、確実にガブリエルさんのお姉さんであることが分かりました。こうして徐々に判明してきた拉致被害国が12か国に及ぶことが明らかになり、私は非常に驚愕しています。
最初は自分たちのような家族はそんなに多くはないだろうと思っていたのが、10年経つ間に、どんどん広がっていきました。どこまでいけば全容が解明されるのかが、未だにつかめていません。このことが、北朝鮮による拉致の行為のひどさを表していると思います。
さらに先月、米国で金東植さんの夫人の鄭英和さんにお会いしました。鄭英和さんも息子さんも米国国籍です。米国国籍を持つ人の夫、父が北朝鮮に拉致されています。アメリカも被害国となり、これにもびっくりしました。11月にワシントンに行ったのは、米国が北朝鮮のテロ支援国家指定を解除する動きが強くなっていたためでした。私たちは12か国の拉致被害者がいることを訴え、それは米国の国益とは違うかもしれないが、米国が以前に「テロとの戦い」を推奨した時、ブッシュ大統領は、「米国は世界の警察にならなければならない」と言ったのです。「世界の警察」であるべき米国が、北朝鮮による拉致や国内で人権を軽んじている北朝鮮にそのような便宜供与をするのは、あの時のことばとはまったく違うのではないかと思って行きました。
ところが、金東植さんの拉致が明らかになり、米国も被害者家族がいるのに北朝鮮に譲歩するのは、本当に「テロとの戦い」を推進する尖兵として正しい道なのかという思いを強めています。この1年の活動でこういうことを思いました。
さらに、今年は色々な所に行かせていただきました。3月にジュネーブ、4月にルーマニア、そして4月末の米国の人権週間中にワシントンの中国大使館前でも人権問題を訴えました。8月にはソウルで国際会議、9月はバンコクで国際会議に参加しました。
ソウルとバンコクでは主に脱北者の問題がメインテーマでしたが、人権を重要視する人々が集まっていました。その中で感じたことは、脱北者の待遇改善や救出は当たり前のことですが、同時に困難に直面した人々がなぜ脱北するのかという根本の問題を会議で話し合わせなかったことに違和感を持ちました。脱北者を増やしている元凶をあまり問い詰めていないと感じたのです。脱北者をこれ以上増やさないためにどうしたらいいかを国際会議で話し合い実行する必要があると思います。
先日、渋谷の国連大学の前で、難民高等弁務官事務所のボランティアの方々が、バザールのようなことをし、写真を貼っていましたが、そこには脱北者の写真が一枚もありませんでした。アフガン難民をアピールする場でしたが、すぐ近くで起こっている難民である脱北者の問題をなぜ取り上げないのでしょうか。これは国内の人権活動家の問題だと思います。
確かにダルフールもアフガンも重要な問題ですが、すぐ隣で脱北者が人権侵害を受けているのに、高等弁務官事務所の関係者が関心を示していないことに矛盾を感じました。もっと、難民高等弁務官事務所に対してもアピールすべきと思います。
国内では、今年9月に安倍政権が退陣し、福田政権になりました。安倍政権の時は、北朝鮮拉致被害者の救出に期待し、関心が高まっていました。しかし1年経って解決しないので、国民の間に、「安倍さんでもダメなのか」という話を各地で聞かされてきました。我々はそう思っていませんでしたが、国民の間ではそういう考えが徐々に広がっていったのも事実です。
そして福田政権になり、「対話と圧力」の内、対話重視の姿勢になり、安倍さんの圧力重視がダメなら次は対話重視で解決するのではという希望的観測が流れ始めています。また色々な人々が対話重視の流れを形成しようとしています。本当にそうなのか。家族会を結成して10年、北朝鮮との対話をするためには圧力がなければ何も始まらないし、まっとうな会話ができないことを嫌というほど感じてきました。それを忘れて、また対話でというのは時間の浪費です。
私たちの思いと政府の思いが本当に一体となって北朝鮮に向かえば、必ず強い力になるのですが、総理補佐官も言われたように日本は独裁主義の国ではないので、色々な考えの人がいます。金日成政権が行ってきた北朝鮮国内での人権侵害、さらに世界に広がる拉致被害をもっと深く国民に知ってもらうことが必要だと思っています。
米国に行った時、元政府高官の方からアドバイスをいただきました。米国のテロ支援国家指定解除を止めるためにも、米国市民や議会に北朝鮮の非道への理解をもっと広めていかなければならない。その一つとして、世界に広がる拉致被害について、今12か国ですが、金東植さんを入れると13か国になる。このことをもっと知らしめていくべきとのことでした。その方は親日派の方でしたが、12か国の拉致被害についてはあまりご存知ではありませんでした。
私たちはこの提案を受け、昨日、集まっていただいたNGOの皆さんと話をしました。救う会、家族会、そしてここにおられる韓国、タイ、ルーマニアの拉致被害者家族で、「北朝鮮による拉致解決国際連合」を結成し、米国に対しても、世界に対しても拉致被害を訴えようという話をしました。
「この会は、世界各地の関係者が連携し、拉致被害者の救出、真相の究明、北朝鮮による謝罪、犯人引渡し、補償など拉致問題の解決をめざすことを目的とする」ことを決め、この目的のために連携し、世界に発信していくこととなりました。また、「米国のテロ支援国家指定解除に反対する国際拉致連合の声明」を本日採択していただければと思っています。
被害者家族は長い年月、じっと我慢をしてきていますが、その我慢の限界を2、3年前から言っています。両親世代が高齢化するに当たり、それをじっと待つだけの兄弟世代は辛い思いをさせられています。悪の根源をなくし、北朝鮮によるすべての人権侵害を解放する方向で話し合っていただきたいと思います。

司会 西岡
 自分の家族だけの問題と思っていたら、どんどん広がっていったという実感のこもった報告でした。増元さんは全世界を駆け回って家族の連携をしてきましたが、今家族会及び救う会も一緒になって「拉致解決国際連合」の提案がありました。賛成いただければ拍手をお願いしたい(拍手)。
国際的な力で解決に頑張って行きたいと思います。資料の規約案を見てください。また、声明をここで読み上げます。拍手で採択してください。以下増元氏朗読。拍手により採択。規約はこの直後の昼食会で決定。


  米国の北朝鮮テロ支援国家指定解除に反対する国際拉致解決連合声明

 私たちは、本日、東京で第2回「拉致の全貌と解決策」国際会議を開催した。
 拉致問題の解決のためには、被害国政府の毅然たる姿勢とともに、拉致というテロと戦う国際連帯が欠かせない。本日の国際会議を契機に各国家族とNGOは拉致国際連合を結成した。これまでも私たちは拉致解決のための国際的活動を展開してきたが国際拉致連合結成により、より強い絆を持つことになった。
 米国ブッシュ政権は、これまで拉致問題をはじめとする北朝鮮人権問題に強い関心を示し、解決のため金正日政権に圧力をかけ続けてきた。ところが、今年に入り、核問題の見せかけの進展と引き替えに、急速に金正日テロ政権に妥協する姿勢を見せている。
 特に、北朝鮮の強引な要求に譲歩して、米国はいま北朝鮮をテロ支援国リストから解除する作業を進めている。昨年4月の国務省国際テロ報告では日本、韓国、それ以外の外国からの拉致が指定理由に書き込まれていたが、今年4月の同じ報告では、日本以外の拉致の記述はすべて削除された。拉致被害者がいまも北朝鮮に抑留されている以上、拉致というテロは今もつづいている。それなのに、米国が北朝鮮をテロ支援国リストから解除するなら、米国はテロとの戦いを放棄したと言われても弁解の余地がない。
 すでに米国下院では日本人被害者と米国永住権を持つ被害者が帰還するまで解除できないようにする法案が提出されており、日本の衆参両院の拉致特別委員会も解除に反対する決議を採択している。
 私たちは本日結成した国際拉致連合として、拉致問題の解決ないまま米国が北朝鮮をテロ支援国指定から解除することに断固反対する。

2007年12月10日
北朝鮮による国際拉致解決連合共同代表一同


【参考資料】
北朝鮮による国際拉致解決連合規約
(2007年12月10日)

第1条 本会は、北朝鮮による国際拉致解決連合(略称:国際拉致解決連合)と称し、事務所を下記に置く。
事務所 日本国東京都文京区音羽1−17−11−905
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
第2条 本会は、世界各地の関係者が連携し、拉致被害者の救出、真相の究明、北朝鮮による謝罪・犯人引渡し・補償など拉致問題の解決をめざすことを目的とする。
第3条 本会は、世界各地の北朝鮮による拉致被害者家族会または家族及び拉致問題解決に取り組むNGOによって構成される。
第4条 各国の家族会、家族及びNGOはそれぞれ共同代表を出す。
第5条 本会の運動方針は、共同代表会議において決定する。
第6条 本会の事務を行うため、事務局長1名を置く。
第7条 本規約の改正は、共同代表会議によっておこなう。
以 上

  
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国民大集会「もう我慢できない。今年こそ結果を!」
「もう我慢できない。今年こそ結果を!」。2月2日に家族会・救う会合同会議で決めた今年の運動方針です。 拉致被害者家族の高齢化が進み、「生きている間に被害者に会えないかもしれない」という言葉が出るようになっています。経過はすべて説明して頂くことはないと思います。しかし、今年中にぜひ結果を出して欲しいということが、家族会・救う会そして心ある日本人の心の底からの叫びだと思います
2014年4月27日午後2時午後5時 日比谷公会堂
東京都
千代田区
日比谷公園1-3