救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

国際会議「北朝鮮による国際的拉致の全貌と解決策」全記録




日本を信じて頑張る



横田早紀江さんの講演


 皆様こんにちは。今日はお寒い中をこんなにたくさんの方がお集まり下さいまして有難うございます。主人が細かく拉致の経過を話しましたので特にないのですけれども、今日、政府主催でこのように拉致問題を取り上げていただいて、人権問題として皆さんに聞いていただくようなこんな大きな会を催していただいたことをうれしく思っております。

 約十年という間、何もわからなかった頃から活動を続けてきました。それまでの20年間は全く何の情報もなければ電話もかかってこない、何も分からない、どんなに警察が大捜索してもめぐみのことは何一つ分からない、どうして一人の人が街角で煙のように消えてしまうのだろうということが非常に不思議で、どうしたのだろうと本当に苦しくて、苦しくて、毎日畳をかきむしって大声を上げて絶叫するように泣いていましたので、お隣のおばあちゃまがいつも心配して、大丈夫だから、大丈夫だから、と言って、きれいな水仙とか紫陽花の花とかをなぐさめに持ってきて下さったことがありました。

 活動を始めるに当って、家族会が結成された後、今日もお見えになっている多くの方々と心を一つにしてお互いに信じあいながら今日までやってきました。その背後には、救う会という会が結成されて、今日も佐藤勝巳会長はじめ西岡力先生とか、前は一緒にして下さっていた荒木和博先生とか、全国の救う会の方々が、私たち庶民というか、何もわからない普通の母親でしかない私たちのような者を、非常に難しいこの問題をよくご存知の先生方がいろんなふうに計画をして下さいます。

 北朝鮮外交ということも難しいですし、私たちが政府にこのようにして下さいとお願いするにしても、個人では難しくてとてもそんなところへ出でいくわけにはいきません。けれども家族会を一つの輪として救う会の多くの方々が、今日ここまで、本当に、もう10年かかっているのです。これまで長い間、どれだけ、本を書いて発表して下さったり、今度はアメリカへ行って訴えよう、今度はジュネーブに行って訴えよう、今度は韓国の家族会の方と一緒に会を開いて力を合わせよう、韓国の政府の人にも訴えよう、といろいろなことを本当に緻密に計画して下さって、今日まで支えて下さいました。私はいつも、たくさんの方々の支援の輪というものに心から感謝しています。

 そして、めぐみのことが分かるまでの悲しかった時期は、日本の中の事件だと思っていました。いなくなって一週間はとても苦しい時間でした。新潟県内でもいろいろな事件があり、焼却炉の中から女性の焼死体が出てきました。これはめぐみちゃんかもしれないというので、すぐに、「めぐみちゃんはあの日、腕時計を腕にして行っていますか」という連絡がありました。すぐに机の中を探してみました。バドミントンの強化選手に選ばれたりして練習が激しいものですから、しばらく置いていくわ、と言っていたと思って引き出しを開けてみたら、案の定腕時計がありました。よく調べていただいた結果、それは六十歳代の女の方のご遺体であって、違った腕時計が発見されたので、めぐみさんでなくてよかったねということでした。悲しさと恐ろしさで全身の震えが止まらないですね。歯も合わないないし、どこへ行っても震えっぱなしというような、こんなに震えがくるものかというほど震えが止まらない時間を過ごしていました。

 日本海が近かったものですから、ちょっと沖のほうで漁船の網に小さめの女の人の頭蓋骨が引っかかって揚がってきました。これはひょっとしたらめぐみさんかもしれないというので、また警察から連絡があって、前任地の広島の歯科医の方から歯のカルテを取り寄せて下さいと言われたので、電話をかけて、このようなことですので大急ぎでカルテを下さいと頼みました。わかりましたということで、すぐにカルテを速達で送って下さいました。

 それを警察に届けるのに、自転車で足がガタガタ震えてペダルを踏めないんです。赤信号なのに何も思わないで、みんなに大きな声で怒鳴られながら、クラクションが鳴っているから何だろうと思うと、私が平気で赤信号を渡っているような状態で。そんな状態で警察に届けたような日もありました。

 大井埠頭から若い女の人の死体が揚がってきましたが、どんお洋服を着ていましたか、とか、私たちは、それはもう数え切れないほどの悲しい中を通ってきました。雪が降っても、あの子は雪が降るまでになんとか見つかってほしいと願っていたのですが、大きな牡丹雪が降ってきてもめぐみの行方は全く分かりませんでした。電話が鳴るたびに、ひょっとしたらめぐみかもしれないと思っていつも飛んで出るようにしていました。しかしあの子の声はあれっきり30年経っても聞くことはできません。

 そんな中で、こうして救う会や全国の皆様方の温かいご支援をいただいて、そして五百万名を超えるたくさんの署名をいただき、そして集会を開いたり訪米したりするために必要な経費を「どうぞ使って下さい」と、たくさんの方からご支援いただいています。バスに乗っていると、小学生の子供たちまで、「横田のおばちゃん、ぼくのお小遣いだけど使ってください」と言って50円を渡してくれたり、「今回は何も買わないから、使ってね」と言って二百円を手渡してくれたり、今も多くの方から家族会にたくさんのカンパを送っていただいています。そのお陰様でたくさんの活動をしてくることができたんです。

 私たちはあちこちから講演を頼まれてお話をしていますけれども、家の中は異常な状態で、事務所のようになってしまいました。たくさんの書類とか本とか手紙の山とか、山積みになっています。でも、いただくものに対しては、どんなに金額の多い、少ないにかかわらず全部家族会に入れさせていただいて、必ず領収証を書いてはんこを押して、夜1時、1時半頃までそうした事務的な仕事をしながら、みなさんの本当にありがたいご好意に応えてさせていただいてまいりました。

 署名活動をいろいろな県で展開させていただいてきました。もう亡くなられて、今も悲しさを忘れられない増元さんのお父様は、九州男児で本当に元気なお父様でした。大きな声で、明るい声で、「横田さんお元気だった」と言って迎えて下さったお父様も一緒に、るみ子さんの写真やめぐみの写真も大きくして、そして街角に立って、「署名をおねがいしまーす」と何度も何度もお願いしていました。

 初めのころは今のような関心度はなくて、拉致疑惑という時期でしたから、ほとんどの方がすーっと素通りするんです。チラシを出しても受け取ってくださらないことが多くありました。「どうか一人でも署名を書いて下さい」「るみ子を助けてやってください」「めぐみを助けて下さい」と、私たちは必死で大きな声で叫んでいました。その時るみ子さんのお父さんが言われた言葉を私はいつも胸の中にしまっています。このことが最も大きな根源なのではないかと、いつも講演会で話させていただいています。

 あまりに素通りの人が多いので、るみ子さんのお父さんは「こんなに大変な大事件が日本の中でたくさん起きているのに、この24年間もとという長い年月、いったい日本政府は何をしていたんだ」と涙を流して叫んだんです。私はその時横におりました。その時のことを忘れることができません。あの時に、るみ子さんのお父さんに本当にるみ子さんに会わせてあげたいなと思いました。私もめぐみに会いたい、みんながそれぞれの家族に会いたいと思っています。けれどもるみ子さんの姿は、あのタラップからは現れなかったんです。めぐみもそうです。有本さんもみんな頑張ってきたのですけれどもタラップから降りてきたのは本当のあれだけの方だったんです。

 お父さんがご病気で入院して重態だったるみ子さんの弟の照明さんは、帰ってこられた方に、「何でもいいから、北朝鮮でるみ子に会わなかったか、るみ子はどうしていたか、どんな姿でもいいから教えてください。父に話してやりたいんです」と一生懸命に聞いて回られましたが、あの時はまだ緊張感もあり、恐怖感もおありだったのか、「見たこともありません。知りません。全然知らないんです」ということで、照明さんは本当にがっかりされて大急ぎでお父様が入院しておられる鹿児島に向かいました。

 そして病床にあって、あの頃の元気な姿はなくて痩せてしまわれたお父様が酸素マスクをしておられる姿をビデオに撮ってこのたびの映画にも出ていて下さいますけれども、お父様はそんな中でも一生懸命におっしゃっていました。「おれは日本を信じる。だからお前も日本を信じろ」と照明さんにおっしゃったんです。

 「日本を信じる」「だから日本を信じろ」。これはどういう意味なのでしょうか。外務省を信じろという意味でしょうか。総理大臣を信じろという意味でしょうか。警察を信じろという意味なのでしょうか。これにはもっと深い意味があると思います。日本の全部の父親、母親がこのようなことになったときに自分はいったいどうするかということではないでしょうか。みんなの心を信じて、日本中の人が力を合わせて、心を合わせて、このような悪魔のような残酷なことになっている者たちを絶対に助けようという気持ちになることだ。そのことを、国民全部信じて頑張りなさいと言い残されたのだと私は思っています。あの時に叫んでいたお父様の街角の声と、そして照明さんに残された最後の言葉がいつも私の頭の中にこびりついて離れません。

 そして今まで、どんなふうに外交がなされてきたかということ、10年の間、いろいろなことがありました。私たちは何も知らない本当に平凡な庶民でしかありませんから、政府を信じ、警察を信じ、外務省を信じ、テレビや新聞に出ることぐらいでしか理解することはできませんけれども、私たちはどんな小さなことでも、子供たちの命を助けることになるなら、どんなことでもして下さるだろうと信じてきました。

 そして金正日の息子であるという金正男が不法入国したときは、これで子供たちは帰れるのではないかと本当に家族は思ったんです。政府はこの人をカードにして、こんな大切な人を返すのだから拉致した人を全部返しなさいと取引してくれる、これで帰れるよね、と本当に期待していました。けれどもその時の外務大臣は「早く返しなさい」と片手を振ってしまったということを聞きました。

 外務省の方々はこんなことをお聞きになるのは非常に不快だと思いますが、しかし現実なのであえて申しますが、6人もの上の方々が付き添ってVIP扱いで金正男を飛行機に乗せて送還してしまったということがありました。それでも家族はまだ一縷の希望を持っていました。日本の外務省だから絶対にこんなことをないがしろにするはずがない。私たちには言えないでしょう、国民には知らせられなくても、拉致被害者を助けるためにこんな大事なカードを向こうに送るのならば、6人のもの人がついて行ったのだから、必ず飛行機の中で、どういうふうにするかということを計画して下さっているでしょうから希望を持とうと頑張っていたんです。けれどもあのことはそのままで消えてしまいました。

 いろんなことがありました。私たちには、このように分からない状況が時々あっても、今でもそれはどうしてだったのかということは何も知らされません。大切に大切に生み育てた子供たちを取り返すためにどんなに本当に命懸けで戦っているかということを分かっていて下さるのだろうかと思いました。そして私たちの子供が連れて行かれる前からも拉致がありましたけれども、その時々でも、その時こうしていれば次は拉致をされることはなかったのではないかということもたくさん出てきています。そのことは、あの時にもう少しすればよかったというようなことで終わるようなものであってはいけないと思います。

 私はいつも思います。今日、私はここでこうして家族を代表して救出のために皆様方に「娘たちを助けて下さい」とお願いしていますけれども、拉致という問題は誰の身に起きたかわからない、本当に恐ろしい大事件です。日本の平和な国の中で誰も信じもしないようなことが30年間も待たなければならないほどの大変な問題が、長い長い間起き続けて、子供たちは今も今日も昨日も明日もお月様を見ながら「いつ助けに来てくれるの。早く来て」と助けを求めているんです。

 帰ってこられた蓮池さんご夫妻は「誰かがきっと助けに来てくれる。そう信じて待っていたけれども誰も来てくれなかった。だから私たちはもうこの国の人になって北朝鮮人として生きていくしかないと諦めて、百八十度心を入れ替えて生きてきたんです」とおっしゃっていました。曽我ひとみさんは「私は最後まで誰かが助けに来てくれると思って待っていました」とおっしゃっていました。それぞれに思いは違いますけれども、本当に残酷な、悲惨な思いを心に持ってあちらで生きている人が今もいるかと思うと、ひょっとして今ここに来て私たちのお話を聞いて下さっている皆様方どなたかの大事なご子息やお嬢様、またご家族の誰かがこのようになっていたかも知れません。今日はその方が壇上に立って、私たちがそちらから聞いて、「助けて下さい」と言っていたかもしれません。このような大変な問題です。

 拉致問題だけでなく、核まで持つようになったあの国が麻薬や偽ドルや不審船、テポドンミサイルと、ありとあらゆる悪行をやり続けて、多くの強制収容所では罪もない人が今も苦しめられています。私たちの子供もどこにいるのか分からないのですから、そんなところにいるかも知れません。どこにいるか、私たちは嫌なことを思わないようにしているから、生きていると思って頑張っているだけのことで、本当のことはわかりません。

 その中で、何の罪もないのに虐待を受けながら労役をさせられて叫び求めて「早く助けて下さい」と嘆いている北朝鮮国民がいっぱいいるということも私たちは知らなければなりません。そのような強制収容所から必死の思いで、9歳から親たちと一緒に入れられて非常に恐ろしい状況を見続けてきた青年が一人、青年になってからうまく逃げて、今韓国で北朝鮮の人権問題を一生懸命取り上げておられます。その方と一緒に私たちはこのような講演会でお話をさせていただいたことがあります。姜哲煥さんという本当に素晴らしい青年です。

 「あの国で僕たちが経験したことはこんなことだったということ、こんな残酷なことがあるということを、今こんなに平和な日本の皆様に話したって信じていただけないと思います。けれどもこれは現実であり、真実であります」、とおっしゃっていました。また「このようなことを世界中の人に知ってもらいたい。おじいさんとかはまだそこに放り込まれたまま助けを求めている。そういう人がいっぱいいる。それがどんなに苦しい生活か、言うに言えないほどのことです」とおっしゃっていました。涙を流しながら、「だから私はそのことを世界中の人に訴えなければいけないと思って逃げてきたのです」とおっしゃっていました。「死にいたる苦しさという意味では、ドイツのガス室でたくさんの方が虐殺されましたけれども、死に至る過程としてはそのような方のほうがまだ北朝鮮の強制収容所と比べてどれほど楽だったか。変な言い方だけど」とおっしゃっていました。

 もう生きていたくないほど苦しくて、死んだような状態になっても働かされるし、殴られるし、冷たい氷の上に放り出されるし、赤ちゃんを産んでもすぐにその赤ちゃんはビニール袋に入れられて氷の上に捨てられてしまう。そしてそのお母さんはすぐにまた叩かれて働けと言われるような恐ろしいところが現実にあるんだということを本にも書いています。このことは、人間として知らなければならない大事なことだと思います。

 私たちは、拉致問題だけでなく、悪魔のようなことを平然とやり続けている、たくさんの人たちを苦しめ続けている国が核を持ったということは、どういうことが起きるのでしょうか。これはもう日本だけの問題ではありません。時間稼ぎをさせることはもうできません。戦争をするわけにはいきませんから、制裁をかけて、物資を止め、お金を止めて、何もできないようにするしかないので私たちは制裁をお願いしているのです。みんなが幸せになってほしいと思っているのです。あちらの国の方々も、そんなところからみんな出していただいて、本当に自由を得ていただきたいと思っています。

 めぐみたちも早く、有本恵子さんも、増元るみ子さんも、松木薫さんや市川修一さんも、田口八重子さんも本当にみんながあのタラップから元気に降りて帰って、この自由の、こんなに裕福になった日本の国の本当の自由を味わわせてあげたいと思っています。どうか全員元気で、特定失踪者の方、北朝鮮に連れて行かれたても名前さえ知られていない人たちもみんな元気で帰ってくることができるように、私たちは一生懸命に頑張っています。どこまで体が持つかどうかわかりませんけれども、本当に多くの皆様のご支援のお陰様で今日まで来ることができましたことに感謝して、そして日本中が、一人ひとりが、あらゆる人が、国民が、政府が、警察が、国会議員が、すべての人が父親として、母親として、こんなことはいけないんだ、何とかしよう、と団結していただきたいと願っています。今日は本当にありがとうございました。
  
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