救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

緊迫する朝鮮半島情勢下での救出戦略ー東京連続集会95全報告



◆今3回目の核危機

西岡 これは実は3回目の危機です。北朝鮮の核開発が表面化するのは、1986年で、寧辺の5千キロワットの黒鉛減速炉が稼働を始めたということを衛星でつかんだ。その原子炉を北朝鮮は発電用と言いましたが、送電線がないんです。実験用にしては大きすぎ、発電用にしては小さすぎる。
 ソ連やアメリカが軍事用プルトニウムを作った時とほぼ同じ大きさの、核兵器の原料を作るのに大変いい規模の原子炉が動き始めた。この86年から一部の情報関係者の間で危機が始まった。
 実は核危機と拉致問題は当初から一緒にスタートしています。50年代から核をやっていたんですが、86年に核危機が表面化する。ついに原子炉が稼働を始めた。88年、89年、90年と3回稼働が止まって燃料棒を取り出している疑いが出てきた。燃料棒を再処理すればプルトニウムを持ってしまうという状況が進んでいる中、日本の国会で梶山答弁があって、「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚だ」となった。
 アメリカは確実な証拠を握って、多分90年代初めだと思いますが、アメリカの情報関係者が衛星写真を持ってきて、日本の情報関係者に見せた。それは「見た」という日本の情報関係者から聞きましたが、「この原子炉が危ないんだ」と。
 一方日本では拉致問題が一部プロの間で表面化した。その時北は何をしたか。金丸訪朝をやったんです。アメリカの圧力が出てきた中で、自民党と社会党のトップ、特に社会党を使って金丸さんを呼び寄せて、日本と国交正常化交渉を始める。もちろんソウルオリンピックで中国、ソ連が韓国を承認するという状況で、国際的な外交上の不利益を挽回するために日本に接近する必要がありました。
 もう一つ、アメリカに届くための核・ミサイルを作っているわけですから、彼らにしてみれば、発覚したらアメリカが何をするか分からないと思ったわけです。そういう中でアメリカの同盟国である日本に近づいておく、ということでした。日本はアメリカ側から距離をとらせるために利用された。
 金丸訪朝の時は核問題も取り上げず、拉致問題も取り上げず、ただ国交正常化交渉をやりましょうと合意しました。そして91年から92年にかけて8回、国交正常化交渉をやりましたが、当時の谷野アジア局長は国交正常化交渉が始まる前にワシントンを訪問して、「核問題は米朝の問題だから国交正常化交渉の議題にしないようにしたい」と言って、アメリカの政府関係者にどなられた。
 「何を言っているんだ。安全保障のことで絶対に譲歩は許さない。1インチも譲歩してはならない」と言われて、北朝鮮の核問題が日朝国交正常化交渉の4つの主要議題の1つに入りました。しかし日本人拉致は主要議題に入らなかった。
 日本人拉致については、第3回交渉で1回だけ田口八重子さんのことを取り上げただけです。でも日朝国交正常化交渉が進むと、アメリカから強い圧力が来て、「何をやっているんだ」、「本当に北は核開発をしているんだぞ」ということで、91年から92年にかけての国交正常化交渉は止まり、93年から核危機になるわけです。

  
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