救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

拉致発覚から20年−我々はどこまで来たのかー東京連続集会93全報告



◆実名記事で「こんな記事出されたら姉ちゃん殺される」という恐怖

増元照明(増元るみ子さん弟)
 皆さんこんばんは。家族会を結成してもう20年なんですが、長谷川さんにきていただきましたので、その原点の話をお聞きしたいと思ってきました。もう20年もたつと、思い起こしても何かぼけてきたのか、思い出せない部分がいっぱい出てきていますので、何かに書いておかなければいけないかなと思っています。
 先ほど西岡さんがおっしゃった槙田局長面会は、確か横田ご夫妻と私と、そして西岡さんと荒木さんだったと思います。最初の経緯はその通りです。そして突然、普段から激高しない西岡さんが激高して、「あなたは増元るみ子さんの名前を出したことがあるのか」と言って、槙田は何も答えなかったと思います。
 家族会は、解決のためにご尽力願いたいということで出て行こうとしたんですね。私が一番最後に出ようとしていたら、槙田が私の肩を叩いて、「皆さん、あんな連中と一緒にやっていたらだめですよ」と言われました。
 でも私たちは拉致問題を一緒にやってきた救う会の皆さんを信用していますので、「今までやってきたから当たり前でしょう」というような趣旨のことを言ったと思うんです。なぜ槙田がそういうことを言ったのかと、今考えると、槙田は私たち家族会をコントロールしたかったんでしょう。日本政府の思うように家族会を動かしたかったから、救う会から離したいという思いで、私に言ったんです。
 でも言う相手を間違えたんです。私をあまり知らなかったのだと思います。あの方は、前局長の加藤さんが駐米大使になっていたので、駐米大使になりたいと言っておられたようですが、色々問題があってエジプト大使になった。確か、韓国人か、在日の銀座のお姉ちゃんが愛人でいたと確か出ましたよ。まあその程度の人間でした。でも外務省の大使としてエジプト大使は大きいですからね。そういう所に出ていくのが外務省の体質だと思いますよ。
 1990年から日本政府は、金丸信大幹事長のもとに、日朝国交正常化を大前提に外務省を動かしてきたんです。政府も政治家も。それを継いだのが野中(広務)さんですね。野中が1990年の後半に、また自民党の小幹事長として君臨するんですが、やはり幹事長の力というのは大きいですね。その中で槙田はそういう言動を繰り返したんだろうと私は思います。それがずっと響いていると思います。
 今、飯塚代表がおっしゃったように、小泉さんのやり方が一番まずかったというのは、私も同感です。あの時2002年に、あのような形で金正日と交渉したら、もっと強く抗議すべきだった。もっと強く「返せ」と言うべきだった。その後4年間、一切制裁をかけませんでした。あの方は。ロケットを撃たれようが、核実験をやられようが、一切の制裁をかけませんでした。
 2006年だったと思いますが、座り込みの時にも、制裁をかけろと言ったんですが、それでもかけなかったんです。ようやく安倍さんが官房長官になって、7月5日、北朝鮮がミサイル実験をやった日に万景峰号を止めて、それから制裁が始まったんです。それまで一切かけませんでした。
 だから北朝鮮にとっては、日本政府は重要な問題だとは思っていないというメッセージを送ってしまったのです。小泉さんだけでなく、1990年から続いている自民党のやり方の問題だったんです。社会党は実質的にこれ(拉致)を否定していたからとんでもない政党ではあるんですが。
 驚いたのは、長谷川さんは、「実名を出して」ということを言われたんですが、「産経新聞」の1980年1月7日の記事では、家は実名を出しているんです。市川さんとともに。それから地村家、浜本家も出しているんです。もう一つびっくりするのは、富山の未遂事件の被害者の名前まで出ているんです。今は匿名になっていますが。蓮池家は出してないんです。
 あの時から、「周りから色々と言われた」とおっしゃっていましたが、制裁を気にしてのことだったのでしょうね。「お前の所は単にかけおちしたんだろう」など、いっぱい言われていたみたいです。また助けようという気があまりなかった。
 私たちは1997年に「実名を出して」と言いましたが、家はもう出していたので、さほど大きな問題ではなかったんです。1988年に、李恩恵の証言で、「アベック3組の女性がそう(拉致)ではないか」と言われた時、私は東京にいてその記事を読んだんですが、最初はやはり怖かったです。「こんな記事出されたら姉ちゃん殺される」という恐怖がありました。だから鎮静化してほしいと考えていました。
 当時は実家にいっぱいメディアが押し寄せて、母親はちょっとノイローゼ気味になったと後から聞きましたが、それでもこういう状況になっても日本政府は動かなかった。ましてや1990年の金日成の時、金丸さんはこの問題を出さなかった。「女給一人のことで」という言葉まで言っていますからね。
 日本政府として被害者を助ける気はなかった。それに準じて、警察も動かなかった。警察が動こうとしたところを、多分政治家が止めたのか、それとも警察官僚トップの人たちが、自分たちのことを考えて、止めといた方がいいと思ったのか。そういうことではないでしょうか。


  
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国民大集会「もう我慢できない。今年こそ結果を!」
「もう我慢できない。今年こそ結果を!」。2月2日に家族会・救う会合同会議で決めた今年の運動方針です。 拉致被害者家族の高齢化が進み、「生きている間に被害者に会えないかもしれない」という言葉が出るようになっています。経過はすべて説明して頂くことはないと思います。しかし、今年中にぜひ結果を出して欲しいということが、家族会・救う会そして心ある日本人の心の底からの叫びだと思います
2014年4月27日午後2時午後5時 日比谷公会堂
東京都
千代田区
日比谷公園1-3