3. 弱体化した金正日政権?先軍政治を揺るがす国際経済制裁(2006/10/01)
情勢分析??3
弱体化した金正日政権
?先軍政治を揺るがす国際経済制裁
はじめに
94年の金日成の死の前後で、北朝鮮社会は大きく変質した。70年代半金正日が後継
者に指名された後、94年までは金父子独裁体制時代の北朝鮮を支えていたのは次の3つ
の柱だった。?情報統制と洗脳教育で金父子への絶対的忠誠を作り出し、?職業、住居、
所属組織などを党が決定し、その枠の中で主食の配給を実施し、逆らう者は職業を失い配
給がなくなり、?政治警察(国家安全保衛部)の監視網を全国にめぐらし、金父子統治に
反対する者は政治犯として裁判もなく処刑されるか収容所で生き地獄の苦しみにあう。
ところが、ちょうど94年の金日成の死後、まず、一般住民に対する配給が停止し、党
を信じて通常通り職場に出ていた300万人以上が餓死していった。つまり?が機能しな
くなった。金正日政権は昨年秋、豊作だという宣伝とともに主食の配給再開を大々的に宣
言した。しかし、10月頃に再開された配給は1か月も持たず、ほぼ全域で停止してしま
った。
餓死せず現在まで、生き残ったのは職場をさぼり、闇商売、横流し、窃盗、売春などを
行った者か、家族、親戚に党軍幹部がおり支援を受けられた者、日本中国などの親戚から
援助がある者などだった。
金正日を信じ言われるままの生活をしたために目の前で肉親が餓死していくことを目撃
し、多数の住民は金正日への忠誠心を失っていった。そのため、?も機能しなくなった。
残るのは、?による恐怖の統治だけである。剥き出しの暴力を背景として反政府活動を
すれば家族もろとも殺されるという恐怖だけをその統治の基盤としているのだ。これが、
金正日が父親金日成死後に掲げた「先軍政治」の本質だ。自分の統治を維持するためには、
逆らう者を見つけだし殺すことが出来る暴力装置を持っていなければならない。軍と政治
警察に最優先でカネ、食糧、ものを回して自分の安全を図っているのだ。
ところが、配給停止後、住民は300万人以上餓死し、軍事産業以外の一般経済は完全
に破綻した。国営工場と協同農場は生産が大幅に低下し、稼働しているのはまともに軍需
工場だけという惨憺たる状態になった。ただし、闇商売の解禁で国内の流通、商業はほぼ
自由化したが、国内で付加価値を生み出す生産の場の農業と工業は破綻したままだ。した
がって、先軍政治のため軍と政治警察に回される物資を調達するためには、一定程度の外
貨収入が継続してなければならない。金正日政権が得ている外貨収入は、武器輸出と犯罪
輸出(麻薬、覚醒剤、偽札、偽タバコなど)、朝鮮総連・韓国左派政権などからの送金、中
国や国際機関などからの援助による部分が多い。これらで、年間数十億ドルになると推計
されていた。これらの外貨源をつぶせば、金正日は軍と政治警察にカネとモノを回せなくなり、また権力中枢の幹部等にぜいたくな生活を保障できなくなる。そこで、権力中枢で
内部矛盾が高まると共に、住民の反政府活動を暴力的に弾圧する力が弱まり、暴動やクー
デター、暗殺などで金正日が政権から追われる可能性が高まる。
島田報告にあるように、ブッシュ政権は以前からこの金正日政権の虚弱体質を見抜いて
いた。イラクのように先制軍事攻撃をかけずとも、徹底した経済封鎖で内部矛盾を高めて
いけば、政権交代が可能と判断して、昨年後半から本格的に金正日政権を締め付け始めた。
金正日政権内部では金正日が腹心幹部に対しても疑心暗鬼になり、後継争いともからみ
権力中枢部の矛盾は予想以上に高まっている。
本報告では、まず1節で、金日成死後、金正日政権の統治基盤が大幅に弱体化したこと
を確認する。次に2節で、金正日の統治はむき出しの暴力を基盤とするものだという点を
脱北者の証言などを元に確認し、3節で最近筆者が入手した金正日政権権力中枢部の動揺
に関する情報を紹介する。
1 配給停止で弱体化した金正日政権の統治基盤
先に書いたように、94年までは金父子独裁体制時代の北朝鮮を支えていたのは次の3
つの柱だった。?情報統制と洗脳教育で金父子への絶対的忠誠を作り出し、?職業、住居、
所属組織などを党が決定し、その枠の中で主食の配給を実施し、逆らう者は職業を失い配
給がなくなり、?政治警察(国家安全保衛部)の監視網を全国にめぐらし、金父子統治に
反対する者は政治犯として裁判もなく処刑されるか収容所で生き地獄の苦しみにあう。
まず、このうち?が維持できなくなった。
金正日は93 年3 月に「社会主義への誹謗は許されない」と題する長文の論文を発表した。
名指しはしていないものの鄧小平の改革開放政策を批判している部分があり関係者の注目
を集めたのだが、その中に次のような一節があった。
「社会主義社会で経済に対する政治的指導と中央集権的な計画的指導は労働者階級の
党と国家の基本任務の一つとなる。それは、労働者階級の党と国家が人民大衆の生活
を見守るべき責任を負っているからである。労働者階級の党と国家が経済に対する指
導機能を放棄することは、人民大衆の生活を見守るべき自らの責任を回避するものと
なる。社会主義社会で国家が経済に対する指導機能をどう実現するかは具体的な実情
と革命発展の要求により国ごとに異なりうるが、いかなる場合にも経済に対する指導
を放棄してはならない。労働者階級の党と国家の指導がない経済は社会主義経済では
なく、社会主義経済に基づかない社会は社会主義社会だと言えない」
なかなか堂々たる論説だ。しかし、皮肉なことにこの論文発表の半年余後にあたる93
年冬から「党と国家が人民大衆の生活を見守るべき自らの責任を果せなくなる」。即ち主食
の配給を保証できなくなる状況を迎え翌年の金日成の死を経て今に到るまでもそれは続い
ている。まさに「党と国家が経済に対する指導機能を放棄している」のだ。そしてそのためにここまで見てきたように人民の間で「配給もろくにくれないくせに……」という不満
が高まり、それをテコにして社会主義統制国家を支えてきた秩序が急速に崩れ出している。
金正日論文のいう通りまさに「党と国家の指導がない現在の北朝鮮経済は社会主義経済で
はなく、社会主義経済に基づかない現在の北朝鮮社会は社会主義社会だと言えない」ので
ある。
94年7月の金日成の急死も、配給が続けられなくなることに対して、強い危機感を覚
えた80代の高齢の金日成が、なんとか経済を再建しようと無理を押して動き続け健康を
悪化させたことは間違いない。あるいは、経済再建への路線で金正日と対立し、金正日に
よって謀殺されたという可能性も未だ否定できない。
2 配給停止により、外部の情報を知る住民たち
配給があった90年代はじめまで、住民には国内旅行の自由がなかった。居住地のある
市・郡から外に移動する際には厳しい統制があった。しかし、配給停止後は多くの住民が
食べ物と燃料を求め背中に手製のリックサックを背負い、全国を大規模に移動するように
なった。その結果、口コミで多くの情報が住民の間に流れるようになる。
中国への脱出者が最盛期は30万人以上を数えたが、それも国境地域までの移動が事実
上自由になったことが大きな背景としてある。中国に出た者たちの大部分は、カネや食べ
物などを手に入れ北朝鮮に戻っていった。家族を食べさせるためである。韓国NGOの調
査によると脱北者の約8割が北朝鮮に戻っているという。中国に出た者は、北朝鮮住民の
主食より中国の犬のエサの方がよいことを目撃し、その中国より韓国の生活水準が上であ
るという情報に接する。それを知った住民が北朝鮮の戻り、口から口に韓国が北朝鮮に比
べて大変豊かであることを大多数の住民が知る。
隠れて韓国や米国のラジオを聞く者も増え、2000年代にはいると中国から中古のビ
デオ再生機が廉価で出回るとともに韓国テレビドラマやポルノのビデオなども大量に持ち
込まれている。
つまり「?情報統制と洗脳教育」も事実上破綻した。
多くの政治的建前が崩れていく中で、「韓国はアメリカ帝国主義の植民地で人々が飢え死
にしている」とされてきた政治宣伝に対しても、外部の情報に接することのできる知識層
は勿論、庶民レベルでも疑いを持つ者が増えている。複数の脱北者の証言によると、80
年代まででも開城では韓国が風船などで飛ばしてくるビラはすぐ拾われて破られるか社会
安全部に届けられていたが、90年代半ば以降、道ばたにビラが落ちていると人目を避け
てそれを読み、またそのまま次の人のために置いておくということが続いて10日間位は
放置されているのが普通となっている。山の中では1 カ月位そのままにされていることも
めずらしくない。
たとえば、地方都市の開城では全住民の30?40%は韓国が経済発展し人々の生活が
豊かであることを知っており、40%はそのような話はきいているが本当かどうか分らず
におり、10%が教育されている通りを信じているという。
開城出身のある脱北者は自宅に持っていた日本のサンヨー製テレビで、南の放送を隠れて見ていたという。また、軍事境界線近くに行った時、南側がフェンス沿いにこうこうと
電灯をつけているのを目撃し、彼らはこの位電気が余っているのかと驚いた経験を持つ。
3 先軍政治の本質
しかし、金正日の独裁統治は今も続いている。いまの金正日政権は3つの柱の内の残る
一つ「?政治警察の監視網と収容所」だけによって支えられている。 国全体が政治犯収
容所と化してしまったと考えると分りやすい。政治犯が飢え死んだり病死したりすること
は極く日常的なことであって収容所管理者は責任を問われることなどない。管理者が常に
目をひからせているのは反抗、反乱の動きがないかという1 点だけだ。金正日が「先軍政
治」というスローガンを掲げ軍という暴力装置に身をすり寄せているのも、まさに国家全
体の収容所化という状況を背景としている。
金正日が金日成死後掲げた「先軍政治」という統治理念は、逆らう者は家族もろとも殺
すぞと言う宣言だ。だから、軍と政治警察など暴力装置に最優先で資金、食糧、物資を回
している。軍と政治警察が自分への忠誠をなくせば、政権が倒れ自分は殺されるという自
覚を金正日はしっかり持っている。
人民の不満が経済領域における自由——即ち欠勤、ヤミ商売、買出し旅行などを求める水
準にある間は黙認される。ところが、ひとたび政治的な不満を表明したならばその瞬間に
暴力を持って取り締り処刑するか、家族もろとも政治犯収容所に入れてしまうという政治
統制は揺らいでいないのだ。
筆者は南北軍事境界線を直接越えて1996年7 月に韓国に亡命した開城市のレンガ工
場労働者であった崔スンチャン氏から次のような目撃談を聞いた。
1996年7 月初め、開城市郊外の彼の家から約150メートル離れた道ばたでまき集
めから帰ってきた中年婦人4?5人が立ち話をしていた。そのうちの1 人の婦人が
「このまま金正日将軍だけを信じていたら我々みんな飢え死んでしまう」
と語った。
それをきいていた別の婦人が大声で
「この反動おんな! 将軍様のことを何と言うことを言うのだ」
と非難した。
それに対して最初の婦人が
「それではお前の家は配給だけで食べているのか……」
と反論した。大声での言い合いが約10分も続いたところで国家保衛部員(政治警察)が
かけつけてきて金正日批判をした最初の婦人をなぐりつけて引きずっていった。風のうわ
さでは彼女は政治犯収容所送りとなったというのだ。
4 高まる住民の不満
ある著名な日本の国際政治学者は現在の北朝鮮人民の餓死に関して「管理された餓死であって体制崩壊には直接つながっていない」との分析を示している。価値判断を抜きとす
るとこの分析の前半はそれ程間違っていないといえる。北朝鮮の現政権が人民を餓死させ
ながらも保衛部と軍の暴力によって自らの統治を守ろうとしているという現状は、ある意
味で「管理された餓死」と形成されるのにふさわしい。実は管理者らが自らの特権を放棄
さえすれば餓死はすぐに止めることは可能なのだ。その意味からすると「政権によって意
図され管理された餓死」というのがより正しいだろう。
しかしこの分析の後半部分については疑問がある。このような状況はいつまで続くのか
という問題だ。
多くの脱北者が口をそろえて証言していることだが、今北朝鮮人民は「早く戦争が始ま
って欲しい」と考え、また語りあっている。この戦争願望は90年代に入り急速に広まっ
たものだが、特に、餓死者を目の前にしてその思いが強まっているという。
これ以上生活が悪くなることはないからという変化を願う心理や負けたとしても豊かな
南といっしょになれるという期待を持つ者もあるようだが、かなりの部分は戦争をすれば
北朝鮮が勝つと信じているのだ。経済的に南が発展しているということを分ってきた層で
も、軍事面では北が優位に立っていると信じている。
また、先の崔氏が目撃した開城の中年婦人のケースからも分かるように「配給で食べて
いけない」という状況によってついに道ばたで公然と金正日批判が口にされるようになっ
ているのだ。韓国「中央日報」96年8月31日の記事は、8月中旬に咸鏡北道セピョル
郡のおじを訪問した朝鮮族金某氏(42才・女)の次のような証言を伝えている。
「住民たちは『金正日は軍隊だけを分っていて経済は知らない』とか、『金正日は金正
淑に似ていて、本当に金日成に似ているのは金平一』だとか等の迂回的なやり方で不
満を述べている。また、『金平一が指導者になる時までは結局、このような暮しが続く』
という諦めを持っている。」
「家族もろとも殺すぞ」という恐怖によってなんとか抑えている人民の不満が、次第に反
政府行動として表面化し始めている。金正日政権のつづく限り配給の全面再開はあり得な
いから今後、人民の不満はいよいよ累積していき、苛酷や弾圧で処刑されたり政治犯収容
所に入れられた人の近親の恨みもまた増大していく一方である。食糧倉庫襲撃などの形で
その不満が大規模な騒乱事件に発展する可能性は常にある。
その上、もう一方では飢えに苦しむ人民が戦争願望をどんどん強めており、それが騒乱
の引き金となることも十分ある。
5 高まる権力中枢部の矛盾
筆者はソウルの情報関係筋から金正日の義理の弟である張成沢の失脚に関連して、実は
すさまじい権力中枢部のあったという情報を入手した。
もちろん、この情報は確認されたものではないが、関係者は大変信頼できると評価して
いる。
なお、この情報を入手した後、張成沢は2006年2月頃、再び労働党第一副部長とし
て復権したことが確認されているが、その背景についてはいまだに確実な情報はない。
2004年から、張成沢は金日成高級党学校学生として在学しており業務停止処分を受
けていた。
外部の言論では、張成沢が逐出されこれ以上展望がないように報道され、その上彼がい
る金日成高級党学校が革命化教育機関であり罪を犯した人間だけが行くところのごとく間
違って知られてもいるが、内幕は全くそうとばかりはない。
金日成高級党学校は金正日を除外した北朝鮮最高位層が何年かに一回ごと義務的に通過
する再教育機関でもあり、何年か前に死亡した金容淳祖国平和統一委員長もあるときそこ
で再教育を受けた際、金容淳左遷説が出回ったことがある。
張成沢が現職から退いたときもまた今回が初めてではない。
過去1980年代後半、張成沢は南浦にあるカンソン製鋼所労働者に転落したこともあ
ったが、わずかしか過ぎないうちにすぐ労働党組織指導部に上がっていったこともある。
もちろん、張成沢が北朝鮮の第二人者として業務停止処分を受けて一日で在学生に転落
したことは処罰あるいは逐出ではないとは言えない。
実際に張成沢は、1990年代後半から金正日の妻高英姫が心配し始めいつかは権力闘
争に巻き込まれるだろうと展望する人たちもいた。
張成沢が業務停止処分を受けるにはいくつかの理由があった。
外に出てきた理由は2004年2月張成沢と親しい北朝鮮体育委員会委員長である朴明
哲の息子の結婚式が超豪華版で国家経済が困難な中で批判の対象になったことも一つの契
機になったという。
けれども本当に張成沢が第二人者としての地位から退かされた基本原因は張成沢が常日
頃、金正日の長男金正男を格別にかわいがり彼に何でもしてやるという点が、現在の金正
日の妻、高英姫との葛藤を生むようになり、彼女の息子金正哲が2001年労働党組織指
導部で働くようになり実質的上官である第一副部長とのいろいろな葛藤もあったという。
組織指導部で実質的な後継者としての授業を受けていた金正哲としては組織指導部内の
全てのことを掌握して自由にしたかったが、張成沢という第一副部長の権力までは超える
ことができなかったという。
また北朝鮮第二人者の地位が固まった張成沢の権力があまりにも肥大化し、金正哲が権
力を継承すれば張成沢が妻の甥を好き勝手に扱おうとするかもしれないという高英姫の心
配とそれを認めた金正日の決断とも推測されるという。
高英姫は、はじめは張成沢の妻金敬姫と張成沢とも関係がとても良かったが、いつごろ
からか張成沢が金正男をかばい、特に張成沢が養子として育てている張賢(実質的に金日
成の末息子)に対する期待が何回か外に現れると、このままいくと自分の息子である正哲、
正雲が金正男と金賢に押し出されてしまうかもしれないという心配が生まれ1990年代
後半から張成沢牽制に出てきたという。
その最初の出発が金容淳で、高英姫は金容淳を別に呼んで忠誠を確認し、金正日と自分
が出席する宴会で特別に金容淳に好意を示し、酒も自分で直接注いでやるなど金容淳を立てて正哲、正雲に対する後継者作業を試みたという。
けれども金容淳が事故で死ぬと、高英姫は張成沢とともに朝鮮労働党第一副部長で朝鮮
労働党内部の党委員会である「本部党」責任秘書を務めている李済強を利用することにし
たという。
李済強は金正日の特別な信任を受け組織指導部内の実勢であると同時に彼が党内部の人
事権を持っている点を利用し、張成沢の人脈から除去し始めたという。そして張成沢は高
英姫の牽制によるストレスと平素の過飲で健康状態が急激に悪化したという。
張成沢の除去とともに張成沢人脈という北朝鮮最高位層幹部たちが2004年6月と7
月を前後して次々に解任されだした。
1970年代から北朝鮮最大の青年組織である「金日成社会主義青年同盟」委員長とし
て活動し張成沢と親しかった池在龍、朝鮮労働党国際部副部長が2004年6月末に逐出
され労働党宣伝煽動部第一副部長、崔春晃も2004年9月から金日成高級党学校に左遷
されたことが確認された。
また張成沢が推薦した人民保安相(警察庁長)崔龍洙が任命されてから一年も経たない
2004年7月解任され、北朝鮮の経済官吏の世代交代の代表的な例と挙げられていた李
光根貿易相と朴明哲体育委員長などもつづけて解任された。
甚だしくは北朝鮮人民軍次帥階級で第三軍団長を経て平壌防衛司令官を歴任した張成沢
の長兄張成禹も解任され、最近(2005年3月頃)朝鮮労働党民防衛部長として再び復
帰したという。
張成沢の次兄である張成吉はまだ北朝鮮人民軍中将として第四軍団政治委員職にそのま
まいることが確認されている。
張成沢が逐出されたもう一つの秘密の原因がある。
もう一つの理由は2004年4月、北朝鮮平安北道龍川郡で発生した列車爆破事件もと
ても密接な関連があるという。
当時、張成沢は中国を訪問中であった金正日一行の日程を正確に知っている何人しかい
ないうちの一人であり、偶然に爆発事故の直前、張成沢の側近が携帯電話を使用したこと
が確認されているという。
そして2004年4月から張成沢本人にも知らせず北朝鮮保衛機関では秘密裏に爆発と
関連する某種の調査を始め3月末金正日に張成沢関連説を報告したという。
実際に爆発直後、龍川郡と新義州、そして平壌で通話された携帯電話の主人らは平素外
貨稼ぎ機関の従事者で張成沢ラインの下手人らであったが、金正日は張成沢がそんなはず
ないとその部分までは認めていない状態だという。
張成沢が組織指導部第一副部長から逐出されたのは全的に高英姫の影響がもっとも強か
ったことと秘密裏に確認されている。
高英姫は2003年9月、自分が乗っていた最高級乗用車に対する外部からの攻撃を受
けてしばらくの間、動くことが出来ずその時から車いすに頼るようになった。
もちろん金正日に事故結果が自動車のブレーキ破裂による事故と報告された。しかし、それと同じ事故で高英姫が後継者作業で依存していた金容淳も死亡し自分に対する攻撃が
あるや、高英姫はこれをはじめは金正男の犯行としようとしたが後から張成沢に火の粉が
懸かるように調整をしたというのだ。
2003年9月に発生した高英姫の自動車事故については、米国に亡命した高英姫の妹
高英淑と金正日の秘密資金を担当していた彼女の夫である朴コンも同じように偶然の事故
ではなく外部からの攻撃だと口を合わせており、世界有数の情報機関ではもちろんそのよ
うに分析されているという。
いま北朝鮮内部では後継者作業とともに熾烈な権力闘争が始まっていると総合的に分析
されている。
弱体化した金正日政権
?先軍政治を揺るがす国際経済制裁
西岡力(東京基督教大学教授)
はじめに
94年の金日成の死の前後で、北朝鮮社会は大きく変質した。70年代半金正日が後継
者に指名された後、94年までは金父子独裁体制時代の北朝鮮を支えていたのは次の3つ
の柱だった。?情報統制と洗脳教育で金父子への絶対的忠誠を作り出し、?職業、住居、
所属組織などを党が決定し、その枠の中で主食の配給を実施し、逆らう者は職業を失い配
給がなくなり、?政治警察(国家安全保衛部)の監視網を全国にめぐらし、金父子統治に
反対する者は政治犯として裁判もなく処刑されるか収容所で生き地獄の苦しみにあう。
ところが、ちょうど94年の金日成の死後、まず、一般住民に対する配給が停止し、党
を信じて通常通り職場に出ていた300万人以上が餓死していった。つまり?が機能しな
くなった。金正日政権は昨年秋、豊作だという宣伝とともに主食の配給再開を大々的に宣
言した。しかし、10月頃に再開された配給は1か月も持たず、ほぼ全域で停止してしま
った。
餓死せず現在まで、生き残ったのは職場をさぼり、闇商売、横流し、窃盗、売春などを
行った者か、家族、親戚に党軍幹部がおり支援を受けられた者、日本中国などの親戚から
援助がある者などだった。
金正日を信じ言われるままの生活をしたために目の前で肉親が餓死していくことを目撃
し、多数の住民は金正日への忠誠心を失っていった。そのため、?も機能しなくなった。
残るのは、?による恐怖の統治だけである。剥き出しの暴力を背景として反政府活動を
すれば家族もろとも殺されるという恐怖だけをその統治の基盤としているのだ。これが、
金正日が父親金日成死後に掲げた「先軍政治」の本質だ。自分の統治を維持するためには、
逆らう者を見つけだし殺すことが出来る暴力装置を持っていなければならない。軍と政治
警察に最優先でカネ、食糧、ものを回して自分の安全を図っているのだ。
ところが、配給停止後、住民は300万人以上餓死し、軍事産業以外の一般経済は完全
に破綻した。国営工場と協同農場は生産が大幅に低下し、稼働しているのはまともに軍需
工場だけという惨憺たる状態になった。ただし、闇商売の解禁で国内の流通、商業はほぼ
自由化したが、国内で付加価値を生み出す生産の場の農業と工業は破綻したままだ。した
がって、先軍政治のため軍と政治警察に回される物資を調達するためには、一定程度の外
貨収入が継続してなければならない。金正日政権が得ている外貨収入は、武器輸出と犯罪
輸出(麻薬、覚醒剤、偽札、偽タバコなど)、朝鮮総連・韓国左派政権などからの送金、中
国や国際機関などからの援助による部分が多い。これらで、年間数十億ドルになると推計
されていた。これらの外貨源をつぶせば、金正日は軍と政治警察にカネとモノを回せなくなり、また権力中枢の幹部等にぜいたくな生活を保障できなくなる。そこで、権力中枢で
内部矛盾が高まると共に、住民の反政府活動を暴力的に弾圧する力が弱まり、暴動やクー
デター、暗殺などで金正日が政権から追われる可能性が高まる。
島田報告にあるように、ブッシュ政権は以前からこの金正日政権の虚弱体質を見抜いて
いた。イラクのように先制軍事攻撃をかけずとも、徹底した経済封鎖で内部矛盾を高めて
いけば、政権交代が可能と判断して、昨年後半から本格的に金正日政権を締め付け始めた。
金正日政権内部では金正日が腹心幹部に対しても疑心暗鬼になり、後継争いともからみ
権力中枢部の矛盾は予想以上に高まっている。
本報告では、まず1節で、金日成死後、金正日政権の統治基盤が大幅に弱体化したこと
を確認する。次に2節で、金正日の統治はむき出しの暴力を基盤とするものだという点を
脱北者の証言などを元に確認し、3節で最近筆者が入手した金正日政権権力中枢部の動揺
に関する情報を紹介する。
1 配給停止で弱体化した金正日政権の統治基盤
先に書いたように、94年までは金父子独裁体制時代の北朝鮮を支えていたのは次の3
つの柱だった。?情報統制と洗脳教育で金父子への絶対的忠誠を作り出し、?職業、住居、
所属組織などを党が決定し、その枠の中で主食の配給を実施し、逆らう者は職業を失い配
給がなくなり、?政治警察(国家安全保衛部)の監視網を全国にめぐらし、金父子統治に
反対する者は政治犯として裁判もなく処刑されるか収容所で生き地獄の苦しみにあう。
まず、このうち?が維持できなくなった。
金正日は93 年3 月に「社会主義への誹謗は許されない」と題する長文の論文を発表した。
名指しはしていないものの鄧小平の改革開放政策を批判している部分があり関係者の注目
を集めたのだが、その中に次のような一節があった。
「社会主義社会で経済に対する政治的指導と中央集権的な計画的指導は労働者階級の
党と国家の基本任務の一つとなる。それは、労働者階級の党と国家が人民大衆の生活
を見守るべき責任を負っているからである。労働者階級の党と国家が経済に対する指
導機能を放棄することは、人民大衆の生活を見守るべき自らの責任を回避するものと
なる。社会主義社会で国家が経済に対する指導機能をどう実現するかは具体的な実情
と革命発展の要求により国ごとに異なりうるが、いかなる場合にも経済に対する指導
を放棄してはならない。労働者階級の党と国家の指導がない経済は社会主義経済では
なく、社会主義経済に基づかない社会は社会主義社会だと言えない」
なかなか堂々たる論説だ。しかし、皮肉なことにこの論文発表の半年余後にあたる93
年冬から「党と国家が人民大衆の生活を見守るべき自らの責任を果せなくなる」。即ち主食
の配給を保証できなくなる状況を迎え翌年の金日成の死を経て今に到るまでもそれは続い
ている。まさに「党と国家が経済に対する指導機能を放棄している」のだ。そしてそのためにここまで見てきたように人民の間で「配給もろくにくれないくせに……」という不満
が高まり、それをテコにして社会主義統制国家を支えてきた秩序が急速に崩れ出している。
金正日論文のいう通りまさに「党と国家の指導がない現在の北朝鮮経済は社会主義経済で
はなく、社会主義経済に基づかない現在の北朝鮮社会は社会主義社会だと言えない」ので
ある。
94年7月の金日成の急死も、配給が続けられなくなることに対して、強い危機感を覚
えた80代の高齢の金日成が、なんとか経済を再建しようと無理を押して動き続け健康を
悪化させたことは間違いない。あるいは、経済再建への路線で金正日と対立し、金正日に
よって謀殺されたという可能性も未だ否定できない。
2 配給停止により、外部の情報を知る住民たち
配給があった90年代はじめまで、住民には国内旅行の自由がなかった。居住地のある
市・郡から外に移動する際には厳しい統制があった。しかし、配給停止後は多くの住民が
食べ物と燃料を求め背中に手製のリックサックを背負い、全国を大規模に移動するように
なった。その結果、口コミで多くの情報が住民の間に流れるようになる。
中国への脱出者が最盛期は30万人以上を数えたが、それも国境地域までの移動が事実
上自由になったことが大きな背景としてある。中国に出た者たちの大部分は、カネや食べ
物などを手に入れ北朝鮮に戻っていった。家族を食べさせるためである。韓国NGOの調
査によると脱北者の約8割が北朝鮮に戻っているという。中国に出た者は、北朝鮮住民の
主食より中国の犬のエサの方がよいことを目撃し、その中国より韓国の生活水準が上であ
るという情報に接する。それを知った住民が北朝鮮の戻り、口から口に韓国が北朝鮮に比
べて大変豊かであることを大多数の住民が知る。
隠れて韓国や米国のラジオを聞く者も増え、2000年代にはいると中国から中古のビ
デオ再生機が廉価で出回るとともに韓国テレビドラマやポルノのビデオなども大量に持ち
込まれている。
つまり「?情報統制と洗脳教育」も事実上破綻した。
多くの政治的建前が崩れていく中で、「韓国はアメリカ帝国主義の植民地で人々が飢え死
にしている」とされてきた政治宣伝に対しても、外部の情報に接することのできる知識層
は勿論、庶民レベルでも疑いを持つ者が増えている。複数の脱北者の証言によると、80
年代まででも開城では韓国が風船などで飛ばしてくるビラはすぐ拾われて破られるか社会
安全部に届けられていたが、90年代半ば以降、道ばたにビラが落ちていると人目を避け
てそれを読み、またそのまま次の人のために置いておくということが続いて10日間位は
放置されているのが普通となっている。山の中では1 カ月位そのままにされていることも
めずらしくない。
たとえば、地方都市の開城では全住民の30?40%は韓国が経済発展し人々の生活が
豊かであることを知っており、40%はそのような話はきいているが本当かどうか分らず
におり、10%が教育されている通りを信じているという。
開城出身のある脱北者は自宅に持っていた日本のサンヨー製テレビで、南の放送を隠れて見ていたという。また、軍事境界線近くに行った時、南側がフェンス沿いにこうこうと
電灯をつけているのを目撃し、彼らはこの位電気が余っているのかと驚いた経験を持つ。
3 先軍政治の本質
しかし、金正日の独裁統治は今も続いている。いまの金正日政権は3つの柱の内の残る
一つ「?政治警察の監視網と収容所」だけによって支えられている。 国全体が政治犯収
容所と化してしまったと考えると分りやすい。政治犯が飢え死んだり病死したりすること
は極く日常的なことであって収容所管理者は責任を問われることなどない。管理者が常に
目をひからせているのは反抗、反乱の動きがないかという1 点だけだ。金正日が「先軍政
治」というスローガンを掲げ軍という暴力装置に身をすり寄せているのも、まさに国家全
体の収容所化という状況を背景としている。
金正日が金日成死後掲げた「先軍政治」という統治理念は、逆らう者は家族もろとも殺
すぞと言う宣言だ。だから、軍と政治警察など暴力装置に最優先で資金、食糧、物資を回
している。軍と政治警察が自分への忠誠をなくせば、政権が倒れ自分は殺されるという自
覚を金正日はしっかり持っている。
人民の不満が経済領域における自由——即ち欠勤、ヤミ商売、買出し旅行などを求める水
準にある間は黙認される。ところが、ひとたび政治的な不満を表明したならばその瞬間に
暴力を持って取り締り処刑するか、家族もろとも政治犯収容所に入れてしまうという政治
統制は揺らいでいないのだ。
筆者は南北軍事境界線を直接越えて1996年7 月に韓国に亡命した開城市のレンガ工
場労働者であった崔スンチャン氏から次のような目撃談を聞いた。
1996年7 月初め、開城市郊外の彼の家から約150メートル離れた道ばたでまき集
めから帰ってきた中年婦人4?5人が立ち話をしていた。そのうちの1 人の婦人が
「このまま金正日将軍だけを信じていたら我々みんな飢え死んでしまう」
と語った。
それをきいていた別の婦人が大声で
「この反動おんな! 将軍様のことを何と言うことを言うのだ」
と非難した。
それに対して最初の婦人が
「それではお前の家は配給だけで食べているのか……」
と反論した。大声での言い合いが約10分も続いたところで国家保衛部員(政治警察)が
かけつけてきて金正日批判をした最初の婦人をなぐりつけて引きずっていった。風のうわ
さでは彼女は政治犯収容所送りとなったというのだ。
4 高まる住民の不満
ある著名な日本の国際政治学者は現在の北朝鮮人民の餓死に関して「管理された餓死であって体制崩壊には直接つながっていない」との分析を示している。価値判断を抜きとす
るとこの分析の前半はそれ程間違っていないといえる。北朝鮮の現政権が人民を餓死させ
ながらも保衛部と軍の暴力によって自らの統治を守ろうとしているという現状は、ある意
味で「管理された餓死」と形成されるのにふさわしい。実は管理者らが自らの特権を放棄
さえすれば餓死はすぐに止めることは可能なのだ。その意味からすると「政権によって意
図され管理された餓死」というのがより正しいだろう。
しかしこの分析の後半部分については疑問がある。このような状況はいつまで続くのか
という問題だ。
多くの脱北者が口をそろえて証言していることだが、今北朝鮮人民は「早く戦争が始ま
って欲しい」と考え、また語りあっている。この戦争願望は90年代に入り急速に広まっ
たものだが、特に、餓死者を目の前にしてその思いが強まっているという。
これ以上生活が悪くなることはないからという変化を願う心理や負けたとしても豊かな
南といっしょになれるという期待を持つ者もあるようだが、かなりの部分は戦争をすれば
北朝鮮が勝つと信じているのだ。経済的に南が発展しているということを分ってきた層で
も、軍事面では北が優位に立っていると信じている。
また、先の崔氏が目撃した開城の中年婦人のケースからも分かるように「配給で食べて
いけない」という状況によってついに道ばたで公然と金正日批判が口にされるようになっ
ているのだ。韓国「中央日報」96年8月31日の記事は、8月中旬に咸鏡北道セピョル
郡のおじを訪問した朝鮮族金某氏(42才・女)の次のような証言を伝えている。
「住民たちは『金正日は軍隊だけを分っていて経済は知らない』とか、『金正日は金正
淑に似ていて、本当に金日成に似ているのは金平一』だとか等の迂回的なやり方で不
満を述べている。また、『金平一が指導者になる時までは結局、このような暮しが続く』
という諦めを持っている。」
「家族もろとも殺すぞ」という恐怖によってなんとか抑えている人民の不満が、次第に反
政府行動として表面化し始めている。金正日政権のつづく限り配給の全面再開はあり得な
いから今後、人民の不満はいよいよ累積していき、苛酷や弾圧で処刑されたり政治犯収容
所に入れられた人の近親の恨みもまた増大していく一方である。食糧倉庫襲撃などの形で
その不満が大規模な騒乱事件に発展する可能性は常にある。
その上、もう一方では飢えに苦しむ人民が戦争願望をどんどん強めており、それが騒乱
の引き金となることも十分ある。
5 高まる権力中枢部の矛盾
筆者はソウルの情報関係筋から金正日の義理の弟である張成沢の失脚に関連して、実は
すさまじい権力中枢部のあったという情報を入手した。
もちろん、この情報は確認されたものではないが、関係者は大変信頼できると評価して
いる。
なお、この情報を入手した後、張成沢は2006年2月頃、再び労働党第一副部長とし
て復権したことが確認されているが、その背景についてはいまだに確実な情報はない。
2004年から、張成沢は金日成高級党学校学生として在学しており業務停止処分を受
けていた。
外部の言論では、張成沢が逐出されこれ以上展望がないように報道され、その上彼がい
る金日成高級党学校が革命化教育機関であり罪を犯した人間だけが行くところのごとく間
違って知られてもいるが、内幕は全くそうとばかりはない。
金日成高級党学校は金正日を除外した北朝鮮最高位層が何年かに一回ごと義務的に通過
する再教育機関でもあり、何年か前に死亡した金容淳祖国平和統一委員長もあるときそこ
で再教育を受けた際、金容淳左遷説が出回ったことがある。
張成沢が現職から退いたときもまた今回が初めてではない。
過去1980年代後半、張成沢は南浦にあるカンソン製鋼所労働者に転落したこともあ
ったが、わずかしか過ぎないうちにすぐ労働党組織指導部に上がっていったこともある。
もちろん、張成沢が北朝鮮の第二人者として業務停止処分を受けて一日で在学生に転落
したことは処罰あるいは逐出ではないとは言えない。
実際に張成沢は、1990年代後半から金正日の妻高英姫が心配し始めいつかは権力闘
争に巻き込まれるだろうと展望する人たちもいた。
張成沢が業務停止処分を受けるにはいくつかの理由があった。
外に出てきた理由は2004年2月張成沢と親しい北朝鮮体育委員会委員長である朴明
哲の息子の結婚式が超豪華版で国家経済が困難な中で批判の対象になったことも一つの契
機になったという。
けれども本当に張成沢が第二人者としての地位から退かされた基本原因は張成沢が常日
頃、金正日の長男金正男を格別にかわいがり彼に何でもしてやるという点が、現在の金正
日の妻、高英姫との葛藤を生むようになり、彼女の息子金正哲が2001年労働党組織指
導部で働くようになり実質的上官である第一副部長とのいろいろな葛藤もあったという。
組織指導部で実質的な後継者としての授業を受けていた金正哲としては組織指導部内の
全てのことを掌握して自由にしたかったが、張成沢という第一副部長の権力までは超える
ことができなかったという。
また北朝鮮第二人者の地位が固まった張成沢の権力があまりにも肥大化し、金正哲が権
力を継承すれば張成沢が妻の甥を好き勝手に扱おうとするかもしれないという高英姫の心
配とそれを認めた金正日の決断とも推測されるという。
高英姫は、はじめは張成沢の妻金敬姫と張成沢とも関係がとても良かったが、いつごろ
からか張成沢が金正男をかばい、特に張成沢が養子として育てている張賢(実質的に金日
成の末息子)に対する期待が何回か外に現れると、このままいくと自分の息子である正哲、
正雲が金正男と金賢に押し出されてしまうかもしれないという心配が生まれ1990年代
後半から張成沢牽制に出てきたという。
その最初の出発が金容淳で、高英姫は金容淳を別に呼んで忠誠を確認し、金正日と自分
が出席する宴会で特別に金容淳に好意を示し、酒も自分で直接注いでやるなど金容淳を立てて正哲、正雲に対する後継者作業を試みたという。
けれども金容淳が事故で死ぬと、高英姫は張成沢とともに朝鮮労働党第一副部長で朝鮮
労働党内部の党委員会である「本部党」責任秘書を務めている李済強を利用することにし
たという。
李済強は金正日の特別な信任を受け組織指導部内の実勢であると同時に彼が党内部の人
事権を持っている点を利用し、張成沢の人脈から除去し始めたという。そして張成沢は高
英姫の牽制によるストレスと平素の過飲で健康状態が急激に悪化したという。
張成沢の除去とともに張成沢人脈という北朝鮮最高位層幹部たちが2004年6月と7
月を前後して次々に解任されだした。
1970年代から北朝鮮最大の青年組織である「金日成社会主義青年同盟」委員長とし
て活動し張成沢と親しかった池在龍、朝鮮労働党国際部副部長が2004年6月末に逐出
され労働党宣伝煽動部第一副部長、崔春晃も2004年9月から金日成高級党学校に左遷
されたことが確認された。
また張成沢が推薦した人民保安相(警察庁長)崔龍洙が任命されてから一年も経たない
2004年7月解任され、北朝鮮の経済官吏の世代交代の代表的な例と挙げられていた李
光根貿易相と朴明哲体育委員長などもつづけて解任された。
甚だしくは北朝鮮人民軍次帥階級で第三軍団長を経て平壌防衛司令官を歴任した張成沢
の長兄張成禹も解任され、最近(2005年3月頃)朝鮮労働党民防衛部長として再び復
帰したという。
張成沢の次兄である張成吉はまだ北朝鮮人民軍中将として第四軍団政治委員職にそのま
まいることが確認されている。
張成沢が逐出されたもう一つの秘密の原因がある。
もう一つの理由は2004年4月、北朝鮮平安北道龍川郡で発生した列車爆破事件もと
ても密接な関連があるという。
当時、張成沢は中国を訪問中であった金正日一行の日程を正確に知っている何人しかい
ないうちの一人であり、偶然に爆発事故の直前、張成沢の側近が携帯電話を使用したこと
が確認されているという。
そして2004年4月から張成沢本人にも知らせず北朝鮮保衛機関では秘密裏に爆発と
関連する某種の調査を始め3月末金正日に張成沢関連説を報告したという。
実際に爆発直後、龍川郡と新義州、そして平壌で通話された携帯電話の主人らは平素外
貨稼ぎ機関の従事者で張成沢ラインの下手人らであったが、金正日は張成沢がそんなはず
ないとその部分までは認めていない状態だという。
張成沢が組織指導部第一副部長から逐出されたのは全的に高英姫の影響がもっとも強か
ったことと秘密裏に確認されている。
高英姫は2003年9月、自分が乗っていた最高級乗用車に対する外部からの攻撃を受
けてしばらくの間、動くことが出来ずその時から車いすに頼るようになった。
もちろん金正日に事故結果が自動車のブレーキ破裂による事故と報告された。しかし、それと同じ事故で高英姫が後継者作業で依存していた金容淳も死亡し自分に対する攻撃が
あるや、高英姫はこれをはじめは金正男の犯行としようとしたが後から張成沢に火の粉が
懸かるように調整をしたというのだ。
2003年9月に発生した高英姫の自動車事故については、米国に亡命した高英姫の妹
高英淑と金正日の秘密資金を担当していた彼女の夫である朴コンも同じように偶然の事故
ではなく外部からの攻撃だと口を合わせており、世界有数の情報機関ではもちろんそのよ
うに分析されているという。
いま北朝鮮内部では後継者作業とともに熾烈な権力闘争が始まっていると総合的に分析
されている。