救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

第45回「条件拉致 曽我ひとみ・ミヨシさん事件」



 みなさんごきげんよう。救う会テレビ、救う会全国協議会会長西岡力です。今日で第45回になります。令和3年9月11日に収録しました。
 今日のタイトルは、「条件拉致 曽我ひとみ・ミヨシさん事件」と題してお送りいたします。
 昭和52年8月12日に、佐渡と鹿児島で同じ日に拉致があったのですが、今日は佐渡での拉致事件についてお話しします。
 佐渡がどこにあるか確認しますけれども、ちょうど北朝鮮から見るとですね、能登半島、佐渡、そして柏崎とここの辺りに入ってきたということです(地図は救う会テレビ参照)。
 拉致現場は、ここに国府川があるんですが、その河口です。北朝鮮側から入ってきやすいところですね。丸くつけたところが曽我さんの家です。
 そして8月12日、曽我さんとお母さんのミヨシさんは、逸見(いつみ)商店という所に買い物に行きました。その帰り道、×印の所で、3人の男と女性工作員1人の4人組に後ろから襲われた。そして担がれて、多分この川にあったと思われる木製の子船に連れていかれた。位置関係はこうなります。川の河口なんです、海岸ではなくて。海岸がすぐ近くにありますけども、川の河口です。
 写真1を見ていただきますと、これはひとみさんとお母さんが買い物をした逸見商店です。事件が起きた当時の明るさを知るために、同じ日の同じ時間に撮影をしました。
 逸見商店で買い物を終えた曽我さんたち母娘が、帰り道、この写真の右手のあたりを過ぎたあたりで2人が襲われたと推定されます。曽我さん母娘が拉致されたと推定される国府川の川岸です。現在は舗装された道路になっていますが、当時は2メートル近い葦が生い繁っていた。拉致された国府川の写真です。事件が起きた当時の明るさを知るために、事件と同時刻で撮影しました。この向こうが海です。

◆曽我ひとみさんの証言

 曽我ひとみさん本人が、平成24年10月に、救う会が開催した東京集会で拉致の状況を詳しく語ってくれました。拉致は偶然起きたということが分かります。曽我さんが語ったことを読みます。
 私は1978年、北朝鮮に拉致されました。ちょうどお盆の前の8月12日の土曜日でした。私は看護師の仕事をしながら、決まって土曜日には家に帰り、日曜日の午後にまた寮に帰るという生活が続いていました。
 ちょうどその日も土曜日で、午後家に帰りました。お盆前ということで、母が少し足りないものがあるので買い物に出かけようということになりました。その時、6つ違いの妹がいたんですが、妹も母と一緒にでかけたいと言った。私も1週間会えなかったので1週間にあったことを色々話をしたかったので、一緒に行くより母親と二人きりで行きたいなという気持がありまして、妹とちょっとだけけんかをした覚えがあります。
 それで結局、私と母と一緒に買い物にでかけることになりました。私は中学校を卒業してから看護学院に入りました。それが金井という場所にありましたので、2年ほど寮に入っていました。その後そこの病院で働いていたので、何年かは一緒に店に行くということがほとんどなかったと思います。

◆偶然、母娘で出かけた

 二人きりで話したかったのでちょっと喧嘩っぽくなって、妹は残ることになったと話した時ですね、集会で私が質問しました。
「毎回曽我さんが土曜日に帰ってきて、その時間に逸見商店に買い物に行っていたわけではないですよね」と。曽我さんは、「それは違います。何年も一緒に店に行くことはなかった」と。
 毎週土曜日に見張っていれば曽我さんが出てくるという状況ではなかったわけです。「2人で行くか、3人で行くか、お母さんと妹さんで行くかは、その時の曽我さんやお母さんの気持で決まったことで、事前に他の人は誰も分からなかったと言えますよね」と私が聞くと、曽我さんは「そうです」と言った。
 つまり、曽我さんたちの拉致は人定拉致という見方が一部にあったのですが、それを崩す重大事実が明らかになった。曽我さんはこの店にはほとんど行ったことがなかった。事前に調査してもこの店のことは出てこないんです。
 またこの日、ひとみさんがお母さんと買い物に出かけたのは偶然だったのです。妹さんとどちらが一緒に行くか姉妹喧嘩をしていた。妹さんとお母さんが出かけていた可能性もあるし、3人で出かけた可能性もゼロじゃない。人定拉致ではない大きな証拠です。

◆拉致以来一度も母の声を聞くこともなく

 曽我さん親子は買い物の帰りに、3人の男に襲われて拉致されました。3人の戦闘員と日本語ができる1人の工作員という犯人の組み合わせは、実は地村さん、蓮池さんたちと共通してるわけで、ただこの場合のみ、曽我さんの時だけその工作員が女性だった。
 その時の様子をひとみさんは次のように語っています。
「行きは病院であった話などを色々しながら、楽しく店まで着きまして、店で買い物を終えてまた家に帰る途中のことでした。歩道を歩いていたんですが、もう薄暗くなっている時間帯で7時は過ぎていたと思います。夏場ですので、7時を過ぎてもまだぼんやりと明るいくらいの時間帯でした(西岡:先ほど写真で見てもらいました)。母と話をしながら歩いていましたら、何かちょっと後ろの方から人の気配を感じまして、一度後ろを振り向きました。
 そうしたところ、男の人が三人、縦並びじゃなく、横並びで、私たちのあとをゆっくりとついてくるのが見えました。「なんか変な男の人たちが後ろから付いてくるね」と母と話しながら、『気味が悪いから早く帰ろう』と、少し足早に歩き始めた時でした。
 後ろから三人の男の人が急に駆け寄ってきまして、道端にある植え込みの中に私と母親を引きずりこみました。その時私は口をふさがれて、袋をかぶされました。一緒にいた母親は、その時以来一度も声を聞くこともなく、姿を見ることも今までありません。本当に夢のような話で、自分自身もよく分からないところがいっぱいあります。

◆みんな「パートナーは日本に返した」と言われていた

 その後ですが、私は袋に入れられたまま小さな船のところまで行きました。その船の上にしばらくいましたが、ちょっと離れた所で日本語を話している声が聞こえてきました。その日本語は佐渡の人が話している佐渡弁ではなく、日本人でもない、ちょっと発音が違う、そんな印象を受けています(西岡:女性の声だったと言っています)。
 私も袋をかぶされたままの状態だったので、話している内容というのはよく分かりません。その後、しばらくしてから大きな船に乗せられて、次の日の夕方北朝鮮の清津というところに着きました」。
 川岸の船に乗せられた後、少しそのまま待たされていた時、母国語でないような日本語が聞こえた。でもそれは曽我さんに対して語られたのでないが、近くで聞こえたと言いいます。工作員同士なら朝鮮語で話せばいいわけです。
 その日本語は曽我さんを拉致して平壌まで一緒に連れて行った女工作員金ミョンスクの声だった。3人の男と1人の日本語が堪能な工作員の4人組が犯人だ。3人の作戦部戦闘員と思われる男は日本語を解さない。したがって、そのとき金ミョンスクは曽我ミヨシさんに話しかけたと考えられます。
 そこまでミヨシさんがいたのではないかと考えられます。母親の信義としてですね、体を張っても娘を守ろうとしてかなり暴れたかもしれない。そこで、「静かにしなさい」とか、そういうことを言ったのではないかと考えられます。だからミヨシさんも一緒に拉致されていたのは間違いないわけです。
 あと一つ。ひとみさんは、「一緒にいた母親は、そのとき以来一度も声を聞くこともなく一切分からない」と言っている。これもほかの事件と同じ管理法ですね。蓮池さんも、地村さんも、北朝鮮に着いた後、「パートナーは日本にいる。日本に返した」と言われたんですね。曽我さんも、そう言われている。

◆高速子船と工作母船の二段階拉致

 心細い思いをさせるという心理戦のようなことを北朝鮮はやっている。曽我さんは、最初に乗せられた船は感触で木製だったと語っている。ひとみさんはその船で川岸から海に出て、工作母船に乗せられたと証言しています。ひとみさんの記憶が正しければ、二段階方式になります。
 川岸まで高速子船が来ていたのか。ちょっと考えにくいのですが、あるいはゴムボートの代わりに小さな木船を使ったのかなど、詳細は不明です。救う会の調べによるとこの佐渡事件も、警察は電波傍受をしていた。

◆事前に入って調査していただけでは人定拉致の決め手にはならない

 一部報道でですね、金ミョンソクという女性工作員が事前にひとみさんのことを調査していたというのがあった。事前に調査していたとすると、条件拉致ではなくて人定拉致になります。
 その報道を検討したいと思います。そのことがあったので、私と惠谷治さんが曽我ひとみさんに直接、先ほどの集会で確認しました。
 惠谷さんが、「金ミョンスクと4、5か月同居していたと聞いています。その間色々話もしたでしょうが、その中で、金ミョンスクが拉致する1週間前から(佐渡に)いたとか、1か月前からいたという報道があるのですが、その点彼女は何と言っていたのでしょうか」と質問しました。
 そしたら曽我さんが、「1週間とか1か月とか日数の方はよく分かりませんが、佐渡にいたということは本人の口から聞いています」。金ミョンスクが拉致の前から佐渡に来ていたことがこの証言から明らかになりました。蓮池さん事件の犯人4人も数日前から柏崎に潜入していたことが明らかになっています。地村さん事件でもそうですが、そのこと自体は人定拉致か条件拉致かを区別する情報ではありません。
「読売新聞」の報道で、金ミョンスクを指名手配した時、2006年11月3日の記事ですが、「曽我さんは新潟県警など警察当局の事情聴取に、さらに詳しく、女工作員について証言。この女が『キム・ミョンスク』を名乗り、事件の1週間ほど前に、佐渡に潜入して事前調査をしていたことや、曽我さんの北朝鮮入国後に約4か月間、曽我さんの身の回りの世話をしていたことなどがわかった。そして新潟県警が改めて拉致現場周辺を聞き込み捜査した結果、キム(ミョンスク)工作員の可能性がある不審な目撃証言が得られたという」。
 事前に入っていたわけですね。その金ミョンスクの似顔絵がこれです。国際指名手配されています。ただ、事前に入っていたということだけでは、条件拉致か人定拉致かの決め手にはならないわけです。

◆事前にひとみさんを調査していたとの情報は一切存在しない

 もう一つ、金ミョンスクが事前に曽我ひとみさんについて調査をしていたという報道があったんですね。産経新聞の報道です。2009年7月23日の記事です。
「曽我さんは帰国後、政府関係者の聴取に対し、『3人組の男に口をふさがれて袋に入れられた後、船で北朝鮮へ連れ去られた』と証言していたが、北朝鮮・清津(チョンジン)に到着後、キム容疑者が曽我さんに「あなたが土曜日の夕方に帰宅し、日曜日の午後に病院に戻る勤務シフトで働いていることを知っていた」と話していたことが新たに判明した。
 また、曽我さんがキム容疑者に『佐渡のどのあたりに隠れていたのか』と尋ねると、キム容疑者は『サワダの海の方にいた』と答えたという。曽我さんは政府の係官に『拉致されたのは偶然ではない。計画されたものだ』と話しているといい、拉致は犯行グループの綿密な計画と連携によって行われた疑いが濃厚になった」。
 それもあったので惠谷さんが曽我さんに聞いたわけです。
「曽我さんのことを前から知っていたみたいな報道がありますが、そうなんですか」。曽我さんは、「その辺はよく分からないんですが、知っていて見たとすればどこだったのかなという感じです」。どこで見られたのか分からない、と。
 それで惠谷さんが、「土曜日に病院から実家に帰って日曜日に戻るのだということを知っていたと金ミョンスクが言っていたという報道があるのですが」。曽我さんは、「その辺はよく分からないのですが、そういう生活パターンがあったということは金ミョンスクから聞いていません」と。金ミョンスクは1週間前に
 佐渡に入っているのですが、1週間毎の生活パターンがどうして分かったのか。
 先程の「産経新聞」は、土曜日の夕方に帰宅し、日曜日の午後に病院に戻る勤務シフトで働いていることを知っていた」と書いていますが、「そういうことは聞いていません」と曽我さんは言っています。「金ミョンスクが曽我ひとみさんの情報を事前に収集していた」と新聞は書いていますが、曽我さんは「そういうことは聞いていません」と金ミョンスクが事前に曽我ひとみさんについて調査していたことを裏付ける情報は一切存在しないんです。
 これらのことを総合すると、たまたま、あの道を歩いていたため襲われたと考えるのが自然で、条件拉致の特徴が共通しています。

◆曽我さん母娘は「若い男女」と間違われた

 しかしですね、そこで一つ問題が出てきます。当時の条件拉致はみんな「若い男女」なんです。地村さん、蓮池さんもそうですし、今後検討しますが市川さんたちも、そして富山の未遂事件もみんな「若い男女」です。
 昭和53年の7月から8月にかけて、約1か月ちょっとの間に拉致された4件8人と1件があります。ところが4件の中の1件だけが「若い男女」ではなくて母娘なんです。
 曽我ミヨシさん、ひとみさんは母と娘であって、「若いカップル」には該当しない。この点で条件拉致といえるかどうか疑問が生まれる。その時、ひとみさんは紺色細かい花柄のワンピースを着ていた。ミヨシさんの服装をひとみさんは記憶していないのですが、普段はズボンをはいていることが多かった。だからその日もズボンをはいてい可能性が高い。
 また、ミヨシさんの髪はショートカットだった。ズボンとショートカットだと、薄暗い時間に後ろから見ると、お母さんを男性と錯覚し、2人を男女のカップルだと見誤って拉致した可能性も否定できない。もしそうであれば、「若いカップル」という条件拉致だったと言えます。
 そこで1週間前に上陸していたとの情報と関係が出てくるのですが、1週間前に上陸していて、「若い男女」を探していた。そして協力して拉致して連れ帰るまでの間、母船が沖で、待っているわけです。早く見つけて帰らなければいけないのに、なかなか該当者を見つけられなかった。あせっていたと思いますね。
 それで暗闇で、適当な人がいたと思って、曽我さんたちが襲われたのではないかと考えられます。薄暗いので急いで連れ帰ってしまった。

◆現地請負業者(日本人)から引き渡しは受けていない

 最後に、北朝鮮の説明のデタラメさを確認しておきます。
 北朝鮮の発表では、「(曽我ひとみさんは)特殊機関工作員が身分隠しおよび語学教育の目的で現地請負業者(日本人)に依頼し、引き渡しを受けて連れてきた」「母・ミヨシさんについては承知していない。特殊機関工作員が現地請負業者から引き渡しを受けたのは曽我ひとみさん一人だけだ」(日本政府「拉致に関する調査結果」2002年9月28日?10月1日)となっている。
 しかし、日本語を話す女と、ひとみさんたちを襲った3人の戦闘員は、ひとみさんと一緒に工作船で北朝鮮に戻っている。最初から工作員に襲われているのであって、このひとみさんの証言から、北朝鮮が主張する「現地請負業者(日本人)」が関係しないんです。ミヨシさんも一緒に襲われたのは間違いないのです。
 北朝鮮が拉致したのは間違いなく、北朝鮮には説明する責任がある。だから北朝鮮の説明はデタラメだということです。

 今日は、「条件拉致 曽我ひとみ・ミヨシさん事件」についてお話しました。

 ありがとうございました。

 以上



  
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