第40回「条件拉致 地村さん夫妻事件」
みなさんごきげんよう。暑中お見舞い申し上げます。暑い中ですけどお元気でしょうか。今日で救う会テレビ第40回になります。令和3年8月7日に収録しました。
今回のタイトルは、「条件拉致?地村さん夫妻事件」と題して、救う会全国協議会会長西岡力がお送りいたします。
この「救う会テレビ」は、去年の武漢発コロナウイルスのために緊急事態がかかって活動ができなくなって始めたのですが、去年何回か拉致の全体像についてお話をしましたが、北朝鮮情勢がどんどん動くものですから最近は情勢の話をしていたのですが、少しそちらの話もしようと思いました。
お話しした通りですね、日本人拉致には3類型があると申し上げました。
1.遭遇拉致
拉致を目的にしていない工作員らが、偶然遭遇した対象者に対して行う拉致で、寺越事件がそうです。
2.人定拉致
事前に拉致対象候補者に関する調査を行い、その人物を対象とすることを決定した後に行う拉致で、久米裕さん、原敕晁さん、田口八重子さん、田中実さん、よど号に拉致された3人のケースがこれです。
1と2については、当初からずっと言われていたわけですが、私たち救う会の「拉致の全貌プロジェクト」は、もう一つあると、条件拉致があるということをずっと主張しています。
「若いカップル」とか「若い女性」などという条件に合致する候補者を、その場で選定して行う拉致です。事前に拉致対象候補者に関する調査は行わないで、松本京子さん、横田めぐみさん、地村さん夫妻、蓮池さん夫妻、曽我さん親子、市川修一さん・増元るみ子さの拉致がこれにあたります。富山の未遂事件もこれにあたると思っています。
この中で松本京子さん、横田めぐみさんの事件については、詳しく去年お話ししました。今日は地村さん事件についてお話ししたいと思います。
◆母船から小船、小船からゴムボートで拉致をする工作員を入れる
昭和53年の七夕の日に起きた事件で、場所は福井県の小浜です。若狭湾があって、そして小浜湾がありますよね(テレビ地図参照)。
北朝鮮の工作船は若狭湾の外まで来ます。そこから小船、イカ釣り船に偽装して入ってくる。小浜湾まで入ってきて、そしてゴムボートで上陸したということだと思います。
実はですね、小浜湾には青島という島があり、条件拉致の場合は入ってきた船で連れて帰るんですね。だから母船は待っていなくちゃいけない。では小船はどうするか。
母船から小船、小船からゴムボートで拉致をする工作員を入れる。2、3日かけて条件に合う人を襲って、そして迎えに来てもらう。通常の人定拉致の場合は、日付を決めて、そこで「連れて行くから来てくれ」と言って、連れてってもらうので、母船は2、3日待ってることはないわけです。すぐ接線して、ゴムボートに乗って工作員が来て、久米さんなり、原さんをゴムボートに乗せて、そして沖に待ってる小船に行って、小船が母船に入って連れて帰る。
◆小船は無人島に隠した
では条件拉致の場合、小船をどうするのだろうか。一度一度母船まで戻して、また「捕まえました」と言ったら、小船が出てくるのかと考えたんですが、ここに青島という島があります。無人島です。ここは小船を隠すのに大変いい所です。イカ釣り船がここにあっても何も不思議はないということです。多分小船はここに隠れていたのではないかと想定しています。
7月7日、地村さんたちは、鯉川レストランという海岸のレストランで7時半から8時半まで食事をしました。今はもうこのレストランは廃業しています。一部で、「このレストランの主人が在日朝鮮人だ」というデマが流れましたが、そうではありません。
そしてレストランを出てですね、車の中で、「今日七夕だし星を見に行こうか」と言ったんだそうです。このレストランというのは青島の前辺りなんですね。ここら辺にあって、そこから小浜の方に帰っていった。
そして海岸の方に行くとですね、小浜公園という海を望む、海望山展望台というのがあります。車の中で行こうと決めて、そして海岸の道路を来て、急に右にハンドルを切って展望台に上ったということなんです。
◆地村さんの車が4人の工作員を追い抜いた
実はですね、この時この展望台に上っていく道で、4人の男を追い抜いているんです。4人の男が徒歩でこの展望台に上がってきた。8時半くらいに食事を終えて、9時過ぎに展望台に行ったら、4人の男たちが歩いていた。これについては、犯人しか知らない事実だということで警察は地村さんたちから聞いても隠していたのですが、福井新聞が地村さんたちの証言として書いたので、私は実はあるところからこの話をいてましたので言わないでいたんですが、もう新聞に出たので、それが事実だとお話ししているわけです。
その4人の男、そのうち一人が辛光洙(シン・ガンス)だったのです。この展望台に行くとですね、こういう2階建ての展望台があったんです。両側に階段が付いていて、「海側の階段を上って2階まで行った」と。
2階の展望台に行くとですね、これが特徴なんですが、2階が屋上なんですが、今はないんですが、当時はプラスチック製のベンチがあった。「そこに座った」と。そしてその屋上から海の方を見ると、海側にベンチがあった。そこに別のアベックがいた。アベックの名所なんですね。
◆4人の男が別のアベックを追い出した
それで地村さんはこの屋上にベンチに二人でいたんですが、煙草を吸いたくなって、階段を降りて車に煙草を取りにいった。そしたらこの展望台の一階にもベンチがあります。そこに先ほどの男4人がいた。
そしてその男たちが、別のアベックに近づいて、「帰れ」と言ってなんか嫌がらせをして帰らせていた。「嫌な気持ちがした」。「煙草を持って、階段を上って屋上に行ってしばらくしたら、後ろから襲われた」ということでした。
◆ズタ袋に入れられ、担がれ、海岸に行ってそこでゴムボートに
「ズタ袋のようなものに入れられて、担がれて、そしてかなりきつい斜面を降りて、なんか車が通っているような音がする所でしゃがんで、それからまた斜面のようなところ降りて海岸に行って、そこでゴムボートに乗せられた」と地村さん夫妻から私たちは直接聞きました。
言い忘れましたけど、この調査はジャーナリスト惠谷治さんと一緒に行ったもので、地村さん夫妻インタビューも惠谷さんと一緒にいたしました。今お見せしている写真の大部分は惠谷治さんが撮ったのです。
実はですね先ほどの展望台の奥にですね、今「星の広場」となっていますけども、ユースホステルが建っている。そしてそのユースホステルから見ると、一の浜、二の浜というきれいな海がある。海水浴できるんですが、そこに降りる遊歩道が車道とは別にあった。今廃道となっていますけど、その跡が残っている。
だから我々の推定はですね、展望台で襲われて、ユースホステルの方まで行って、そして遊歩道を降りると国道がありますから、そこのところで車が来るので少ししゃがんで、また浜に出た。実はですね、富貴恵さんは、顔も袋に入れられたのですが、苦しかったから取ってくれて、「見えた」と言うんです。
◆最後は別々のゴムボートに乗せられた
でも、「地村さんがどこにいるかわからなかった」というので、たぶんここに一の浜と二の浜があるので、一の浜にゴムボート1台、二の浜にゴムボート1台準備されていて、別々に乗せられたのではないかと推定しています。だからこのルート(動画の写真参照)、矢印が最後に分かれているわけですね。
ユースホステルから海岸に降りる遊歩道は、今こんな感じです。私も、惠谷さんと降りてみましたけども、まあ屈強な工作員であれば、一人担いで降りられる遊歩道でした。
ここでわかるのは、犯人を追い越したわけですが、人定拉致ならそういうことはありえないわけです。二人がこの日星を見に行くということを知っているのは、その車に中に盗聴器が入っていれば別ですが、車の中で決めたんですから、待ち伏せはできない。そして待ち伏せしていなかった証拠が、追い込したということです。
ただそこは、アベックがよく行くところだった。地村さんたちは、辛光洙と一緒に工作船で北朝鮮に着いているんですね。その後、新辛光洙と共に富貴恵さんの指導員も(拉致を)やっています。
◆小浜を予め調査していた
地村さんの、時期ははっきりしないんですが、辛光洙の部屋ですね、「小浜の観光地図などが置いてあったのを見た」という証言があります。つまり辛光洙が母船から一緒に来たのか、あるいは彼は日本にしょっちゅう来てましたから、小浜で合流したのかわかりませんが、小浜の中でアベックがよく行く場所を調査して、そしてそこで条件拉致、若い男女を拉致しようとした。
その時地村さんたちが行かなければ、屋上の別のベンチに座っていた二人が拉致された可能性もあった。
◆条件拉致だった
繰り返しますけども、もしも人定拉致だったら、尾行されてなければならない。先ほどのレストランから尾行されていたとすると、そういうことになりますが、尾行する人を追い越すことはありえない。そしてどこかに連れてかれた訳じゃなくて、すぐそこに文ゴムボートがあって、ゴムボートで小船、そして母船に行った。母船が待っていたということです。そういう条件拉致だったということです。私たちはその事実関係を解明しました。
松本京子さんと横田めぐみさんの時は、「若い女性を連れてこい」だったのだと思います。しかし、1年経って、昭和53年の夏は、「若い男女を連れて来い」と変わった。そうではないかと言われています。
引き続き蓮池さん夫婦拉致、曽我さん母娘拉致、鹿児島の市川さん・増元さん拉致、富山の未遂事件なども検証していきたいと思っています。
今日は使えテレビの第40回として、「条件拉致?地村さん夫妻事件」と題してお送りいたしました。
ありがとうございました。
以上