最近の米朝関係と拉致問題_東京連続集会118
◆北朝鮮が「あたふた」した事例
古森義久(麗澤大学特別教授・産経新聞ワシントン駐在編集特別委員)
ところが明らかに焦って、困ったという時点がいくつかあったわけです。私も長い間この問題をフォローしてきましたが、いくつか挙げてみます。こういう状態が結局は日本の拉致問題の解決につながり得るという意味をこめて紹介します。
第1は、私が米朝関係を始めた昔のことですが、1994年に「米朝核合意」がありました。北朝鮮がプルトニウムを使って核兵器開発を進めているようだということが察知されて、アメリカ側がそれに対応して、北朝鮮もある程度それを認めて交渉した。
その結果、94年10月に時のクリントン政権、相手は金正日との間で協定を結んだ。この時は明らかに金正日政権はアメリカの圧力、要請、非難について「あたふた」と動いた。
後になって判ったのですが、クリントン政権が軍事的攻撃をかなり真剣に検討していた。この時、「プルトニウムの軍事転用は止める」と。その代わり何をするかというと、アメリカ側は、原子力は北朝鮮にとって平和利用でも大切だし、電力も必要だから、そのための軽水炉を2つ作ると言った。作るための経費はどこから出るかというと、日本と韓国だとアメリカは言ったのです。
その時、クリントン政権にガルーチという国防次官補がいて、この問題を担当していた。そして、「日本にはそれなりの政府の仕組みがあるのでそう簡単にはいかない」と言ったら、本人自身から私が聞いた言葉ですが、「心配するな。金正日政権はもうじき倒れるんだ。軽水炉の建築が始まる前に金正日がいなくなるから大丈夫だ」と言った。
だからこれはアメリカの北朝鮮政策がいかに揺れ動いてきたかということの例証です。しかしこの時金正日政権が「あたふた」したことは間違いない。
第2は、2002年1月の、ブッシュ大統領の一般教書演説です。ここで初めて「悪の枢軸」という言葉を使ったのです。「イラン、イラク、北朝鮮」が「悪の枢軸」です。この頃アメリカはイラクのサダム・フセイン政権に軍事攻撃をかけて、ほぼ崩壊させています。この時の金正日の慌て方はかなり立証されています。
ここで金正日は大きなギャンブルというか、それまでの政策を改めて日本人の拉致を認めた。そのインセンティブとなったのはアメリカに追い詰められて、もしかしたら攻撃されるかもしれない。だから日本との関係をよくして、日本から援助を取り付けてなんとか切り抜けようと、北朝鮮は「あたふた」していたわけです。
第3に北朝鮮が明らかに動揺したのは2005年9月のバンコ・デルタ・アジアというマカオにある中国系の銀行があり、ここに金正日政権の秘密口座があったのでアメリカが凍結した。2500万ドルの金があり、それが金正日政権にいくはずだった。この時の「あたふた」ぶりは、軍事力ではなく、経済制裁で、相手側の最も急所になる所を突くやり方でうまくいった。
この時、アメリカ側で実務をやったのはデイビッド・アッシャーという人です。拉致問題でワシントンに行かれた方々は接触する機会がありました。ところがその後すぐに、クリストファー・ヒルという拉致問題にはあまり同調してくれなかった国務次官補が出てきて、それまで北朝鮮をテロ支援国家に指定していたのを解除して、バンコ・デルタ・アジアの凍結もやめてしまった。
第4に、2017年8月のトランプ大統領の「炎と怒り」です。北朝鮮があくまで長距離ミサイルや核兵器の開発を止めないのであれば、「国家として消滅させる」というようなことを言ったのです。これを「炎と怒り」という言葉で総括した。北朝鮮が脅威を感じて「あたふた」したのは当然です。