救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

第07回「拉致の全体像2-世界規模の拉致、4つの時期?」



 みなさんごきげんよう。救う会テレビで、救う会会長の西岡力です。今日は令和2年の5月18日午後7時半です。
 今日も前回に引き続きまして北朝鮮による拉致の全体像についてお話しいたします。世界規模の拉致の、4つの時期の2回目になります。
 前回この4つの時期のうち、1の朝鮮戦争中の韓国人拉致と、2の休戦後からの朝鮮戦争休戦後から76年までの漁船拿捕を中心とする韓国人拉致についてお話しました。
 今日は3と4をお話しするのですが、3が中心的課題になって一回で終わらないので、まず4について少しだけ触れて、それから3に入りたいと思います。

◆1990年代、飢饉の時北朝鮮難民を助けていた中国人や韓国人を拉致

 1990年代の半ばに北朝鮮では大飢饉が起きまして、300万人以上の餓死者が出ました。その時、数十万人の北朝鮮人が中国に食料を求めて出て行きました。
 大規模な難民が発生したわけですけれども、その時ですね、その難民とそれから難民を保護する中国人や韓国人などが北朝鮮に「マイナスな」行動をする、北朝鮮に「有害な」行動をするということで国家保衛部が中国まで出ていって、逃げた北朝鮮人を拉致するだけではなくて、北朝鮮難民を助けていた中国人や韓国人を拉致していたという事案がありました。
 そして2004年には、中国の雲南省に旅行をしていたデヴィッド・スネドンさんというアメリカ人の学生が拉致されているのではないかという事件がありました。
 これもですねスネドンさん自身ではないんですが、スネドンさんと親しいアメリカ人の友人が北京で難民に関する研究をしていて、その人にスネドンさんが北京で会った後雲南省に行ったので、難民を助ける活動をしているアメリカ人と「誤解」されて拉致されたんではないかという疑いが出てきています。
 1990年代半ば以降現在までも続く、国家保衛部による北朝鮮にとって「有害」だと彼らが勝手に判断してるわけですけれど、その判断した結果起きてる拉致が第4期の拉致であります。

◆76年に金正日が拉致指令?6人の北朝鮮人が証言

 第3期の拉致についてお話したいと思います。76年に金正日の拉致指令があったということであります。
 「工作員現地化教育のために教官を連れてこい」という指令が76年金正日から発せられて、世界規模で拉致があったという話です。金正日が拉致指令をしたと証言している元工作員が6人います。
 安明進(アン・ミョンジン)さんは横田めぐみさんのことを最初に目撃したと証言してくれた人です。
 それから申平吉(シン・ピョンギル)さん実はこの本を書いた人です。これは『金正日と対南工作』という本ですけどれども、この申平吉さんも工作機関に勤めていた幹部だったのですが、80年代に韓国に亡命しました。ものすごく記録力が良い人で、工作機関の中であったことをよく覚えていて、これが本になって、その中にも76年の金正日からの拉致指令について詳しく書かれています。それ以外に車成根(チャ・ソングン)という96年に亡命した工作員。
 金用珪(キム・ヨンギュ)さん。こないだ紹介いたしましたね。あの『金日成の拉致指令』を紹介してくれた方ですけど、彼も金正日の拉致指令について話をしていました。この本では金東赫(キム・ドンヒョク)となっていますが、実は本当の名前は金用珪なんですね。
 それから大韓機爆破事件の犯人の金賢姫(キム・ヒョンヒ)さん。
 そして呉求鎬(オグホ)さんというのは安明進の教官で、この人は亡命してないのですが、安明進がこの人の話を詳しく覚えていた。寺越事件の犯人だと思われる人なんですけど、その人も76年の金正日の拉致指令について証言をしています。

◆「現地人を確保し連れて来るとは拉致のこと」と教えられた

 それではその証言を紹介していきたいのですけれども、まず安明進さんの証言です。
 安明進は1998年7月、救う会・家族会が招聘して全国縦断講演会をやったんですが、最初新潟に来まして、新潟空港で最初の記者会見をしました。そこでこう言ったんですね。
 拉致は1960年代からあったが、本格化するのは70年代中頃からだ。74年金正日が後継者に選ばれた後、まず手を伸ばしたのが資金、人材の全てが優先的に回されている対南工作部門3号庁舎だ。
 金正日は3号庁舎を掌握するために74年から75年にそれまでの工作活動を検閲し、「その成果はゼロだった」と批判した。そして、「工作員の現地人化教育を徹底して行え。そのために現地人を連れて来て教育にあたらせよ」という指示を出した。
 その指示によって日本人をはじめとして、韓国人、アラブ人、中国人、ヨーロッパ人が組織的に拉致された。自分はこのことを金正日政治軍事大学で、金正日のおかげでいかに対台南工作がうまくいくようになったかという例として学ばされた。
 このことは日本で出版した『北朝鮮拉致工作員』には書かなかった。金正日の権威に関わることを書くと暗殺される危険が高いと知っていたからだ。しかし家族会・救う会の招聘で来日したので、特に娘を奪われて苦しんでる横田さんご両親に対して知っている事の一部を隠すならば、人間として良心に恥じると考えて勇気を出して証言してくれたのですね。
 私はその時は通訳をしましたから彼の決意した顔での証言をよく覚えています。76年に工作員の現地化教育の徹底して行えと、そのために現地人を連れて来て教育にあたらせよという指令があったということをですね。
 私は実は安明進から詳しく彼が金正日政治軍事大学でどんな教育を受けたか聞いているんですけど、例えばこういうことがありました。
「南朝鮮革命史」という科目があるんだそうです。その科目の中にですね、先生が、「工作員の現地化教育を強度高く徹底的に行い、そのためには多くの現地人を確保し連れて来なくてはならない」。これは教科書に書いてあったそうですけども、というように講義したと。
 それを聞いていたある学生が「これは拉致という意味ですか」と質問した。そしたら教官が「拉致だ。現地人の誰が、連れていこうと言われてついて来るか」と答えた。
 我々もそうですけども、教科書の内容よりもこういうやり取りの方が生き生きと覚えているんですよね。安明進もこのことは本当によく覚えてると言ってましたが、ですから現地化教育のために教官を連れて来いということですけども、それは拉致ですかと聞いたら「拉致だ」と言ったということです。

◆「工作員の現地化」とは外国人に成りすませる工作員を育てること

 そして次にですね申平吉さん先程のこの本の著者ですね、その証言を紹介したいと思います。
 申平吉さんによりますと、1976年の初めに金正日が新しい工作方針を下達したということですね。それまでの経緯は73年9月に金正日が組織思想担当書記に就任します。ここで後継者になったんですね。
 そして74年10月に、「党、軍、政権の全てを私に集中させ、私の決定と指示に従って処理執行報告する。一糸乱れない指導体制と無条件に服従する組織規律を打ち立てなければならない」と指示したのです。
 いわゆる「唯一指導体制」と言うんですけども、金日成がいたのに全部自分のところにもってこいということを既に74年に言っていたということです。
 そしてこの命令を完徹するために、党や軍や政府を検閲して古い幹部を吊し上げていった。最後に75年6月から11月、党の工作機関を集中検閲しました。そして「今までの成果はゼロだ」と結論づけて古参幹部を吊し上げました。
 そしてそれから「金正日自身が対南工作書紀を兼任する。全ての作戦と予算執行に私の決裁が必要だ」という指示を出したのです。この76年からの北朝鮮のテロや工作は全部金正日の決裁があったということです。
 そして検閲の後76年初めに、対南工作部門の幹部会議を開いて金正日が演説をした。新しい方針を示したということですね。
 その新しい方針が、「縁故関係工作員を廃止して指導核心工作員を南朝鮮に潜入させる」というものでした。「血縁、地縁、学縁、同郷のような縁故関係を基本とした家族主義的なグループを作ったことが過去の時期に対南工作の最大の誤りだ」と規定して、「今後は革命的党を作る。指導核心を配置することに重点を置かなければならない」と言ったんです。
 前回お話しましたけれども、76年まで漁船を拿捕してその漁民を、かなりの人達は発展した北朝鮮を見せて返して、残りの人達を洗脳して一部を工作員に使うということがあったと言いましたけども、それがここで言っている縁故や同郷などの関係を(基本)とした工作員だと言われています。それをやめろと言っているんです。それで76年以降漁船の拉致がほとんど無くなる。この話とあの統計数字が合うわけです。
 そしてそれでは新しく作れと言った指導核心工作員はどのような人なのか。主体思想で武装していなければいけないと。捕まって死刑になる時。絞首刑になる時ですね、絞首台でも「労働党万歳!」、「金日成万歳!」、「革命万歳!」と叫ぶことができる人じゃないといけない。
(2つ目は)指導者としての能力が必要だ。
 そして3つ目ですね、実務技術能力と適応能力が必要だ。適応能力、警察との闘争諜報部員の闘争に勝つことができる能力と現地にて適応出来る能力が必要だと。
 その次は、大衆を教養し指導できる手腕と能力ですけども、現地に適応できる能力がこの指導核心工作員の素養の中に入ってるわけですね。
 そしてこの適応能力の中に現地化が入っていた。合法的な身分を持ち南朝鮮人に成り済まさなければならない。もちろん法律的に合法的身分を得るまでは時間が必要だが、南朝鮮に浸透したらすぐ社会的に合法的な地位を得て生活習慣上完全に同化しなければならないのである。そのためには、彼らに多様な職業技術を教え南朝鮮から現地化されることに努めなければならない。南朝鮮の歌を歌い、南朝鮮の喫茶店と飲食店、料理店にも自由に出入りし、旅館、ホテルの利用にも不自然さがないだけではなく、商売をしても難のないように、現地適応教育を行うべきだ。
 このような教育は短期間内に済む性質なものではないので、1?2年以上の長期教育を実施するべきだ。そしてその次です。ここまでは南朝鮮、韓国に入る工作員ですけど、その次は第三国迂回工作、海外から韓国に入るって迂回工作ですけれども、工作員が外国人の身分で合法化しなければならない。
 日本に行けは日本人に、中国に行けば中国人に、カンボジアに行けばカンボジア人になり、言語、習慣、職業問題を合法的に改善できなければならない。現地人として同化できたならば、工作はいくらでも自由にすることができる、という命令を出した。

◆「現地化」された6人の工作員

 これが金正恩の拉致指令だったわけです。実際ですね。今明らかになっている。
 現地化された工作員は6人います。原敕晁さんに偽装した辛光洙。
 田口八重子さんから教育を受けた金賢姫。
 横田めぐみさんから教育を受けた金淑姫。
 フィリピン国籍のアラブ人になりすました。これは韓国の大学の先生をやってたんですが、アラビア語を教えてた鄭守一(チョン・スイル)。
 それからタイ男性に偽装して韓国に入り、タイの北朝鮮大使館に秘密情報を運んでいたチョン・ギョンハク。
 そして朝鮮の名前は分からないのですが、マレーシア国籍の中国人「陳運芳」に偽装してソウルにマレーシア料理店を作って経営していた。発覚して逃げて、半潜水艇で逃げたんですが、韓国の軍がそれを沈没させて引き揚げてみたら、この男がいて、この陳という名前の外国人登録証があった。
 日本人だけではなくて、アラブ人、タイ人、マレーシア人になりすましていた工作員がいたということで、工作員の現地化というのは金正日の命令によって進んだ。
 そのために76年に「現地化をすすめよ、そのための現地化のための教官を連れて来い」と言う拉致指令があったということです。
 今日はここまでにいたします。

 以上


  
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