救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

国際会議「北朝鮮による国際的拉致の全貌と解決策」全記録




ムントハ・シャハディ・ハイダール 日本で仕事が−娘の夢に付け入った北朝鮮



ハイダール レバノン人拉致被害者シハームさんの母 


平成17年12月、大阪と東京で開催された国民大集会にレバノン人拉致被害者シハームさんの母、ハイダールさんが参加した。以下は、参加にあたりハイダールさんから寄せられた英文メッセージ。島田洋一救う会副会長訳。

シハームは本当に優しい、いい子でした。娘によい教育を受けさせようと、私は一所懸命働きました。彼女の将来に多くを期待していました。父親は早くに亡くなりましたが、それを乗り越え、美しい知的な女性へと成長しました。娘は私を大変愛してくれました。職業学校で学び、秘書として働くことを目指していました。自立し、母親を助けたいと願っていたのです。

27年前のある日(1978年)、娘が私に、日本で素晴らしい仕事が見つかったと言いました。月給も3000ドルぐらいとのことです。そんなよい仕事に就けるというので私たちは大喜びしました。夢が実現したのです。海外で働きたいというのが、娘の子どもの頃からの望みでした。娘が日本に着いたら、私もきっと行くと約束しました。

日本に向かう途中の娘から電話がありました。しかし、ベオグラード(旧ユーゴ、現セルビアの首都)からの電話だったことに、不吉なものを感じました。娘は言いました。「もうお母さんに会えないかも知れない」。一体何を言おうとしているのか、理解できません。多分、知らない国で新しい生活を始めることに神経質になっているのだろうと思いました。「会えるに決まっているじゃないの。日本でひと月ぐらい一緒に過ごそうと話したことを忘れたの」。ああ、娘に何が起こったか、私には分からなかったのです。

日本からの電話をいくら待っても、一向に掛かってきません。段々不安が募ってきます。私は、当時暮らしていたイタリアの警察へ相談に行きました。警察は、娘を捜すと約束してくれました。それから2、3か月後、驚くべきニュースがやってきました。娘は、日本でなく北朝鮮にいるというのです。

一体どういうことなのか、わけが分かりません。聞いたことすらないような国に、なぜ彼女は行ったのか。娘の身に何が起こったのか。私は怖くなり気が動転しましたが、地図の上でどこにあるのかさえ分からない所にどうやって連絡を取ればよいのか、私に分かるはずもありません。私にできるのは、ただもう一度警察を訪れ、さらに助けを求めることだけでした。

苦悩と不安に苛まれつつ数か月が経った頃、レバノンから知らせがありました。私のシハームが帰ってきたというのです。私は彼女に会うため飛んで行きました。再び娘の顔が見られて、本当に幸せでした。政府当局者によれば、シハームを含む4人のレバノン人の女の子がだまされ、北朝鮮に連れていかれたとのことです。日本での素晴らしい仕事、3000ドルの月給等々……、すべてウソだったのです。私は、北朝鮮がなぜそんな策略によって無垢な女の子をおびき寄せようとするのか理解できませんでした。しかし、娘に会えた嬉しさが先に立ち、それ以上深くは考えませんでした。彼女は落ち込んで見えましたが、まだ若いし、すぐにこの悪夢を克服できるだろうと考えていました。

数週間が経ち、私は再び娘のことが心配になってきました。精神的に参っていましたし、健康状態が非常に悪かったのです。ある日、彼女の目をのぞき込んで尋ねました。「一体何があったの」。娘は泣き出し、告白しました。あるアメリカ人男性の子どもを身ごもっているというのです。北朝鮮で自分を守ってくれた人で、もしその人と結婚していなければ、はるかにひどい扱いを受けたはずだというのです。

私は衝撃を受け、頭が混乱しました。しかし自分を納得させようと努めました。今や、彼女には夫と赤ん坊がいる。今や、家族ができた。そのアメリカ人男性は、娘によくしてくれているようだ。娘の性格はよく分かっている。ある人の子どもができたなら、彼女は、その人と結婚し生涯を共に暮らすことを選ぶ。だから結局、私は、娘が男性の待つ北朝鮮に戻ることを許したのです。

ああ、大きな、おそるべき誤りでした。北朝鮮がどんなところか知っていたら、決して娘を行かせはしなかったでしょう。警察を呼んででも、娘を止めにかかったはずです。

娘は27年間、北朝鮮で暮らしています。その間、ほとんど会っていません。一度私は北朝鮮に行きました。娘に幸せな様子はまったく見られませんでした。北朝鮮側が何を隠そうとしたのか知りませんが、娘の家を訪れることすら許されませんでした。彼らは一軒の家を用意し、そこを私と娘、娘の家族の滞在場所にしました。どこへ行くにも、当局の人間が付いてきて私たちを監視していました。娘は生活について悪いことは一言も言いませんでしたが、私には彼女が何を考えているか分かりました。見送りに来た空港で、娘は泣きつづけました。

娘からは、年に一度、ふつう、私の誕生日に電話がありますが、ほとんどしゃべろうとしません。ただ私に大丈夫かと尋ね、自分たちは大丈夫だというだけです。彼女が話せないことは分かっていますから、こちらからも多くを聞こうとはしません。

でも娘の身体を案じています。健康状態が悪化しているのです。本当に心配でたまりません。かたわらで看取ってやれないまま娘は死ぬのではないか、私が死ぬとき娘はそばにおれないのではないか、そんなことを考えてしまいます。運命を受け入れる以外ないのかも知れません。

北朝鮮は、私の娘の人生を台無しにしました。彼らは、娘の夢に付け入ったのです。外国で働き、きちんとした仕事に就き、お金を稼いで私を助けるというのが彼女の夢でした。彼らは、娘の純真さに付け込み、私たちの夢を破壊したのです。シハームとその母、私の夢をです。引退した後は娘とともに暮らすというのが私の夢でした。いま、私はレバノンに一人でいます。

娘は何千マイルも離れたところで、夫に先立たれ暮らしています。シハームは、私のたった一人の子どもです。私は、娘と、孫と一緒に過ごしたいのです。

彼女がレバノンに帰ってきた時、どうして支えてやればよいのかは分かりません。レバノン政府は助けてくれないでしょう。娘を北朝鮮に帰したのは、あなた自身の判断ではないか。政府はそう言うでしょう。レバノンに、私を支えてくれる人はいません。だから、私は娘を取り戻すという望みをほとんど捨てかけていました。

しかし、今回、日本で多くの人と知り合うことができました。痛みを共有し合いました。いつか娘と暮らせる日が来るという希望を、私は再び得ることができました。日本やタイの人々と力を合わせ、娘たちと母親たちが、息子たちと父親たちが、再びともに暮らせるよう頑張ります。

最後にもう一度、日本の皆様にお礼を申し上げます。皆様の支援なしには、私が娘を取り返すことなどありえないでしょう。本当にありがとうございます。
  
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