救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

北朝鮮の核爆弾組立施設はここにある



1.朴元哲(パク・ウォンチョル、仮名) 証言



2008年6月26日
日本政策研究センター朝鮮半島研究プロジェクト
惠谷治/西岡力/島田洋一/平田隆太郎

朴元哲氏は2005年に脱北した核技術者(火薬が専門)、2008年5月にインタビュー。

朴元哲証言
「核爆弾を実際に見たのは、2000年だった。その1カ月後に、朴松鳳が急死したのを覚えている。
見た場所は、寧辺の党委員会の近くの建物だった。そこは工場のような建物ではなく、研究施設のような建物だった。(大量生産しているわけではないので)工場であるはずはない。
核爆弾は1個だけ部屋に置かれており、円筒形で直径と高さともに1mほどだった。上部と下部に電気コードが巻かれてあった。現場で聞いたのは、点火装置は60個以下。起爆薬やプルトニウムも入っており、ベリリウムなどの中性子発射装置も真ん中に入っている。それらを合理的に配置すれば核爆弾になる、ということだった」

この証言は、この建物(研究施設)が、核爆弾組立施設であることを示している。
朴元哲氏は衛星写真を見ながら、建物(核爆弾組立施設)の位置を特定した。

朴元哲氏が目撃した北朝鮮の核爆弾

朴元哲氏が目撃した北朝鮮の核爆弾を本人がスケッチしたもの


朴元哲氏のスケッチを基に描いた北朝鮮の核爆弾の外観


小学館発行「SAPIO」誌(2006年12月27日/2007年1月4日合併号)に、私が発表した爆縮型プルトニウム原爆の想像図


北朝鮮のプルトニウム原爆の想像図


寧辺全景 YONGBYON Overview


核物理学研究所区域、原子炉区画


核爆弾組立施設


上記拡大(朴元哲証言 「車で1回行っただけなので、はっきり区別できないが、2つの建物のいずれかだったことは間違いない」)

2.ヒル米国務次官補は知らなかった



北朝鮮の核爆弾組立施設を特定・公表(衛星写真)
日本政策研究センター朝鮮半島研究プロジェクト
惠谷治/西岡力/島田洋一/平田隆太郎

北朝鮮の核爆弾組立施設の場所を知らなかったヒル米国務次官補

(1)「拉致議連、家族会、救う会訪米団」に対するヒル発言
 2008年5月2日、ワシントン訪問中の拉致議連・家族会・救う会訪米団(惠谷治、島田洋一も参加)が、六者協議米側代表クリストファー・ヒル国務次官補と面談した。
 席上、松原仁議員が、「核計画の完全申告というが、きわめて重要な核爆弾製造工場の場所について、情報を得ているのか」と質問し、最終的にヒル氏から、「いや、得ていない。それは問題点の一つだ」(“No. That’s a problem.”)との回答を得た。これは非常に重要なポイントである。
 例えばプルトニウム爆弾製造工場の場所、核爆弾の数・形状・保存場所などは、当然、「完全な申告」に含まれねばならず、申告が「正確」か否かの検証には、現場への立ち入り調査、サンプル採取などが不可欠だ。

(2)松原仁議員の国会質問と高村外相の答弁
 松原仁議員は、上記訪米から帰国後、衆議院外務委員会(5月7日)において、「ヒル氏は北の核爆弾工場の場所をつかんでいないと認めた。そのことを政府は米側から聞いていたか」と質している。
 これに対し高村正彦外相が「聞いていたかどうかと言われると、聞いていない。ただし、最終的にそういうものが出てこない限り、私としては完全な核申告ではないと思っている」との趣旨を答弁した。

(3)ワシントン・ポストが取り上げた高村発言
ワシントン・ポスト 2008年5月30日
「北朝鮮、より強硬なスタンスを取る――元特使が警告」
グレン・ケスラー記者
「日本の高村外相は、最近、日本の国会において、それらの要素(注・核兵器製造施設に関する情報を指す)を含まない北朝鮮の申告は日本としては受け入れがたいと述べた。」




3.記者会見概要


(6月26日午後4時友愛会館会議室)

西岡 北朝鮮の核爆弾組立施設を特定したのは世界で初めてである。惠谷氏と二人で、脱北者・朴元哲氏(仮名)に2008年5月にインタビューした。インタビューはこれが2回目で、信頼してもらうことにほとんどの時間を使ったため、必ずしも詳細を聞き出せたわけではないが核心的な証言を得た。また、報告以外にも多くの情報を得たが、同氏を特定できる可能性がある情報は、同氏との約束で割愛せざるを得なかった。朴元哲氏は、2005年に脱北した核技術者で火薬の専門家である。核の小型化の最大の難点は起爆装置の火薬問題である。彼が、今回の情報を得ることができる立場にいたことは、色々な方法で検証し、間違いないと確信できた。
 朴元哲氏は、今でも北朝鮮と連絡ができる人である。また彼は、我々と保守的な考え方が一致したために、信頼してくれたと思われる。彼の考えでは、北朝鮮は、「他国に核拡散さえしなければ米国と手を結べると考えている」、「プルトニウムの量さえ申告すれば解決できる」、「すでに研究方向をプルトニウムからウランに変えている」と述べていた。

惠谷 証言では朴元哲氏は2000年に核爆弾を見たと述べているが、「その1カ月後に、朴松鳳が急死したのを覚えている」という証言とは矛盾する。朴松鳳氏は北朝鮮の核開発の父と言われる人で、2001年2月20日に、水泳中に急死した。従って、実際に見たのは、2001年1月と推定される。「2000年」に見たというのは、単純な記憶ミスと考えられる。
 プルトニウムは簡単に移動できるが、核爆弾組立施設は簡単に移動できない。そこで発表に踏み切ることした。なお、なぜ地上の施設で地下ではないのかという疑問を持たれるかもしれないが、組立は地上で、核物質や核爆弾の貯蔵は地下で行っていると考えられる。
 北朝鮮の核爆弾は、まだノドンやテポドンには積めないと考えてきたが、朴元哲氏の話を聞いて、さらに小型化することに成功している可能性があると思った。彼が見た核爆弾は、1メートル四方の箱に収められていたが、60センチ四方に収まるような小型化ができれば、ミサイルに積むことができ、アメリカにとっては脅威ではなくとも、日本には大変な脅威となる。
 彼の証言で、「点火装置は60個以下」とのことだったが、普通の核爆弾は32面体で、各面に2つの点火装置がある。従って64だ。各面の一つはそれぞれ予備である。そうすると、北朝鮮の核爆弾は32面体より少ない面で構成されているのかなど、不明な点もあった。
 今回彼に見せた衛星写真は、やや高度が高かったため、2つのうちのどちらかが特定できなかった。しかし、どの道を通ってこの施設まで来たかを確認した上で、「寧辺の党委員会の近くの建物」となれば、2つのうちのどちらかになる。次回、配布資料の「上記拡大」の衛星写真を見せれば、どちらなのか特定できる可能性がある。
 いずれにしても、核爆弾組立施設が特定できたので、大変興奮し、室内の様子や爆弾の色など詳細な質問ができなかった。また、時間的余裕もなく、今回はここまで聞ければ大収穫として、切り上げた。しかし、次回の面会で、さらに詳細な点を確認したいと考えている。
 

  
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