自由北韓放送20年と日本人拉致問題
◆北朝鮮の攻撃
発足当時は統一問題研究所の中に放送局をおいていたが、南北閣僚級会談の際、北朝鮮代表団の放送中断要求と親北朝鮮団体の抗議で統一問題研究所から撤収した。 同年6月、再び統一連帯の抗議訪問と放送中断要求などによりソウル特別市陽川区新亭洞に放送局事務室を移した。
2006年に北朝鮮の資料を入手した韓国の世界日報の趙ジョンジン記者の報道によると、金正日は「祖国を裏切った脱北者たちが南朝鮮に行って我が党を誹謗する放送局を作り、私たちを誹謗しているが絶対に許せない」とし、「祖国を裏切った脱北者たちが運営する自由北韓放送を爆破してしまえ」と指示したという。 これに歩調を合わせた韓国内の左翼、親北朝鮮団体が発足間際の自由北韓放送を奇襲訪問して放送中断を要求する記者会見や集会を開き、韓総連統一先鋒隊の隊員300人余りが集まって放送局前の通りを占拠、放送中断糾弾大会を行うなど、絶え間ない妨害策動を行った。 「我が民族同士」、「救国戦線」など対南宣伝媒体も放送中断を要求する文書を発表し露骨にテロを煽動し、1日10回以上の脅迫電話、ファックス、電子メール攻撃が行われたこともある。

韓総連統一先鋒隊および自由連帯のメンバーによる、
自由北韓(北朝鮮)放送の中止を求める奇襲デモ

初期の放送局スタッフが、机の下に保管していた護身用のガス銃とスタンガン
2006年から2009年にかけて、北朝鮮の宣伝メディアが40件あまりの自由北韓放送の誹謗、テロの記事を掲載し、300件あまりの放送中断を求める電子メール、ファックスが飛び込んできた。スタジオまで設けていた事務所を移転しなければならず、放送局の職員が離脱し、国家情報院、警察が当局の機嫌を取りながら暗黙的な妨害に加担したり、身辺保護の警察官による24時間監視が行われたりもする。
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