自由北韓放送20年と日本人拉致問題
◆設立の背景
2000年3月、ドイツを国賓訪問中だった金大中元大統領は、韓半島の平和と統一を目指す内容のベルリン宣言を発表。 その後、北朝鮮は会談開催の意思を表明し、同年3月に中国上海で南北間の接触が実現。 2000年6月13日、金元大統領は平壌を訪問することになり、第1回南北首脳会談が行われる。 その後、後続措置として南北閣僚級会談が数回行われることになるが、ここで相互誹謗放送中断に関する議題が議論され、結果、南北は「相互誹謗放送」を中断することになる。 当時、北朝鮮住民たちに外部のニュースを伝える唯一の手段である短波放送を中断するというニュースに接した脱北者たちが「自分たちが放送をしなければならない」という意志を集め、準備を始めることを決意。
2004年4月20日、本放送を開始した。インターネットラジオ放送で、韓国の代表的な反北・保守人士が放送委員として参加した。 委員長に脱北亡命政治家の?長燁、放送委員に趙甲済元月刊朝鮮社長、李東馥元南北会談事務局長など、実務(放送局長)は脱北将校出身の金聖玟が担当している。
設立の目的は?独裁と飢餓に苦しむ北朝鮮住民のために自由と民主主義理念の伝播?北朝鮮政権の改革開放誘導?第3国に脱出する脱北者支援?韓国国民と社会団体の北朝鮮民主化運動への参加誘導?南北の自由、民主、統一、繁栄に対する貢献 ? 北朝鮮問題を中心とした国際社会との連帯などだ。
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