救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

拉致被害者救出運動20年特別集会全記録



西岡力(救う会会長) 松木薫さんは、26歳で拉致されて今63歳です。
 学生時代の松木薫は、おとなしくて勉強熱心な若者だった。とくに語学には力を注いだ。英語の辞書を持ち歩いて丸ごと暗記するような学生だった。長崎外国語短大のときには、スペイン語の暗唱大会で優勝している。薫を見込んだ恩師が、京都産業大学への編入を勧め、さらにそこを卒業するときには、京都外国語大学の大学院へ推薦をしてくれるという。将来は大学で自分の後を継いでもらいたいと考えています。ついては大学院に進んで、すぐ休学という形にして、箔をつける意味でも1年間、ぜひスペイン留学を。熱心に勧めてくれていた。60代半ばになっていた父の益雄は、大事な息子をもう手放したくはなかった。大学卒業後は地元に戻って就職してほしいと願っていた。だから、スペイン留学にはなかなか首を縦に振らなかった。だが、本人も、どうしても留学したいという。最後には益雄が折れた。絶対1年だけと念を押した。だがスペインに行ってわずかな期間で薫は行方不明になってしまった。責任を感じた恩師は、その後、何度も何度も何度も松木家を訪ねている。亡くなる直前まで、毎年、益雄宛の手紙を欠かさなかった。恩師にとっても悔いを抱えたままの他界となってしまったに違いない。
 もしも帰ってきていたら、ペイン語の大学の先生になっていた。63歳の松木薫さんです。斉藤文代さんお願いします(拍手)。

◆弟の帰りを10年待ってくれた、結婚を約束した女性

斉藤文代(松木薫さん姉)
 みなさんこんばんは。熱心にお話を聞いていただきありがとうございます。薫のことは年数が経って、昨日振り返ってみたのですが、日本一の富士山でバイトをしながら、弟はスペインに行くことを考えていたものですから、バイト仲間がたくさんいました。皆さん世の中のお役にたつ方ばかりが日本に残っています。
 薫はバイトで貯めたお金と、当時父が90万円ほどお金を貸してくれて、「勉強してきなさい」と最後は許してくれたんです。そしてスペインに行ったのですが、スペインに行く前に、あまり話さなかったんですが、帰ってきたら結婚を誓っていた女性がいまして、薫の帰りをものすごく待ってくれました。
 しかし、薫がいなくなってからも10年待ってくれたんですが、私の所に会いに来て、泣かれて、「お姉さん私をお母さんに会わせてください」と言われたんです。しかし、「お母さんに会ったらあなたの人生がまたダメになるから、あなたのお母さんの言うことを聞いてお嫁に行ってくれた方が薫も喜んでくれると思います」、「何が起こるか分からないから私も応援します。結婚されることが母の喜びでもありますので、親がすすめてくれたチャンスを逃したら、自分の幸せがなくなるかもしれないから結婚してください」と私がお願いして、結婚しました。
 立派な子どもさんが二人大きくなり、「だんなさんの方も、薫さんが帰ってきたらお会いしたい。お礼を言いたいと言ってくれているのでお姉さん会ってくれますか、薫さんと会わせてくれますか」という話をしてくださったので、「ぜひ会ってやってください。薫が帰ってきたら喜んでくれると思いますよ」ということで、その方たちは今も幸せに暮らしています。
 母には会えなかったので、病室に大きな花束を届けてくれました。「幸せになりますから」ということでした。母もまだその頃は口がきけましたから、「よかったね」ということで、彼女のことは父には薫は紹介してたんですが、母は顔をみたことがなかったんです。
 私が彼女と会った時に、はっと思ったことは、お母さんと彼女は顔がよく似ているんです。私もなんとなくかわいいなと思って、幸せになってくれればいいなと思っていました。
 スペインのマドリッドに薫が行った時に、4月の桜の花が咲く頃に葉書が来たんです。今でも全部覚えていますが、「お姉さん元気ですか。桜の花が咲く頃になりましたね。僕はこれから一年間一生懸命勉強します。お父さんお母さんをしっかりお姉さんに頼んでおきますから宜しくお願いいたします」と。
 丁寧な子でしたから、そのような葉書をもらって大事にとっておきましたが、年月が経ち、色々な人生が入りましたので、どこかに入り込んでしまって今は持っていません。書いてあった言葉だけは忘れることがなく、薫も北朝鮮で母のことを思いながらつらいこともいいことも頑張っていてくれると信じています。
 五人の被害者が帰国した時に、外務省の方からちょっとお話を伺ったんですが、「平壌でオモニという方が付いていてくれてご飯など身近なことをしてくれている」と聞きました。その時に、毎月1回、お付の人と平壌に買い出しに行くようで、帰ってくると、オモニに、「おかあさん、今日はなんにもしなくていいですよ。ぼくが作りますから」と言ったというんです。料理もしたことがない薫がです。
 そのお母さんに毎月カレーライスを作るらしいです。私はそれを聞いた時にわーっとなり、お母さんのことがなつかしくてカレーライスをオモニにつくってあげていたんだなと思いました。薫が大学の時、帰ってくると、母が間に合わせに、すぐカレーライスを作って食べさせるわけです。「おなかがすいているでしょう」と言って。
 礼儀作法もとてもいい子でしたので、「お父さんお母さん、ただいま帰りました」と畳に手をついて、お辞儀をしてご挨拶する子でした。私たちが見習わなければならないような。お母さんはかならずカレーライスを作って、カツを乗せて。しかし私にはカツはないんですよ。男だけはカツが乗ったカレーライスを食べさせていたんです。
 本当に長い年月が経ちましたけれど、今日は皆様方とお会いできるということで、悲しい話ばかりではなくて、そういういい話もたくさんあって帰ってくることが私たちの願いですから、全員が帰ってくることが私たちの願いですから、薫が帰ってくる時も元気な姿で皆様方の前に立てるように、毎日毎日仏様にも手を合わせて願っております。
 私も色々なことがあって、夢もたまってきました。一つずつその夢もかなうと思っていますので、自分が倒れるのはどこでもいいという気持ちで頑張っていきたいと思っていますので、強い心で、もう少し頑張ればいいことがあるという気持ちで過ごしていきたいと思います。
 どうか皆さん、みんなが帰ってくるまでもう少し応援していただけたらと嬉しいと思います。これからもどうぞ宜しくお願いいたします(拍手)。


  
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