救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

北朝鮮が提出した「調査結果」の疑問点・矛盾点(2)
2014.12.09



家族会・救う会は12月9日午後、政府に「北朝鮮が提出した「調査結果」の疑問点・矛盾点(2)」を提出し、その後記者会見でそれを公表した。以下その全文である。

家族会・救う会は実務者協議の結果を詳しく分析し「疑問点・矛盾点」を11月25日に政府に提出しました。また、昨日(12月8日)は、横田めぐみさんの遺骨と称して提供された骨も、再度「松木薫さんの可能性もある」として提供された骨も捏造であることが判明しました。それらにより、北朝鮮金正日政権の不誠実な姿勢が浮き彫りになりました。

本日、私たちはそれに引き続き、この間公開をひかえてきた情報の中から、
現段階で公開することがふさわしいと考えられるものを選び、「疑問点・矛盾点(2)」としてまとめました。
帰国した5人の拉致被害者の方々はこの間、未帰還拉致被害者救出のため日本政府に対して情報提供をすると同時に、家族会・救う会にも情報を提供してきました。

家族会・救う会は提供された情報は北朝鮮側が出してくる調査結果を検証するために使われるべきだと考え、その情報の公開を避けてきました。しかし、11月の第3回実務者協議の結果を受けて、現段階で公開しても北朝鮮を利することがない、むしろ公開して北朝鮮の主張のでたらめさを訴えるべきだと思われる部分が出てきましたので報告いたします。今回指摘するのは、全体的疑問点・矛盾点1点と個別的疑問点・矛盾点7点です。前回の報告と合わせると合計73点となります。要するに、北朝鮮が出してきた情報と物証はすべて捏造だったということです。
これによっていよいよ金正日政権の虚偽と非道さが明らかになりました。もはや、いままでのような形での対話では拉致問題を解決できないことは明らかです。わたしたちは多くの国民の怒りの声とともにとともに、経済制裁発動を強く求めるものです。また、政府による精査結果を早急に公開することも合わせて求めます。


[1]全体的疑問点・矛盾点

1.田口八重子さんが日本語を教えた工作員は金賢姫であることを証明する重大証言

前回私たちは、全体的疑問点・矛盾点として、北朝鮮が「『田口八重子さんは大韓機爆破事件犯人の日本人化教育係・李恩恵でない』と今回も偽証」していることを指摘しました。周知の通り、我が国警察は数々の証拠、証言などをもとに「田口さんが李恩恵だ」という捜査結果を明らかにしています。実は、この警察の捜査結果を裏付ける重大証言を私たちは入手していました。
飯塚繁雄・家族会副代表が今年6月小浜市で地村富貴恵さんから「田口八重子さんが日本語を教えた工作員はオッカという名前だった」という証言を直接聞いています。
そのときは「オッカ」という名前の持つ意味がわからなかったのですが、救う会がそれを分析して次のような驚くべき事実を解明しました。
オッカは朝鮮語で「玉花」の発音であり、金賢姫が田口さんに名乗っていた工作員としての偽名と一致するのです。金賢姫の著書『いま、女として金賢姫告白(下)』に、工作員として召喚された直後、担当の鄭指導員から受けた注意についての次のような記述があります。

「『これからは本名は使えませんよ。金玉花(キム・オッカ)と呼びます。金淑姫(キム・スッキ)という女同志と一緒に暮らすことになるが、本名はもちろん自分のことについてはすべて秘密にしなければなりません。金淑姫についてもたずねてはいけないし、訊かれても答えてはだめ。誰にも金玉花同志について知るきっかけをあたえてはいけません』。彼は何度もこんな注意を繰り返した」(文藝春秋文庫189ページ)

また同書で金賢姫は初めて田口さんに会った場面を次のように書いています。

「応接室に入ると、指導員は改めて紹介をしてくれた。『こちらは玉花同志に日本語を教えることになる李恩恵先生です。これから一生懸命に日本語を習ってください』。恩恵先生は、それまでひとりでいたのでうんざりしていたのか、『これから、玉花同志と一緒に過ごせることになって大変嬉しい。心配しないでください。私が責任をもって教えますから』。といった。彼女の朝鮮語は日本式発音で大変ぎこちなかったが、可愛らしいところがあった」(同217〜218ページ)

なお、地村富貴恵さんと田口八重子さんは、田口さんが金賢姫に日本人化教育を行った後の1984年秋より1986年7月まで同じ地区で暮らしていました。
この情報により「李恩恵という日本人女性はいない」という北朝鮮の説明はより一層根拠のないでたらめであることが明らかになったのです。


[2]個別的疑問点・矛盾点

1.「かつての自分と田口八重子さんの運転手だった人物から、死亡とされた1986年7月30日の数か月後に平壌市内の楽園百貨店で田口さんに会った、と聞いた」と地村富貴恵さんが証言。
「1986年7月30日、馬息(マシク)嶺において軍部隊の車と衝突して死亡した」という北朝鮮説明と矛盾する。
救う会の調べでは楽園百貨店とは、平壌市に所在する外貨商店である。金賢姫によると田口さんは月に1〜2回外貨商店に行って買い物をしていたという。その外貨商店のひとつがこの楽園百貨店である。

2.「田口八重子さんは1986年7月まで結婚していない」と地村富貴恵さんが証言。
「1984年10月19日に原敕晁さんと結婚した。初めは、年の差が離れているため躊躇していたが、何回か会ううちに結婚に同意するようになった。これは、調査委員会の人間が特殊機関内に入って、関係者から話を聞いたものである」という北朝鮮説明と矛盾する。地村さん夫妻は86年7月まで田口さんと同じ地区の招待所に住んでいた。

3.「田口八重子さんの入国地点は南浦だった」という地村富貴恵さんの証言。北朝鮮側の「入国地点は海州(ヘジュ)」という説明と矛盾する。

4.「増元るみ子の入国地点は南浦だった」と蓮池祐木子さんが証言。
北朝鮮側の「入国地点は海州(ヘジュ)」という説明と矛盾する。

5.「増元るみ子さんは79年10月まで独身だった」と蓮池祐木子さんが証言。
北朝鮮側の「1979年7月20日、市川修一さんと結婚した(以前4月20日と伝えたのは、事務的な誤記だった)」、「結婚前の7月下旬まで、蓮池(旧姓:奥土)祐木子さんと一緒に生活していた」という説明と矛盾する。蓮池祐木子さんは拉致された後、1979年10月まで平壌市内の同じ招待所で増元るみ子さんと一緒に暮らしていた。

6.「横田めぐみさんは、94年3月義州の精神病院に入院した」と蓮池薫氏が証言。
北朝鮮側の「前日まで義州の精神病院に入院させることも検討されたが、少し様子を見ようということで49予防院に入院させた」という説明と矛盾する。

7.「横田めぐみさんが太陽里の招待所に引っ越してきたのは86年8月である」と蓮池薫氏、地村保志氏が証言。
北朝鮮側の「1981年春から1986年までの間は、平壌郊外の招待所(平壌市順安区域の太陽里にある招待所。名前は特になく、今その招待所は使っていない)で日本語教育に従事した。1981年から84年までの間は、田口八重子さんと一緒に生活していた」という説明と矛盾する。



以上


  
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国民大集会「もう我慢できない。今年こそ結果を!」
「もう我慢できない。今年こそ結果を!」。2月2日に家族会・救う会合同会議で決めた今年の運動方針です。 拉致被害者家族の高齢化が進み、「生きている間に被害者に会えないかもしれない」という言葉が出るようになっています。経過はすべて説明して頂くことはないと思います。しかし、今年中にぜひ結果を出して欲しいということが、家族会・救う会そして心ある日本人の心の底からの叫びだと思います
2014年4月27日午後2時午後5時 日比谷公会堂
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