救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

「すべての拉致被害者を救出するぞ! 国民大集会」全記録



西岡同じ8月12日に、新潟県佐渡でも拉致がありました。曽我ひとみさんがその時の様子を詳しく語ってくれました(2012年10月の東京連続集会でのビデオ映像)。
曽我ひとみ私は、1978年北朝鮮に拉致されました。ちょうどお盆の前の8月12日の土曜日でした。私は看護師の仕事をしながら、決まって土曜日には家に帰り、日曜日の午後にまた寮に帰るという生活が続いていました。
 ちょうどその日も土曜日で、午後家に帰りました。お盆前ということで、母が少し足りないものがあるので買い物に出かけようということになりました。行きは病院であった話などを色々しながら、楽しく店まで着きまして、店で買い物を終えてまた家に変える途中のことでした。
 歩道を歩いていたんですが、夏場ですので、7時を過ぎてもまだぼんやりと明るいくらいの時間帯でした。母と話をしながら歩いていましたら、何かちょっと後ろの方から人の気配を感じまして、一度後ろを振り向きました。
 そうしたところ、男の人が三人、縦並びじゃなく、横並びで、まっすぐ私たちのあとをゆっくりとついてくるのが見えました。「なんか変な男の人たちが後ろから付いてくるね」と母と話しながら、「気味が悪いから早く帰ろう」と、少し早に歩き始めてしばらくした時でした。
 後ろから三人の男の人が急に駆け寄ってきまして、道端にある植え込みの中に私と母親を引きずりこみました。その時私は口をふさがれて、袋をかぶされました。一緒にいた母親は、そのとき以来一度も声を聞くこともなく、姿を見ることも今までありません。本当に夢のような話で、自分自身もよく分からないところがいっぱいあります。
 その後ですが、私は袋に入れられたまま小さな船のところまで行きました。その船の上にしばらくいましたが、ちょっと離れた所で日本語を話している(女性の)声が聞こえてきました。その日本語は佐渡の人が話している佐渡弁ではなく、日本人でもない、ちょっと発音が違う、そんな印象を受けています。
惠谷これは私が、事件後25年後8月12日午後7時に撮った写真です。この左手にあるのが逸見商店。お二人が買い物をした。お店がある向こう側の歩道を買い物を終えた二人は帰っていった。
西岡明るさは同じということですね。
惠谷明るさは、車のヘッドライトもこういう感じで照らされる。ここは非常に長い一本道です。ですから車が来ると、遠くからすぐ分かります。
 ここが二人が連れてこられた国府川(こうのがわ)の川岸で、当時は葦が生い繁っていました。この岸に不審な船が泊まっていたという目撃情報もあります。ここが国府川の河口で、向こうに真野湾が広がります。その向こうに工作母船があったと思われます。
西岡皆さんがお持ちの本日のちらしの裏に、先ほどの曽我さんの証言を文字にしてあります。後で見てください。
 この日、曽我ひとみさんがお母さんと買い物に出かけたのも偶然でした。実は妹さんとどちらが一緒に行くか兄弟げんかをしていたといいます。
 彼女たちは3人の男に襲われ、口をふさがれ、手足を縛られ、袋を被せられて、川岸の船に乗せられました。
 そのとき、母国語でないような日本語が自分に対して語られたのでないような、しかし近くで聞こえたと言います。多分、金ミョンスクがお母さんに語ったのではないか。日本語を語る必要は工作員同士ではないんです。
 その日本語は曽我さんを拉致して平壌まで一緒に連れていった女工作員金ミョンスクの声でした。後で曽我さんも分かります。つまり、ここでも3人の男と1人の工作員の4人組が犯人です。
 曽我さんは道で襲われた後、お母さんのことは一切分からないと語っていますが、これも他の事件と同じです。つまり別々に連れていくやり方を最初から狙っていた。そういう技術を持っていたんです。曽我ミヨシさんも絶対に拉致されていることが分かります。
 曽我さんは最初に乗せられた船は感触が木だったと語っています。また乗り換えは1回だけとも語っています。これをどう見ますか。
惠谷通常、ゴムボートで沖合いに出ますが、ここは国府川で、不審な船が当時目撃されています。曽我さんも木の感触が鮮明です。ですから、佐渡のケースは他と違って、特別なケースだったと思います。ゴムボートについては後ほど詳しく説明します。


  
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