救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

家族会・救う会の反論
「死亡」とされた8人の調査結果の矛盾点・疑問点
2002.10.24



先日手交いただきました第1回拉致被害者調査結果に関して、家族会と救う会は以下の通り矛盾点・疑問点を整理いたしました。今回の調査結果は、10月4日の要望書に書きましたごとく、まさに嘘に嘘を重ねた到底信ずることができないものです。
北朝鮮が提供した諸データがこれだけ矛盾と疑問だらけであるということは、8人が現在も生存している可能性がより大きくなったと認識いたします。繰り返して願いますが、いま生きている被害者に今後、危害を加えられることがないように、客観的証拠が出てくるまでは生存を前提に徹底した確認作業を続けてください。そのために早急に第2回調査団を北朝鮮におくり、詳しい確認作業の実施を強く求めるものです。

・死亡確認書の発行病院が7人同じ

横田めぐみさん以外の7人の死亡確認書(以下、確認書とする)はすべて「第695病院」から発行されている。家族に渡された翻訳では一部が別の数字の病院になっているが、家族会と救う会がじっくりと鑑定したところ、7人の死亡証明書がすべて同じ病院のもので、書式も同一と判明した。
松木薫さんと市川修一さんの確認書はコピーが不鮮明で「第695病院」とも「第005病院」とも見えるが、判子の位置などから他の5人の確認書と同一に見える。また、石岡亨さんの確認書も不鮮明さは松木さん、市川さんと同程度で「第695病院」とも「第005病院」とも見えるが、石岡さんは有本恵子さんと同じ日に死亡とされており署名している医師も同一人物であり、有本さんの確認書ははっきりと「第695病院」と読める。この点から石岡さんの鑑定書の病院は「第695病院」であると断定できる。となると松木さん、市川さんの確認書もやはり「第695病院」と見るべきだろう。また、病院が異なる横田さんの確認書は書式がまったく違う。したがって、7人の確認書の書式が同一であることは、松木さんと市川さんの確認書が他の5人と同じ「第695病院」だと見るべき根拠となる。
「死亡」場所は北朝鮮情報によると、松木さんは咸鏡南道高原郡と北西郡の境界、石岡さんと有本さんは慈江道煕川市、原敕晁さんと田口八重子さんと増元るみ子さんは黄海北道麟山郡、市川さんは江原道元山市と4つの道にまたがりばらばらなのに同じ病院から確認書が出ている点は納得しがたい。
下記に指摘するように有本さんの確認書の生年月日欄には石岡さんの生年月日が誤って記載されていた。
調査団の説明によるとこの確認書は日本側の強い要求を受けて提出されたものという。当初は提出する気がなかったものを急遽偽造したため、4つの道で死亡した7人の確認書が同一病院から発行され、生年月日の写し間違いという初歩的ミスが生まれたのではないか。


・生年月日の誤り

1、有本恵子さんの死亡確認書の間違い
同確認書では有本さんの生年月日が「1957年6月29日」と記載されているが、実際は「1960年1月12日」である。ちなみに、「1957年6月29日」は有本さんと結婚していた石岡亨さんの生年月日である。
2、市川修一さんと増元るみ子さんの結婚登録申請書の間違い
同申請書は本人の署名があり、2人自らが作成した形式をとっている。ところが市川さんと増元さんの生年月日が間違っている。同申請書の生年月日欄は市川さんが「1954年10月27日」、増元さんが「1953年10月27日」と記載されている。しかし、実際の生年月日は市川さん「1954年10月20日」、増元さん「1953年11月1日」である。したがって、この申請書は本人に関係ないところで偽造された疑いが強い。そもそも、招待所にいた期間に結婚登録申請書なるものを出す必要があるのか疑問だ。自筆とされている同申請書の筆跡鑑定をお願いしたい。
3、市川修一さんの死亡確認書と「北朝鮮が説明した個別情報(以下、北朝鮮情報とする)」の間違い
市川さんの死亡確認書と北朝鮮情報においても生年月日が「1954年10月27日」とされている。これは上記と同じ間違いで、実際は「1954年10月20日」である。


・住所・本籍に関する誤り、疑問

1、松木薫さんの北朝鮮情報の誤り
北朝鮮情報では住所が「熊本県健軍」されているが、この住所は松木さんが拉致されたあとに家族が引っ越したもので、本人は知り得ないものだ。
2、増元るみ子さんの北朝鮮情報の誤り
北朝鮮情報では住所が「鹿児島県上本町13−14」とされているが、拉致された当時の住所は「鹿児島県池之上町13−14」である。
3、横田めぐみさんの北朝鮮情報の疑問
北朝鮮情報では本籍が「東京都品川区大井(ユゲ)6−2985」とされている。
実際の本籍にはない「(ユゲ)」という意味不明の語がなぜ入っているか疑問だ。そして、両親によれば通常は「大井6−17−21」という現行の住所表記を使っていたので、めぐみさん本人は本籍を知らない。


・目撃情報の矛盾

1、市川修一さんと増元るみ子さんの目撃証言の矛盾
目撃者ムン・チョルスは「78年3月にここで初めて後方支援の仕事をしたときの宴会が、キム・ヨンチョルたちのものであったので、覚えている」と語っている。キム・ヨンチョルは市川さんにつけられた朝鮮名だという。しかし、市川さんと増元さんが拉致されたのは1978年8月であり、78年3月には日本にいた。
2、市川修一さんの目撃証言の矛盾
同じくムンは「男は電話修理をしていた」と証言しているが、市川さんは電電公社に勤めてはいたが、技術者ではないから修理は専門でない。
3、増元るみ子さんの目撃証言の疑問
同じくムンは「奥さんの要求には朝鮮琴の要求があった」と証言している。増元さんは日本の琴を好んでいたが、それで朝鮮琴とはあまりに短絡過ぎる。これをわざわざ記載していることが不自然である。
4、田口八重子さんの目撃証言の矛盾
目撃者ムン・チョルスは「女性には日本に子供が一人いると本人から聞いた」と証言しているが、田口さんは日本に二人の子供をおいたまま拉致された。


・それ以外で家族が指摘する不審点

1、市川修一さんの死因の疑問
市川さんは1979年9月4日、元山海水浴場で溺死とされている。しかし、本人は水泳が好きではなかったのに9月に入って寒くなる時期にわざわざ海水浴をすること自体が不自然である。そもそも、招待所にいた時期に監視抜きで泳ぐことができるか疑問だ。
2、増元るみ子さんの死因の疑問
増元さんは1981年8月17日、心臓病で死亡とされている。本人はいたって健康体であって、27歳の若さで心臓病により死ぬなど考えにくい。
3、田口八重子さんの北朝鮮情報で不審な点
(1)日本政府が認知していた内容とまったく異なる。
(2)「李恩恵」と呼ばれる日本人化教育教師とは別人物とされたのはなぜか。
(3)拉致当時、2人の子供を東京においた状態だったから、工作員に北朝鮮に「3日程度なら観光がてら行きたい」などと言うはずがない。
(4)交通事故の調書がない。
(5)結婚登録申請書の内容が不明確である。国籍が「朝鮮」とされている。婚姻前の住所の記述がない。
4、横田めぐみさんの北朝鮮情報などで不審な点
(1)入国経緯の欄に「実行犯は、職務停止処分を受けている」と記載されているが、それは誰なのかが不明。
(2)入国後の生活の欄に「現実研究」「現実体験」をさせられたとあるが、その中味は何か。
(3)キム・ヘギョンが持参しためぐみさんとされる女性の写真をよく見ると、背景のグリーン色が髪や洋服に食い込んでいて不自然。別の人が写っていたのを塗りつぶしたり、場所を特定されないよう修正したのではないか。
(4)入退院台帳のめぐみさんとされる女性の欄は4行目だが、通し番号が「3−239」とされているが、次の行の男性も「3−239」と同番号となっている。他には重複はない。また、台帳ではめぐみさんとされる女性の年齢が29歳となっているが、誕生日前なので28歳が正しい。
5、有本恵子さんの北朝鮮情報の不審な点
(1)帰国した浜本富貴恵さんは10月16日、恵子さんの母有本嘉代子さんに招待所の暖房は石炭を使わないと証言している。したがって、有本さんが招待所にて石炭ガス中毒のため死亡したとする北朝鮮情報は納得できない。
(2)1991年1月16日、有本・石岡両家族が東京で開催を予定していた記者会見場にNHK記者の紹介で現れた遠藤忠夫・ウニタ書店経営(当時)氏が、恵子さんらは生きている、自分は金日成の侍医につながるコネクションがあるから会見を中止すれば助けてやる、と語って会見を事実上中止させた。したがって、その時点まで恵子さんは生存していた可能性が高い。

以上


  
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