救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

日本人拉致の真相と、救出の方法(西岡力)(2004/05/20)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2004.05.20-4)

 いよいよ、あさって小泉首相の再訪朝が行われる。救う会にはマスコミなどから、
めぐみさんらが生きているとなぜ言えるのか、政府認定以外の被害者の規模など、こ
れまでたびたび議論してきた問題についての問い合わせが多く来ている。
この機会に、現段階での日本人拉致問題の全容と解決方法に関して、概説する基礎的
資料を提供する。

■ 日本人拉致の真相と、救出の方法

西岡力(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会常任副会長)


目次 
はじめに 金正日が拉致を認めた理由
1 朝鮮が通告してきた「安否情報」が意図的謀略であると判断される理由
2 政府認定15人をはるかに多い拉致被害者
3 日本人拉致の首謀者は金正日
4 拉致被害者を見捨ててきた日本政府
5 救出の方法、金正日政権に期限を切って制裁実施を通告せよ



はじめに 金正日が拉致を認めた理由

 他国まで工作員を潜入させて道ばたや海岸から何の関係もない女子中学生や若いア
ベックを次々に拉致していくなどという信じられない国家テロをしでかす北朝鮮は、
まさにテロ国家そのものであり、またそれを命じたのは現在の北朝鮮を支配する独裁
者金正日である。こちらがまず下手に出て援助をしたり話し合いをしたりしていれば
彼らが態度を変えて来るなどと言う考え方は、まったく現実離れした空理空論に過ぎ
ない。北朝鮮から見て拉致問題を解決しないでいることが耐えられない状況をこちら
がまず作り出すことが第一なのだ。もちろん自分たちの国家犯罪を認めることは彼ら
にとってかなり大きなマイナスだが、それをしないと政権と国家が維持できないぐら
い深刻なダメージがあるということが分かれば、最悪を避ける意味で何だかの行動を
取る可能性が大きいということだ。
 そう考えると金正日が昨年9月拉致を認めた理由がよく分かる。端的に言って、ブッ
シュ米政権が核問題で決定的な証拠を握り経済制裁を通じて金正日政権打倒を目指す
政策を採ったからだ。北朝鮮はすでに1995年頃から国民に対する食糧配給が崩壊して
いる。頼みの綱である外部からの支援が経済制裁により断絶してしまえば政権維持が
困難になることを金正日自身がよく理解していた。そこで、小泉総理を平壌に呼び拉
致を認める代わりに早期日朝国交を狙ったのだ。外務省の一部高官もその金正日の戦
略を承知の上で、早期国交正常化へと動こうとしていた。金正日とすれば日本との国
交交渉再開は経済制裁をかわしのどから手が出るほど欲しい経済支援を手に入れる大
きな賭だった。この点については拙稿「金正日に拉致を認めさせたものは?」(拙著
『拉致家族との6年戦争 敵は日本にもいた』所収)で詳しく論じた。
 本稿では、以上の分析を前提に、拉致問題解決に向けて考えるべきいくつかの課題
を考察した。

1、北朝鮮が通告してきた「安否情報」が意図的謀略であると判断される理由

 北朝鮮が9月17日日本に伝えた拉致者の「安否情報」は、死亡したといわれる8
人に関して複数の生存情報があり信憑性が低い。政府は「死亡」とされた8人と入国
せずとされた2人が現在も生存している可能性を排除せず早急に確認交渉を行うべき
だ。以下、「安否情報」の矛盾点を列挙する。(なお、北朝鮮が9月末訪朝した日本
調査団に対して伝えてきた死因などに関する情報も矛盾の固まりというべきものだっ
た。それについての詳細な批判を家族会・救う会が発表しているので本稿付録として
末尾につけておく)。

 元工作員・安明進氏、金賢姫氏が目撃したり消息を聞いた被害者(横田めぐみ、市
川修一、田口八重子)はすべて死亡とされた。死亡時期などもすべて安明進証言と矛
盾するものとなっている。拉致は認めるが金正日本人はそれを知らなかったという北
朝鮮側の主張を貫くためには、拉致は金正日の命令で実行されたと明言している安明
進氏、金賢姫氏の証言は認められない。従って、安否情報は安明進・金賢姫証言を否
定するという意図の下に造作されたと判断できる。
安明進・金賢姫証言(A)と「情報」(B)の矛盾一覧。
・ 横田めぐみ 
(A)88年から91年まで金正日政治軍事大学分校日本人化教育担当教官。同大学
敷地内に居住。未婚に見えた。服装、食事、嗜好品、化粧品、録画した日本のテレビ
番組や新聞などすべて日本のものを与えられていた。
(B)87年初め以前までに朝鮮人男性と結婚、87年11月に女児出産、93年3
月13日死亡。
(救う会見解)めぐみさんは95年頃に2年間、金正日の子供の日本語教師をさせら
れているという、金正日書記室(金正日一家の生活全般を管轄)幹部の証言情報を救
う会は入手している。金正日政治軍事大学の存在は北朝鮮で徹底的に秘密にされてお
り、その教官が一般社会に出て結婚したり子育てしたりはしない。
 
・市川修一 
(A)金正日政治軍事大学分校日本人化教育担当教官。1990年7月か8月同大学
本校大会議室隣の卓球場で安明進ともう一人の工作員が話しかける。安明進は市川さ
んからマイルドセブンを一本もらう。「外国語講座のソンホ先生」と呼ばれていた。
清津連絡所工作員が何人かと一緒に拉致。北朝鮮国民はほとんどしない赤いネクタイ
を好んでいた。
(B)1979年9月4日死亡。
(救う会見解)北朝鮮では社会主義少年団員が赤いネクタイを締めるので成人になる
と赤いネクタイを好む者はほとんどいない。そのため安明進氏は市川さんのネクタイ
の好みを強く記憶していた。市川さんは確かに日本にいたとき赤いネクタイを好んで
おり、自宅には多くの赤いネクタイが残っている。市川さんの家族はネクタイの好み
について安明進氏が指摘する以前に誰にも話していないから、安明進氏の証言の信憑
性は高い。
・ 田口八重子 
(A)金正日政治軍事大学分校日本人化教育担当教官。1981年から83年まで金
賢姫と寝食を共にし日本人化教育を実施した。1988年1月大韓航空機爆破犯人金
賢姫が犯行を自白し同大学は大幅にカリキュラムなどが変更されたが、田口さんは大
学内所属が変わり郊外の人目に付きにくいところに移されただけで無事だった。
(B)1986年8月10日死亡。
(救う会見解)安明進氏は、実名を出して救出運動をすると被害者が殺される恐れは
ないかという質問に「田口さんは金賢姫の自白後も無事だったことを金正日政治軍事
大学複数の教官から確認した。本人が反抗しない限りせっかく拉致してきた貴重な人
材を殺すことはないはず」と答えた。また、1988年、金正日政治軍事大学の複数
の教官が、安明進氏らに「田口さんは処罰されずそのままいる」と確認している。1
987年11月の大韓機事件前に死んだという北朝鮮情報は信じがたい。

 有本恵子さんに関しては最近に至るまで継続して生存情報が出ていた。出所はすべ
て北朝鮮に近い関係者だった。有本さんらが帰国するとよど号グループを使って金正
日が行ったり計画したりした多くのテロや犯罪が明らかになる。それを恐れて石岡さ
んの手紙が着いた1988年9月の直後である同年11月4日有本、石岡が死んだこ
とにしたと考えることができる。
有本恵子生存情報
・ 1991年1月16日、有本・石岡両家族が東京で開催を予定していた記者会見
場にNHK記者の紹介で現れた遠藤忠夫・ウニタ書店経営(当時)氏が、恵子さんら
は生きている、自分は金日成の侍医につながるコネクションがあるから会見を中止す
れば助けてやる、と語って会見を事実上中止させた。
・ 1995年11月平壌で田宮高麿が「有本さんらを日本に帰したい」と語ったと、
1996年有本家を訪れた高沢皓司氏が有本さんご両親に伝えた。
・ 2002年3月20日、中山正暉・衆議院議員は有本嘉代子さんに電話をかけ、
救う会の運動から手を引けば平壌に連れて行って恵子さんと会わせてやる、と語った。
5月7日昼、中山氏は赤坂プリンスホテル中華料理店で救う会役員に、有本恵子は生
きていると語る。9月21日12時頃、西岡が秘書通じて中山氏に根拠を確認し返事
を待っている。

 有本さん以外でも、生存を伝える情報が複数ある。

2001年8月24日付け朝鮮日報 李ギョガン記者「拉致日本人8人平壌で『集団
管理』」記事

拉致日本人8人が平壌市ピョンチョン地域鞍山招待所に収容されている。管理は労働
党組織指導部幹部5課が担当。10歳内外で拉致された女性いる。目撃証言と写真資
料で確認。外務省は2000年ソウルでこの情報を入手、という内容。国情院幹部が
西岡に、この情報を韓国政府がもっていることを認める。
2002年9月21日、李記者と通話。韓国国情院は拉致日本人に関してかなり多く
の情報を持っている。この情報もその一つ。李記者は、北朝鮮の死亡通知は信じられ
ず、日本が強く反発すればより詳しく調べて生存が分かったと訂正してくる可能性高
いと判断している。

2002年7月10日 韓国・国家情報院幹部発言。
 同日昼、韓国・国家情報院幹部が救う会役員に「カナダで行われたサミットで小泉
総理が拉致に言及、特にカナダの総理とプーチンロシア大統領との会談で熱心に語る
のを知り、北朝鮮は拉致問題をそこまで国際的に大きくするのかと非常に驚き、その
後急遽10人程度の拉致日本人をある場所からある場所に移動させたという確実な情
報がある。しかし、これまでどこの招待所にいてどこの招待所に移されたかは確認が
とれていないので調査中だ」と伝えた。
 そのあと「新潟の行方不明になった横田めぐみさん、あの少女も生きていますよ。
私の推測の部分もありますが、生きていると思います。間違いないと思います」と語っ
た。
 なお、同役員が19日と20日に電話で発言の確認を求めたが、本人は電話に出ず、
20日部下が拉致問題が国際的大問題になっているのでいまは反響を考え何もお話し
できないと回答するが、では発言は嘘なのかと食い下がったところ「嘘は言いません」
と言明。
 産経新聞2002年9月22日がソウル発で同様の情報を伝えた。



2、政府認定15人をはるかに多い拉致被害者


 日本政府は北朝鮮による拉致被害者を現在、15人認定している。一方、北朝鮮は
小泉首相訪朝に際して、13人の拉致を認めた。救う会は現在、21人を認定してい
る(寺越昭二、寺越外雄、寺越武志、久米裕、原敕晁、小住健三、横田めぐみ、田口
八重子、地村保志、浜本富貴恵、蓮池薫、奥土祐木子、市川修一、増元るみ子、福留
貴美子、石岡亨、松木薫、有本恵子、田中実、曽我ひとみ、曽我ミヨシ)。
 救う会が認定している21人の被害者は5つの分類に分けられる。
第1は北朝鮮の工作活動に遭遇したため連れ去られた「遭遇拉致」だ。1963年石
川県の近海で出漁中に失踪した寺越昭二、外雄、武志さんたちのケースがこれにあた
る。日本領土、領海、近海を舞台に展開される非合法工作活動は1950年代から始
まり現在も継続している。したがって、このケースの被害者は、時期は限定されず、
場所は海岸近くか、日本近海となるだろう。
第2は工作員が被害者になりすますために拉致する「背乗り拉致」だ。久米裕さん、
原敕晁さん、小住健三さんがこのケースだ。日本人になりすまして日本社会で活動で
きる工作員は戦前日本人としての教育を受けた世代に限られるようだ。金賢姫など戦
後生まれで工作機関にて日本人化教育を受けた世代は、日本語の発音などのため完全
に日本人になりすますことはできなかったようで、海外で日本旅券を持って活動する
こと以外は確認されていない。時期は日本敗戦時に15歳以上(1930年以前生ま
れ)の世代が日本人になりすますことが可能と仮定し、その世代が工作員として活動
できる年齢を65歳までとするなら、1995年までとなる。なりすましの対象とな
る被害者の年齢は1930年以前生まれに限定される。このケースは日本国内の地下
組織が被害者の選定から拉致実行まで大きく関与しているため、場所は日本全国どこ
ででも起こりうる。
第3は工作員日本人化教育の教官にさせるために拉致されたケースだ。1976年金
正日が下した工作員の現地化教育命令以降に集中的に拉致されている。77年横田め
ぐみさん、78年田口八重子さん、地村保志さん、浜本富貴恵さん、蓮池薫さん、奥
土祐木子さん、市川修一さん、増元るみ子さん8人がこのケースだ。元工作員・安明
進氏は1988年、工作員養成学校・金正日政治大学に約30人の日本人教官がいた
と証言している。したがって残り22人は未認定の被害者がいるということになる。
時期は77年以降であり、場所は当初は海岸近くで無差別に拉致したようだが、第2
ケースと同じく日本国内の地下組織が関与している場合も多くその場合、日本国内の
どこでもありうる。
第4は拉致した日本人を工作員として使おうとしたケースだ。よど号赤軍がヨーロッ
パなどで拉致した福留貴美子さん、石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さんがこのケー
スだ。有本さん拉致犯人八尾恵周辺からの情報によると、よど号赤軍は合計20人程
度拉致したというから、残り16人程度は未認定の被害者がいることになる。時期は
1980年以降、場所はヨーロッパ、南米などだ。
第5は拉致の目的が1から5にあてはまらないケースだ。1978年海外旅行に誘わ
れる形で拉致された田中実さん、1978年拉致された曽我ひとみさん、曽我ミヨシ
さんがこのケースだ。曽我ひとみさんは「脱走」米兵と結婚している。田中さんは時
期的に見て第3ケースであった可能性がある。
 拉致被害者の規模を考える場合、1973年千葉県で失踪した古川了子さんが大き
な問題となる。古川さんは1から4のどれにも当てはまらない。古川さんは安明進氏
が1991年に目撃した日本人女性とよく似ていると証言したことから拉致の可能性
が極めて高いと判明した。安明進氏は古川さん拉致の目的について次のような可能性
を指摘している。1960年代、金日成が日本共産党幹部らと会談して北朝鮮に日本
革命の基地を作り協力することを提案した、金日成はすでに日本革命を目指す日本人
が北朝鮮に自発的に入国しているということを見せてやれと命じ、日本人を拉致して
きて「日本革命村」に住まわせた。これは金正日政治軍事大学で習ったし、図書館に
あった書籍にも書いてあったという。その一部に帰国した在日朝鮮人を日本人に化け
させて使い情報が漏れてその在日朝鮮人が政治犯収容所に入れられる事件もあったと
いう。「日本革命村」のために拉致された日本人の数について安明進氏は具体的には
知らないが、数十人規模になるのではないかと推測している。時期は1960年代以
降で、場所は日本全国どこでもあり得ることになる。もちろん古川さんのケースがこ
れにあてはまらない、今まで明らかになっていないまったく別のケースである可能性
も十分ある。

結論として言えることは、次の通りだ。
1、これまで広く知られてきた第1から第4までのケースでも未認定被害者が少なく
とも40人近くはいる。
2、第5のケースを考慮に入れると、拉致された日本人の規模はかなりふくれあがる
可能性が出る。

 現在「特定失踪者問題調査会」(20003年1月に救う会から分離発足した拉致
の疑いが排除できない「特定失踪者」の調査を行う民間機関)は約400人の失踪者
の拉致の可能性に関する調査をしている。それらの多くは、1まったく失踪の動機が
ない、2遺留品がないか、あっても不自然だ、などの疑いが排除できない失踪事件だ。
年代的には1950年代から最近までかなりにばらつきがあるが、上記の考察からす
ると、そのすべてに北朝鮮による拉致の可能性は十分ある。







3、日本人拉致の首謀者は金正日


 日本人拉致の首謀者は誰か、その目的は何か。
 まず、元北朝鮮工作員の安明進氏の証言を紹介したい。
「拉致は1960年代からであったが、本格化するのは70年代中頃からだ。74年金正日が
後継者に選ばれた後まず手を伸ばしたのが資金、人材のすべてが優先的に回されてい
る対南工作部門、三号庁舎だ。金正日は三号庁舎を掌握するために、74?75年にそれ
までの工作活動を検閲し、その成果はゼロだったと批判した。そして、『工作員の現
地人化教育を徹底して行え。そのために現地人を連れて来て教育にあたらせよ』とい
う指示を出したのだ。その指示により、日本人をはじめとして韓国人、アラブ人、中
国人、ヨーロッパ人が組織的に拉致された。自分はこのことを金正日政治軍事大学の
『主体哲学』という科目の中で、金正日のおかげでいかに対南工作がうまくいくよう
になったかという例として学ばされた」(1998年7月新潟空港記者会見)。
 ここで安明進氏が語っている「三号庁舎」について触れておこう。これは北朝鮮を
建国以来ずっと支配してきた朝鮮労働党中央委員会直属の対南工作部署の総称である。
「三号庁舎」は統一戦線部、対外情報調査部、対外連絡部(最近、社会文化部が改称)
、作戦部という朝鮮労働党中央委員会直属の四つの部からなる。
 金正日は金日成の後継者としての地位を固めるとすぐ「三号庁舎」を完全に掌握し、
1976年初めに開かれた対南工作部門幹部会議で自分の対南戦略について体系的に演説
した。安明進氏が金正日政治軍事大学の必修科目「主体哲学」で学習したのがまさに
これなのだが、私はその金正日演説の中味を入手した。「三号庁舎」で長年勤務した
あと韓国に亡命した元労働党幹部シン・ピョンギル氏(仮名)が、ソウルで出版した
「金正日の対南工作」の中で詳しく紹介しているのだ。その中で拉致に関係する部分
を見ておこう。

  金正日は工作員の育成体系も変えなければならないと主張した。(略)特に南朝鮮
などの資本主義社会に適応できるよう技術・生活習慣・言語風習を教えなければなら
ないというのだ。金正日は「工作員が現地化、敵区化されるよう教養体系を変えねば
ならない」と釘を刺した。

 ここで言う、「現地化、敵区化」には、第三国人化と韓国(南朝鮮)人化の二つが含
まれていた。そして前者については次のように語られる。

 金正日は第三国迂回工作においては、工作員が外国人の身分で合法化しなければな
らないと主張した。日本に行けば日本人に、中国に行けば中国人に、カンボジアに行
けばカンボジア人になり、言語・習慣・職業問題を合法的に解決できなければならな
いと強調した。金正日は現地人と同化できたならば、工作はいくらでも自由にできる
と付け加えた。

 また後者についてはこう語られる。

(直接韓国に浸透する工作員は)合法的な身分と職業を持ち、南朝鮮の人になりすま
さなければならないという。(略)そのためには彼らに多様な職業技術を教え、南朝鮮
化・現地化されることに努めなくてはならないと強調した。南朝鮮の歌を歌い、南朝
鮮の喫茶店と飲食店・料理店にも自由に出入りし、旅館・ホテルの利用にも不自然さ
がないだけでなく、商売をしても難のないように現地適応教育を行うべきだと主張し
た。このような教育は短期間内に済む性質のものでないので、一?二年以上の長期教
育を実施するべきというのだ。

  現在日本政府は北朝鮮による日本人拉致の被害者を15人公表している。このう
ち十人は平成9年版の警察白書にも載せられている。15人が拉致された時期は、
1977年に(1)久米裕さん、(2)横田めぐみさん、翌78年に(3)田口八重子さん、(4)地村
保志さん、(5)浜本富貴恵さん、(6)蓮池薫さん、(7)奥土祐木子さん、(8)市川修一さ
ん、(9)増元るみ子さん、(10)曽我ひとみさん、(11)曽我ミヨシさん、1980年に(12)
原敕晁さん、(13)石岡亨さん、(14)松木薫さん、1983年に(15)有本恵子さん、(な
お番号は便宜上西岡が付けた。以下同じ)となり、金正日の指示の直後に拉致が頻発
していることが分かる。工作員を「現地化、敵区化」するために利用することが、拉
致の目的だったのだ。また、これも安明進氏の証言によって明らかになるのだが、め
ぐみさんが拉致されたのと同じ年に韓国の海岸から高校生が拉致され、工作員を韓国
人化するための教官として働かされている。それも同じく金正日の指示の結果だ。
 大韓機を爆破して115人の乗客乗員を殺したテロ犯人金賢姫は、まさに金正日の指
示に従い作られた「日本人化された工作員」だった。よく知られているように彼女
は1981年7月から83年3月まで「李恩恵」と呼ばれていた日本人女性から寝食を共にし
ながら日本人化教育を受けた。日本の警察は金賢姫の証言などから、「李恩恵」
が1978年6月に東京高田馬場のベビーホテルに三歳と一歳の幼子を預けたまま失踪し
た(3)田口八重子さんであることを突き止め、北朝鮮による拉致事件として公表して
いる。
 金賢姫の証言によると彼女は1980年に平壌外国語大学在学中に党に召還され、「三
号庁舎」対外連絡部の工作員となる。工作員の選抜は党が一方的に行い本人の意思は
一切関係ない。選ばれた者は対南工作という重要任務を与えられたことをただ光栄と
考えるのみだ。工作員養成教育の教官は彼女に、まず日本の小学校の教科書を与えて
日本語を教えながら、「お前たちは初めてのケースだから教材集めに苦労した」と語っ
た。田口さんは金賢姫と会う1981年7月には何とか朝鮮語で意志疎通ができるくらい
であり、また北朝鮮の支配イデオロギーである主体思想についてもある程度、学習し
ていたという。また、金賢姫の同期生は彼女を入れて八人だったから、その時点であ
と七人の日本人化教官がいたことはほぼ間違いない。
 つまり1976年の金正日指示に従って、北朝鮮工作員を日本人化するという悪辣な国
家プロジェクトが工作員現地人化の一部門としてスタートし、教材集めと平行して教
官に使う日本人の拉致が翌1977年からスタートしたということだ。また、日本旅券の
偽造プロジェクトも始まり、日本旅券が精巧に偽造された。それをもって何回かの実
習を行ったあと、修了生の中から選ばれた金賢姫が、日本人化プロジェクト開始から
ちょうど10年後の1987年11月ソウルオリンピックを阻止するため日本人になりすまし
て大韓航空機に爆弾を仕掛けて空中で一一五人を爆殺するという恐るべき国家テロを
起こすのだ。
 拉致された日本人のもう一つの利用法は、その本人を洗脳して工作員としてしまう
というものだ。これも、「工作員の日本人化」ではあるが、北朝鮮人を日本人に偽装
するのでなく本物の日本人を「工作員化」してしまうという手口だ。金賢姫は、子ど
もを拉致してきて主体思想を教えて工作員として使おうとしたがうまくいかなかった
と聞いたことがあるから、拉致された時点で13歳だった横田めぐみさんの場合は初
めは本人を洗脳しようという計画があったのではないかと推測している。
 1970年ハイジャック事件をおこして北朝鮮に渡ったいわゆる「よど号事件」犯人が
「工作員化された日本人」の典型的ケースだ。北朝鮮は彼らに主体思想による洗脳教
育を施しながら、1976年彼らに日本人女性と結婚するように命じた。相手はもちろん
北朝鮮国内にはいないから、様々な形で日本から呼び寄せさせたのだ。多くは以前か
らの恋人だとか、日本で主体思想に心酔していた女性らだったが、高知出身の(19)
福留貴美子さんは、北朝鮮とも主体思想ともまったく関係なくモンゴルに関心を持つ
OLだったのが、日本国内の工作組織によって拉致されよど号犯人の岡本武の夫人に
させられた。
 北朝鮮の人民管理は一方で洗脳、もう一方で反抗者は家族連座制で処罰というスタ
イルを取るが、よど号犯人らにも家族を持たせ、逆らうと自分だけでなく家族が処刑
されるという恐れを抱かせたのだ。平壌で子供を産んだ後、1980年代に入りよど号夫
人らもまた工作員としての活動に動員された。彼女らは日本旅券をもってヨーロッパ
各地で「三号庁舎」工作員らとともに暗躍した。留学や長期旅行中の日本人青年に声
をかけ、甘言で騙して北朝鮮に拉致した。 (13)石岡亨さん、(14)松木薫さん、 (15)
有本恵子さん、がその被害者だ。関係者の証言によるとよど号グループがヨーロッパ、
南アメリカなどで拉致した日本人は20人にも及ぶという。
 有本さんを北朝鮮工作員の手に渡した八尾恵は2000年4月筆者に、金正日がよ
ど号グループに与えた「日本革命テーゼ」という命令書があり、メンバーは全文暗記
していると語った。彼女は有本さん拉致犯行に加わった後、日本に戻り、自衛隊内に
北朝鮮の協力者を確保せよという秘密指令を実行するため横須賀で防衛大学生に工作
を展開していて逮捕された。有本さんらが「死亡」とされたのは、まだ八尾らが隠し
続けている日本国内の北朝鮮協力勢力の実態が明らかになるのをおそれてのことだ。


4、拉致被害者を見捨ててきた日本政府
 
 次に、これまでこのような重大な事件を日本政府およびマスコミはどう扱ってきた
のかを見ておきたい。
 結論からいうならば、家族会救う会が結成され救出運動を開始し世論が一定程度盛
り上がるまで、日本政府とマスコミは多数に日本人が北朝鮮に拉致されていることを
知りながら、ほとんど何もせず拉致被害者を事実上見捨ててきた。先に少し書いたが、
横田めぐみさんの事件が起きる二カ月前に政府が公式に認定する10人の拉致事件の第
1号となる(1)久米裕さんの事件が起きる。1977年9月19日のことだ。工作員が久米さ
んに「なりすます」ことを目的とした拉致であった点と久米さんを海岸まで連れてき
た在日朝鮮人が現場で逮捕された。
 実はこの在日朝鮮人仮名Rは東京田無で金貸しをしていてその客の一人だった久米
さんを密輸で儲けないかと騙して石川県の海岸まで連れていったのだが、その日石川
県沖に北朝鮮工作船が出現していたことが警察庁の電波傍受等で分かっていたため厳
重警戒中の石川県警警察官に、すでに久米さんを工作員らに引き渡したあとだったが
外国人登録証不携帯で逮捕された。警察の取り調べでRは久米さん拉致を自白し、自
宅を家宅捜索すると乱数表と換字表等が出てきた。石川県警ではそれを使って録音し
てあった北朝鮮からラジオ放送の数字暗号を解読することに成功したという。
 ところがRは結局、不起訴処分となり、事件についての報道もなかった。この時拉
致という重大事件が裁判に掛けられ、マスコミでも大きく取り挙げられていたら、横
田めぐみさんはその二カ月後の暗い道を一人で帰宅しなかったのではないか。また、
翌年次Xに連れて行かれた(3)田口八重子さんと三組のアベックももう少し警戒をした
はずだ。その意味で石川県警の不起訴という決定は大きな禍根を残したと言える。と
ころが、不起訴処分の後どう県警は警察庁長官賞をもらっている。ただし、この受賞
の事実もまた対外秘とされていた。
 次のチャンスは(10)原敕晁さんが拉致されたあと、原さんになりすまして五年間も
活動していた工作員辛光洙が韓国情報部によって逮捕され、原さん拉致を全面自白し
て有罪になった1985年だった。原さんを拉致対象者として選んで宮崎の海岸まで連れ
ていった大阪在住の在日朝鮮人2人を事件の犯人の一部として逮捕することも十分可
能だったのに、大阪県警は何もしなかった。マスコミもソウル発で書いたことは書い
たが、あくまで韓国情報部の発表をそのまま伝えるという消極的姿勢を崩さず、扱い
も小さかった。
 犯人が逮捕され自供をしており、その上辛光洙が原さんになりかわって取った旅券、
免許証、健康保険証という動かぬ物証までがあるのに、やはりこの時点でもめぐみさ
んらは見捨てられた。
 三度目のチャンスが1988年1月の金賢姫記者会見だった。ここで政府はやっと重い
腰を上げ、同年3月の参議院予算委員会で梶山静六・自治大臣国家公安委員長は一連
のアベック失踪について「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚である」という歴史的答弁
を行った。国会国の治安の最高責任者が、北朝鮮を犯罪者扱いしたこの答弁は、歴史
的なモノだったが、マスコミはまさにこの大ニュースを無視した。読売、朝日、毎
日ヘこの答弁について1行も書かず、書いた産経、日経も一段ベタ扱いだった。ここ
でもめぐみさんらは見殺しだった。
 そして、1990年9月金丸訪朝から始まった、日朝国交交渉は、1991年から92年にか
けて八回行われたが、本交渉の席で拉致問題が取り上げられたのは、91年5月の第三
回交渉のみであり、その上政府認定の10人全部ではなくただ「李恩恵」と呼ばれ
る(3)田口八重子さんだけについて消息調査というまったく腰の引けた取り上げ方が
されただけだった。
 マスコミも含めて詳しく事情を知らない人たちは、日朝交渉が1992年に中断し
たのは「李恩恵」問題で紛糾したためだと書いたり言ったりしているが、実際は日本
側が第四回交渉にはいる時点で、本交渉には「李恩恵」問題を出さないから会談を再
開して欲しいと北朝鮮側に低姿勢ですり寄る裏交渉が成立していたのだ。それに従い、
四回から七回までは本交渉とは別の席で日本側次席代表が北朝鮮の次席代表に(3)田
口八重子さんの消息調査はどうなったかと形式的に尋ね、北朝鮮はそれをただ聞き置
くという「セレモニー」が続けられたが、八回交渉で北朝鮮側がその「セレモニー」
さえも認められないと激しく抗議したために会談が中断したというのが、真相だ。
 つまり、拉致という自国民の人権と自国の主権に対するこれ以上ないひどい蹂躙行
為をされながら、日本政府はその加害者の国と公式に話し合う外交交渉の席で被害者
をすぐ帰して責任者を処罰せよという独立国家の政府ならどの国でもなすはずの当た
り前の主張をしなかったのだ。
 「文芸春秋」1998年6月号の加賀孝英論文によると、警察は(3)田口八重子さん拉致
で大物在日商工人、安商宅・東海商事会長が重要な役割を果たしたことをつきとめ、
1990年5月10日付けで安商宅の自宅及び朝鮮総連への家宅捜索令状と同15日付でその
手下の男への逮捕状が取られた事実がある。しかし、家宅捜索前日の5月9日に突如と
して捜査は打ち切りとなる。警視庁関係者は「金丸訪朝で潰された。そう聞いている」
という驚くべき証言を加賀氏にしている。
 そして、1995年には自民党の加藤鉱一幹事長(当時)らが中心になって50万?の米
を事実上無償で「日朝交渉再開の雰囲気作り」(加藤氏)のために送ったが、その際に
も拉致問題は一切持ち出さなかった。日本人が国家テロの犠牲になって20年も身柄を
拘束され続けていることを政府が掴んでいながら犯人である北朝鮮に対して経済制裁
を行うどころか、反対に無条件で支援をしたということだ。
 
 拉致されたとき13歳だった横田めぐみさんのお母様は著書の中でこう書いている。
「二十年ものあいだ、その被害者を助けようとせず、知らんぷりしていたこの国のあ
りさまは、なんと哀しく悲観的なことでしょうか。
 長い年月、日本から拉致された若人たちが、息を詰めるように暮らしている国のこ
とを思いながら、予想されていたはずの拉致の問題が、このように長いあいだ陽の目
を見ることがなかった日本の国のことを、私はしみじみ哀しく見つめています。
 私たちが幼い頃は、私の父も含めて一家の父親の権威は強く、卑怯なこと、嘘をつ
くこと、正義感のないことなど、人間として最も基礎になる礼節に欠ける問題につい
ては、日々厳しく躾られたものでした。生活の中でさまざまな成長の段階で、醜い自
我が増長したとき、父は女の子であっても容赦なく、手厳しい導きをしたことを覚え
ています。
 また、どのような小さな命も大切にすること、山花草木を愛する心、風や雲や大自
然の美しさに心を寄せ、見えないけれど、すべての命を育んでいる何ものかへの畏怖
の念と感謝の心を、父も、そして母も、あらゆる生活の場で教えてくれました。
 戦後、日本は戦争による未曾有の惨禍を乗り越えて復興し、今や日本には豊かなも
のが溢れ、日本人は、平和で、のどかで、満ち足りた生活を営むことができるように
なりました。しかし、一方では日本には、本当に大切なものが、影もかたちもなく消
えてしまった気がします。」
 あの瀋陽の日本総領事館で幼児とその母親らが助けを求めて泣き叫んでいるのを傍
観していた外交官の姿が、拉致された人々を見捨ててきた日本国の姿に重なる。
 めぐみさんのお母様はこうも書いている。
「娘のめぐみは、暗い船倉に閉じ込められ、北朝鮮に連れ去られました。船倉にいる
あいだじゅう、『お母さん、お母さん』と言って泣き叫び、爪が剥がれるまで壁をか
きむしったそうです。そのくらい船倉の中で、娘はどれほど恐ろしい思いをしたこと
でしょう……私と主人はあのとき以来、めぐみから『お父さん、お母さん、どうして
早く迎えにきてくれないの』と言われつづけている気がして、辛く苦しく悲しい日々
を過ごしてきました」
 わたしたちはこのめぐみさんの「お母さん」という叫びを「母国日本」と置き換え
て聞かなければならない。


5 救出の方法、金正日政権に期限を切って制裁実施を通告せよ


 昨年9月、金正日が拉致を認め同年10月5人の被害者が家族を残して帰国してか
らすでに1年半が経った。この間、北朝鮮は非道にも、被害者家族を人質として抑留
し続け、未確認者10人に関する日本が提起した150の質問に一切答えず、寺越昭
二さんらをはじめとする15人以外の多くの拉致の真相を隠蔽したまま、である。
 日本政府は、「北朝鮮による拉致は現在進行形のテロ」という認識に立ち、北朝鮮
の時間稼ぎに惑わされず、「上記1、2、3について誠実な対応を取らないときには
断固たる制裁措置を実施する」と通告すべきだ。
 その制裁措置の中身は、日本と北朝鮮間のヒト、カネ、モノの流れを制限すること
だ。具体的には、
1,現行法規の厳格な適用
(1) 在日朝鮮人商工会・朝銀信用組合を使う脱税行為・不正融資・業務上横領・背任
罪、
(2) 万景峰号などを使った不正送金、核開発・ミサイル開発関連禁輸品持ち出し
(3) 工作船の侵入、工作員の不法上陸
(4) 在日地下工作員らによる拉致、武器持ち込み、テロ準備
(5) 麻薬・覚醒剤密輸
(6) 脅迫・暴力をともなう総連の集団行動
など当然取り締まるべき犯罪行為が見逃されてきた点を、法の定めるとおりに処断す
ることと、
2,行政措置、法改正・新法制定
(1) 改正外国為替法にもとづき日本政府独自の判断で対北朝鮮送金、北朝鮮貿易を段
階的に止める
(2) 特定船舶入港拒否に関する法律を新設して北朝鮮船舶の日本入港を止める、
(3) 法務大臣の裁量で可能な総連最高幹部への再入国許可を停止し、自由往来をさせ
ない。まず、北朝鮮国会議員を兼職している徐万述議長ら7人にこの処置を取る。


 北朝鮮は経済制裁を宣戦布告と見なすと脅している。これは、経済制裁の効果があ
ることを彼らが実感している反映だ。
 こちらが、強い姿勢に出て初めて、金正日政権も拉致に関して真剣に日本側と交渉
に応じてくる。これは、テロ国家との交渉の基本原則だ。
 米国は核開発を理由として北朝鮮への経済制裁を国連安保理事会に提案する可能性
は高い。日本としては、それ以前に拉致を理由にして制裁措置を発動していることが、
望ましい。日本がそれをテコとして、テロ国家が核武装することに反対する米国に対
して全面的に協力し、核だけでなく拉致問題をも含む対北朝鮮国際制裁を働きかける
ことができれば、金正日政権への重大な圧力になる。
 金正日政権は、経済制裁を宣戦布告と見なす、と繰り返し表明している。これはそ
れだけ彼らが経済制裁を恐れている証拠である。したがって、テロ政権が核ミサイル
で武装することを許さないためには、ブッシュ政権が進めようとしている経済制裁に
日本は積極的に協力すべきだ。それは、拉致という現在進行形のテロの被害に遭って
いる立場からして、当然のことで、先に指摘したように、まず日本が拉致を理由に単
独制裁をかけることが望ましい。
 しかし、その際金正日政権を追い込むと「窮鼠猫を噛む」という故事のごとく暴発
があり得るのではないか。そうなれば、軍事境界線からわずか50キロ程度のソウル
はロケット砲や長距離砲の攻撃で多大な被害を受け、また、ソウルと軍事境界線の間
に駐屯している在韓米軍の人命被害も大きく、実戦配備されている100基のノド
ンミサイルが発射されれば日本もまた被害を受ける。そのような暴発による被害を恐
れて、金正日政権への経済制裁に反対する議論が日本、韓国、米国の中で台頭するだ
ろう。金正日政権は今後暴発カードの効力を増大させるため、核実験を強行したり、
核保有宣言を行ったりする可能性も十分ある。
 金正日が自国民数百万人を餓死させながらも必死で核ミサイル開発を続けてきた理
由は、米韓軍との戦争で勝つためではなく、米本土に届く核ミサイルさえもてばこち
ら側が金正日の要求をのむことがあり得ると信じているからだ。韓国内の各界各層に
スパイを浸透させ、反米民族主義を拡散させて、ある時期に韓国が自ら韓米同盟を破
棄して北朝鮮との統一に乗り出すように仕組み、そのプロセスで米国の武力介入を押
さえ込もうと考えているのだ。
 米軍が韓半島で武力行使を行う場合、在日米軍基地が死活的な意味を持つ。日本の
主要都市を攻撃できるミサイルを実戦配備し、弾頭に載せる核兵器、生物化学兵器開
発に血眼になっているのは、米軍に協力すれば日本を攻撃するぞと脅して、在日米軍
基地機能の無力化を図ろうと狙っているのだ。
 盧武鉉政権はどんなことがあっても戦争には反対だと繰り返し表明しており、また、
日本国内でもすでにいくつかの新聞などが同様の主張を展開し始めている。
 ここで我々が考えるべきことは、テロと闘う基本姿勢である。テロリズムの語源は
「テラー」(恐れ)である。つまり、国際社会は自衛権の行使や集団的安全保障など
での武力行使を認めているが、その場合でも戦時国際法などのルールを課している。
しかし、テロリストらは非武装の市民などを対象に組織的な武力行使を敢行し、相手
を恐怖に陥れて自分たちの政治目的を達成しようとする。脅迫に屈してテロリストの
要求を受け入れれば、第2、第3の要求が来るだけで、問題の解決にはならない。テ
ロを実行すれば、数百倍の実力行使で報復するぞという強い意志を示してテロリスト
の要求を退けること以外に、テロに勝つ方法はない。ペルー大使館占拠事件でゲリラ
らが米国軍特殊部隊の出動準備という報道があった直後、米国人人質をいち早く解放
したことは、まさにその典型的例だ。
 たとえ、金正日が数発の核ミサイルをすでに持っているとしても、日本、韓国が軍
事同盟を結んでいるアメリカは膨大な核兵器体系を持っている。金正日政権が実際暴
発カードを使う、すなわちアメリカ本土を攻撃すればもちろんのこと、日本、韓国を
攻撃しても、アメリカから壊滅的な報復攻撃を受ける。特に、暴発を命令した金正日
はかならず除去されるという緊張関係が成立していれば、金正日は暴発カードを使え
ない。したがって、日米同盟強化こそが暴発カードへの対抗策となる。現在のように
日米同盟が強固であれば、金正日の脅しはまったく恐れることはない。その事実を多
くの国民が自覚すれば、テロすなわち暴力による脅しは効力を失う。
 日本政府は過去の対北朝鮮制裁を3回実施し(1983年ラングーン爆弾テロ、1
988年大韓機爆破事件、1998年テポドン1号発射)2回実施を警告している
(1994年核疑惑で国連制裁か日米韓3国制裁準備、1999年テポドン2号発射
なら「ひと、かね、もの」を止めると高村外相が警告)。
 アメリカ政府国務省は「テロ行為」(Terrorism)を「秘密工作員または国家より
下位の集団により、非戦闘員(文民及び戦闘態勢にない軍人)を対象として行われる
計画的かつ政治的動機に基づく暴力行為」と定義している。北朝鮮による日本人拉致
はまさにこれに当てはまる憎むべきテロ行為だ。日本政府は自国民が被害に遭ってい
ない北朝鮮によるテロ行為(1983年ラングーン爆弾テロと1988年大韓機爆破
事件)で2回北朝鮮に対して制裁措置を発動した。これは国際制裁の一環だった。と
ころが、現在まで日本政府は北朝鮮による日本人拉致を「国内法でテロの定義がない
からテロと断定できない」(川口外相)などとごまかしている。小泉訪朝で署名され
た平壌宣言では「日本国民の生命と安全に関わる懸案問題」とだけ言及されて拉致と
いう言葉さえない。なぜ、大韓機爆破は北朝鮮によるテロ行為だと官房長官談話で公
式に断定しながら、日本人拉致ではそれができないのか。



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救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
TEL 03-3946-5780/FAX 03-3946-5784
http://www.sukuukai.jp
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
担当:平田隆太郎(事務局長info@sukuukai.jp)
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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