拉致問題を巡り日韓に対立はない

拉致問題を巡り日韓に対立はない

下記は、西岡力常任副会長が韓国の雑誌「韓国論壇」8月号に寄稿した原稿の日本語訳です。金英男さん会見に関し、「拉致問題につき日韓に対立はない」とする論文を紹介します。

西岡 力(救う会常任副会長・東京基督教大学教授)

韓国人拉致被害者で横田めぐみさんの元夫である金英男さんが、北朝鮮金剛山の地で6月27日、28年ぶりにお母さん、お姉さんと対面した。この場面を東京で見守っていた日本人拉致被害者家族は、次のような感想を語った。

 横田滋(横田めぐみさんの父) 金英男さんのお母さんは生きているうちに会いたいと何度も言っておられた。また、会えば話が尽きないだろうとも言っていられた。28年振りの面会場面を見て、会ってよかったと感じた。日本側は、行けば二度と会えなくなると考えるが、韓国側は政府が取り戻した人が一人もおらず、行かなければ会えないので、会えた人は運がよかったことになる。しかし我々は、だからといって行こうとは思っていない。韓国では、会えてよかったということになる。2泊3日の間、思いのたけ話してほしい。

 横田早紀江(同母) 複雑な、本当に複雑な思いで対面の場面をみせてもらった。今日は、色々なところで北朝鮮の謀略・計画性が見え隠れしていた。拉致問題は、たくさんの人の人生がおかしくさせられた問題で、日本人みんなで考えなければならない大事な問題だ。ヘギョンさんと新しい家族も来ていた。今日は触れられなかったが、やっぱり死んだと報道されると、見ている人は分からないのだから信じてしまう。死んだと言われた人たちはみんな生きている。助けを求めている。日本ではそう思うようになってきたが、冷静に受け止めたい。ヘギョンさんは成長したが、心の中に孤独感がただよっていると感じた。一日も早く、めぐみと一緒に連れ帰してあげたい。

 飯塚繁雄(金賢姫の教育係・田口八重子の兄) 非常に異様で不思議な光景と感じた。北朝鮮に拉致された金英男は、拉致されたことを忘れているのか怒っていない。犯人のところに行って、会わせてくれてありがとう、という感じだ。北朝鮮が親切に救出したことにつなげるパフォーマンスだ。韓国も国として拉致にコメントしない。北朝鮮が拉致して、行方不明者とか離散家族にしてしまったのに、この場面だけみても、親切な北朝鮮というのは間違いだ。北朝鮮の発言は100%信用していない。
 日本は日本としてのやり方で、強力に推し進めてもらいたい。南北のパフォーマンスを一々取り上げるのも大人気ない。北朝鮮の思う壺となる。まだ、相当数の拉致がある。しかし、そんなに時間はない。犯罪国に対し、被害国として強い対応をすべきだ。横田家が北朝鮮に行けば終わりになる。我々もそこを考えて戦っていきたい。

 増元照明(1978年鹿児島から拉致された増元るみ子の弟) お母さんの年齢、体調を考えると、会ってよかったと思うが、後ろに控える4人の高校生の家族はどういう気持ちだろうかと思った。ヘギョンさんとの血縁があって英男さんが出てきたが、他の拉致された4人の高校生の家族のことを思うと複雑な思いがした。また、4年前、日本人被害者5人が帰国した時の再会とオーバーラップした。そのとき、5人は涙を流した。今回、英男さんは涙を流さなかった。これは、感情を押し殺す訓練をされたのかと思い可哀想になった。

 翌日の6月29日、金英男さんが韓国人記者らに会見をした。
 私は北朝鮮の管轄下では全く発言の自由がなく、政治宣伝に利用されるだけだと考え、どんな嘘をいわされるのかという観点でながめていたが、どうしても許せないと強い憤りを覚えた場面があった。

 韓国記者との会見はお母さんを横に座らせて行われたが、北朝鮮船に救助されて北朝鮮に連れて行かれた後、なぜ両親に連絡せず北朝鮮で28年間暮らすことになったのかを説明して、英男さんはこう語った。「北では無料で大学の勉強ができ、入試を受けるにもお金が全くかからないことが気に入った。考えた末、南に戻っても家が貧乏なのでここで勉強をしていけばよいと思い、ここに残りたいと言い、歳月が流れて28年になった」。

 必死で息子を捜していた母親を前にして、家が貧乏だから親を捨てて北朝鮮を選んだと息子が話している。会見中、特にこの題目で、お母さんは真剣な強いまなざしで息子を見つめていた。その母の前で、このような原稿を読まざるをえなかった英男さんの心情を思うとたまらなかった。

 横田早紀江さんは孫であるヘギョンさんに会いに行かない理由の一つとして、北朝鮮で会えばヘギョンさんを北朝鮮当局に強いられて嘘を言わざるを得ないところに追い込んでしまう、それが忍びないと語っている。母親を前にして母親を否定するようなうそを言わされた英男さんの痛々しい姿を見たとき、横田早紀江さんの心配は本当に根拠があるものだとあらためて分かった。

 一部で誤解されているようだが、横田めぐみさんのご両親をはじめとする日本の家族と私たち支援者の救う会は、日本人救出に妨げになるからという理由で北朝鮮での再会に反対してはいない。会えること自体は喜ばしいことだ。その思いは冒頭に引用した日本人拉致家族のコメントを呼んでいただければよく分かるはずだ。また、英男さんに北朝鮮当局が何を言わせようと客観的根拠のない「お話し」に日本、韓国をはじめ国際社会が騙されるとは思っていない。

 そもそも、私をはじめとして支援組織「救う会」関係者は、英男さんのご家族とじっくり話し合う機会が全くなかった。ただ、横田めぐみさんのお母さん横田早紀江さんが新潟で家族同士の夕食会のとき、英男さんの姉、英子さんにじっくり話をした。強調しておくが、その席で横田早紀江さんはめぐみさん救出に妨げになるから北朝鮮訪問は止めて欲しいなどということは言っていない。
 ただし、金英男さんを救出するためには何をすべきかという観点から、日本の家族会が経験したことをお伝えして、北朝鮮の卑劣な謀略に乗らないように次のように注意を喚起した。蓮池薫さんら帰国した日本人拉致被害者も2002年9月金正日が拉致を認めた当初、訪朝した日本政府調査団に対して、「幸せに暮らしている、日本に行きたくない、日本の家族が北朝鮮に来て欲しい」と言わされたが、家族が「彼らの発言は強制されたもので、本との気持ちではない」と北朝鮮訪問を拒否したので、北朝鮮当局は5人の日本への一時帰国を許可した。

 ただし、蓮池さん夫婦と、地村さん夫婦は子供達を、曽我ひとみさんは脱走米兵の夫と子供達を「人質」として北朝鮮においての帰国だった。日本政府は見張り役として付いてきた北朝鮮関係者と被害者との接触を断ち、国民も彼らを大歓迎し、彼らを守る姿勢を見せたので、彼らは秘密裏に当時の安倍晋三官房副長官に「日本に残りたい」と意思表示をし、それを受けて日本政府が「本人たちが自由に意思表示をするためには北朝鮮においてきた子供らを日本に呼び寄せなければならないから、本人の意思を聞かずに日本政府の責任で彼らを北朝鮮に戻さない」と決定した。会いに行ってしまうと英男さんを取り戻すことができなくなると経験談をお伝えして、英男さんを救出するための慎重な決断を求めただけだ。

 また、横田早紀江さんは英子さんに、2002年横田家が孫であるヘギョンさんから訪朝を求められたときに、踏みとどまった経緯についても説明した。北朝鮮はめぐみさんを死んだと一方的に発表したが、その事実を証明する客観的証拠を一切出していないので、家族会は死亡を認めておらず、その中で軽率に訪朝すれば、金正日政権が脚本どおりの嘘をヘギョンさんや英男さんらに言わせて、それを全世界に報道させて死亡を既成事実化してしまう恐れがあると判断したという経緯だ。

 韓国ではあまり知られていないかも知れないが、実は日本人拉致被害者が北朝鮮で記者会見を行って、自分は拉致されてはいない、海で遭難したところを北朝鮮船に救助され北朝鮮に来て、こちらが住みやすいので日本に帰らなかったという、嘘を言わされたことがあるのだ。1963年日本海側の石川県能登半島の海岸からわずか数百メートルの近海で漁業操業中に侵入してきた北朝鮮工作船によって拉致された寺越昭二、外雄、武志さんのケースだ。拉致当時、武志さんは13歳、中学1年生だった。漁船は発見されたが、3人は見つからなかったので家族は死んだと思い葬式まで済ませた。

 ところが、24年後の1987年に北朝鮮で暮らしていると手紙が届き、朝鮮総連と社会党の国会議員の斡旋で家族が北朝鮮を訪問したところ、昭二さんは死亡していたが、外雄さんと武志さんは遭難中に北朝鮮船に救助されたとあまりに不自然な説明を家族になし、社会党の国家に議員がそれを全面的に信じることを家族に強要したため、拉致の事実が隠されてしまった。

 その後、横田めぐみさん拉致が明らかになり家族会が結成された1997年、家族会とその支援組織の救う会が寺越事件も拉致だとマスコミや政府に対して主張し、武志さんのお母さんも当初、家族会に参加して運動に参加したとき、突然北朝鮮が訪朝した日本記者らの前に武志さんを出して、「私は拉致されていない。救助された」といわせた。今回の英男さんの会見と同じく、武志さんの会見でも原稿が準備されており、日本人である武志さんがわざわざ朝鮮語で語りそれを北朝鮮担当者が日本語に通訳する形で、全く自由意思を反映していない会見だった。その結果、武志さんはいまだに日本に帰ることはできず、北朝鮮での抑留生活を続けざるを得ない状況だ。このいきさつについても、横田早紀江さんは英子さんに説明した。

 英男さんとほぼ同じ時期に金正日の命令によって海岸から拉致された4人の高校生の家族は「あのようにしか話せない状況なんだな。そんなところで28年間生きてきたのだな、と思うと心が痛んだ」(78年8月10日に拉致された高校生洪健X(作字・木へんに「均」のつくり)氏の弟)、「さも自分が望んだことにように話している姿を見て、北朝鮮がどれほどの仕打ちを行ってきた末にあんな風になるかと思わざるを得なかった」(洪氏と一緒に拉致された高校生崔承民氏の父)と語っている。
 問題は韓国政府が「真相を追求することより、粛々と未来志向的な姿勢であたっていく」と語り、英男さんが嘘を強要されていることに一切反論抗議をしない点だ。

 韓国政府は1997年11月20日「78年8月5日深夜零時、北朝鮮の作戦部所属の海州301連絡所工作員3名が群山沖の仙遊島海水浴場で一人で泣いていた当時、群山工高1年生、金英男さんを拉致した事実が確認された。このような蛮行は『朝鮮戦争のとき北に来た者たちは歳を取ったので南朝鮮の人間を拉致して対南工作に利用せよ』という金正日の指示よるものだ。金氏らは『以南化(韓国人に化けること)』教官として活動中」と発表した。これは、金氏らに教育を受けた工作員崔正男が韓国侵入中に逮捕されその自供により明らかになった事実だ。

 自国政府の発表と異なる嘘を、自国民がテロ政権の人質になった状態で言わされていることに対して、抗議しない韓国盧武鉉政権は拉致というテロに加担していると非難されてもしかたがないのではないか。77年に拉致された高校生李民教氏の母は「日本でも、北朝鮮がこの問題をうやむやにしようと面会を許可したものと分析している。金英男さんがあのように話したとしても、韓国政府の人間が立ち上がって『そう言わせているだけだろう、なぜそんなことをするのだ』と指摘すべきではないか」と話している。

 最後に、金英男氏はくりかえしめぐみさんは自殺で死んだと繰り返し語っていたが、なぜ両親や日本政府、国民がそれを信じないのかについて、説明しておこう。

 端的に言うと、死亡の証拠を一切出されないでいるからだ。金正日は2002年9月拉致を認めた際、横田めぐみさんら8人は死亡したと通報した。彼らが8人死亡の「物証」として日本に提示したのは、8人全員の「死亡確認書」、横田めぐみさんの病院死亡台帳と火葬された「遺骨」、松木薫さんのやはり火葬された「遺骨」だった。松木薫さんの遺骨と称するものはすでに鑑定の結果、本人のものではないことが判明した。

 遺骨についての日本政府の見解を2002年12月25日に公表された「拉致再調査精査結果」から引用しておく。

「(a)北朝鮮側から横田めぐみさんの「遺骨」であるとして提供されたものについては、その中から、DNA鑑定の知見を有する専門家が、DNAを検出出来る可能性ののある骨片10片を慎重に選定し、警察当局より、国内最高水準の研究機関等(帝京大学及び科警研)にDNA鑑定を嘱託した。今般、その内、帝京大学に鑑定を嘱託した骨片5個中4個から同一のDNAが、また、他の1個から別のDNAが検出されたが、いずれのDNAも横田めぐみさんのDNAとは異なっているとの鑑定結果の報告があった。これは国内で最高水準の研究機関による客観的で正確な鑑定結果である。政府は、2004年12月8日、この鑑定結果を公表するとともに、直ちに北京の我が国大使館を通じて、北朝鮮側に対する厳重な抗議を行った。これに対し北朝鮮側は、鑑定結果は受け入れられないとし、鑑定書の提示を求めつつ、真相の究明が行われることを望む等としているが、今般の鑑定結果は全く客観的かつ科学的な検証によるものであるので、北朝鮮側の主張には何の合理的根拠も無いと言わざるを得ない。

 (b)また、松木薫さんの「遺骨」である可能性があるとされた骨については、北朝鮮側は前回の日本政府代表団の訪朝時(2002年9月末)に日本側に渡した骨と同じ場所に保管されていたものであると説明しつつ日本側に渡してきた。このため政府としては、当初より、これが松木薫さん本人の「遺骨」である可能性は低いと考えていたが、念のため、その内の一部を選定した上で鑑定を行った結果、警察当局より鑑定嘱託を受けた帝京大学より、松木薫さんのものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果の報告を受けた。また、身体的特徴の観点からの鑑定においても、鑑定に供した骨片は、松木さんの身体的特徴とは合致しないとの結果を得ている。」

 残る問題は「死亡確認書」「死亡台帳」である。結論から言うとこれも捏造されたものであり、そのことは北朝鮮当局も認めている。金正日政権は医師がサインまでした公式書類を堂々と捏造したのだ。

 横田めぐみさんの「死亡確認書」は、死亡日が「1993年3月13日」、死亡診断名「鬱病」、医師氏名「ナム・スアム」と自筆の署名がありその横に捺印されていて、その下に発行機関として「委員会49号予防院」とゴム印が押してあり、一番下に「1993年3月13日」と発行年月日が記載されていた。死亡日に49号予防院の医師が検死して作り署名捺印した「死亡確認書」だ。なお、8人のうちめぐみさんだけ「死亡台帳」と称する書類綴りが出され、表紙とめぐみさんの名前が記載されているというページの写真が公開された。

 めぐみさん以外7人はすべて同じ「第695号病院」とゴム印が押されている。そして同じ印刷された用紙に手書きで書き込まれたものだ。私たちはこの「死亡確認書」「死亡台帳」に関して、@帰国した蓮池薫さんらはめぐみさんが死んだとされる1993年の1年後1994年4月にめぐみさんに会っている、A市川修一さん、有本恵子さんの生年月日が誤って記載されている、B「死亡台帳」表紙は「患者入退院台帳」と記されていたのを青色の線で消し「患者死亡台帳」と書き直されている、C横田めぐみとされる女性の欄の通し番号は「3−239」であるが、次の行の男性も同じ「3−239」となっている、などの矛盾点を指摘していた。

 この矛盾点の指摘に対して金正日政権は結局、きちんとした説明ができず、2004年11月の日朝協議で、めぐみさんの死亡日を「94年4月13日」と修正した。死亡確認書に署名したナム・スアム医師が日本政府代表の前に堂々と現れ「49号予防院には彼女の死亡を確認できる具体的日時を覚えている人がおらず、死亡日を間違えた」と語った。

 めぐみさんの病院死亡台帳もナム医師は「患者死亡台帳における、めぐみさんの名前の記載は、今回の再調査により、後で書き込んだものであることが判明した。2002年8月頃、当該機関関係者が来て、台帳を求めたが、49号予防院には彼女の死亡を確認できる具体的日時を覚えている人がおらず、当該機関関係者が正確でない日時に基づき、死亡台帳を作成し、名前を書いておいたため、番号が重なった」とした。

 それから、めぐみさんのものを含む8枚の「死亡確認書」について北朝鮮当局者が「すべて後で慌てて作った物だ。特殊機関が死亡確認書に関する資料を焼却した。その後『死亡の証拠を出せ』と言われたので作った」と説明した。
 金英男さんは2002年9月30日、横田めぐみさんの両親宛に手紙を出したが、その中でめぐみさんが「93年になくなった」と書いていた。今回の記者会見で英男さんはあわてていて間違ったと弁解したが、2002年の段階では医師の署名入りの死亡確認書も、病院の死亡台帳も死亡日は93年3月とされており、金正日政権が捏造した嘘のストーリーに合わせて手紙を書かされたとしか思えないのだ。

 横田早紀江さんは金英男氏の会見を見て「うそを言わなければ生きていけないのが北朝鮮。金英男さんも犠牲者」「怒りで頭の中やはらわたが煮えくり返っている。いい加減にしないかとみんなが思うことが、早期解決につながる」と語ったが、まさにそのとおりだ。

 それではなぜ、金正日は「8人は死んだ」という嘘をついているのか。
 これは一言で言うと、拉致は金正日の命令で行われたが、そのことを認めたくないため、生きているめぐみさんたちを「死んだ」ことにしたのだ。

 元北朝鮮工作員の安明進氏の証言を紹介する。「拉致は1960年代からあったが、本格化するのは70年代中頃からだ。74年金正日が後継者に選ばれた後、対南工作部門、三号庁舎を掌握するために、それまでの工作活動を検閲し、その成果はゼロだったと批判した。そして、『工作員の現地人化教育を徹底して行え。そのために現地人を連れて来て教育にあたらせよ』という指示を出した。その指示により、多くの日本人、韓国人などが組織的に拉致された。自分はこのことを金正日政治軍事大学の『主体哲学』という科目の中で、金正日のおかげでいかに対南工作がうまくいくようになったかという例として学ばされた」(1998年7月新潟空港記者会見)。

 安明進氏は金正日政治軍事大学で1988年から91年まで何回も横田めぐみさん、市川修一さんを目撃したと証言していた。しかし、北朝鮮は、安明進氏は工作員などではなく「強盗殺人犯人」であり、金正日政治軍事大学など存在しないと主張している。めぐみさんや市川さんたちが帰ってきて安明進氏に会えば、その嘘がばれてしまう。

 次に、金賢姫の教育係をさせられた田口八重子さん拉致事件について検討しよう。北朝鮮は「工作員が身分盗用に利用する対象者を物色中、1978年6月29日宮崎県宮崎市青島海岸で本人が共和国(北朝鮮のこと・西岡注)に3日程度なら観光がてら行きたいという意向を示したことから、特殊工作員が身分を偽装するのに利用するために連れてきた」、「なお、李恩恵事件につき、北朝鮮側は、調査の結果、李恩恵なる日本人女性はいない旨発言」と主張している。

 田口さんは当時、1歳と2歳の息子、娘をベビーホテルに預けたまま、失踪した。田口さんから日本人化教育を受けた金賢姫の証言によると、田口さんはしばしば自分の子どもたちがいくつになるのか考えながら泣いていた。また、失踪当時田口さんの近所に住んでいた方の証言でも、田口さんは子どもたちをとてもかわいがっていた、という。北朝鮮の主張は田口さんとその子どもたちの人格まで冒涜する許せない謀略だ。金賢姫は大韓航空機爆破テロには金正日の直筆指令書があったと証言している。田口さんが帰ってきて金賢姫と再会すれば、大韓航空機爆破事件の真相と金正日の責任が明らかになってしまう。それを回避するために、死亡と発表した。

 拉致問題を巡り日韓に対立はない。英男さんとその家族も、めぐみさんとその家族もみな被害者である。悪いのは拉致というテロを命じ、その被害者と親との対面さえ政治的謀略に利用する金正日テロ政権なのだ。


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