拉北者の人権
拉北者とその家族の人権

1.始まり

2.拉北者の現状

3.政府の拉北者政策と我々の要求

拉北者の人権
拉北者とその家族の人権

※この論文は、2005年12月、韓国で行なわれたフリーダムハウス主催の集会に寄せられたものです。

崔祐英(チェ・ウヨン)/拉北者家族協議会代表

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2.拉北者の現況

1)拉北者の類型
 拉北者達が拉致された状況の類型を子細に見ると、まず第一に公海上で漁船に乗り操業していたところ、北側警備艇により拿捕され、操業中機関故障や誤操作が原因でNLL(北方限界線、northern limit line)を越えた場合だ。

 ある人達は故意に越えたことを重視して、北朝鮮による拉致行為を正当であると考える場合もある。しかしながら、漁業に従事している彼らの証言を聞いてみると、魚が多く集まる地域が北方限界線の北側である場合、領海侵犯となることを認識しながらも、北側の領海で漁業を行う場合がありうるという。このような場合、北朝鮮の拿捕行為自体は適法だが、自国の法律を適用してそれにしたがった罰金あるいは他の軽い懲罰を科した後に自国にそのまま帰さなければならない。しかしながら違反した範囲と相関関係のないスパイ罪を適用したり、適切な裁判を行わずに重い刑を宣告したり、また数年も強制拘禁する行為は明白な国際法上の違法行為であるといえる。

 また、故意がなく過失あるいは意識しない状態で北朝鮮領海を侵犯、拉致された場合にもやはり北朝鮮側による拿捕行為は正当であるが、その故意性がないことが証明されれば当然に釈放・送還しなければならない。しかしこの場合、やはり北朝鮮は時によりスパイ罪を適用、不公正な裁判手続き通じて拘禁する行為をしている。これは明白な国際人権法違反であり、大韓民国の正当な権利要求を侵害する行為だと見ることができる。

 北朝鮮側が主張する軍事水域から拉致された場合もある。北朝鮮側は500カイリまで軍事水域と主張するが、これは国際慣例上認定されがたい主張である。1982年制定された海洋法協約と国際社会の一般的慣行によると、領海は12カイリまで接触水域は24カイリまで、経済水域は200カイリまで設定することができる。軍事水域は海洋法協約や国際慣行には概念である。経済水域から行使できる権限も経済資源管轄権に限定され、航海に関しては自由が保障される。したがって北朝鮮側のこのような拉致行為は国際慣例上まったく認める余地のない行為である。

 韓国の水域から北朝鮮側によって拉致された場合もある。このような拉致行為は国連憲章2条4項を始め、基本的な国際法に対する明白な違反である。

 船舶に乗船している船員も脅迫し、北朝鮮側に入るようにさせる場合もある。この場合、拉致誘引した船員以外の船員らは、直ちに韓国に送らなければならない。そうでない場合、国際人権法違反であるといえる。

 第2に飛行機拉致事件である。1969年乗務員と乗客51人を載せたKAL機が空中でハイジャックされ、乗客中39人は帰還し、乗務員4人と乗客8人など12人が北朝鮮側に抑留された。

 第3に海軍や海上警察船舶の拉致で、我が漁船保護活動中に北朝鮮側の奇襲攻撃を受けて拉北された場合である。1970年拉北された海軍I−2艇は非武装護送船だったが、北朝鮮側は武装スパイ船であると主張し、送還を拒否した。また、1974年漁労保護限界線警備中、北朝鮮の艦艇の攻撃を受け、沈没した海上警察艇863号の乗務員中2人が北朝鮮側に抑留されていることが北朝鮮側のビデオテープの公開で確認されたが、北朝鮮側は送還を拒否した。

 第4に日本の女子中学生の拉北被害者である横田めぐみ氏などと同じような場合で、夏休みを利用し、キャンピングに行って拉北された高校生達である。1977年8月全南紅島でイ・ミンギョ、チェ・スンミンという学生が拉北され、1978年8月の10日にはやはり紅島でイ・ミョンウ、ホン・ジンピョという学生が拉北された。同じ年、群山の鍾乳洞でもキム・ミョンナムという学生が拉北された。彼らの拉北は長い間失踪であると見なされたが、自首スパイまたは南に派遣されたスパイらの陳述により拉北と確認された。

 第5に第3国に滞在中拉致された場合である。1971年4月5日、西ドイツから拉致されたユ・ソングン氏1家族4人、1978年4月13日ノルウェーから拉致されたコ・サンムン、1995年7月の9日に中国から拉致されたアン・スンウン牧師、2000年1月16日中国延辺で拉北されたキム・ドンシク牧師などである。外国から拉致され、現在まで北朝鮮に抑留されていることと公式に身元が確認されたのは12人である。国際的には1971年4月5日西ドイツで拉致されたユ・ソングン氏1家族4名、1978年4月13日ノルウェーでコ・サンムン、1978年7月20日オーストリアでイ・ジェハン、そして1985年12月西ドイツで自身の必要と北朝鮮の誘惑のため自ら入国したオ・キルナムの脱出を現在収容所に収容されていることが明らかになったシン・スクジャと2人の娘、そして1995年7月9日中国で拉致されたアン・スンウン牧師と1999年9月7日中国丹東で拉致された貿易業者チャン・セチョル、最後に去る2000年1月16日に中国延吉で拉致されたキム・ドンシク牧師がいる。帰還した拉北者らは政府が発表した拉北者の数よりもはるかに多くの人々が拉北されたという証言をしている。2003年度に脱北したキム・ビョンド氏も拉北者名簿から除外された拉北者であった。12名に含まれてはいないが1971年西ドイツでカン・ジュンソク、1981年日本でヨム・キュファン、インドネシアでチョン・チョンドなども拉北されたことがわかっている。

<表>拉北者の類型と規模

区分 拉北船員 KAL 海軍1-2艇 海上警察863鑑 その他
国内 海外
拉北 433 12 20 2 5 12 485

*1962年拉北された天王号船員コ・ミョンソプ氏が2005年に自ら進んで帰還し、現在拉北者は485名である。

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