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次に、これまでこのような重大な事件を日本政府およびマスコミはどう扱ってきたのかを見ておきたい。
結論からいうならば、家族会救う会が結成され救出運動を開始し世論が一定程度盛り上がるまで、日本政府とマスコミは多数に日本人が北朝鮮に拉致されていることを知りながら、ほとんど何もせず拉致被害者を事実上見捨ててきた。先に少し書いたが、横田めぐみさんの事件が起きる二カ月前に政府が公式に認定する10人の拉致事件の第1号となる久米裕さんの事件が起きる。1977年9月19日のことだ。工作員が久米さんに「なりすます」ことを目的とした拉致であった点と久米さんを海岸まで連れてきた在日朝鮮人が現場で逮捕された。
実はこの在日朝鮮人李秀吉は東京田無で金貸しをしていてその客の一人だった久米さんを密輸で儲けないかと騙して石川県の海岸まで連れていったのだが、その日石川県沖に北朝鮮工作船が出現していたことが警察庁の電波傍受等で分かっていたため厳重警戒中の石川県警警察官に、すでに久米さんを工作員らに引き渡したあとだったが外国人登録証不携帯で逮捕された。警察の取り調べで李は久米さん拉致を自白し、自宅を家宅捜索すると乱数表と換字表等が出てきた。石川県警ではそれを使って録音してあった北朝鮮からラジオ放送の数字暗号を解読することに成功したという。
ところが李は結局、不起訴処分となり、事件についての報道もなかった。この時拉致という重大事件が裁判に掛けられ、マスコミでも大きく取り挙げられていたら、横田めぐみさんはその二カ月後の暗い道を一人で帰宅しなかったのではないか。また、翌年拉致された田口八重子さん、曽我さん親子と三組のアベックももう少し警戒をしたはずだ。その意味で石川県警の不起訴という決定は大きな禍根を残したと言える。ところが、不起訴処分の後どう県警は警察庁長官賞をもらっている。ただし、この受賞の事実もまた対外秘とされていた。
次のチャンスは、原敕晁さんが拉致されたあと、原さんになりすまして五年間も活動していた工作員辛光洙が韓国情報部によって逮捕され、原さん拉致を全面自白して有罪になった1985年だった。原さんを拉致対象者として選んで宮崎の海岸まで連れていった大阪在住の在日朝鮮人2人を事件の犯人の一部として逮捕することも十分可能だったのに、大阪県警は何もしなかった。マスコミもソウル発で書いたことは書いたが、あくまで韓国情報部の発表をそのまま伝えるという消極的姿勢を崩さず、扱いも小さかった。
犯人が逮捕され自供をしており、その上辛光洙が原さんになりかわって取った旅券、免許証、健康保険証という動かぬ物証までがあるのに、やはりこの時点でもめぐみさんらは見捨てられた。
三度目のチャンスが1988年1月の金賢姫記者会見だった。ここで政府はやっと重い腰を上げ、同年3月の参議院予算委員会で梶山静六・自治大臣国家公安委員長は一連のアベック失踪について「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚である」という歴史的答弁を行った。国会国の治安の最高責任者が、北朝鮮を犯罪者扱いしたこの答弁は、歴史的なモノだったが、マスコミはまさにこの大ニュースを無視した。読売、朝日、毎日ヘこの答弁について1行も書かず、書いた産経、日経も一段ベタ扱いだった。ここでもめぐみさんらは見殺しだった。
そして、1990年9月金丸訪朝から始まった、日朝国交交渉は、1991年から92年にかけて八回行われたが、本交渉の席で拉致問題が取り上げられたのは、91年5月の第三回交渉のみであり、その上政府認定の10人全部ではなくただ「李恩恵」と呼ばれる田口八重子さんだけについて消息調査というまったく腰の引けた取り上げ方がされただけだった。
マスコミも含めて詳しく事情を知らない人たちは、日朝交渉が1992年に中断したのは「李恩恵」問題で紛糾したためだと書いたり言ったりしているが、実際は日本側が第四回交渉にはいる時点で、本交渉には「李恩恵」問題を出さないから会談を再開して欲しいと北朝鮮側に低姿勢ですり寄る裏交渉が成立していたのだ。それに従い、四回から七回までは本交渉とは別の席で日本側次席代表が北朝鮮の次席代表に田口八重子さんの消息調査はどうなったかと形式的に尋ね、北朝鮮はそれをただ聞き置くという「セレモニー」が続けられたが、八回交渉で北朝鮮側がその「セレモニー」さえも認められないと激しく抗議したために会談が中断したというのが、真相だ。
つまり、拉致という自国民の人権と自国の主権に対するこれ以上ないひどい蹂躙行為をされながら、日本政府はその加害者の国と公式に話し合う外交交渉の席で被害者をすぐ帰して責任者を処罰せよという独立国家の政府ならどの国でもなすはずの当たり前の主張をしなかったのだ。
「文芸春秋」1998年6月号の加賀孝英論文によると、警察は田口八重子さん拉致で大物在日商工人、安商宅・東海商事会長が重要な役割を果たしたことをつきとめ、1990年5月10日付けで安商宅の自宅及び朝鮮総連への家宅捜索令状と同15日付でその手下の男への逮捕状が取られた事実がある。しかし、家宅捜索前日の5月9日に突如として捜査は打ち切りとなる。警視庁関係者は「金丸訪朝で潰された。そう聞いている」という驚くべき証言を加賀氏にしている。
そして、1995年には自民党の加藤鉱一幹事長(当時)らが中心になって50万トンの米を事実上無償で「日朝交渉再開の雰囲気作り」(加藤氏)のために送ったが、その際にも拉致問題は一切持ち出さなかった。日本人が国家テロの犠牲になって20年も身柄を拘束され続けていることを政府が掴んでいながら犯人である北朝鮮に対して経済制裁を行うどころか、反対に無条件で支援をしたということだ。
拉致されたとき13歳だった横田めぐみさんのお母様は著書の中でこう書いている。

あの瀋陽の日本総領事館で幼児とその母親らが助けを求めて泣き叫んでいるのを傍観していた外交官の姿が、拉致された人々を見捨ててきた日本国の姿に重なる。
めぐみさんのお母様はこうも書いている。

わたしたちはこのめぐみさんの「お母さん」という叫びを「母国日本」と置き換えて聞かなければならない。
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