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 北朝鮮が9月17日日本に伝えた拉致者の「安否情報」は、死亡したといわれる8人に関して複数の生存情報があり信憑性が低い。政府は「死亡」とされた8人と入国せずとされた2人が現在も生存している可能性を排除せず早急に確認交渉を行うべきだ。以下、「安否情報」の矛盾点を列挙する。(なお、北朝鮮が9月末訪朝した日本調査団に対して伝えてきた死因などに関する情報も矛盾の固まりというべきものだった。それについての詳細な批判を家族会・救う会が発表しているので本稿付録として末尾につけておく)。

 元工作員・安明進氏、金賢姫氏が目撃したり消息を聞いた被害者(横田めぐみ、市川修一、田口八重子)はすべて死亡とされた。死亡時期などもすべて安明進証言と矛盾するものとなっている。拉致は認めるが金正日本人はそれを知らなかったという北朝鮮側の主張を貫くためには、拉致は金正日の命令で実行されたと明言している安明進氏、金賢姫氏の証言は認められない。従って、安否情報は安明進・金賢姫証言を否定するという意図の下に造作されたと判断できる。

  •  横田めぐみ 

    88年から91年まで金正日政治軍事大学分校日本人化教育担当教官。同大学敷地内に居住。未婚に見えた。服装、食事、嗜好品、化粧品、録画した日本のテレビ番組や新聞などすべて日本のものを与えられていた。

    87年初め以前までに朝鮮人男性と結婚、87年11月に女児出産、93年3月13日死亡。

    めぐみさんは97年から98年に金正日の子供の日本語教師をさせられているという有力な情報を救う会は確保している。金正日政治軍事大学の存在は北朝鮮で徹底的に秘密にされており、その教官が一般社会に出て結婚したり子育てしたりはしない。
       

  • 市川修一 

    金正日政治軍事大学分校日本人化教育担当教官。1990年7月か8月同大学本校大会議室隣の卓球場で安明進ともう一人の工作員が話しかける。安明進は市川さんからマイルドセブンを一本もらう。「外国語講座のソンホ先生」と呼ばれていた。清津連絡所工作員が何人かと一緒に拉致。北朝鮮国民はほとんどしない赤いネクタイを好んでいた。

    1979年9月4日死亡。

    北朝鮮では社会主義少年団員が赤いネクタイを締めるので成人になると赤いネクタイを好む者はほとんどいない。そのため安明進氏は市川さんのネクタイの好みを強く記憶していた。市川さんは確かに日本にいたとき赤いネクタイを好んでおり、自宅には多くの赤いネクタイが残っている。市川さんの家族はネクタイの好みについて安明進氏が指摘する以前に誰にも話していないから、安明進氏の証言の信憑性は高い。
       

  •  田口八重子 

    金正日政治軍事大学分校日本人化教育担当教官。1981年から83年まで金賢姫と寝食を共にし日本人化教育を実施した。1988年1月大韓航空機爆破犯人金賢姫が犯行を自白し同大学は大幅にカリキュラムなどが変更されたが、田口さんは大学内所属が変わり郊外の人目に付きにくいところに移されただけで無事だった。

    1986年8月10日死亡。

    安明進氏は、実名を出して救出運動をすると被害者が殺される恐れはないかという質問に「田口さんは金賢姫の自白後も無事だったことを金正日政治軍事大学複数の教官から確認した。本人が反抗しない限りせっかく拉致してきた貴重な人材を殺すことはないはず」と答えた。1987年11月の大韓機事件前に死んだという北朝鮮情報は信じがたい。

 有本恵子さんに関しては、2002年日朝首脳会談直前まで、継続して生存情報が出ていた。出所はすべて北朝鮮に近い関係者だった。有本さんらが帰国するとよど号グループを使って金正日が行ったり計画したりした多くのテロや犯罪が明らかになる。それを恐れて石岡さんの手紙が着いた1988年9月の直後である同年11月4日有本、石岡が死んだことにしたと考えることができる。

有本恵子生存情報

  • 1991年1月16日、有本・石岡両家族が東京で開催を予定していた記者会見場にNHK記者の紹介で現れた遠藤忠夫・ウニタ書店経営(当時)氏が、恵子さんらは生きている、自分は金日成の侍医につながるコネクションがあるから会見を中止すれば助けてやる、と語って会見を事実上中止させた。

  • 1995年11月平壌で田宮高麿が「有本さんらを日本に帰したい」と語ったと、1996年有本家を訪れた高沢皓司氏が有本さんご両親に伝えた。

  • 2002年3月20日、中山正暉・衆議院議員は有本嘉代子さんに電話をかけ、救う会の運動から手を引けば平壌に連れて行って恵子さんと会わせてやる、と語った。5月7日昼、中山氏は赤坂プリンスホテル中華料理店で救う会役員に、有本恵子は生きていると語る。9月21日12時頃、西岡が秘書通じて中山氏に根拠を確認し返事を待っている。

有本さん以外でも、生存を伝える情報が複数ある。

拉致日本人8人が平壌市ピョンチョン地域鞍山招待所に収容されている。管理は労働党組織指導部幹部5課が担当。10歳内外で拉致された女性いる。目撃証言と写真資料で確認。外務省は2000年ソウルでこの情報を入手、という内容。国情院幹部が西岡に、この情報を韓国政府がもっていることを認める。

2002年9月21日、李記者と通話。韓国国情院は拉致日本人に関してかなり多くの情報を持っている。この情報もその一つ。李記者は、北朝鮮の死亡通知は信じられず、日本が強く反発すればより詳しく調べて生存が分かったと訂正してくる可能性高いと判断している。
  

 同日昼、韓国・国家情報院幹部が救う会役員に「カナダで行われたサミットで小泉総理が拉致に言及、特にカナダの総理とプーチンロシア大統領との会談で熱心に語るのを知り、北朝鮮は拉致問題をそこまで国際的に大きくするのかと非常に驚き、その後急遽10人程度の拉致日本人をある場所からある場所に移動させたという確実な情報がある。しかし、これまでどこの招待所にいてどこの招待所に移されたかは確認がとれていないので調査中だ」と伝えた。

 そのあと「新潟の行方不明になった横田めぐみさん、あの少女も生きていますよ。私の推測の部分もありますが、生きていると思います。間違いないと思います」と語った。
 なお、同役員が19日と20日に電話で発言の確認を求めたが、本人は電話に出ず、20日部下が拉致問題が国際的大問題になっているのでいまは反響を考え何もお話しできないと回答するが、では発言は嘘なのかと食い下がったところ「嘘は言いません」と言明。

 産経新聞2002年9月22日がソウル発で同様の情報を伝えた。

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