平成16年11月25日

北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 横田 滋
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 佐藤勝巳

はじめに
 私たちは、第3回日朝実務者協議において北朝鮮側から提供された「調査結果」なるものについて、政府代表団より報告を受けました。その報告に基づき、各家族の挙げる疑問点を集め、従来までの情報との比較検討を行い、現段階での疑問点・矛盾点をまとめました。また、政府に対し、なぜ直ちに経済制裁を実施しないのか等について、疑問を提起しています。

 北朝鮮側は今回、自らが前回提供した死亡診断書などの捏造を認めた上で、新たに「物証」なるものを提供し、また「説明」を行いましたが、これらの「調査結果」も、嘘の上塗りというほかない不誠実きわまりないものであったと思っています。

 また、新たに提出された「物証」のほとんどは拉致されたことを証明するだけのものであって、「死亡」を証明するものではありませんでした。死亡を証明できる可能性を持つのは、横田めぐみさんのものと称される「遺骨」一つだけです。それも下記のとおりたいへん疑わしいものでした。

 まず、めぐみさん以外については今回の報告によって死亡の「物証」は全くなくなったのです。このことは、被害者全員が今も生きていることを強く示唆するものです。政府はあくまで、被害者の「生存」を前提として拉致問題の早期かつ全面的解決に取り組むことを強く求めます。

 今回の実務者協議の結果、医師の署名つきの死亡診断書さえ平気で捏造し、我が国警察の捜査結果をことごとく否定する金正日政権と、現在のような形で協議をつづけても真実を明らかにはできないことが判明しました。11月16日付け声明のとおり、また様々な世論調査結果が示しているように、いまこそ経済制裁を発動すべきではないでしょうか。まず、制裁を発動し、金正日政権が誠実に検証可能な形で真実を明らかにしない限りそれを解除しない、という強い姿勢で救出に取り組むことをここに重ねて求めます。

 なお、今回の報告では「調査結果」に関する全体的疑問点・矛盾点4点の指摘、個別的疑問点・矛盾点55点の指摘、共通する疑問点6点の指摘に加え、政府への問題提起にとどめ、帰国した被害者より頂いている様々な情報と今回の「調査結果」の検証と評価などについては、後日にご報告する予定です。

T.全体的疑問点・矛盾点

  1. 死亡診断書、患者死亡台帳の捏造

     2002年10月はじめ、日本政府調査団に提供された死亡診断書8枚はすべて捏造されたものであることが明らかになりました。

     死亡診断書の作成日はすべて死亡の当日か翌日とされており、医師の自筆署名が添えられています。すなわち、検死した医師による診断書です。今回金正日政権は、本来存在しない8枚すべてを「2002年に慌てて作った」と捏造を認めました(朝鮮語の「死亡確認書」は、日本における死亡診断書を意味するので、ここでは死亡診断書と訳した)。

     めぐみさんの死亡の物証として提出した患者死亡台帳も「2002年にめぐみさんの名前を書き込んだ」と捏造を認めました。

     彼らが捏造を認めた死亡診断書について、死亡診断名、医師名、死亡日、作成日を確認しておきます。

    ■市川修一さんの 物として捏造された 死亡診断書

     

    市川修一さん「元山海水浴場にて海水浴中心臓マヒで急死」、「チョン・ギョンイル」、「1979年9月4日」、「1979年9月5日」


    ■増元るみ子さんの物として捏造された死亡診断書

     

    増元るみ子さん「心臓マヒによる死亡」、「1981年8月17日」、「チョン・ギョンイル」、「1981年8月18日」


    ■田口八重子さんの物として捏造された死亡診断書

     

    田口八重子さん「マシク峠での自動車事故」「チョン・ギョンイル」、「1986年7月30日」、「1986年7月30日」


    ■原敕晁さんの物として捏造された死亡診断書

     

    原敕晁さん「肝硬変」「チョン・ギョンイル」、「1986年7月19日」「1986年7月20日」


    ■石岡亨さんの物として捏造された死亡診断書

     

    石岡亨さん「一酸化炭素中毒による死亡」、「キム・ギョンイル」、「1988年11月4日」、「1988年11月5日」


    ■有本恵子さんの物として捏造された死亡診断書

     

    有本恵子さん「一酸化炭素中毒による死亡」、「キム・ギョンイル」、「1988年11月4日」、「1988年11月5日」


    ■横田めぐみさんの物として捏造された死亡診断書

     

    横田めぐみさん「鬱病」、「ナム・スアム」、「1993年3月13日」、「1993年3月13日」


    ■松木薫さんの物として捏造された死亡診断書

     

    松木薫さん「激しい脳挫傷による死亡」「ハン・ヒョンリョル」、「1996年8月23日」、「1996年8月24日」

    ※横田めぐみさんのみ「委員会49号予防院」、それ以外の7人はすべて「第695号病院」の印があった

     家族会・救う会は死亡診断書と患者死亡台帳について、多くの疑問点を挙げて捏造ではないかと指摘してきましたが、今回金正日政権はそれに反論できず捏造を認めざるを得なくなりました。

     これは極めて重大なことです。日本では、2002年に彼らが慌てて診断書などを作成したのでミスを犯したとの誤解が広がっています。また、横田めぐみさんの「死亡日」を「93年3月13日」から「94年4月13日」に修正したのも、やはり死亡診断書を作る際に起きたミスという誤解が生まれています。しかし、事実はミスではなく捏造です。捏造かミスかは大きな違いです。その点をきちんと論じないと今回の実務者協議の意味を正しく理解できません。

     繰り返しますが、死亡診断書の作成日は死亡直後の1979年から1996年まで長期間にわたっています。ですから2002年にいくら慌てても、過去に作られた死亡確認書を出してきてコピーを取って日本側に渡せばミスは起こりようがないのです。「慌てて作った」などと弁解したということは、単なるミスではなく、悪意に満ちた捏造だったことを彼らが自ら認めたということです。病院の医師らと共謀して日付をさかのぼって検死医師のサイン入りの死亡診断書と患者死亡台帳を捏造したのです。

     従って、2年前金正日が拉致を認めた直後、金正日政権が日本政府調査団に対して行った「8人死亡、2人未入国」の説明も、このような捏造に基づく欺瞞だったのです。

     私たちは、この点を明らかにしたことが、今回の実務者協議の最大の成果と考えています。

     政府は、死亡診断書及び患者死亡台帳の捏造についてもっと内外に広く知らせ、金正日政権に抗議の姿勢を取るべきと考えます。

     このような公文書捏造や偽証で国家犯罪の証拠を隠滅しようとする金正日政権に対しては、まず経済制裁発動で国家としての強い怒りの姿勢を伝えた上で、交渉するしかないのではないでしょうか。
      

  2. 「田口八重子さんは大韓機爆破犯の日本人化教育係・李恩恵でない」と今回も偽証

     よく知られているとおり、田口八重子さんが金正日政権に拉致されているという事実は、大韓航空機爆破犯人金賢姫の証言と我が国警察の地道な捜査によって明らかにされました。1987年11月、事件を起こした金賢姫は韓国に連行され、自身が北朝鮮工作員であることを自供し、「自分は1981年7月から83年3月までの間、日本から拉致された日本人女性と共に生活をしながら1対1で日本人化教育を受けた。その女性は李恩恵と呼ばれていた」と明らかにしました。

     我が国警察は金賢姫から詳しく事情聴取を行い、李恩恵の似顔絵入りポスターを全国に張り巡らすなど全力を挙げて捜査し、91年5月に「李恩恵は1978年6月に失踪した田口八重子さんである」という捜査結果を発表しました。

     ところが、金正日政権は2002年に田口さん拉致を認めながらも、「李恩恵なる日本人女性は存在しない」として田口さんが李恩恵であることを否定し、今回の協議でも偽証を継続しました。

     我が国警察が、金賢姫から聞き出した李恩恵の特徴に合致する失踪者を捜査した結果、田口八重子さんが拉致されていることを明らかにしました。失踪者は全国で毎年約10万人いますが、日本に一度も来たことのない金賢姫が田口さんの特徴を細かく覚えていたことこそ、田口さんが李恩恵である最大の証拠です。

     しかし、金正日政権はいまだに大韓機爆破テロが自分たちの犯行であったことを認めようとせず、金賢姫証言を否定せざるを得ないのです。そのため「田口さんは拉致したが李恩恵ではない」という偽証を繰り返しているのです。

     今回彼らは、田口八重子さんと横田めぐみさんが1981年から84年までの間、一緒に生活していたと説明しました。つまり、田口さんが金賢姫と寝食を共にして工作員教育を行った事実を、1981年7月から84年3月まで横田めぐみさんの履歴まで捏造してなんとか否定しようとしたのです。李恩恵は田口八重子ではないという偽証で通そうとあがいているわけですが、そのことにより田口さんに関する情報だけでなく、めぐみさんに関する情報にも嘘の上塗りを行ったということになります。

     政府は「テロとの戦争」を戦う国際社会に対して、金正日政権による国家テロの隠滅を告発すべきではないでしょうか。
      

  3. 「よど号メンバーは石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さんの拉致に関与していない」と今回も偽証

     松木薫さん、石岡亨さん、有本恵子さん拉致へのよど号グループの関与について、今回も否定しつづけました。しかし、周知のごとくよど号グループ柴田泰弘の妻だった八尾恵容疑者は我が国警察の取り調べを受け、「私が有本恵子さんを騙して北朝鮮に連れていきました。それ以前に、私以外の2人の(よど号犯)日本人妻が拉致したと聞いていた日本人男子留学生(石岡さんと松木さんのこと)と結婚させることが目的で、連れていったのです」と認めています(東京地裁での証言)。石岡さんと松木さんを拉致したのはよど号グループの妻である森順子と黒田佐喜子です。スペインのバルセロナの動物園で森と黒田が石岡さんと一緒に写っている写真が明白な物証として残っています。

     我が国警察の捜査により明らかになっている「有本さんら拉致によど号グループが関与」という重大事実を堂々と否定する金正日政権の偽証に対してなぜ我が国政府はもっと怒りを表せないのでしょうか。日本の警察当局よりも北朝鮮の人民保安省を信頼しているのでなければ、「金正日政権側の努力の跡はうかがえる」などと言えるわけはない筈です。

     

  4. 曽我ミヨシさん、久米裕さんについても、特定失踪者らについても、「入国していない」と今回も偽証

     今回の協議でも、「知らない」、「未入国」とされた曽我ミヨシさん、久米裕さんに関して、新しい説明は全くありませんでした。この二人は、拉致被害者家族支援法に基づき、小泉首相が「北朝鮮による拉致被害者」と認定しています。我が国警察などの捜査結果がその根拠になっているのは、いうまでもありません。曽我ミヨシさんについて金正日政権は従来、「日本国内請負業者(日本人)から曽我ひとみさんだけを受け取った」という荒唐無稽な説明をしており、今回もそれを変えませんでした。久米さん拉致について石川県警は現場で逮捕した工作員の部下から具体的な証言、証拠を確保しています。

     また、政府は2002年10月、クアラルンプールで行われた日朝国交交渉で小住健三さん、田中実さん、松本京子さんについて調査を依頼しており、その後、脱北者により写真提供のあった藤田進さん、加瀬テル子さんに関しても実務者協議で取り上げましたが、全て未入国との答えが返ってきています。それ以外にも、寺越昭二さんたちの拉致の真相究明のためご家族が要求した遺骨返還をも拒否しました。

     金正日政権は、今回、公式文書の捏造を認めながら、あくまでも「拉致したのは13人であり、そのうち5人は帰国させ8人は死んだのだから、拉致問題は解決した」という従来の立場をまったく変えていないのです。これをくつがえして、多くの被害者の存在を認めさせるためには経済制裁の発動しかないのではないでしょうか。

U.個別的疑問点・矛盾点

  1. 横田めぐみさんについて
    @横田めぐみさんの夫とされるキム・チョルジュン氏からDNA鑑定を行うための血液・毛髪採取並びに本人特定のための有力な証拠となる写真の撮影が日本代表団側からの申し出にもかかわらず拒否され、本人確認・特定ができなかった。

    A横田めぐみさんの夫とされるキム・チョルジュン氏の再婚相手の子供でキム・ヘギョンさんの異母弟とされるチョルボンと称する男の子が横田めぐみさんの実の子供である可能性があるため、横田家は上記@同様血液・毛髪採取の要請をしていたにもかかわらずそれが実現されなかった。

    B2002年には、49号予防院にめぐみさんの死亡日時を覚えている人はいなかった、と説明しながら、今回なぜ、94年4月13日と死亡年月日を特定できたのか。特定したのは誰か。

    C夫とされるキム・チョルジュン氏は2年前の政府調査団にめぐみさんの両親への手紙を託した。その時なぜ、彼から死亡時期を確認しなかったのか。また、2年前には「遺骨は夫が持っていったまま」という説明だったが、2年前に夫から遺骨がどこにあるのか聞いていなかった理由は何か。

    D提供された3枚の写真のうち2枚は、めぐみさんと写真の背景に不整合な部分が多く、合成加工した痕跡がある。なぜ、写真を合成せねばならないのか。

    E自殺に使った紐は事前に衣類を裂いて作った紐を用意していた、と説明されたが、いかにも不自然ではないか。

    F骨壺に入れて火葬した遺骨を自宅で保管するなどという習慣は朝鮮文化には全くない。また、わざわざ、自宅で保管したのなら、なぜ娘であるキム・ヘギョンさんは一切そのことを知らなかったのか。

    G北朝鮮では、土葬して2年半後の遺体はまだ白骨化しておらず、腐敗した肉が付いたすさまじい状態であるはずで、それを掘り出すことなど通常考えられない。

    H火葬するとDNA鑑定ができなくなることを知って、わざわざ火葬した別人の骨を提供したのではないか。

    Iもし最悪の場合であったとしたら、死亡時期と死亡理由が金正日政権の説明通りかどうかが大問題になる。骨相学鑑定では死亡時期は特定しにくい。彼らがそのことを知って、2年前に生きていためぐみさんを殺害した可能性すらありうる。

    J今回の協議でめぐみさんの死亡状況について、日本代表団は2年前に続いて再度「49号予防院」を訪れ担当医師と面談したが、この病院の医師らが死亡診断書と患者死亡台帳を捏造した本人だ。なぜ同じ人物から話を聞いたのか。今回の説明が真実だとなぜ分かるのか。

    K今回、「1981年から84年までは、田口八重子さんと一緒に生活していた」と説明されたが、田口さんは1981年7月から1983年3月まで金賢姫とともに暮らしていたことが金賢姫の証言で判明している。

    Lめぐみさんが金正日政治軍事大学内で目撃されたことを金正日政権は否定し続けている。ところが、今回提出されためぐみさんのモノクロ写真の背景は同大学の出版社前であると元工作員安明進氏が証言した。この証言が正しいなら、めぐみさんが同大学に出入りしていたことが証明される。

    M84年以降の報告がなく、いきなり93年4月以降入退院を繰り返し94年4月に死亡と報告するのは不自然である。

    N拉致実行犯は命令違反で職務停止になり、復帰後の2000年11月に脳出血で死亡と報告されたが、客観的証拠がない。
      

  2. 田口八重子さんについて
    @上記の通り、「李恩恵は田口さんではない」という主張は我が国警察の捜査結果を否定する強弁ではないのか。

    A物証として提供された「マシク嶺交通事故資料」には手書きの説明文と略図しかなく、事故当時の現場や遺体写真などの物証が含まれていない。

    B拉致された時、海州から上陸したと説明されたが、地村富貴恵さんは「田口さんは南浦から上陸した」と証言している。

    C拉致した犯人も交通事故で死亡し、同じ車に乗っていた指導員と運転手も全員死んだとされ、具体的証言を聞く人物がいないとする報告は不自然ではないか。

    D2年前の説明では宮崎の海岸で工作員と出会ったことになっていたが、今回は「宮崎まで誘引された」と変更されているのは不自然ではないか。

    E同じく前回の説明では「トラックにぶつかった」とされていたが、今回は「軍部隊の車と衝突」と変更されているのも不自然ではないか。

    F拉致実行犯は92年夏死亡とあるが、客観的証拠がない。
     

  3. 市川修一さんについて
    @ 今回提供された物証は、「死亡日」の元山の気象状況の資料だけであり、これだけで「死亡」が証明されるのか。

    A 元山海岸を訪問した邦人写真家が、そこは遠浅で溺死事件など起きていないと現地の人から聞いている。また前回溺死と説明したのに、今回心臓麻痺に変更したのは、我々の主張を見て変更したものと思われる。

    B そもそも泳ぎができない市川さんが肌寒い9月4日午後3時過ぎに海水浴をするはずがない。

    C 「気温は高くなかったが、水は冷たくない」と報告したのに「心臓麻痺」は不自然である。

    D 当時、平壌郊外ではなく麟山に住んでいたというのも不自然であるが、「緊急出張」で元山に行ったというのも不自然である。拉致後、約1年で死亡というのも不自然である。

    E 死亡とされた後である1988年から1992年まで安明進氏が金正日政治軍事大学内でしばしば目撃している。

    F「1979年4月から9月までの間は、地方の招待所で日本語教育に従事した」とあるが、はたして拉致されて1年もたたないのに日本語教育に従事できるのか。

    G担当指導員はどうなったのか。なぜ、聴取に参加しなかったのか。

    H前回の調査で証言した目撃者はなぜ現れないのか。

    I「遺品が残っていない」というのも不自然である。
     

  4. 増元るみ子さんについて
    @「1979年8月から1981年8月までの間、地方の招待所で家庭生活を送りながら日本の社会環境の教育を行った」とあるが、1年で朝鮮語のマスターが出来るのか。なぜ、日本語教育ではなく社会環境教育なのか。

    A日本側が追求していないのに、「結婚日」を訂正したのはなぜか。

    B「死亡」とされた後である1988年から1992年まで、安明進氏が金正日政治軍事大学内でしばしば目撃したことと矛盾する。

    C麟山の招待所で「心臓麻痺で死亡」と説明し、「既往症がないことは承知しているが」と断っていることも不自然である。

    D「遺品が残っていない」というのも、「焼却した」理由が説明されなかったのも不自然である。
     

  5. 石岡亨さんについて
    @ 我が国警察の捜査で明らかになったよど号グループの拉致関与を、今回も否定している。

    A 石岡さんが北朝鮮で書いた手紙を持ち出し投函したポーランド人の証言と矛盾する。

    Bパスポートがなぜ提出されないのか。有本さんだけあるのは不自然ではないか。

    C北朝鮮による日本旅券偽造の材料として、石岡さんのパスポートが以前使用された経緯について説明していない。
     

  6. 有本恵子さんについて
    @ 八尾恵の自白などで明らかになったよど号グループの拉致関与を、今回も否定している。

    A 「1984年9月初旬から1988年10月まで、平壌郊外の招待所で日本語教育に従事した」と説明されたが、入国後1年で日本語教育ができるのか。

    B 「死亡」とされた1988年以降も最近まで多数の生存情報がある。

  7. 松木薫さんについて
    @我が国警察の捜査で明らかになったよど号グループの拉致関与を、今回も否定している。

    Aパスポートがなぜ提出されないのか。有本さんだけあるのは不自然ではないか。

    B拉致される前、松木さんがマドリードで書いた手紙を、「関係機関の人物がウィーンに行って送付」と説明しているが、「北朝鮮へ行くことに同意」したのであれば、なぜ、特殊機関の人物がウィーンまで行って投函しなければならないのか。特殊機関が「拉致」の発覚を恐れたことを自白している。これにより、北朝鮮入国が本人の意思でないことがあきらかになった。

    C 物証として提供された「トチョル嶺交通事故資料」は手書きの説明文だけで事故当時の現場や遺体写真など物証が含まれていない。

    D 前回は2回火葬としたが、今回は交通事故により遺体が焼け、洪水で墓が流された後、発見された遺体を火葬したと説明を変えたが、根拠が示されていない。

    E 「教材」として使われたという手書きのテレビドラマシナリオが書籍1点として提供された。前回遺品はないと言っていたのにこれが出てきたことは、生存している本人が所持していたものではないか。

    F 「2002年7月14日、北青(プクチョン)郡人民委員会で、豪雨により破壊された道路の被害復旧作業を行っていた際、一部の遺骨が発見されその中には松木薫さんの骨があると判断したため、発掘遺体を平壤に運ばせて火葬した後、彼の名前で保管した」とあるが、小泉首相訪朝の2002年9月の直前である。この時期に、「松木さんの遺骨」だけを保管していたことは不自然ではないか。

    G 松木薫さんは結婚していないと報告されているが、北朝鮮にしばりつけるため、結婚相手を拉致してまで結婚させ、子どもを生ませ、帰国をあきらめさせている彼らののやり方を見ると、結婚していないのは不自然である。
     

  8. 原敕晁さんについて
    @入国経路について、「南浦ではないかとの指摘を受けもう一度確認したが海州だった」と回答したが、原敕晁さんを拉致し、原さんになりすまして韓国に入国中逮捕された辛光沫の事件について、ソウル刑事地方院判決文の犯罪事実に、「1980年6月中旬南浦港に到着し」、「日本人原敕晁を引き渡し」とあり、北朝鮮側の説明と矛盾する。

    A「695病院で何か月か入院治療を行い」と説明されたが、金正日政治軍事大学内にある695病院で最初の診療を受けたとしてもここには入院施設がなく、入院が必要な場合は同大学内にある915病院に入院する筈であり説明がおかしい。

    B遺品が存在しないというのは不自然である。

  9. 共通する疑問点
    @ ほとんどの被害者が「日本語教育」に従事していたとされているが、教え子たちは何をしていたのか。彼らに対する聴取がなされていない。

    A 前回(2年前)登場した目撃者と言われる人物が、今回一人も登場していない。

    B 帰国した5人の被害者に対し政府が聴取した内容の一部が洩れているのではないか。めぐみさんの死亡時期の変更など今回金正日政権が情報を修正してきた背景にそれがあるのではないか。

    C 「拉致被害者は特殊機関で公式登録していない」と説明しながら、死亡日は特定されているということは非公式な登録、つまり資料が存在していることになるのではないか。

    D 被害者の「死亡」理由は、自殺、交通事故、心臓麻痺、ガス中毒とされており、いずれも極めて不自然である。

    E拉致事件の犯人の多くが既に「死亡した」とされており不自然である。

    以上

 


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